船井幸雄氏の著書、
「人は生まれ変わる 体外離脱が教えてくれた本当の生き方」 ダイヤモンド社
を読んでとても驚きました。(まだ読書中)
船井総研(船井幸雄氏)と言えば、私が立命館大学大学院で経営学を学んだな
かでも、数々の企業経営やマネージメントに関する著書を出しているコンサル
のプロであり、市場経済から政治の裏側まで熟知したガチガチの唯物論者、唯脳
論者だと思っていました。
そのような方が、アメリカのバージニア州にあるモンロー研究所で体外離脱を
学んだ森田健氏、坂本政道氏の経験も参考にして、「世の中の構造がはっきりと
分かってきた」と述べられ、著書の中で次のような原因の世界(あの世)と結果
の世界(この世)があるということに触れています。
--------------------------------------------------
(36以上)真の原因の世界=神界
|
|
35人間の本質の常住するところ
|
|
極楽界(28~34)原因の世界 五次元
|
27 生まれ変わりのポイント
|
幽界(23~26) 四次元
|
22 三~四次元
|
現界(1~21)結果の世界 三次元
※1~36はフォーカスと呼び、数値を表したもの
--------------------------------------------------
肉体は、一時的な乗り物にしかすぎず、肉体の死は、決して全てではなく、
極楽界と神界の間の35に、人間の本質の常住するところがあると述べて
います。
22はあの世とこの世の境界。
幽界(23~26)はまだ「囚われの世界」で想念が層をなして、ひとつの
世界を作っているそうです。
そのなかでも23というのは、自分が死んだことを全然意識しないような人
がいつまでもいるようなところだそうです。
26は、この世の人を助けようと思う強い信念を持った人が集まっています。
いわゆる「この世に未練がある人」がいる世界なのでしょうか。
霊能者やスピリチュアルカウンセラーなどが言っていることとほぼ同様で
「なるほど。やはりあの世の構造の真実は1つだな」と私なりに感じました。
23は、江原氏が言われる「幽現界」ないしは「幽界の下層部」にあたると
ころでしょう。24~26は、幽界の上層部(スピリットランド)辺りでは
ないでしょうか。また死後世界地図では、23は第一領域の「地表の霊界」、
「希望の家」、24~26は「たそがれの国」から第二領域の「あかつきの
国」、「朝の国」「日の国」あたりでしょうか。
27は、極楽界の入り口であり、生まれ変わりのポイントだそうです。
まだ名前などを覚えている(現世に執着がある等)場合は先に進めない
ようです。またここで、来世の生まれ変わりの計画を立てるそうです。
この先の28~34に進むと、ここからが本当のあの世だそうです。
そして、この世界は五次元の世界であり、今までの四次元に「光」という
要素が加わるそうです。
ここは、江原氏の幽体を脱ぎ魂の光のみとなって進むと言われる「霊界」、
死後世界地図でも幽体から光(魂)だけが抜けて、さらに高次の世界へと
進んだと記されている「第三領域」に当ると思われます。
ここでは前世も現世も来世もみな重なり合っているそうです。
こだわりもなければ、名前も無い世界。エゴもない。
因果律も作用しない。ただひたすら楽しいだけの世界。
そして35に我々の本質があるがあり、私たちの肉体に入っているのは、
この本質の分霊だそうです。
「地球における最高の原因の世界」
「実在の領域」
私たちの「真の思い」が結実している素晴らしい世界
ですから、現世の肉体をもつ魂も体外離脱をしてあの世に行けたりするのだ
とも述べています。
私が大変興味を持ったのは、江原氏の守護霊(昌清霊)の言葉やイギリスで
100年前に大反響のあった死後世界地図にもありましたが、あの世の
投影がこの世であると述べられている点に繋がることを船井氏の書籍でも述べ
られていたことです。
船井氏は幽界を地獄界と表現しています。
それはあの世は本来極楽なところなのに、死後あの世は極楽だと信じない人々
が多くなり、その人たちが極楽界へ行けないから出来たのだと述べています。
あの世を知る人は、案外と早く極楽界へ進むそうです。
そして、地獄界は「あの世」の原因を歪めて、「この世」に投影しますし、
この世の我々の歪んだ生き方が「あの世」の地獄界を補強していると述べてい
ます。
まだまだ読書中ですが、書籍に付いている帯に、
「一人ひとりの魂は、サムシング・グレートの分身である」
「魂をスピーディに成長させることが人生の目的である」
「カルマとは、私たちが現世で学ぶべき課題」
と書かれていますので楽しみに読んでみたいと思います。
しかし、まだ少ししか読んでいませんが・・・
分霊と言う表現から、いわゆる「類魂(全ては1つの光からなる)説」を
とっていることが分かります。これは江原氏と同じ考えです。
現在では、この類魂(江原氏:グループソウル)説が大勢だと思いますが、
生まれ変わりに関する議論の根幹が、この船井氏の書籍を読んで私なりに
分かったように思うことがありました。
<「私」が感じた輪廻転生>
まず・・・「生まれ変わり」ですが、これは霊能者、スピリチュアルカウン
セラー、学者、研究者、臨床医学に精通した医師による実証などから、あの世
があるならば、「生まれ変わりはある」と言えます。
しかし、その生まれ変わる時点に相違があるため、
①あの世でも1つの魂(光)の存在としてあり、またその個の魂が生まれ変わって
くるという説と、
②1つの魂(光)が経験したもの全てをもって最終的には多くの魂(類魂)と溶け
合い、そこからまた経験不足な部分を補うために、御霊から一部を分け、再生(輪
廻転生)へと繋がる、
という2つの考え方が出てくるのではないかと推察しました。
なお、①を唱える方も、ずっと永遠に1つ(個)とは言い切っていません。
現世からあの世へ行き、そして、生まれ変わる時点までの話の中で個々の魂
が現世→幽界ないしは霊界→輪廻転生→現世・・・と繰り返すと述べている
に過ぎません。輪廻転生の必要が無くなり、さらに神の領域に進んだ、その先
までも一つの個の魂(光)のままであるという説を唱えているわけではありま
せん。
この世で亡くなった1つの魂は、一つの個のままで霊性進化して行き、
行き着いた先(終着点のことではなく、生まれ変わって再び修行するか、
それとも生まれ変わることを選ぶのではなく、あの世でさらに霊性進化して
より高次の領域へ行くのかを決める地点)で、生まれ変わりを決意して、
生まれ変わってくるという考え方の一例としましては、例えば・・・
宜保愛子氏は、何も無い薄明るいところを一人でもくもくと歩き、その歩いて
いる間に、いわゆるこの世への未練を捨て、明るく輝くところへ着いたとき
には、名前も何もかもの全てに執着が無くなっており、そこで生まれ変わりを
決意し、またこの世に生まれ変わってくるようなことを述べられていました。
※宜保愛子氏の、三途の川の向こうに家族を見た,兄が来るなと対岸から言って
いた,あの世は何もないところをひたすら歩き続けるなどは、近年「その個人
の『あの世に対する思いや考え』によって作られる想念の世界」なので、あの世
への道の途中の風景に、三途の川があると思う人には三途の川が、お花畑がある
と思う人はお花畑が見えるというものであり、あの世へ着たばかりの人には、
その人が思う光景が広がっているそうです。ですから、臨死体験をした人が、
三途の川を見る人もいれば見ない人もいるということについて、どちらも間違いや
幻想でもなく、どれもあの世の光景だというのが分かってきています。
これら全ては、高次の光による、物質世界の現世から戻って来たばかりの魂達へ
の思慮深き愛によってなされているそうです。
これは、船井氏の述べられている27の生まれ変わりのポイントに当るのでは
ないかと思います。
ですから、1つの魂のままでまたこの世の1固体の人間の身体の中に宿り
「生まれ変わる」場合もあると考えられます。
もう少し考えてみると、27以上であれば、1つの魂で類魂に溶け合わずとも、
「まだ修行が足りない」などと気づいた時に、またそのまま(1つの魂のまま)
「現世」に修行に出ることが可能ではないかと思った次第です。
もちろん、江原氏(正しくは江原氏の守護霊が言う)の類魂説(現在、有力な説)
も当然存在すると思います。
現世に(今の時点では)やり残したことがない、または未練や執着など無くなった
魂は、船井流でいうところの35のところまで進むことと思います。
光として、さらに霊性進化していくのです。
そして、江原氏や他の多くの方が言われるように、全ての未練や執着などを
捨て去り、名前までも捨て(こだわらなくなり忘れる)、ここまでは1つの魂
(光)であったものが、類魂の光に溶け合う。
しかし、そこで多くの縁の深い魂達(類魂)と溶け合ったのち、「まだまだ
現世での経験が足りない。今度は○○について修行しないといけないな」などと
思い、そう思った類魂から、分け御霊として、また地上のこの世へ降りてくると
いったように、生まれ変わりには2つのルートがあるのではないかと思ったので
す。
そう考えると、現在、有力な類魂説だけでなく、個の魂のままで、また輪廻転生
するといった考えも受け容れることが理論的に可能ではないでしょうか。
特に、海外の大学で科学的に行われている退行催眠により一つ前の前世へ戻って
みると、早くして亡くなった魂(生まれる前に己が決めてきたものの)は、もう
一度この世に早く生まれたくて生まれ変わってきたというデータが、福島大学の
飯田史彦教授の著書「生きがいの創造」に記されていました。
なかには、現世での時でいう「1日」で生まれ変わったという記憶のある人も
いるそうです。反対に今回の生まれ変わりまでに800年位かかったという例も
報告されています。
したがって、もう一度まとめてみますと、
①殺害されたり、今回は生まれて数日~数年で幼くして亡くなる経験をしたため
(生まれる前にすでに、己でそのように決めて生まれてきたことではあるが)、
もう一度、現世で修行したいという、強い希望から1つの魂がそのまま生まれ
変わる場合と、②もう十分と一旦は思ったが、類魂に溶け合い、まだ経験すべき
ことがあると気づき再度生まれてきた魂の、2つのルートがあるのではないかと
いうのが、色々な書籍を読んだ、私なりの感想です。
もちろん、①は、この度生きた世に残した何かに未練があるのではなく、
「早く亡くなったが、自分で決めたことだったのか・・・」と悟り、その上で
「もう一度生まれて、さらに愛すること経験したい、今度は長く生きて、もっと
違うかたちで経験しよう。」など、「今回生きたこの世での未練ではなく、新た
なスタートを楽しみにした、過去の執着を捨てた再生」への想いによって可能と
なる生まれ変わりではないでしょうか。
そう考えると、
①現世→幽界→霊界(この時点では、まだ一つの個別の光)→神界※1
↑ ↓
←←←←←輪廻転生にて現世へ生まれ変わり
または、
現世→霊界:幽界含む(この時点では、まだ一つの個別の光)→さらに高次の世界へ※1
↑ ↓
←輪廻転生にて現世へ生まれ変わり
または、
現世→幽界→霊界下層部→上層部(この時点では、まだ一つの個別の光)→神界※1
↑ ↓
←←←←←輪廻転生にて現世へ生まれ変わり
または、
現世→宇宙エネルギー(この時点では、まだ個)→永遠(我々も宇宙の一部:皆は一つ)
↑ ↓
←輪廻転生にて現世へ生まれ変わり
ほぼ統一の見解:あの世の世界の呼び方は様々ですが・・・
あの世の幽界と霊界は、無数の階層に仕切られた世界
生まれ変わる魂は下層部でなはく、上層部にいる魂
※1・・・いつかは多数の魂が集まっている1つの光に溶け込む、乃至は
著者である霊能者、カウンセラー、学者、研究者が、まだその先
(輪廻転生が必要でなくなった,霊格が高くなった魂が行く先)に
関しては、見ていなかったり、知らないのでどうとも言えないの
で、その先については、何も語っていない。
など、色々と階層による見解(ここで1つとなるという場所の見解の相違)
の違いはありますが、その進化過程ではまだまだ個々の魂として存在し、
その個々の1つ1つの魂にて、また経験不足な面を補うために現世へ生まれ
ると唱える方も、
②現世→幽現界→幽界→霊界(類魂:グループソウル)→神界 を唱える方も、
↑ ↓分霊,分け御霊
←←←←←輪廻転生にて現世へ生まれ変わり
ほぼ統一の見解:あの世の世界の呼び方は様々ですが・・・
あの世の幽界と霊界は、無数の階層に仕切られた世界
生まれ変わる魂は下層部でなはく、上層部にいる魂
①②どちらも正しい論理ではないかと思いました。
※余談:なかには、細かく各界に呼び名をつけず、この世=現世、あの世=
霊界とだけ表し、その中の階層を細かく分けて説明している書籍もあります
が、結局の処はあの世は、階層の世界で、呼び名は著者によってバラバラだ
が、その表現(例えは、下層部は暗いだの,現世と同じ風景だの,この世に
未練がある人が集まるだの,)をよく読むと、ほぼ同一の「あの世姿」を言
っていることがわかります。やはり真実は1つということでしょう。
色々な書籍を読んでいるうちに、輪廻転生(再生)について、私なりに考えて
しまいました。
追加2006.9.1
読み返してみると・・・ごちゃごちゃと分かりづらいですね。
ようは、色々な書籍の特に輪廻転生(再生)に関するところを読むと、
「①この世を去った魂は、一つの魂(光)のままで生まれ変わりの分岐点
まで霊性進化しながらやってくる。そして、分岐点に着いたとき、もう一度
この世へ再度降りてくるか否か、足りないところはないかを考え上で、再生を
決意した場合には、人間の赤ちゃんの肉体に入って生まれ変わってくる。」のか、
「②この世を去り、またいずれは幽体までも脱ぎ捨てて、魂(光)のみの状態と
なり、多くの縁のある魂が集まるところに溶け込んだのちに、その魂の集まりの
なかから、もう一度足りないところをこの世で経験をするために、一部を分けて
この世に生まれ変わってくる」のかという、生まれ変わりの分岐点には2つの考え
方(説)があると読み取れるが、どちらも正しい考えだと言いたかったわけです。
今回生きた世については、もう未練や執着がなくなっている状態を前提として・・・
いわゆる類魂(グループソウル)に溶け込む前に、すでに再生を望み決意した
場合に生まれ変わってくる①のようなルートと、一旦全てに対して未練や執着が
無くなった状態となるとさらに先へと進み、我々の故郷である類魂に溶け込み、
その多くの魂が溶け込んでいる中で、議論のような話し合いが持たれ、「まだ
まだ経験することがあるな。では、次は〇〇を経験しよう。」と決め、その経験
をこの世でする類魂の代表が、この世に生まれてくる②のようなルートの2つが
あっても不思議ではないということを申し上げたかったのです。
「人は生まれ変わる 体外離脱が教えてくれた本当の生き方」 ダイヤモンド社
を読んでとても驚きました。(まだ読書中)
船井総研(船井幸雄氏)と言えば、私が立命館大学大学院で経営学を学んだな
かでも、数々の企業経営やマネージメントに関する著書を出しているコンサル
のプロであり、市場経済から政治の裏側まで熟知したガチガチの唯物論者、唯脳
論者だと思っていました。
そのような方が、アメリカのバージニア州にあるモンロー研究所で体外離脱を
学んだ森田健氏、坂本政道氏の経験も参考にして、「世の中の構造がはっきりと
分かってきた」と述べられ、著書の中で次のような原因の世界(あの世)と結果
の世界(この世)があるということに触れています。
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(36以上)真の原因の世界=神界
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35人間の本質の常住するところ
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極楽界(28~34)原因の世界 五次元
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27 生まれ変わりのポイント
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幽界(23~26) 四次元
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22 三~四次元
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現界(1~21)結果の世界 三次元
※1~36はフォーカスと呼び、数値を表したもの
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肉体は、一時的な乗り物にしかすぎず、肉体の死は、決して全てではなく、
極楽界と神界の間の35に、人間の本質の常住するところがあると述べて
います。
22はあの世とこの世の境界。
幽界(23~26)はまだ「囚われの世界」で想念が層をなして、ひとつの
世界を作っているそうです。
そのなかでも23というのは、自分が死んだことを全然意識しないような人
がいつまでもいるようなところだそうです。
26は、この世の人を助けようと思う強い信念を持った人が集まっています。
いわゆる「この世に未練がある人」がいる世界なのでしょうか。
霊能者やスピリチュアルカウンセラーなどが言っていることとほぼ同様で
「なるほど。やはりあの世の構造の真実は1つだな」と私なりに感じました。
23は、江原氏が言われる「幽現界」ないしは「幽界の下層部」にあたると
ころでしょう。24~26は、幽界の上層部(スピリットランド)辺りでは
ないでしょうか。また死後世界地図では、23は第一領域の「地表の霊界」、
「希望の家」、24~26は「たそがれの国」から第二領域の「あかつきの
国」、「朝の国」「日の国」あたりでしょうか。
27は、極楽界の入り口であり、生まれ変わりのポイントだそうです。
まだ名前などを覚えている(現世に執着がある等)場合は先に進めない
ようです。またここで、来世の生まれ変わりの計画を立てるそうです。
この先の28~34に進むと、ここからが本当のあの世だそうです。
そして、この世界は五次元の世界であり、今までの四次元に「光」という
要素が加わるそうです。
ここは、江原氏の幽体を脱ぎ魂の光のみとなって進むと言われる「霊界」、
死後世界地図でも幽体から光(魂)だけが抜けて、さらに高次の世界へと
進んだと記されている「第三領域」に当ると思われます。
ここでは前世も現世も来世もみな重なり合っているそうです。
こだわりもなければ、名前も無い世界。エゴもない。
因果律も作用しない。ただひたすら楽しいだけの世界。
そして35に我々の本質があるがあり、私たちの肉体に入っているのは、
この本質の分霊だそうです。
「地球における最高の原因の世界」
「実在の領域」
私たちの「真の思い」が結実している素晴らしい世界
ですから、現世の肉体をもつ魂も体外離脱をしてあの世に行けたりするのだ
とも述べています。
私が大変興味を持ったのは、江原氏の守護霊(昌清霊)の言葉やイギリスで
100年前に大反響のあった死後世界地図にもありましたが、あの世の
投影がこの世であると述べられている点に繋がることを船井氏の書籍でも述べ
られていたことです。
船井氏は幽界を地獄界と表現しています。
それはあの世は本来極楽なところなのに、死後あの世は極楽だと信じない人々
が多くなり、その人たちが極楽界へ行けないから出来たのだと述べています。
あの世を知る人は、案外と早く極楽界へ進むそうです。
そして、地獄界は「あの世」の原因を歪めて、「この世」に投影しますし、
この世の我々の歪んだ生き方が「あの世」の地獄界を補強していると述べてい
ます。
まだまだ読書中ですが、書籍に付いている帯に、
「一人ひとりの魂は、サムシング・グレートの分身である」
「魂をスピーディに成長させることが人生の目的である」
「カルマとは、私たちが現世で学ぶべき課題」
と書かれていますので楽しみに読んでみたいと思います。
しかし、まだ少ししか読んでいませんが・・・
分霊と言う表現から、いわゆる「類魂(全ては1つの光からなる)説」を
とっていることが分かります。これは江原氏と同じ考えです。
現在では、この類魂(江原氏:グループソウル)説が大勢だと思いますが、
生まれ変わりに関する議論の根幹が、この船井氏の書籍を読んで私なりに
分かったように思うことがありました。
<「私」が感じた輪廻転生>
まず・・・「生まれ変わり」ですが、これは霊能者、スピリチュアルカウン
セラー、学者、研究者、臨床医学に精通した医師による実証などから、あの世
があるならば、「生まれ変わりはある」と言えます。
しかし、その生まれ変わる時点に相違があるため、
①あの世でも1つの魂(光)の存在としてあり、またその個の魂が生まれ変わって
くるという説と、
②1つの魂(光)が経験したもの全てをもって最終的には多くの魂(類魂)と溶け
合い、そこからまた経験不足な部分を補うために、御霊から一部を分け、再生(輪
廻転生)へと繋がる、
という2つの考え方が出てくるのではないかと推察しました。
なお、①を唱える方も、ずっと永遠に1つ(個)とは言い切っていません。
現世からあの世へ行き、そして、生まれ変わる時点までの話の中で個々の魂
が現世→幽界ないしは霊界→輪廻転生→現世・・・と繰り返すと述べている
に過ぎません。輪廻転生の必要が無くなり、さらに神の領域に進んだ、その先
までも一つの個の魂(光)のままであるという説を唱えているわけではありま
せん。
この世で亡くなった1つの魂は、一つの個のままで霊性進化して行き、
行き着いた先(終着点のことではなく、生まれ変わって再び修行するか、
それとも生まれ変わることを選ぶのではなく、あの世でさらに霊性進化して
より高次の領域へ行くのかを決める地点)で、生まれ変わりを決意して、
生まれ変わってくるという考え方の一例としましては、例えば・・・
宜保愛子氏は、何も無い薄明るいところを一人でもくもくと歩き、その歩いて
いる間に、いわゆるこの世への未練を捨て、明るく輝くところへ着いたとき
には、名前も何もかもの全てに執着が無くなっており、そこで生まれ変わりを
決意し、またこの世に生まれ変わってくるようなことを述べられていました。
※宜保愛子氏の、三途の川の向こうに家族を見た,兄が来るなと対岸から言って
いた,あの世は何もないところをひたすら歩き続けるなどは、近年「その個人
の『あの世に対する思いや考え』によって作られる想念の世界」なので、あの世
への道の途中の風景に、三途の川があると思う人には三途の川が、お花畑がある
と思う人はお花畑が見えるというものであり、あの世へ着たばかりの人には、
その人が思う光景が広がっているそうです。ですから、臨死体験をした人が、
三途の川を見る人もいれば見ない人もいるということについて、どちらも間違いや
幻想でもなく、どれもあの世の光景だというのが分かってきています。
これら全ては、高次の光による、物質世界の現世から戻って来たばかりの魂達へ
の思慮深き愛によってなされているそうです。
これは、船井氏の述べられている27の生まれ変わりのポイントに当るのでは
ないかと思います。
ですから、1つの魂のままでまたこの世の1固体の人間の身体の中に宿り
「生まれ変わる」場合もあると考えられます。
もう少し考えてみると、27以上であれば、1つの魂で類魂に溶け合わずとも、
「まだ修行が足りない」などと気づいた時に、またそのまま(1つの魂のまま)
「現世」に修行に出ることが可能ではないかと思った次第です。
もちろん、江原氏(正しくは江原氏の守護霊が言う)の類魂説(現在、有力な説)
も当然存在すると思います。
現世に(今の時点では)やり残したことがない、または未練や執着など無くなった
魂は、船井流でいうところの35のところまで進むことと思います。
光として、さらに霊性進化していくのです。
そして、江原氏や他の多くの方が言われるように、全ての未練や執着などを
捨て去り、名前までも捨て(こだわらなくなり忘れる)、ここまでは1つの魂
(光)であったものが、類魂の光に溶け合う。
しかし、そこで多くの縁の深い魂達(類魂)と溶け合ったのち、「まだまだ
現世での経験が足りない。今度は○○について修行しないといけないな」などと
思い、そう思った類魂から、分け御霊として、また地上のこの世へ降りてくると
いったように、生まれ変わりには2つのルートがあるのではないかと思ったので
す。
そう考えると、現在、有力な類魂説だけでなく、個の魂のままで、また輪廻転生
するといった考えも受け容れることが理論的に可能ではないでしょうか。
特に、海外の大学で科学的に行われている退行催眠により一つ前の前世へ戻って
みると、早くして亡くなった魂(生まれる前に己が決めてきたものの)は、もう
一度この世に早く生まれたくて生まれ変わってきたというデータが、福島大学の
飯田史彦教授の著書「生きがいの創造」に記されていました。
なかには、現世での時でいう「1日」で生まれ変わったという記憶のある人も
いるそうです。反対に今回の生まれ変わりまでに800年位かかったという例も
報告されています。
したがって、もう一度まとめてみますと、
①殺害されたり、今回は生まれて数日~数年で幼くして亡くなる経験をしたため
(生まれる前にすでに、己でそのように決めて生まれてきたことではあるが)、
もう一度、現世で修行したいという、強い希望から1つの魂がそのまま生まれ
変わる場合と、②もう十分と一旦は思ったが、類魂に溶け合い、まだ経験すべき
ことがあると気づき再度生まれてきた魂の、2つのルートがあるのではないかと
いうのが、色々な書籍を読んだ、私なりの感想です。
もちろん、①は、この度生きた世に残した何かに未練があるのではなく、
「早く亡くなったが、自分で決めたことだったのか・・・」と悟り、その上で
「もう一度生まれて、さらに愛すること経験したい、今度は長く生きて、もっと
違うかたちで経験しよう。」など、「今回生きたこの世での未練ではなく、新た
なスタートを楽しみにした、過去の執着を捨てた再生」への想いによって可能と
なる生まれ変わりではないでしょうか。
そう考えると、
①現世→幽界→霊界(この時点では、まだ一つの個別の光)→神界※1
↑ ↓
←←←←←輪廻転生にて現世へ生まれ変わり
または、
現世→霊界:幽界含む(この時点では、まだ一つの個別の光)→さらに高次の世界へ※1
↑ ↓
←輪廻転生にて現世へ生まれ変わり
または、
現世→幽界→霊界下層部→上層部(この時点では、まだ一つの個別の光)→神界※1
↑ ↓
←←←←←輪廻転生にて現世へ生まれ変わり
または、
現世→宇宙エネルギー(この時点では、まだ個)→永遠(我々も宇宙の一部:皆は一つ)
↑ ↓
←輪廻転生にて現世へ生まれ変わり
ほぼ統一の見解:あの世の世界の呼び方は様々ですが・・・
あの世の幽界と霊界は、無数の階層に仕切られた世界
生まれ変わる魂は下層部でなはく、上層部にいる魂
※1・・・いつかは多数の魂が集まっている1つの光に溶け込む、乃至は
著者である霊能者、カウンセラー、学者、研究者が、まだその先
(輪廻転生が必要でなくなった,霊格が高くなった魂が行く先)に
関しては、見ていなかったり、知らないのでどうとも言えないの
で、その先については、何も語っていない。
など、色々と階層による見解(ここで1つとなるという場所の見解の相違)
の違いはありますが、その進化過程ではまだまだ個々の魂として存在し、
その個々の1つ1つの魂にて、また経験不足な面を補うために現世へ生まれ
ると唱える方も、
②現世→幽現界→幽界→霊界(類魂:グループソウル)→神界 を唱える方も、
↑ ↓分霊,分け御霊
←←←←←輪廻転生にて現世へ生まれ変わり
ほぼ統一の見解:あの世の世界の呼び方は様々ですが・・・
あの世の幽界と霊界は、無数の階層に仕切られた世界
生まれ変わる魂は下層部でなはく、上層部にいる魂
①②どちらも正しい論理ではないかと思いました。
※余談:なかには、細かく各界に呼び名をつけず、この世=現世、あの世=
霊界とだけ表し、その中の階層を細かく分けて説明している書籍もあります
が、結局の処はあの世は、階層の世界で、呼び名は著者によってバラバラだ
が、その表現(例えは、下層部は暗いだの,現世と同じ風景だの,この世に
未練がある人が集まるだの,)をよく読むと、ほぼ同一の「あの世姿」を言
っていることがわかります。やはり真実は1つということでしょう。
色々な書籍を読んでいるうちに、輪廻転生(再生)について、私なりに考えて
しまいました。
追加2006.9.1
読み返してみると・・・ごちゃごちゃと分かりづらいですね。
ようは、色々な書籍の特に輪廻転生(再生)に関するところを読むと、
「①この世を去った魂は、一つの魂(光)のままで生まれ変わりの分岐点
まで霊性進化しながらやってくる。そして、分岐点に着いたとき、もう一度
この世へ再度降りてくるか否か、足りないところはないかを考え上で、再生を
決意した場合には、人間の赤ちゃんの肉体に入って生まれ変わってくる。」のか、
「②この世を去り、またいずれは幽体までも脱ぎ捨てて、魂(光)のみの状態と
なり、多くの縁のある魂が集まるところに溶け込んだのちに、その魂の集まりの
なかから、もう一度足りないところをこの世で経験をするために、一部を分けて
この世に生まれ変わってくる」のかという、生まれ変わりの分岐点には2つの考え
方(説)があると読み取れるが、どちらも正しい考えだと言いたかったわけです。
今回生きた世については、もう未練や執着がなくなっている状態を前提として・・・
いわゆる類魂(グループソウル)に溶け込む前に、すでに再生を望み決意した
場合に生まれ変わってくる①のようなルートと、一旦全てに対して未練や執着が
無くなった状態となるとさらに先へと進み、我々の故郷である類魂に溶け込み、
その多くの魂が溶け込んでいる中で、議論のような話し合いが持たれ、「まだ
まだ経験することがあるな。では、次は〇〇を経験しよう。」と決め、その経験
をこの世でする類魂の代表が、この世に生まれてくる②のようなルートの2つが
あっても不思議ではないということを申し上げたかったのです。
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