
臨死体験者である聖心女子大学の鈴木秀子教授は、死後の世界の存在について、
次のように述べられています。
死後の世界や臨死体験で見る世界を、
単なる幻想や妄想だと主張する人々は・・・
・臨死体験者は、混乱した夢をみているだけ
・脳内麻薬様物質が膨大に分泌されることによる快感を至福の世界と感じるだけだ
と主張するが・・・
しかし、
「臨死体験で出あうのは、夢見ごろでボーッとした映像や音声ではありません。」
「その体験は、ひとつひとつがあまりにも明瞭で、幻想や妄想、あるいは夢想と
は明らかに違うのです。」
「楽しい夢を見ているのとはまったく異なり、その鮮明さは、現実の体験の記憶
と同じものです。」
「陶酔感を感じるといっても、心は澄み切っており、麻薬を打たれたような混乱
状態とも違い、とても冷静な気分でそのすべてを味わうのです。」
と、鈴木秀子教授は自らの臨死体験と照らし合わせて語っておられます。
そして、「これを死へのプロセスの中でも弱り切った脳のなす『いたずら』と
言うには、どうしても無理があります。」
と述べ、
「私には、死後の世界の存在を確信するに十分な体験としか思えないのです。」
と言われています。
「生かされる理由 人はなぜ生まれ、どこへいくのか」幻冬舎P187より
鈴木秀子教授は、自分自身も含め臨死体験をした人々、死にゆく人との交流を
つづけてきた人々は、ほぼ例外なく、死後の世界を信じ、「死は存在しない」と
確信するようになるとおっしゃっておられます。
(鈴木秀子先生は現在、聖心会シスター、国際文学療法学会会長などでご活躍中)
次のように述べられています。
死後の世界や臨死体験で見る世界を、
単なる幻想や妄想だと主張する人々は・・・
・臨死体験者は、混乱した夢をみているだけ
・脳内麻薬様物質が膨大に分泌されることによる快感を至福の世界と感じるだけだ
と主張するが・・・
しかし、
「臨死体験で出あうのは、夢見ごろでボーッとした映像や音声ではありません。」
「その体験は、ひとつひとつがあまりにも明瞭で、幻想や妄想、あるいは夢想と
は明らかに違うのです。」
「楽しい夢を見ているのとはまったく異なり、その鮮明さは、現実の体験の記憶
と同じものです。」
「陶酔感を感じるといっても、心は澄み切っており、麻薬を打たれたような混乱
状態とも違い、とても冷静な気分でそのすべてを味わうのです。」
と、鈴木秀子教授は自らの臨死体験と照らし合わせて語っておられます。
そして、「これを死へのプロセスの中でも弱り切った脳のなす『いたずら』と
言うには、どうしても無理があります。」
と述べ、
「私には、死後の世界の存在を確信するに十分な体験としか思えないのです。」
と言われています。
「生かされる理由 人はなぜ生まれ、どこへいくのか」幻冬舎P187より
鈴木秀子教授は、自分自身も含め臨死体験をした人々、死にゆく人との交流を
つづけてきた人々は、ほぼ例外なく、死後の世界を信じ、「死は存在しない」と
確信するようになるとおっしゃっておられます。
(鈴木秀子先生は現在、聖心会シスター、国際文学療法学会会長などでご活躍中)
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