神に帰る生き方

せっかく生まれてきたのだから、心平安に生きていきたい!と思う。

アッラー以外に神はなし? その1

2017-12-15 06:19:01 | 宗教
神様の天国に招待されたいのであれば、
最低限のマナーは守らなければならない。
というところで
先週は終わりました。




こんにちは ファーティマ松本です。

「アッラー以外に私たちが ”拝めるべき神様” はいない。」

という概念が、イスラム教の教えの基本中の基本。
建物で言ったら、土台になる部分です。
土台無くして、建物は建ちませんからどれだけ大事なことだか、わかっていただけるかと思います。

イスラム教徒の中で、この概念に疑念を抱く人は、、、、
、、、多分、いないでしょう。
世の中にはいろんな ”自称イスラム教徒”がいますが、多分この
「アッラー以外に神はなし」という概念に於いては、
おそらく、なんの問題もなく受け入れているのではないか、、、と思います。

とにかく、めちゃくちゃ基本、かつとても大切なことです。

最後の預言者ムハンマドさん(彼の上に平安あれ)は、
このようにおっしゃったそうです。
「誰でも、アッラー以外に神はなし、と言った者は天国に入る」
ハディースという本に、預言者さん(平安あれ)が残された言葉が沢山集められています。
上記のお言葉も、そこから引用しました。

つまり、天国に招待してもらうための
必要最低のマナーが、この概念なのです。
「アッラー以外に、(私たちが拝めるべき)神はなし。」

”招待してもらう”とは、
我ながら、なかなか良い言葉だなあ、と思いますね。
何しろ、天国には ”自力で” 入ることはできません。
私たちはついつい、
良いことをすれば天国なんて簡単に入れるのではないか、と思ってしまいます。
または、悪い事をしなきゃいいとか。

天国というのは、
以前にも書きましたように、人間の想像を超越しているすっごい場所です。
今まで目で見たことがない物があって
今まで耳で聞いたことがない音があって
今まで頭で考えたこともない事がある。
欲する物は、なんでも手に入って、
病気にもならなければ、歳もとらない。
嫌なことも悲しいこともなく、みんながみんな、常時ハッピーで居られる。
そーんなところなんです。

そのようなすごい所に、生きている間に行った自分の善行の力だけで入ろう、
または、入れると思ったら大間違い。
70年、または80年という短い人生の中で、どんだけ一生懸命に良いことを行っても
天国というのは、もっともっと価値のある、レベルの高い所。
決して釣り合うことはありません。

預言者さん(平安あれ)が、このようにおっしゃいました。
(これもハディースから引用したものです。)

「誰もが、自分の善行によって天国へ入るのではない。
 ”アッラーのお恵み”によってのみ、天国へ入れてもらえるのである。」
それを聞いていた人たちは言いました。
「預言者よ(平安あれ)、あなたもですか。」
すると、こう答えられました。
「そう、私もだ。」

人間は、誰も”完璧に創られていない”と先週書きましたが、
最後の預言者さん(平安あれ)は、かなり完璧に近いお方だったようです。
そんな方でさえも、
「自分のやってきた沢山の善行のおかげで、天国へ入るわけではない」
とおっしゃったのです。

こんな興味深いお話しがあります。

ある人が、若い頃から死ぬまでの間、
常にアッラーに礼拝をし、一途に崇拝していたそうです。
その人は、「これだけ頑張ってやっていたんだから、絶対に天国に入れるだろう」と思っていました。
審判の時(これは、神様が私たち一人一人を天国へ行かすか、地獄へ行かすかを決める日です。詳しくはまたいつか)
神様は、その人に言いました。
「我の恩恵により、天国へ入りなさい」と。
すると、その人は言いました。
「いえ、私のやってきた善行において天国へ入れてください。」
そこで神様は、天使たちに命じ、その人の善行の重さと神様の恩恵を図りにかけました。
すると、その人のやってきた善行は
神様がお与えになった恩恵である一つの目(の視力)にしか値しなかった、という話しです。

神様からの恩恵は、沢山ある、と前に書きました。
認識やすいものと、認識しにくいものと
たっくさんあるわけですね。
数え上げることはできません。

私たちが何か、良いことをすること自体、
それさえも神様からの恩恵です。
なぜなら
良い行いをするためには、健康な体も必要であったでしょう。
手も足も、視力も聴力も必要だったかもしれません。
もちろん、それらは必要不可欠な要素ではありません。
世の中には、いろいろなハンディに負けずに頑張っている人は沢山います。

しかし、ハンディがない方が、やはりなんでも容易にできることは確かです。
その容易さを、神様は与えてくれているわけなんですね。

そして、「何か良いことをしよう!」という気持ちだって、神様からの恩恵の表れです。
世の中には、そう思うことすらしない人だって、沢山いるんですから。

そのように、沢山の恩恵に対して、感謝をせず
自分の行った行為のみで天国へ入れると思うのは、傲慢そのもののようです。

といっても、善行がじゃあ、全く意味がないのか、、と言うともちろんそうではありません。
なぜなら、
自分の行った善行によって、天国でのレベルが変わってくるらしいです。
天国には、100もの段階があるそうで、、。
その一つ一つの違いは、天と地の差だそうですよ。
だから、
良いことをすることはとても大事。
生きている間に、できるだけ多くの良いことをしておいて、
なるたけ、高いレベルの天国を狙うのが、正しい態度です。

しかし、天国の高いレベルを狙う前に、
入れてもらえるようにしなければならないのは、当然の事ですね。
入れてもらう(招待してもらうためには、)まず
基本中の基本
「アッラー以外に(崇拝に値する)神はなし」と
いう基本的概念をしっかりと、クリアーしておかないといけません。

先ほど冒頭で、
「すべてのイスラム教徒はこの概念に関してなんの疑問もなく受け入れているのではないか。」
と書きました。

しかし、、、、

実際は、アッラー以外のものを崇拝していることが多々あるように思えます。

どういうことかと言うと、、、
私たち人間は(イスラム教徒も非イスラム教徒も含めて)
神様以外のものを、熱烈に崇拝してしまっているようなんです。
「私は、崇拝なんてしない。宗教なんて大嫌いだ!」という人も日本には多くいると思います。
しかし、いっくら宗教嫌い、崇拝なんてしたくもない、と言っていたとしても
実は、、、、
、、、しちゃっているんですね、崇拝を!
特別な宗教を持っていようが、なかろうが
私たちは全員「何かを拝めて」生きています。

それは、「神が宿るとされている木」とか「願いが叶う石」とか「流れる星」とか「太陽」とか
そういったものではなく、、、、、。
もっと、もっと、もーっと、
人々が熱心に誠心誠意、拝みまくっているもの、、、
崇拝してやまないもの、、、
そういうものがあるのです!!

何度も言いますが、
「アッラー以外の何かを、拝んでいる」限りは天国へは招待されません。


さあ、
私たちは一体何を拝めているのか、、、
何を、熱心に崇拝しているのか、、、。

それは、来週に続きます。



今日もお付き合いいただきましてありがとうございました。
みなさまに神様からの祝福がたくさんありますように!
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