神に帰る生き方

せっかく生まれてきたのだから、心平安に生きていきたい!と思う。

アルワッドゥード

2019-09-30 08:01:38 | イスラム教
神様はアルワッハーブ
「惜しみなくドンドンお与になるお方」
であると先週は書いてみました。


神様の御名前を知ることは
神様への愛情をぐーんとあげるのに一番の近道であります。

ということで
今週ご紹介する神様の御名前は
「アルワッドゥード」
意味はズバリ!
「愛し愛されるお方」

神様の愛
それは人間が何か(または誰か)に持つ愛情とは全く異なる愛情です。

私たちが何かを愛する時
そこにはなんらかの利益が隠れているものです。
例えば、
私は「お金が大好き、お金を愛している」としましょう。
(先週からお金大好きアピールすごいです!)

お金が好きなのは、お金を使って何かができたり
欲しい物を手に入れられたりするからですよね。
つまり、理由があるんです。(当たり前ですが)

では、物ではなく人を愛する時はどうでしょう?
「あの人といると楽しいから」
「あの人は誠実で優しいから」
「あの人は気前がいいから」
などなど
誰かを愛する時にも、やっぱり何かしらの理由って
ありますよね。

理由がない、ただ単に誰かを「愛している」
というのは、親が子供を想う時だけ、、
かもしれません。
親は大抵の場合、
子供を愛するのに、理由なんていりません。
ただ単に、
その子が可愛いいから
その子の為を思って
いろいろなことをしてあげたくなるわけですよね。

とは言っても、それでも
やはりリミット(限界)というのはあると思うんです。

たまに
「息子の暴力から逃げたい」
といったお悩みを、新聞やらネットで見ることがあります。
内容は読みませんが、そのタイトルを見ただけで
「アー、これはさぞかしお辛いだろうなあ」と思います。

暴力を振るう息子をこのお母さんは、”愛して”いると思いますか。

私なんかだったら
「小さい頃あんなに可愛がって育ててあげたのに、なんて奴だ!
 出てけ!」
って思っちゃいますけどね。

たとえ、自分の子供であっても
無条件に、そしてなんの見返りも求めずに「愛する」というのは
なかなか難しいものだと思うんです。

しかし、神様の愛情、特に
私たち人間に対する愛情というのは、違います。

見返りはもちろん求めないし、
愛情に限界があるわけでもありません。

ただ単に、
私たちのことを思って、私たちに益になるように
たくさんの愛情を注いて下さっているわけです。
そんな神様の御名前が
「アルワッドゥード」
ということです。

そして、神様の愛情というのは、
心の中に留めておくものではなく
それをしっかり形としてマニフェストされているのが
特徴です。

人間の愛情というのは、
心に秘めてあるだけで、表に現れないことがあります。
片思いの時とか(なんか懐かしい言葉だなあ)心に留めっぱなしですよねえ。
または、
ちょっと前の世代の親なんかであったら、
子供に対する愛情を、しっかりと態度や言葉で表すということは
あまりしませんでよね。

しかし、神様の愛情はしっかりと目に見えるものばかりです。
チラッと周りを見てみましょう。
この綺麗な自然や美味しい食べ物。
私たちの体。
家族や友達といった周りの人々。
必要な物を手にいれられるお金(また!)
など、など
神様が私たちを愛して下さっているからこそ
そのような物が私たちの周りにたくさんあって、
その一つ一つを
目で見、手に触れて実感することができるのです。

このように
神様は、私たちを愛して下さっているわけですが、
愛するだけでなく、
「愛される存在」でも、あります。

「愛し、愛されるお方」それが
『アルワッドゥード』
でありますが、そのことについては
また来週。

今日もお付き合いいただきましてありがとうございました。
みなさまに神様からの祝福がたくさんありますように!
=========================
アマゾンから電子書籍発売中!

「イスラム的現世の歩き方」
http://www.amazon.co.jp/dp/B01HQB2VPW/
イスラム的な人生の処世術!
あなたは何のために生まれ、何をして生きていけばいいのでしょう。
人生の目的は?

せっかく生まれてきたのです。
神様に守られた平和な現世を歩きたくはありませんか。
そして来世では、天国に入って
”永遠に” ”幸せ” に暮らしたくはありませんか。
方法はとてもシンプルです。
今まで知らなかったイスラム教に出会える本です。
=======================

コメントを投稿