25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

被害者に冷たい国

2019年09月23日 | 社会・経済・政治
交通事故に遭うとする。台風の被害を受けたとする。あるいは盗まれたとする。殺されたとする。大損をするのは被害者側である。交通事故の場合で言えば、加害者側は保険に入っている。保険会社は多くを払いたくないからなんとか支払いを低くしようとする。ぼくはこのことについては母の交通事故裁判でよく知っている。加害者は何の苦労もない。良心の呵責程度である。裁判には出席せずともよい。ぼくから電話はしてはいけない、と保険会社の弁護士から知らせがくる。

 結局、母は事故の後遺障害が残り、不自由な生活を強いられることになった。動かなくなった。すると医者が言ったように認知症が進んできた。
 千葉の台風被害でも決して元に戻るのではない。ゴルフ場の倒壊で被害にあった家は被害者であるが、元のままに戻れるとは思えない。加害者がすんなり払えるとも思えない。市や県や国がそっくりそのまま建て直してくれ、それまでの居住費も出してくれるとは思わない。

 日本は加害者に有利な国である。保険が発達しているからである。その保険会社も厳しいもので、旅行保険にしても3000万円までは補償します、とか書いていても、そうならない。低く、低く、なんたらと理屈をこねてくる。特に裁判になるような大きな事故や事件ではなおさらだ。被害者が間接的にいじめられる。

 「殺される」のは最大の大損だ。加害者はそれほどのお金なんかもっていないだろうし、生命保険に入っていたとしてももらえるのは本人ではない。本人に家族がいれば家族は少々救われる、というものだ。

 この国は被害者には冷たくあたる国だとぼくは思っている。

 千葉のゴルフ場倒壊の被害者だけでなく、台風被害で、ぼくは国や県がさっと出てきて、鉄塔をどけ、家を建て替えてあげる。屋根が飛んでいった家も全部立て直してあげればよいと思う。アフガニスタンには8000億円出している。イージスアショアには兆単位である。MMTの論者ならば、自国通貨をもつ日本はいくら国債を発行してもつぶれないというのだから、それをすればいいのだ。民事介入せず、という原則があるなどと言うが、政府の二人ほどの官僚と県の役人が間に入って、采配すればいいではないか、とぼくは思うのだ。
 とりあえず、全部建て直す。修理で済むものは修理をやってしまう。それから事後のことは災害の保険に入っている人もいるだろうし、いろいろだろうから、話し合っていけばよい。

 地球環境を守ろうとヨーロッパの子供たちが立ち上がった。トランプ大統領がこの地球で存在するのは十年くらいかもしれないが、子供たちは何十年も地球で生きるのだ。 もしも気温がさらに1度上がろうもんなら、大雨、台風、竜巻、海水温による魚、植物への影響も大変なことになってくる。これもなんとかしないといけないが、アホな政治家一人、二人いるだけで物事が進まなくなる。