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マンション管理のお勉強日記+スピリチュアルなブログ:飯田史彦教授 江原啓之氏 坂本政道氏等の精神世界の書籍を読んで

先立った最愛の彼女といつか必ず逢いたい…彼女が枕元に置いて逝った江原啓之氏の書籍…Spiritualな世界の存在を信じて

大学院(修士課程)へ行きませんか

2006年11月12日 23時01分47秒 | □私の気ままな話
大学を選ばなければ、大学院、特に修士課程は誰でも行ける時代になっています。



私は、正直に言います。
どうせ、学問をさらに学ぶのなら、「立命館大学」という憧れであった大学で、
かつ有名大学の大学院へ行きたかったから、頑張りました。
当時、本当に頑張っていたと思います。
多分人生で一番勉強したように思います。


このように、スピリチュアルな世界を知るまでの私は、まさに物質主義、唯物論
者、唯脳論者でした。
だから、新卒の時の就職先も、背伸びして「銀行」を選んだのです。
ただ、欲を言えば・・・
今思うのは「今なら立命館大学大学院より、もっと知名度のある大学の大学院へ
行けた。」と自負しています


もちろん、立命館大学大学院は学術レベルも大変素晴らしいですよ。
大学も綺麗だし、広いし、設備も充実して最高の大学でした。
指導教官も最高レベルの教授陣で、本当に楽しく学べました。



立命館大学・大学院は、私の第2の母校です。



私が大学院へ進学した時期は、昼夜開講制の大学院(有名大学の大学院)がまだ
まだ少なかったので、仕事を辞め「本当に『昼間に通う大学院生』」となりまし
た。しかし、今では社会人の受け入れにどこの大学・大学院も積極的で、昼夜開
講制の大学院も急激に増えました。


「大学院進学の時代」
「社会人よ、大学・大学院へ行こう」
まさに今その時代です。

私は、
「ある特定の分野を学びたい」という強い意欲と、
「大学院修士課程2年間の学費および生活費」
さえ、捻出できれば、誰でも大学院へ進学できると実感しています。

ぜひ、チャレンジしてみてはいかがでしょうか。


私は・・・時間と学費・生活費がありましたら、
京都大学大学院人間環境学研究科で、カール・ベッカー教授のもとで
死生学を学びたいですね。
(しかし、もう大学院へ行けるほどの余裕はないので残念です)

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4 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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まだ学ぶべきことがあります (一般法則論者)
2006-11-13 02:08:05
大学院の先にも前にも、まだ学ぶべきことがあります。
 例えばーーーーーー

 いわゆる神の存在証明がもたらす意味について
 http://blog.goo.ne.jp/i-will-get-you/
返信する
Unknown (管理人)
2006-11-13 12:48:49
一般法則論者 様
コメントありがとうございました。

一般法則論というのは、はじめて耳にしました。
神と自然法則とエネルギーの三位一体の性質から論理的
機械的にその実在を導き出す方法ですか。

しかし、神と言いましても宗教上の「神」を指すわけではない
のですね。
自然法則とエネルギーの存在の働きに、更に「創造主である
神」の存在が必要不可欠であることを、理屈だけで説明すると
いうブログなんですね。

また拝見させていただきます。
返信する
コメントありがとうございました。 (mypic)
2006-11-13 16:02:55
【ブログの鬼】にコメントいただきありがとうございます。
(≧∀≦)僕もスピリチュアル視点を持つことの大切さを、もっともっと多くの人に知ってもらいたいと思っています。

目に見えるモノだけが全てじゃないですよね!僕は全然霊感とか無いのですが、ナゼか昔から見えないモノを信じてました☆
これからも拝見させていただきますので、頑張ってください。
返信する
Unknown (管理人)
2006-11-18 08:26:41
近畿化学協会創立80周年記念で、

「今から30年程度前、この国は高校への進学率が約100%となった。2、3年後に大学への進学希望者はほぼ全員が入学可能になるという。文部省が一貫して国民の高学歴かと均一化を行ってきた成果といえよう。戦後日本の高度成長およびオイルショック後の繁栄は均一な、高学歴の人々が担ってきたことは否めない事実である。しかし、70年代には高校生の非行が、80年代には中学生の暴力が問題となった。さらにバブル崩壊後の低成長時代、学歴の均一化が悪平等主義を招き、低年齢層の学習意欲を失わせている。」

「文部省は世界に対抗できる研究者を養成するとの美名のもと、大学院重点化を推し進め、大学院の新設、増設および大学院生数の拡大を計っている。」

「大学院案内も出版され、社会人大学院、通信制大学院も設置されるようになった。」

「そして一部の社会人大学院は街のカルチャースクールのように、新しいことを教わりたいという希望で、人気があるという。はやりのMBA(経営学修士)が取得できるという大学院も同様であろう。」

「研究者の底辺を拡大したいという意図は分かるが、修士課程の学部化あるいは義務教育化しないかという懸念がある。この政策がこのまま推進されると、30年後には英語はおろか四則混合計算ができず日本語の読み書きもおぼつかない日本人の成人すべてが修士となり、50年後には博士になっていそうである。その反面、研究は欧米に大きく水をあけられ、技術はアジア諸国に全くかなわない、そんな国へとならないことを祈る。」

・・・

という記事が掲載されたと、とあるHPで取り上げていましたが、一体何が言いたいのでしょう。

この記事を掲載していた某集団のHPは、みんなが優秀な「博士」の学位を持っていると書いていました。


大学院を出たからと言って、大昔からみんなが優秀ってわけではありません。そのようなことは、言われなくても世間の人も分かっています。頑張って新たな技術を開発する人もいれば、そうでない人もいます。
ようは、全て結果なんですけどね。
科学の発展は、眼で見て分かることですから。

カルチャースクールでも何でもいいんです。大学側がそれで大学院への「入学」を許可しているのですから。


誰でも「博士号」を取ってしまったら、「出来る人」「出来ない人」の見分けがつかないのでしょうか?「英語はおろか四則混合計算ができず日本語の読み書きもおぼつかない」のも見極められないということですか?それは「学位」という肩書きだけで「出来る」と思われていたに過ぎません。


「『本当に』出来る人」「社会で通用する人」は肩書きをぶら下げて仕事をしなくても「コイツは、できるな。」と職場の皆に自然と認められますって。


面白いですよね。「学位」になんて、医師免許や弁護士資格のように既得権益など初めから何も無いものなのに。「学位」はあくまでも卒業しましたという記しであって「優秀のお墨付き」でも「独占業務のある国家資格」でもありません。「学位」という肩書きをぶら下げて威張ってきたのでしょうか。妄想です。


ご心配無用です!日本を引っ張っていく若手技術者はいっぱい育っていますから。


なぜ、大学院まで行くのか。特に理系の方は博士号まで取るのか。
それは、いくら能力があっても研究職に就きたい場合、今の世の中、博士号まで取らないと雇ってくれないからです。
遊びに来ている大学院生ばかりではありませんよ。

今の現状の詳しくはブックマークに入れてあります[研究者人材データベース]で求人募集を検索してみてください。
とにかく、能力を発揮するにも博士号が採用の基準となっている理工系の大学・研究所が圧倒的に多いですから。


昔は、大卒でもよかったでしょうけどね。

一つに秀でた人が、その一つの分野を引っ張っていく。
そういう人が100の分野にいれば、100の分野が発展していく。
オールマイティを求めるのではなく、得意分野一本で、大学院博士後期課程へ入学できるようになった,政策によって門戸が広がった今の制度のほうが、よほどこれまでよりも大きな発展に繋がります。
ゼネラリストの人材よりも、これからは一層一分野に秀でた「スペシャリスト」が求められる時代なのです。特に理工系のような研究開発主体のお仕事は。
「野球は県大会ベスト8のエース」「サッカーも地方大会にレギュラー出場できる技能がある。」「柔道は2段」など色々できる人材というよりも、「野球だけは4番でエース。甲子園で優勝しました。」を求めているのです。


「大学院へ入学しやすくなった」良いことではないですか。


現代の「博士号取得者大量生産」による学位の価値の低下を懸念しているような狭い狭い視野では、それこそ日本の化学の未来が心配です。

まるで「ワシの若い頃は・・・」とか「今の若い者は・・・」というようなことを言っているよう。
唯物論、唯脳論に凝り固まっているようですね。

昔は、博士後期は満期退学→博士号はくれない→苦労してその後も研究→論文博士が当たり前で、今の博士後期修了→課程博士の増産を「博士号」の乱発と捉えての発言という本心も含まれているのは分かっています。「我々の時は、『博士号』を取るのに苦労したんだ。」という気持ちは分かります。
しかし、時代は科学の発展のように刻一刻と変わってきています。

世間に不満を言っても仕方がありません。
それこそ、あいだみつをさんの言われる「今 ここ じぶん」と思ったほうが前向きになれると思います。
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