大垣城
2013/8/4
岐阜県大垣市のお城めぐり
水の城と呼ばれる大垣戸田藩の居城
≪ お城の概要 ≫
城名: 大垣城
よみ: オオガキ
別称: 巨鹿城・糜城・牛屋城
所在地: 岐阜県大垣市郭町2丁目52
現状: 大垣公園
築城年代: 天文年間(1532-55)
築城者: 宮川吉左衛門尉安定
形式: 平城
遺構: 復興天守・東門・西門・戌亥櫓・丑寅櫓・辰巳櫓跡・七間多聞跡・水之手門跡・東埋門跡・鉄門跡・石垣
規模: 標高6m
文化財: 市指定史跡
訪城日: 2010/7/23・2012/1/15・2013/8/4
≪ 訪城記 ≫
自宅を出て国道8号を南下、川崎町交差点信号を左折、県道37号を東進、北陸道長浜ICを通り越して国道東上坂三叉路信号を斜め右折、国道365号を東進、道なりに進み伊吹山口信号を右折、関ヶ原バイパスを通って新日守三叉路を斜め左折、国道21号中山道を東進、大垣西IC出口の桧交差点信号を右折、中曽根町交差点信号を左折、県道31号を東進、水門川橋東詰信号を左折、約400mで大垣市役所前に着く。大垣市役所北駐車場に車を駐車する。
大垣市役所から北へ少し歩くと県道237号の市役所北信号を渡り、約100m東に大垣公園がある。公園西側の道を北へ約150mで搦手門への入口に着く。まっすぐ東へ入ると戸田氏鉄公騎馬像越しに大垣城復興天守が見られる。
搦手門から入り、北に戌亥櫓があり、天守閣の石垣に明治29年の大洪水のラインがしっかりと残っている。
水之手門跡から北の道に出て丑寅櫓、大手門から再び大垣城に入り、復興天守閣内を見学。入場料は通常100円ですが、訪れた日は「水都まつり」で半額50円でした。
天守閣の南側には辰巳櫓跡、東埋門跡、鉄門跡、七間多聞跡があり、辰巳櫓跡から流れる涼しげな「糜城の滝」もあります。
大垣城の詳細は ……… ここをクリック
≪ 歴 史 ≫
天文四年 (1535) 美濃守護土岐氏の一族宮川吉左衛門尉安定によって築城されたと言われている。城主は佐々木信綱の子孫竹腰彦五郎尚綱で、初代が宮川安定か竹腰尚綱か不明ですが、尚綱の子重直が継ぐ。
天文十三年 (1544) 尾張の織田信秀に攻められ落城、織田播磨守信辰が城主となるが、斎藤道三に攻められ、再び竹腰氏が回復し、重直の子尚光が城主となる。
永禄二年 (1559) 道三と子義龍の戦いで尚光は討死してしまい、代わって西美濃三人衆の一人氏家直元(卜全)が城主となる。子直重が継、その後は池田恒興が城主となる。
天正十二年 (1584) 長久手の戦いで池田恒興・元助父子が討死し、恒興の次男輝政が城主となり、翌十三年、岐阜城に移った。
天正十八年 (1590) 三河国吉田に転封となり、羽柴秀次、秀長の豊臣一族が城主となり、次いで加藤光泰、一柳直末、羽柴秀勝と続き、次に伊藤長門守祐盛が入り、跡を子の盛宗が継いだが、慶長五年(1600)の関ヶ原の戦いで西軍に属し、石田三成を大垣城に迎え入れ、関ヶ原本戦の笹尾山で討死した。
関ヶ原後は徳川譜代の石川氏、久松松平氏、岡部氏が城主となる。
寛永十二年七月 (1635) 戸田氏鉄が入部し十一代続き、明治二年(1869)の版籍奉還まで戸田氏の藩政が続いた。天守閣と隅櫓は残って国宝であったが、昭和二十年の空襲で焼失。
昭和三十四年 (1959) 天守閣が外観復元される。
≪ 写 真 ≫
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/33/49/bff74f1676f23929a512d3c558df9d88.jpg)
西からの大垣城
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/35/8facbdbb90ca8b7cadd6b61086278813.jpg)
戸田氏鉄公騎馬像越しの大垣城
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/b7/3d3e34adf2686f163e5ea9196bc94100.jpg)
西門
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0b/c9/9a060cbdaa8534708d675053ebc5f466.jpg)
戌亥櫓
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7d/62/d0bdcc66683a5537e8e01322508853f9.jpg)
明治29年天守石垣に残る大洪水跡
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/75/d4/6fa932a50679d5ff7ac5d552d3f7d83a.jpg)
水之手門跡
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/8e/1654d7c231abfe5c54e3ef5f33f68e93.jpg)
復興天守閣
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/8e/9c32594b6e2caa22e7a51c228af8c29a.jpg)
東埋門跡
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1b/e3/0248e49fcf763da849bd224f518b7d1f.jpg)
辰巳櫓跡
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/29/3e/9b449d5d5eb38e4b15ca5455d58ef2e8.jpg)
鉄門跡
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/bd/ff9415d6d9fb906f7cc7aef144b8c525.jpg)
七間多聞跡
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6c/e8/fc2b09a21b5f1d863770ace857ad56ae.jpg)
糜城の滝
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/07/34/0c79e1944469800ee8f789a5143a98e3.jpg)
丑寅櫓
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/08/6e/ed6153d074a5adfe05772005eec57e6a.jpg)
東門
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/60/78/018710d7c9fa58f4c4bb2ef45a258e6e_s.jpg)
現地大垣城絵図(リンク付サムネイル)
≪ アクセス ≫
<公共交通機関>
JR東海道本線大垣駅から徒歩10分。
<車>
名神高速大垣ICを降りて国道258号を北上、禾森交差点信号を左折、県道31号を西進、水門川橋東詰信号を左折、約400mで大垣市役所前に着く。大垣市役所北駐車場または有料駐車場が付近にある。
≪ 位置図 ≫
大垣城
紹介したお城の数 111城
2013/8/4
岐阜県大垣市のお城めぐり
水の城と呼ばれる大垣戸田藩の居城
≪ お城の概要 ≫
城名: 大垣城
よみ: オオガキ
別称: 巨鹿城・糜城・牛屋城
所在地: 岐阜県大垣市郭町2丁目52
現状: 大垣公園
築城年代: 天文年間(1532-55)
築城者: 宮川吉左衛門尉安定
形式: 平城
遺構: 復興天守・東門・西門・戌亥櫓・丑寅櫓・辰巳櫓跡・七間多聞跡・水之手門跡・東埋門跡・鉄門跡・石垣
規模: 標高6m
文化財: 市指定史跡
訪城日: 2010/7/23・2012/1/15・2013/8/4
≪ 訪城記 ≫
自宅を出て国道8号を南下、川崎町交差点信号を左折、県道37号を東進、北陸道長浜ICを通り越して国道東上坂三叉路信号を斜め右折、国道365号を東進、道なりに進み伊吹山口信号を右折、関ヶ原バイパスを通って新日守三叉路を斜め左折、国道21号中山道を東進、大垣西IC出口の桧交差点信号を右折、中曽根町交差点信号を左折、県道31号を東進、水門川橋東詰信号を左折、約400mで大垣市役所前に着く。大垣市役所北駐車場に車を駐車する。
大垣市役所から北へ少し歩くと県道237号の市役所北信号を渡り、約100m東に大垣公園がある。公園西側の道を北へ約150mで搦手門への入口に着く。まっすぐ東へ入ると戸田氏鉄公騎馬像越しに大垣城復興天守が見られる。
搦手門から入り、北に戌亥櫓があり、天守閣の石垣に明治29年の大洪水のラインがしっかりと残っている。
水之手門跡から北の道に出て丑寅櫓、大手門から再び大垣城に入り、復興天守閣内を見学。入場料は通常100円ですが、訪れた日は「水都まつり」で半額50円でした。
天守閣の南側には辰巳櫓跡、東埋門跡、鉄門跡、七間多聞跡があり、辰巳櫓跡から流れる涼しげな「糜城の滝」もあります。
大垣城の詳細は ……… ここをクリック
≪ 歴 史 ≫
天文四年 (1535) 美濃守護土岐氏の一族宮川吉左衛門尉安定によって築城されたと言われている。城主は佐々木信綱の子孫竹腰彦五郎尚綱で、初代が宮川安定か竹腰尚綱か不明ですが、尚綱の子重直が継ぐ。
天文十三年 (1544) 尾張の織田信秀に攻められ落城、織田播磨守信辰が城主となるが、斎藤道三に攻められ、再び竹腰氏が回復し、重直の子尚光が城主となる。
永禄二年 (1559) 道三と子義龍の戦いで尚光は討死してしまい、代わって西美濃三人衆の一人氏家直元(卜全)が城主となる。子直重が継、その後は池田恒興が城主となる。
天正十二年 (1584) 長久手の戦いで池田恒興・元助父子が討死し、恒興の次男輝政が城主となり、翌十三年、岐阜城に移った。
天正十八年 (1590) 三河国吉田に転封となり、羽柴秀次、秀長の豊臣一族が城主となり、次いで加藤光泰、一柳直末、羽柴秀勝と続き、次に伊藤長門守祐盛が入り、跡を子の盛宗が継いだが、慶長五年(1600)の関ヶ原の戦いで西軍に属し、石田三成を大垣城に迎え入れ、関ヶ原本戦の笹尾山で討死した。
関ヶ原後は徳川譜代の石川氏、久松松平氏、岡部氏が城主となる。
寛永十二年七月 (1635) 戸田氏鉄が入部し十一代続き、明治二年(1869)の版籍奉還まで戸田氏の藩政が続いた。天守閣と隅櫓は残って国宝であったが、昭和二十年の空襲で焼失。
昭和三十四年 (1959) 天守閣が外観復元される。
≪ 写 真 ≫
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/33/49/bff74f1676f23929a512d3c558df9d88.jpg)
西からの大垣城
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/35/8facbdbb90ca8b7cadd6b61086278813.jpg)
戸田氏鉄公騎馬像越しの大垣城
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/b7/3d3e34adf2686f163e5ea9196bc94100.jpg)
西門
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0b/c9/9a060cbdaa8534708d675053ebc5f466.jpg)
戌亥櫓
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7d/62/d0bdcc66683a5537e8e01322508853f9.jpg)
明治29年天守石垣に残る大洪水跡
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/75/d4/6fa932a50679d5ff7ac5d552d3f7d83a.jpg)
水之手門跡
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/8e/1654d7c231abfe5c54e3ef5f33f68e93.jpg)
復興天守閣
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/8e/9c32594b6e2caa22e7a51c228af8c29a.jpg)
東埋門跡
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1b/e3/0248e49fcf763da849bd224f518b7d1f.jpg)
辰巳櫓跡
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/29/3e/9b449d5d5eb38e4b15ca5455d58ef2e8.jpg)
鉄門跡
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/bd/ff9415d6d9fb906f7cc7aef144b8c525.jpg)
七間多聞跡
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6c/e8/fc2b09a21b5f1d863770ace857ad56ae.jpg)
糜城の滝
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/07/34/0c79e1944469800ee8f789a5143a98e3.jpg)
丑寅櫓
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/08/6e/ed6153d074a5adfe05772005eec57e6a.jpg)
東門
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/60/78/018710d7c9fa58f4c4bb2ef45a258e6e_s.jpg)
現地大垣城絵図(リンク付サムネイル)
≪ アクセス ≫
<公共交通機関>
JR東海道本線大垣駅から徒歩10分。
<車>
名神高速大垣ICを降りて国道258号を北上、禾森交差点信号を左折、県道31号を西進、水門川橋東詰信号を左折、約400mで大垣市役所前に着く。大垣市役所北駐車場または有料駐車場が付近にある。
≪ 位置図 ≫
大垣城
紹介したお城の数 111城
![]() | 岐阜の山城ベスト50を歩く |
クリエーター情報なし | |
サンライズ出版 |
大垣城天守は戦災焼失前の姿に限りなく近づいて嬉しいですね。櫓や門もいい印象を受けました。
決して往時の城郭はないそうですが、その代わりに公園として市民の憩いの場となっているところも素敵ですね。
登城料も100円、大垣駅からのアクセスも有難い!
再復元前の復元天守はどうも冴えなかったのですが、現在のものは素晴らしく、未登城なので是非くつろぎがてらに行きたくなりました。
初コメにして長文、失礼しました。
ありがとうございました。