<滝川いじめ自殺>女児の遺書の写し、報告せず紛失…道教委
北海道滝川市江部乙(えべおつ)小学校の6年生の女児(当時12歳)がいじめを
苦に自殺した問題で、女児の遺書の写しが滝川市教委から道教委に今年6月に渡っ
ていながら、道教委の担当者が上司に報告せず放置し、しかも紛失していたことが
明らかになった。道教委は市町村教委と道立学校に出したいじめに関する通知で、
学校だけで対応しないで教育委員会などに相談するよう指示したばかりだが、道教
委自らがいじめ解決への対応を怠っていた。
道教委によると、滝川市教委は遺族から今年6月21日に遺書7通のうち6通を入
手。市教委は27日、空知教育局にすべての遺書の写しを提出した。
空知教育局はいじめがあったことをうかがわせる遺書の内容を把握し、2日後、出
張で来た道教委学校安全・健康課の担当者に手渡した。しかし、同課の担当者は課
長ら上司に報告しなかった。報告しなかった理由について、担当者は「事態の推移
をみて、タイミングをみて報告しようと思った」と説明しているという。遺書を紛
失した経緯を調べている。
道教委は16日、滝川市のいじめ問題で保護者から調査依頼があったのに学校の対
応が十分でなかったとの反省に立って、学校が体面などを気にせず、教育委員会に
連絡することなどを求めた通知を出していた。
記者会見した吉田洋一教育長は「16日の通知は『いじめを隠すな』との思いで出
した。だが、道教委自体がこのようなことを起こし、天につばするようなことで、
誠に申し訳ない」と陳謝。今回のいじめ問題への対応について、「滝川市教委にま
かせっきりで、道教委は何もしていないとの批判は甘んじて受けたい。今後、いじ
め問題に敏感に迅速に対応したい」と話した。
(毎日新聞) - 10月20日12時56分更新
・・・
ひどい・・・
やはり、このような対応しか、していなかったのか・・・
幼い女の子の思いを、この子の辛かった思いが詰まった遺書を、道教委学校
安全・健康課の担当者は、どのような思いで受け取ったのか。
教育に携わる大人がこのような姿勢では、到底今のこどもの世界で起こって
いる、こどもなりの子供同士の付き合いの大変さは理解できないでしょう。
もちろん、私も人のことは言えません。
しかし、分かろうという努力はしないといけません。
私は・・・自分の身内だけ特別ではありませんが、
しかし、客観的に見て、少なくとも私の母、私の兄はいつも頭の中は学校に
向いていますよ。
母も帰宅、遅いです。
兄などは、22時回ってから帰ってくることも度々です。激ヤセしています。
夜は、学校に来ない学生の自宅などを回っているそうです。
私が実家に帰省した際、土曜日は部活動で遠征。
日曜日でさえ、21時近くまで帰ってきませんでした。
成績をつける間がなく、日曜も出勤していました。
兄の嫁さん(私の義理の姉)は、いつも兄の健康を心配しています。
母、兄、共に中学校の教諭です。
兄の嫁さんは、私が精神世界の書籍と出会うよりも前に、スピリチュアル・
カウンセラー江原啓之氏の書籍を読んでいました。
私がお盆に実家へ帰った際も、江原氏の書籍を買っていました。
スピリチュアルな心を持った嫁さんなら、兄にもよい影響があるでしょうから、
兄も良いお嫁さんを見つけたもんだと感心しています。
スピリチュアルな視点(特に愛するということ)を、多少なりともお嫁さんに
影響されて、学校教育に生かせれば素晴らしいのになぁと思います。
・・・
特に小学生、中学生の時期における「愛」とは
愛=相手を思いやる気持ちを養うことでしょう。
江原啓之氏(正しくは、江原氏の主護霊の昌清霊)は、
人が愛を望んで生まれてくることは事実。
「学ぶ」ということを広義に解釈すれば、みな愛を学ぶために生まれ出てくる。
そして、まず家族が人生の第一歩。
人は、肉体をもったみずからの個を愛するがために、家族との葛藤も味わう。
そのなかですくすく育ち、
家族という殻から一歩外へ出る。
それが、いわば関わりの友人、友だち。それらに一歩進出する。
友だちと関わることで、血のつながらぬ、肉の関わらぬ他者を愛する一歩を
始める。それが友情。
その訓練の次に恋愛がある。
愛する訓練には段階がある。家族、友情、恋愛、そしてわが子へと進む。
と、言っています。当たり前のようなことですが、
人を押し退け、自分だけの幸せに走る、走らされる今の世の中では、
当たり前のことも分からなくなってしまいます。
・・・
この女の子の思いの詰まった手紙(遺書)を厄介扱いしないで。
理解できなくても・・・
この女の子の悲しかった気持ちを分かろうとしてほしい。
自殺は、生前に決めてきたことではないといいますが、
この女の子は、世間に今一度見直すべきことがあるでしょ、という
使命があったのかもしれません。
何故か、私はそのように感じるのですが。
他にも、幼い子供の悲しい出来事が報道されています。
(報道に関して:私は「警察の不祥事」が世間にうけたら、ある特定の時期だけ
警察、警察。と、「今は子供の自殺だ」と偏った報道のやり方には納得が行きま
せん。操られているよう。今の視聴率などばかり狙った報道のやり方もどうかと
思います。満遍なく色々な記事を前面に出すべきです。
ここ数週間は、「北朝鮮」「学校でのいじめ自殺」「自殺」、その前は「酒気帯
びでの事故」、特定の報道内容への国民の心の誘導は、明らかに報道する側の視
聴率を稼ぐための企画であり作為的行為。そのような考えの入った報道は間違っ
ています。福岡の子供3人を亡くされたご遺族はどうなさっているのですか?
TV局や新聞社は、もう違うネタ探しですか?そういう行動が今の世知辛い世の
中を作っているんですよ。)
やはり、今の世の中に対する警鐘ではないでしょうか。
北海道滝川市江部乙(えべおつ)小学校の6年生の女児(当時12歳)がいじめを
苦に自殺した問題で、女児の遺書の写しが滝川市教委から道教委に今年6月に渡っ
ていながら、道教委の担当者が上司に報告せず放置し、しかも紛失していたことが
明らかになった。道教委は市町村教委と道立学校に出したいじめに関する通知で、
学校だけで対応しないで教育委員会などに相談するよう指示したばかりだが、道教
委自らがいじめ解決への対応を怠っていた。
道教委によると、滝川市教委は遺族から今年6月21日に遺書7通のうち6通を入
手。市教委は27日、空知教育局にすべての遺書の写しを提出した。
空知教育局はいじめがあったことをうかがわせる遺書の内容を把握し、2日後、出
張で来た道教委学校安全・健康課の担当者に手渡した。しかし、同課の担当者は課
長ら上司に報告しなかった。報告しなかった理由について、担当者は「事態の推移
をみて、タイミングをみて報告しようと思った」と説明しているという。遺書を紛
失した経緯を調べている。
道教委は16日、滝川市のいじめ問題で保護者から調査依頼があったのに学校の対
応が十分でなかったとの反省に立って、学校が体面などを気にせず、教育委員会に
連絡することなどを求めた通知を出していた。
記者会見した吉田洋一教育長は「16日の通知は『いじめを隠すな』との思いで出
した。だが、道教委自体がこのようなことを起こし、天につばするようなことで、
誠に申し訳ない」と陳謝。今回のいじめ問題への対応について、「滝川市教委にま
かせっきりで、道教委は何もしていないとの批判は甘んじて受けたい。今後、いじ
め問題に敏感に迅速に対応したい」と話した。
(毎日新聞) - 10月20日12時56分更新
・・・
ひどい・・・
やはり、このような対応しか、していなかったのか・・・
幼い女の子の思いを、この子の辛かった思いが詰まった遺書を、道教委学校
安全・健康課の担当者は、どのような思いで受け取ったのか。
教育に携わる大人がこのような姿勢では、到底今のこどもの世界で起こって
いる、こどもなりの子供同士の付き合いの大変さは理解できないでしょう。
もちろん、私も人のことは言えません。
しかし、分かろうという努力はしないといけません。
私は・・・自分の身内だけ特別ではありませんが、
しかし、客観的に見て、少なくとも私の母、私の兄はいつも頭の中は学校に
向いていますよ。
母も帰宅、遅いです。
兄などは、22時回ってから帰ってくることも度々です。激ヤセしています。
夜は、学校に来ない学生の自宅などを回っているそうです。
私が実家に帰省した際、土曜日は部活動で遠征。
日曜日でさえ、21時近くまで帰ってきませんでした。
成績をつける間がなく、日曜も出勤していました。
兄の嫁さん(私の義理の姉)は、いつも兄の健康を心配しています。
母、兄、共に中学校の教諭です。
兄の嫁さんは、私が精神世界の書籍と出会うよりも前に、スピリチュアル・
カウンセラー江原啓之氏の書籍を読んでいました。
私がお盆に実家へ帰った際も、江原氏の書籍を買っていました。
スピリチュアルな心を持った嫁さんなら、兄にもよい影響があるでしょうから、
兄も良いお嫁さんを見つけたもんだと感心しています。
スピリチュアルな視点(特に愛するということ)を、多少なりともお嫁さんに
影響されて、学校教育に生かせれば素晴らしいのになぁと思います。
・・・
特に小学生、中学生の時期における「愛」とは
愛=相手を思いやる気持ちを養うことでしょう。
江原啓之氏(正しくは、江原氏の主護霊の昌清霊)は、
人が愛を望んで生まれてくることは事実。
「学ぶ」ということを広義に解釈すれば、みな愛を学ぶために生まれ出てくる。
そして、まず家族が人生の第一歩。
人は、肉体をもったみずからの個を愛するがために、家族との葛藤も味わう。
そのなかですくすく育ち、
家族という殻から一歩外へ出る。
それが、いわば関わりの友人、友だち。それらに一歩進出する。
友だちと関わることで、血のつながらぬ、肉の関わらぬ他者を愛する一歩を
始める。それが友情。
その訓練の次に恋愛がある。
愛する訓練には段階がある。家族、友情、恋愛、そしてわが子へと進む。
と、言っています。当たり前のようなことですが、
人を押し退け、自分だけの幸せに走る、走らされる今の世の中では、
当たり前のことも分からなくなってしまいます。
・・・
この女の子の思いの詰まった手紙(遺書)を厄介扱いしないで。
理解できなくても・・・
この女の子の悲しかった気持ちを分かろうとしてほしい。
自殺は、生前に決めてきたことではないといいますが、
この女の子は、世間に今一度見直すべきことがあるでしょ、という
使命があったのかもしれません。
何故か、私はそのように感じるのですが。
他にも、幼い子供の悲しい出来事が報道されています。
(報道に関して:私は「警察の不祥事」が世間にうけたら、ある特定の時期だけ
警察、警察。と、「今は子供の自殺だ」と偏った報道のやり方には納得が行きま
せん。操られているよう。今の視聴率などばかり狙った報道のやり方もどうかと
思います。満遍なく色々な記事を前面に出すべきです。
ここ数週間は、「北朝鮮」「学校でのいじめ自殺」「自殺」、その前は「酒気帯
びでの事故」、特定の報道内容への国民の心の誘導は、明らかに報道する側の視
聴率を稼ぐための企画であり作為的行為。そのような考えの入った報道は間違っ
ています。福岡の子供3人を亡くされたご遺族はどうなさっているのですか?
TV局や新聞社は、もう違うネタ探しですか?そういう行動が今の世知辛い世の
中を作っているんですよ。)
やはり、今の世の中に対する警鐘ではないでしょうか。
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