神に帰る生き方

せっかく生まれてきたのだから、心平安に生きていきたい!と思う。

どうして恩恵をくれるのか

2017-12-01 06:04:00 | 宗教
神様の喜びを得るために、
生きている間に、少しでも
感謝をしよう!
というところで先週は終わりました。


今週はまず初めに
少しだけ、今までの復習をしたいと思います。
なぜなら、、、
書いている私自身が
何を書いたのか忘れてしまったくらいですから、
読者の皆さんも、、、きっと、、、、
忘れてしまいましたよねえ、、、。

ということで、少しだけ復習をしましょう!

一番最初に
「この人生に於いては旅人のようであれ」
と書きました。

そしてその旅の目的地は
「神様がいらっしゃる天国」

天国へ続く道は、まっすぐな道
”シラータルムスタキーン” しかない。

その道の上を(どんなスピードでもいいから)
歩いていることが何よりも大切。

そして、、
天国というのは、人間の想像を超越するすごい所。
不動産屋さんが値段もつけられないような所であるから、
タダで、簡単に入れると思ったら大間違い。
そこそこの良い行いは、やはりやらなければならない。

良い行いのトップに輝くのは、
神の存在を信じ、その神様からの恩恵に感謝をすること。

というのが、まあ 先週までの簡単な復習です。




さーて、ここからが今週のメインテーマになります。

『どうして神様は、沢山の恩恵(贈り物)を与えてくれているのか?』

私たちは、人に何かをあげた時や、何かをしてあげた時など
「ありがとう!」と言ってもらいたいですよね。
「言ってもらうために、やっていない!」
と思っていたとしても、やはり「ありがとう!」
と言ってもらえると嬉しくなります。
たった一言なんですけど、大きな力がありますよね、ありがとうには。

毎日、毎日ガムシャラに家事をしてい私に
誰かがちょっと「いつもありがとう!」なーんて言ってくれたら、
それだけで、あと10年くらい頑張れそうな気になれますよ。

しかし神様は、私たちに”ありがとう”
と言ってもらいたくて、こんなに沢山の
贈り物をくれているわけではないのです。
やはり神様ですからねえ。
人間とは違うわけです。

最初の人間アダムに始まって、最後の人間の一人までが、
全く感謝の意を表さなくても、神様的には全然どうってことはないのです。

何しろ神様は、完璧に満たされている方ですから
私たちが感謝しようがしなかろうが、大した問題ではありません。

クルアーンの中で、スライマーンという名の預言者さん(平安あれ)がこのように言っています。

 『誰が恩知らずであっても 私の主は満たされるお方。崇高な方です。』
  (クルアーン27~40)

また違うところでは、神様ご自身がこのようにおっしゃっています。

 『あなたの主は満たされるお方、慈悲深き主であられる。』
 (クルアーン6:133)



では、なぜ?

神様は、沢山の恩恵を私たちにくださるのでしょうか。
それは、、、



クルアーンの中で、神様はこのようにおっしゃっています。

『われは聴覚と視覚を授けた。
 われは(正しい)道を示した。
 感謝する者になるか、信じないかを見るために』
 (クルアーン 76:2~3)


先ほどのスライマーン(平安あれ)も同じようなことを言っています。
「これは私の主の恵み。私が感謝するか、または恩知らずかを試みられるためです。」
 (27:40)


つまり神様が、
沢山の恩恵を授けてくれているのは、
私たちを 『テスト』 するためだったんですね。


『テスト』という言葉は、私たちの人生(現世)を表現するキーワード。
ですので、そのことはまた後ほど、詳しく。

早く知りたい!という方は、

アマゾン電子書籍
「イスラム的現世の歩き方」http://www.amazon.co.jp/dp/B01HQB2VPW/
を読んでみてください。
テストについて、書いてみました。


神様に感謝をする、というのは、先週お話しましたように、
幾つかのステップが必要でした。
(1)神様の存在を信じる
(2)恩恵が多いことを知る。
(3)ありがたいと思う
(4)与えられている身であると、謙虚になる。
(5)恩恵を正しく使う。
つまり、一言で感謝をするといっても
これらすべての概念が、ぎゅーっと詰まっているわけですね。

反対に、
感謝をしない というのは、
タダ単に感謝をしていないのではなく
(1)神様の存在を信じていない。
(2)恩恵に気づかない。
(3)ありがたがらない。
(4)傲慢である。
(6)恩恵を悪いことに使う。

と、いったこと全てがぎゅーっと凝縮されているということです。

ゆえに、
感謝をする者 イコール 信者(神を信じる者)
感謝をしない者 イコール 不信者(神を信じない者)
と分けることができます。

『われに感謝し、不信であってはならない』
 (クルアーン 2:152)


感謝する者(信者)であって、不信(者)になるな、と
おっしゃっているわけです。

神様は私たちに”信者”でいてもらいたいのですねえ。

なぜなら、

目的地である天国に入るには、
まずは、信者(感謝する者)でなければならないから、なんですねえ。

続きはまた来週!