去る7月30日(火),千石船の復元船である「みちのく丸」が女川港へ寄港しました!
(当日の女川町の様子)
千石船は,中世末期の安土桃山時代から江戸時代,明治にかけて国内海運において,
代表的に使われていた船で,正式名称を弁才船(べざいせん)という大型木造帆船でした。
江戸時代後期には,積石数1,000石(150トン)クラスの船が主流となり,
次第に“千石船”という呼び名が定着し,昭和初期まで活躍したそうです。
その千石船のなかの北前船(きたまえぶね)を,青森市の公益法人みちのく北方漁船博物館財団が,
忠実に復元したのが今回女川へ寄港した「みちのく丸」です!
北前船とは,主に「買積み廻船(かいつみかいせん)」として,各地の港に寄港を繰り返しながら商品を売買していた船です。
そのように買った商品を別の港で売ることで,それぞれの地域の文化が伝わっていったことから,
北前船は物流の手段としてだけでなく,地域交流と文化伝播の役割をも果たしていました。
石巻は当時,
仙台藩や南部藩などの北上川流域(現在の宮城・岩手)の米を江戸へ運ぶ重要な拠点であり,千石船が往来する地点だったそうです。
今回,「みちのく丸」は,東日本大震災で失われた尊い命を鎮魂するとともに,
千石船ゆかりの地の方々に一枚帆で荒波を越えた先人の知恵と勇気を肌で知ってもらい,
未来に向かって進む活力にしていいただきたいとの思いから,青森港を出帆し,岩手県釜石港を経て,女川港へ寄港しました!
女川町では寄港を祝して,歓迎セレモニーが開催されました!!
幕開けは,「女川潮騒太鼓轟会」の皆さんによる見事なばちさばきで飾られました!
子どもたちの躍動感に溢れ迫力ある演奏が港に響き渡りました!
続いて,「女川港大漁獅子舞まむし」の皆さんによる獅子振りが行われました!
こちらも迫力ある囃しと獅子振りです!
「みちのく丸」の無事な旅路を祈って,船頭の頭をがぶりっ!
この後「みちのく丸」は女川港を出港し,福島県小名浜港を経て最終目的地である東京都の有明埠頭を目指しました。
有明埠頭では,「みちのく丸」を出迎える復興庁大臣へ,船頭が被災地のメッセージを届けることとなっていました。
女川港では,須田女川町長から全国からの復興支援への感謝と継続した支援のお願いが述べられ,メッセージが船頭へ託されました
被災地からのメッセージを書いた横断幕。
千石船と一緒に東京へ届けるそうです!会場に来られた方々も復興への思いなどのメッセージを書き込んでいました。
〈追伸〉
8月5日(月),「みちのく丸」は無事に有明埠頭へ到着し,復興庁へメッセージも届けることができたそうです!
「みちのく丸」寄港は,復興に取り組む女川町への大きなエールとなりました
(haru)
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