毎年3月11日は、被災地の気仙沼で過ごしています。
今年も同じように行ってまいりました。
ここの所、毎月11日の一斉捜索に参加するために、気仙沼へ行っていますが、今回は3月11日の活動ということで、そこに集う多くの人にとっても特別な日。
自分もその一人です。
3年前の3月18日に、救援物資の搬送で迷い込んだ気仙沼。
南三陸町の45号線を北上しながら、津波により破壊し尽くされた街並み、ブルーシートや布団に包まれた数々のご遺体を目にしながら、道なき道をたどってようやくたどり着いたのが気仙沼でした。
それから早や3年。
たしかに瓦礫は無くなりましたが、消えた街並みはそのままの状態。
そして、行方不明者の数は減らない状態が続いています。
一向に進まない現状に、居ても立っても居られない。少しでも何かの手掛かりを見つけたいと、今回も行方不明者の一斉捜索に参加しました。
誰かのログで「諦めたら見つからない」という言葉を目にしました。
今も海岸線や河川敷に、行方不明の家族の手掛かりを探しに来る被災者もいると聞きます。
いつか諦めるときが来るかもしれないが、それは今じゃない。
だってまだ3年だもん。
毎回、気仙沼でボランティアをすると貰えるステッカー。
3月11日にもらったステッカーは、いつもより重みのある一枚でした。
今年も市民総合体育館で開かれた追悼式に、ボランティア仲間達と献花をしてきました。
今後も気仙沼、東北の支援を続けてまいります。
風化させないためにも。
今年も同じように行ってまいりました。
ここの所、毎月11日の一斉捜索に参加するために、気仙沼へ行っていますが、今回は3月11日の活動ということで、そこに集う多くの人にとっても特別な日。
自分もその一人です。
3年前の3月18日に、救援物資の搬送で迷い込んだ気仙沼。
南三陸町の45号線を北上しながら、津波により破壊し尽くされた街並み、ブルーシートや布団に包まれた数々のご遺体を目にしながら、道なき道をたどってようやくたどり着いたのが気仙沼でした。
それから早や3年。
たしかに瓦礫は無くなりましたが、消えた街並みはそのままの状態。
そして、行方不明者の数は減らない状態が続いています。
一向に進まない現状に、居ても立っても居られない。少しでも何かの手掛かりを見つけたいと、今回も行方不明者の一斉捜索に参加しました。
誰かのログで「諦めたら見つからない」という言葉を目にしました。
今も海岸線や河川敷に、行方不明の家族の手掛かりを探しに来る被災者もいると聞きます。
いつか諦めるときが来るかもしれないが、それは今じゃない。
だってまだ3年だもん。
毎回、気仙沼でボランティアをすると貰えるステッカー。
3月11日にもらったステッカーは、いつもより重みのある一枚でした。
今年も市民総合体育館で開かれた追悼式に、ボランティア仲間達と献花をしてきました。
今後も気仙沼、東北の支援を続けてまいります。
風化させないためにも。