25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

荒井由実

2019年11月05日 | 音楽
松任谷由実が荒井由実だった頃の初めてのアルバムなのか、二作めなのか知らないが、この頃車の運転をする時に聴いている。おおよそ40年以上前のアルバムである。「ひこうき曇」からアルバムは始まる。音はブラスは入らず、シンプルで透明感がある。とても洗練されていて、とても40年以上も前の曲だとは思えない。現在の歌も負けるのではないかと思う。
 中島みゆきの場合、片足がフォークに浸かっていたのでか、古臭さのあるものがある。今も十分に優れたものがあるものの、この点は荒井由実とは違う。
 毎日驚きながら聴いている。まだこの頃の荒井由実の声は線が細く、ダミ声ではなかった。
 荒井由実の曲を一青窈あたりが全曲カバーしてほしいと思う。松任谷由実の声は限界がきているように思える。作曲家としてはまだまだいけると思う。

 ぼくは昭和の名作品として薬師丸ひろ子が歌う「Wの悲劇」を挙げる。松任谷由実が提供している。松任谷由実が他の歌手に提供した歌はどれも素晴らしい。石川ひとみに「まちぶせ」、松田聖子に「赤いスイトピー」。

 この天才のステージの様子がときたま映像で放送される。最近でな去年の紅白歌合戦で見たのが最後である。若い頃はほとんどテレビに出てこなかったから、ようやくにしてテレビで見たときは下手で声の悪いオネエサンだった。

 しかし松任谷由実は中島みゆきの「恋文」や「川風」のような曲は作れないのである。どちらもオリジナリティが高く、個性が違うといえばそれまでなのだが。

 前線で勝負しているのは桑田佳祐である。こういう昭和から続いているかシンガーソングライターではなく、最近知り、歌のうまさにも作詞、作曲にも驚いた
スーパーフライという女性シンガーソングライターである。多くの人はすでに知っていると思う。毎日聞く朝ドラ「スカーレット」の主題歌「フレア」を歌っている。この前NHKの舞台で観てびっくりした。歌がうまく、声は出て、言うことなしだ。こういう人が出てくるものだ。
 松任谷由実のように、中島みゆきのように育っていってもらいたいものだ。

気張る矢沢永吉

2019年08月27日 | 音楽

 HDDに録画しておいた「矢沢永吉」のNHKドキュメンタリーを昨晩見た。その前の日に「関ジャム」では矢沢永吉のaug.  sus4, 7th が好きなコード進行の特徴、なぜ乾いた音になるのか、作詞の他人への依頼の内幕に内容ににして7年ぶりに出るアルバムのプロモートをしていた。NHKドキュメンタリーは、日本で録音したものに、アメリカでドラムやギターなどを加えていく矢沢永吉の音作りに密着して紹介していた。

 矢沢永吉を見ていて驚くことはあのスリムな身体を維持し続けていることだ。顔はやや緩み、髭には白髪が交じり、毛髪も少なく、一本の髪の毛が薄くなっているが、テンションは高く、その高すぎるテンションに驚いてぼくは見た。それと英語がまるでダメだった。しかしながら単語でつないでいく離れ業をやっていた。

 通訳を入れる時期もあったらしいが、直接にやりあった方がよいと思うようになり、英語ができなくてもなんとかやっていったらしい。こういう彼のバイタリティーにも驚く。「成り上がり」という本が出たのはぼくが二十代だった。三十代になっていても初めの頃だった。ぼくよりひとつ上だから彼はあの頃まだ二十代か、三十代の初めだったのか。その男が70歳になろうとしていて、アルバムを作る。矢沢節は会話も音楽も変わらない。絶好調のように思わせた。

 「俺、お前」が一番似合う歌手だと誰かが言っていた。

 ひとつ気になったことがあった。ニューアルバムの中にある「いつか、その日が来る日まで...」という歌である。この歌の題がそのままアルバム名になっている。この歌を聞いたら、石原裕次郎の「我が人生に悔いなし」、美空ひばりの「川の流れのように」を思いだした。自分の人生を歌に込める思いをなかにし礼に作詞を依頼し、歌っているのだ。もちろん矢沢節であり、矢沢メロディーである。勝手になかにし礼が作ったのかもしれないが、矢沢はOKしたのだ。

 おいおい、大丈夫かよ。歌が夢だった(だったかな)、そんな歌唄うなよ、と言いたくなってくる。歌手も引退間際や死ぬ前になぜか知らないが、我が人生を歌うことがある。それがちょっと気になったのと、あまりものハイテンションに若さを感じるというより、気張ったおっさんであり、優れたシンガーであり、作曲家であることをどちらの番組も伝えていた。

 もしかしたら今年の紅白歌合戦のスペシャルゲストで出るのかな。70歳、ニューアルバム。話題性はある。


ソニーCDリピーター

2019年07月04日 | 音楽
ソニーのCDリピーターが事務所に4台あったが、どれも故障している。この機器で語学が練習できる教材をいくつも作ったのは23,4年前である。その教材の一部が残っていて、テキスト教材は数は少ないが、さらに少し残っている。
 なんとしても音源をとるために故障のないCDリピーターが必要なので、ネットで探してみた。メルカリに2台あった。売り切れだった。ヤフオクにも2台あった。ひとつは入札が終わっていて決定済みで、もう一台は1000円で入札されている。ジャンク品らしい。アダプターがないのである。アダプターならぼくはもっているので、ヤフオクに入札した。1200円。様子を見て競争入札者がいれば上げていこうと思っている。

 ぼくのもっているCDリピーターを修理する方法がないかと思って、調べてみたら、な、なんと、ソニーCDリピーターの修理をした記録をブログに載せている人がいた。これには驚いた。最後の最後には、この修理屋さんに頼める。

 こういうことすらも探せる時代になったのだ。一安心した。
 ぼくのこれからの作業が楽になる。

 どうやらソニーの語学学習機はCDリピーターからSDリピーターに移行したらしい。しかしそれもどうやらソニー危機のときに終わったようだ。本当かどうかはわからない。現在販売されていないことだけは確かである。

 スマートフォンやタブレットに多くの機能を持たせてしまう。その器を作ったのはアップルであったが、他社が追随して、今やスマホにダウンロードできるアプリは2500万ほどあるらしい。このアプリ業界もしのぎを削る競争をしているのだろう。

 ぼくがソフト開発に関わった頃はパソコンがまだ普及していなかった。CD-ROM教材を作るにも専用機が必要だった。今は専用機は要らない。アプリにしてしまうことができる。

 ソニー教育事業室の知りあいの人たちはとっくに定年退職していることだろう。元気でいるのだろうか。苦い思い出ももう遠い、遠い昔である。

ひとり、つらつら考える

2019年06月08日 | 音楽
 ひとりのんびりと反町隆史と竹野内豊のずいぶんと前のDVD「Beach Boys」を見ている。画面サイズが昔のものだから相当昔なんだろう。どうしてこのDVDを見ようと思ったかと言えば、アメリカの音楽グループのビーチ・ボーイズのことを結構よく知っているからだ。それと同じ名で、日本の映画だ。反町隆史と竹野内豊に現在好感をもっているこよと、脚本が「おひさま」とか「ひよっこ」の岡田惠和ということも選ぶ切っ掛けになった。反町隆史も竹野内豊もまだ若く演技も下手で、広末涼子もまだ若い。しかたないか。
 15分ほど観て、止めた。気分が変わればまた見ればよいのだ。

 桑田佳祐の「ひとり紅白歌合戦」の第2部は次回にして、第3部を観た。2008年が第1回。5年後が第2回、それからまた5年の平成30年が第3回で完結だった。第3回ではカミロの「ハバナ」まで披露した。バックの音楽はとても細かいとことにまで気を配っていた。ここで鉄琴の音がほしいのだな、とか、コーラスに男性を入れたのも、当たりだな、と思わせた。この頃はサザンにプラスして、ギターの斉藤誠、SAX.FLUTE.PICCOROの山本拓夫、コーラスのTIGER.バイオリンの金原千恵子は常連メンバーだ。加えてダンスチームだ。
 歌とユーモア、ちょっと下ネタをやるが節度がかかり、歌を聴かせるのが主になっている。まさに舞台もNHK紅白並み。4時間、歌いどうしだった。 

 翌日、「サンデーモーニング」でメルケル首相が米ハーバード大学で演説するのを見た。一部であるが、「無知と偏狭は頭の中にあるものだ、その壁を取り除きましょう」と語り掛けていた。学生から大喝采を浴びた。思えばメルケル首相は旧東ドイツ、ヒトラーという怪物による荒廃があり、ソビエトによる支配が続き、ベルリンの壁の向こうには自由があるのだ、と思い焦がれたらしい。民主主義が生んだヒトラーによるファシズム。社会主義革命がもたらした一党独裁によるスターリンによるファシズムの構造を知り尽くしているだろう。

 山崎雅弘の「歴史戦と思想戦」は良書である。資料、取材、文もしっかりしている。こんな本が多く読まれてほしい。一部の安部政権を取り巻く櫻井良子だのはよく読めばいい。櫻井のような人言っていることテレビか週刊誌でまともに信じてしまったら、それこそ「無知」に脳が陥る。自分でもたの意見や本を読み、考えることだ。
 朝日新聞に載った吉田文書が間違っていたことだけをとって、「慰安婦問題などない」としてしまう。南京虐殺の証拠もない、人数が違うといって、南京虐殺はなかったとしてしまう。小さなひとつの誤りを言い立てることで、全部をなかったことにするこの、発想はどこからくるのだろうか。「しかたのなかった戦争だったのだ」 「日本が間違っていたなどと言えば、戦争で死んだ者たちが可哀想ではないか」
 「歴史戦」を宣言したのは産経新聞である。まず、歴史研究はあっても歴史戦はないだろう、と思う。
 ドイツのように徹底的に反省した国と、あの戦争は間違っていなかった、と言う人々がいる日本。だからいつも中国、韓国が首相が靖国神社を参ろうならば抗議してくる。
 そうであっても日本人は韓国や中国に旅行し、彼らもまた来て、インバウンドを成長戦略組み込んでいる。櫻井良子や金美齢がトランプ大統領にへつらう姿を大相撲観戦時にぼくははっきりみたぞ。今度櫻井良子の本でもあれば book off で買ってみようと思う。
 隣国と仲良くやっていくためにはこの歴史観の解決をしなければならない。日本には櫻井のような負の感情をもつ人が少なからずいて、地道な活動をしている。それが怖い。
 

桑田佳祐の「ひとり紅白歌合戦」

2019年06月07日 | 音楽
 6月5日に予約注文していた「桑田佳祐 ひとり紅白歌合戦 三部作コンプリートBOX」が届いた。生涯幾度となく観るのだろうと思うと、焦らず観なくてもよい。というわけで、細君が東京に出たので、7日、金曜日の夜、ひとりで観ている。第一回は61曲。桑田佳祐ワールド全開のチャリティーライブである。Act Against Aids のライブということだ。ギター、ダンス、ブラス、コーラス、ストリングス、パーカッションなどなどにも気をつけて観ている。
 例えばコーラスという役割はボッとしていられないのだ。なぜなら、「関ジャム」でコーラスの技術についてボーカリストたちによる詳細な説明を聞いたのだった。郷ひろみのように声を前に張り出してくる歌手やExile のボーカルのように声を奥に引っ込めて出してくる歌手とではコーラスのしかたも違うのだそうな。そんなことも気にしながら見ているいたら、突然、コーラスの女性二人が舞台中央に出てきてザ・ピーナツの「情熱の花」を主役となって歌い出した。やっぱ、上手である。ピーナツくらい上手い。
 知らない曲が2曲あった。スピッツの「ロビンソン」。スピッツと言えば今の朝ドラ「なつぞら」の主題歌を作って歌っている。あれ、まあ。もう一曲は倖田来未の「キューティーハニー」。

 まあ、なんと言っても、桑田佳祐、サザンオールスターズの愉快さは曲を脇に置き、第一に挙げたいのは、ダンスの面白みにある。下手か上手かよくわからない。EXILE のような型にカチッとはまったダンスではない。これが舞台(映像)の中をチョコチョコ動くいて面白い。次にコーラス。次はバイオリンの金原さんとギターの斉藤誠さん。サービス精神も旺盛。テレビでも必ず桑田佳祐ととも出てくる。そしてブラス。2015年くらいからは特によくなっている。

 かっこよさはめざしてないのが桑田佳祐。ひとり紅白も完結した。
 ぼくが生きた時代に、松任谷由実、中島みゆき、井上陽水、矢沢永吉、そして桑田佳祐や、竹内まりやや宇多田ヒカルが出ていて才能を発揮し、ぼくらを楽しませてくれた。同時代に存在し得たことをありがたいと思う。彼らをリスペクトする。そうそう、最近松任谷由実の「夕涼み」を覚えた。

中島みゆき Kiyasume さん

2019年02月23日 | 音楽
中島みゆきのアルバム
「生きていていいですか」「EAST ASIA」「恋文」を借りてきて、パソコンで、これは、という歌をまとめて一枚のCDにした。それを聴いている。「生きていてもいいですか」ではあまりにも切なく、ひどいほどに暗いので、「蕎麦屋」と「舟を出すのは九月」だけにした。
中国調メロディーの歌が「恋文」に二曲入っていた。「月夜同舟」と「川風」どちらも揺れるように気持ちのよい歌で何度も聴いている。中島みゆきの歌詞を読むのも楽しく、あの明るく喋る女性が「恨みます」を歌っている姿を想像するとその落差に驚く。
 「EAST ASIA」を歌っているときの彼女は「こころは誰にも縛られないよ」と笑みを浮かべたり、厳しい顔をして歌う。その歌い方みは余裕がある。
 この頃、桑田佳祐、宇多田ヒカルと聴いてきて、中島みゆきを今集中して聴いているのだが、こころに染み入るのである。

 Kiyasume さんのブログはなんだか面白くて、頭のなかで移り変わっていく事柄は一貫性がないのに、なにかのヒントで「そういえば」と話が移っていく感じはブラックファンタジーである。こういう言葉があるのかどうか知らないが、頭の中では位相の違うこともテーマが違うことも、現実も、妄想も一人の頭の中で起こっていることであって、こればっかりはしかたがない。Kiyasumeさんの文体は正直が裏打ちされているように思えて、悲惨なことも、長々とこれでもかというくり、映像までくっつけてきて書く。ブロクをちょっと読む、という風にはいかない。彼のブログを三つも読めば一冊の単行本を読むくらいのものだ。
 小説でも、独り言でもいいから本にすればいいのにと思う。何か独特な面白さがある。ぼくは腹を抱えて笑ってしまい、読み進めることができないほどだ。

 今日は財布の置き忘れをし、どこに置き忘れたのか思い出せず、困っていたら、物置の綿くずが置いてあるケースの上に置いてあった。そう言えば、昨日綿くずの下に置いてあるセメントを小量取り出すのに、綿くずケースを一度に横に置いたのだった。その時に財布をもっていたので、思わずそこに置いたのだった。

マタイ受難曲

2018年12月24日 | 音楽
 クリスマスイブで世間はお祭りのようだ。宗教は「集団を持つな」「一人で祈れ」と言いたいぼくは宗教は人を救うこともするのだが、人を殺すこともするものだ、ということを心してかからないと間違えるよ、と言いたい気持ちが年々強くなる。
 ああ、世界の観光地の名所旧跡と言えば教会や寺院。美術といえば宗教絵画、仏教美術。辟易するにだが、人間は神まで作り上げて全知全能とし、神の教えに従うというようなことに救いを求めたのだろうから、人類の歴史の中で神も仏も要らぬほど豊かになったのは日本の歴史で言えば、まだ60年ほどのことだ。そのうちの30年も怪しいもので、貧困、過剰労働、親の虐待はまだ克服できていない。
 NHKの地方局は必ず年に一度か二度、伝統的な慣習や習わしを伝えている。ぼくは毎度、すばらしいことだとは思わず、なんと愚かしいことか、なぜ疑わないのか、と腹立たしく、迷信じみた言い伝えを「フン」と言いながら見ている。
 
 原始キリスト教の頃、イエスキリストが生きていた頃、力もつものが同じ人間を奴隷とし、税を課し、飢えるものは救われることなく死んでいった。この頃に人々が神の世を作りたかったこころや脳はよくわかる。その気持ちをバッハが音楽で1700年代になって表したのだと理解することにする。
 イエス・キリストは宗教間で争うことなどしたくなかったはずだ(いや、戦闘精神が旺盛だったかもしれぬ)。イエスと面識もなかったローマ語が話せ、理解できた聖パウロがキリスト教の布教に努めた。もちろんイエスの12弟子もユダを除いて、布教に努め、ヨハネをのぞき、全員無惨な迫害で殉死殺している。殺され方も悲惨である。
 パウロがすべてを引き受けたかのようにキリスト教教を、ローマ他各地に布教した。
 
 キリスト教とよく似たところのある浄土真宗も、親鸞の死後、親鸞の意に反するように蓮如が宗教集団化した。親鸞は宗教を解体したはずであった。だれが本願寺ができると思っていたか。親鸞は墓さえも否定していた。

 疑わず、それが正しいことだと思い、延々と維持し、疑う者があれば反抗し、寄り添ってくれる者あれば感激するという有り様は大衆としての人間のあり方として普通である。

 親鸞もイエス・キリストもそんなことはわかっている。ただわからなかったのが、三人以上が集団を作ったときに起こる人間の化学反応である。いや、わかっていたのかも知れない。その幻想への対抗方策、対抗論理が凡人にはわからなかったのかもしれない。
 

 
 

コンポ、CD、SD、宇多田ヒカルなどなど

2018年12月24日 | 音楽
 買ったコンポにはびっくりした。25Wの小さなスピーカーが二つあるだけである。ところが、クラシックではクリアに「これはスゴイ!」と思わなかったものの、桑田佳祐の「GARAKUTA」と宇多田ヒカルの「Fantome」を聞くと、2メートル先に、桑田佳祐や宇多田ヒカルがまさにいるようだった。のどの擦れる震えみたいな音も聞こえるようだった。これはおそらくコンポの技術も録音の技術も十年前よりは良くなっているのだろうと思う。別にハイレゾであるわけではない。いずれはハイレゾで聴くのだろうがたぶんぼくの場合はこのコンポが壊れる十年後くらい先のことだ。
 テレビも4Kさらには8Kとなっている。
 思えばテレビの基本機能も、ラジオ、カメラ、音楽プレイヤーも、ICレコーダーも、時計、財布も、特化された天気予報も、著作権の切れた小説も、天文台も、アルバムも、辞書、百科事典、ビデオ、映画、メモ帳も、検索やメールなどもスマホに入るものはおおよそすべて入っている。冷蔵庫、洗濯機、炊飯器、掃除機、電子レンジ、オーブントースターがスマホにないくらいだ。アップルというのはすごいものを開発したものだ。
 
 ひとつの間違いも許されないスタジオでの録音。パーカッションもよくよく吟味されて打ち込まれている。そんな音づくりの緊張感までも感じられる。

 それで早速、宇多田ヒカルの「初恋」を借りに行った。パソコンに取り込んで、CDやSDに書き込む。宇多田ヒカルの作品つくりは自己表現を主としているので、例えば、死んだ母親が思い出されたり、死んだ母親に向かって歌ったり、自分が生きて経験してきたことを表現するので、やっぱり重たくなって、もっと遊び心があってもいいのに、とか思ってしまう。わがコンポはそんな切なさも十分に、心臓の音がわかるほど伝えてくれた。

 最近買ったもので、広告に騙されたと思ったのは百円玉を吸い込む手軽なハンドタイプの掃除機だった。とにかく「吸い」が悪い。

 エディオンやK’sデンキの店内を見ていると、SDカードももはや250ギガバイトなどというのもある。1ギガでもすごいと思っていたものが、250ギガバイトまであの小さなものにデータを入れることができる。二十年でそうなった。250ギガもあれば音楽などは何万曲と入ることだろう。するとその250ギガバイトをどう使うのか、その構造の問題が出て来る。えんえんと曲が次から次へと流れるのか、ジャンルが作れるか、歌手別にできるのか、という問題だ。そのことについては知らないからなんとも言えない。ぼくは21年前に74分のCDを16時間使えるようなCDを作った。なんてことはない、今は何千時間の話だ。それするためにはフォーマット作り、原盤からCDにコピーする機器ソフトさえなくそれさえも開発しなければならない時代だった。

 しかし語学学習で言えば、最高なのは、ひとつの文を繰り返し何度でも聴けて、一文一文を前後に進められて、一文のスロー読みが聴ける。またその一文のわかりにくいちところの単語解説などが入っている。テープのように全文通しでも聴ける。ぼくらはそんなテキスト・CDを50種ほどを作ったことがある。今でなら世界中に広がるものであろうと今でも思う。おそらく語学学習機で理想である。今もそんな便利な語学学習機はない。あのとき、その技術を売る、という発想はなかった。会社を売るという発想もとれなかった。この点は悔やまれる。

 コンポからそんなことを思い出した。1995年から1997年のことだ。

歌謡曲ベスト5

2018年12月18日 | 音楽
 ちょっと言っておきたいことがある。それは昭和時代の歌のことである。
 もちろん、個人による好き嫌いはある。昭和の歌でどの歌が一番良いと思うか。ネットで検索してくれればわかるだろうから、ぼくはここで言いたい。

 1位  優しい雨 園まり
 2位  何も言わないで  園まり

 とぼくの場合、園まりが続く。バック音楽もとてもよい。
 3位  Woman W の悲劇(薬師丸ひろ子)
 4位  一青窈の「ジェラシー」
 がドドーンと来る。園まりの「何も言わないで」は知っていたが、「優しい雨」は最近知った。こんんなしゃれた名曲があるんだ、と感心していたら、作曲は「ウナセラディ東京」の宮川泰だった。宮川泰は数々の名曲を生んでいるがなにやら女性が歌うによい名曲ばかりである。

5位以下になってくると昭和も平成もあやしい。サザンオールスターズの曲や矢沢永吉、陽水やらいろいろ入ってくる。ぼくは「我らパープー仲間」も好きだし、「ヤーレン シャッフル」も好きでたまらない。ただ、なぜか知らないが、演歌は好まない。不倫ものの演歌は特に好まない。
 まだ遊び心のあるムード歌謡のようなものなら歌うし、歌手の選り好みで歌う場合もある。例えば、美空ひばりの「裏窓」は好きだし、都はるみの「大阪しぐれ」は大好きである。
 さすがに舟木一夫や橋幸夫の歌となってくると恥ずかしくなる。
 今度、舟木一夫が「その人は昔」というアルバムを出したが、やはり懐かしいものの恥ずかしい。

 これは今のところのベスト5であって、また来年は違っているのかもしれない。 

 今年の紅白は見ずにおこうかな、と思っていたら、サザンオールスターズが出る、トリのまた次の最終で出るというニュースを聞いて、歌心が甦ってきたのであった。いっそこのまま、山口百恵、ちあきなおみ、西田佐知子にも出てほしい、と思う。
 歌は良い。未来もあって反対の懐かしさもある。流行歌手。時代が跳ね返ってくる。岡田さんの歌「少年時代」も良いし、「背中まで45分」も良い。岡田さんというのは友人である。ときどき、一緒に歌いに行く。それは気持ちがよい。
 歌には不思議な魅力がある。カラオケは上手ではないがカラオケがなかったら生きていけそうもない気がする。岡田さんは今日不調で、忘年会をお休みした。

 
   

声質

2018年08月26日 | 音楽
 自分の声の質に合った曲というのがあるのだろう。好きで唄いたい歌あが自分の声質に合わなくても、唄いたい歌を唄うことにしている。ぼくの声はバリトンだと思う。しかし世に出回る歌はそもそも声が高い。ジャニーズ系はどのグループのものも高い、
 自分の声質をしっかりとわかって曲選びをしているカラオケ通は下手なことはしない。どれもどうだといわんばかりの選曲をしている。だが面白くない。
 先月初めてカロオケ喫茶に行ったとき、まず、部屋の明るさ驚き、みなさん客は静かに座っている。他人歌っているときにおしゃべりしてはいけないというマナーがあるらしい。他人の歌もしっかり聴いて拍手をするのである。4人いたので仲間かと思っていたら、二人連れと一人で来ている女性が隣り合って座っていた。ここはだめ、ここがよかったと批評し合うわけでもない。
 これは尾鷲だけのマナーなのか全国共通マナーなのか知らない。三人以上の人の集りではなんとなくルールができていくのだろう。
 ぼくも友達も少々酔っていたので、友達は「なんやこの明るいのは。もっと暗うせんかい」とかルール破りのようなことを言っていた。そしてすぐにTPOを思ったらしく慎重に曲を選んでいた。客の中には知り合いもいたので、他人が歌っているとき話しかけて始末だった。
 今後一人でいくことはないだろう。
 しかし考えてしまう。自分に合う歌というのはどんな歌なのだろうと思う。知り合いの女性は園まりの「優しい雨」がとても彼女の声に合う。歌い方、ながれるような調子もよくあっている。ところが彼女の声は刻むようなリズミカルな曲に合わない。
 そういうことぼくは知りたい。
 

命懸けの人気者

2018年07月30日 | 音楽
芸能人の借金話。
 加山雄三、小林旭、さだまさしと思い浮かぶが橋幸夫も借金が17億円あったと打ち明け話をテレビでしていた。75歳になって再婚したことも言っていた。どうやら彼は企画マンのようで、次から次へとアイデアがでてくるらしい。それでも16歳のときの大ヒットが今の橋幸夫をつくり、それ以上のアイデアは浮かんでも商品「橋幸夫」には負けるようだ。新曲デュエットソングまで出したというのだから、引退などは考えてもいないのだろう。
 すごかった話は、彼が21歳の時、ステージで歌を歌っていたら、暴漢が日本刀をもって襲ってきた。第一の縦の太刀を躱し、第二の横太刀を防ぎきれず、肘を切られ、逃げながら、第三の縦の太刀を背中に受けて、最後の留めの太刀を手の平でとったのだそうだ。暴漢はそれでもゴリゴリと刃を回したようで、その傷跡と指の歪みが今も残っていた。

 そう言えば美空ひばりも硫酸をかけられたことがあった。昔は危なかったのか。呑気だったのか。
 当時の人気者は命懸けだったようだ。
 矢沢永吉、井上陽水、サザンオールスターズ、中島みゆき、松任谷由美と、彼ら彼女らは客を呼べる大物歌手だがそんな話を聞いたことがない。
 橋幸夫が、
「もう人生百歳時代ですよ。だからね、高齢者を使った番組があったらいいなあって」
「どんなのですか」
「ええとね、おじいちゃんが出て来て5分間説教するとかね。おじいちゃん用グッズを紹介するとかね」
すると、隣の女性が「おじいちゃんローションなんかどうですか」
「それ、いいね」
などとこれからの夢を語っていた。

 橋幸夫も舟木一夫も支えてくれているのはその同じ世代の人達だ。今一番人口が多いのではないか。
 ヒットを飛ばした歌手というのはいいものだ。ずっと人の記憶にあり、いつでも懐かしがってくれる。

 NHKの1時5分からのトーク番組(題名を忘れた)をついずっと見てしまった。75歳になってから離婚、再婚かあ。橋幸夫もやるもんだね。

三橋美智也を紹介した番組をみた

2018年06月06日 | 音楽
 氷川きよしが三田明の「美しい十代」を歌っていた。それがあまりにも下手だったので、やっぱり本家三田明の方が上手く、声の質も、歌い方も「美しい十代」は三田明のものなんだな、と思ったのだった。
 そんな歌をよく聞く。千昌夫が橋幸夫の「潮来笠」を歌ったがひどかった。石川さゆりが「Fall in love」を歌ったがこれもひどかった。やはり他人の持ち歌を歌うというのは難しいことなのだろう。
 逆もある。一青窈がユーミンの「飛行機雲」を歌った時、この歌は良い歌だと改めて感じたのだった。それは一青窈が陽水の「ジェラシー」を歌ったときにもそう感じた。〇〇が野口五郎の「いい女でいてくれよ」を歌ったときにも、なんといい歌かと思ったのだった。

 どうやらよく世間で流行り、歌手がなんどもテレビに出てきて歌わる、そんな歌は他の歌手が歌うのはイメージが定着しているから難しいことなのだろう。逆の場合は、その歌が「知らない歌」か「ちょっとだけ知っている歌」を上手い歌手が歌うからなのだろう。

 ぼくは三橋美智也という歌手を知ったのは高音の声も太くなった三橋美智也の晩期であった。懐メロで出ているのを見たのだろう。「達者でなァ」は矢野顕子が歌っている方を好んだ。
 ところが三橋美智也最盛期の頃の歌を当時の音源でテレビで紹介していた声を聞いて、上手な歌手だったんだなあ、と関心しまくってしまった。北海道の原野や遠くの山々にまで響くような不思議な声をしていた。出だしを高い音から始める作り手もよくよく三橋美智也の声の特質と出だしで聴く者の脳に入れこんでしまう手法を心がけているようであった。
 晩年、小椋佳に作曲を依頼したらしい。小椋佳が三橋美智也に作った曲はこの出だしスタートがよろしくなかった。つまり三橋美智也のいいところを引き出せない曲作りとなっていた。
 「惚れてエエエ、惚れてエエ・・」とか「わらにまみれてよオー」は気持ちがよかった。意外とテレビで紹介されたのは知っている歌ばかりだった。それほどヒットしたのだろうし、今でも歌われるのだろう。一億万枚のレコードを売ったというのだから、当時のスーパースターである。
 三橋美智也や春日八郎のあとに、橋幸夫が出て来て、舟木一夫が出て来た。当時の少年少女、学生の間で人気沸騰となった。安達明とか梶光男とかでてきたが、すぐに消えていった。
 橋幸夫、舟木一夫、西郷輝彦、三田明と時々テレビに出て来るが、代表的な歌しか歌わせてもらえない。なんとかならないものか、BSで一人二時間でも三時間でもやればいいのにと思う。ぼくは三田明の「赤い夕陽」とか「サロマ湖の空」は好きであるし、橋幸夫の「お譲吉ざ」や「青いセーター」が好きである、舟木一夫の歌でも、西郷輝彦の歌でも好きなものがある。西城秀樹や郷ひろみ、野口五郎などもやってほしいと思う。

 NHKの「Songs」では薬師丸ひろ子がすでに四回。桑田佳祐もすでに四回か五回やっている。何を基準に選ぶのか、知らないが、BSでいいから「三橋美智也」を扱ったような番組を要望したいものだ。

カバーズ

2018年05月01日 | 音楽
 筒美京平という作曲家の特集を「カバーズ」で見た。一青窈もでていた。彼女は自分の持ち歌より、陽水の「ジェラシー」やユーミンの「ひこうき雲」を歌うと抜群のうまさがでる。一青窈は「ギンギラギンにさりげなく」を歌った。やっぱり元歌より数倍よく聞こえる。
 野口五郎の「いい女で出直せよ」を田島貴男が歌った。かれの歌い方は独特のポップス感があって、この曲の良さがよくわかる。野口五郎調では元歌歌手に失礼だが、大人の歌にならない。
 ついで、郷ひろみがでてきて持ち歌、もちろん筒美京平作曲の「あなたがいたから僕がいた」を歌った。元は速いテンポだが彼はゆっくりと歌った。若い頃のキンキン声はすでになくなり渋い声になっている。ぼくは今の方がよいと思い、またこの曲もなんてよい青春ソングなのだろうと何度もかけなおしたのだった。過ぎ去ってしまった青春の頃が思い出されて胸がキュンとする。
 バート-バカラックとポール-マッカートニーに影響を受けたというが、彼はレコード会社の社員のとき、アメリカやイギリスから、レコードがでると、すぐに取り寄せ、曲の分析をするのだった。いまはジャズバンドでピアノを弾いて楽しんでいると聞く。1970年代、1980年代は彼の曲ばかりだったように思えるほどだ。その中には、現代の歌手が歌うと生まれ変わるものも多々あるのだろう。
一青窈や田島貴男などはその一番手である。

 「カバーズ」や「Songs」をNHKがやってくれるのでありがたい。
 そろそろ大人数のグループの時代から一人で勝負するアイドルが出て来てほしいと思っている。

 

三田明

2018年04月24日 | 音楽

 「徹子の部屋」で三田明が出演していた。16歳でデビューした三田明の「美しい十代」は大ヒットした。このときの三田は本当に可愛い顔をしていて、歌はとても下手で、息を吸い込む音がマイクを通して「ガー」と鳴るほどだった。橋幸夫、舟木一夫、西郷輝彦の御三家に遅れてのデビューだったが、日本歌謡ベストテンで10曲が一位となっているから、これは大健闘である。吉永小百合ともデュエットしている。青春ソングを歌っていたが、やがて舟木一夫や西郷輝彦同様に、歌番組にでなくなってきた。
 三田明の顔が変わったのでびっくりしたのをおぼえている。整形手術をしたと当時なにかで知ったが、それは自宅の火事による被害だったことは今日までしらなかった。すっかり整形の顔になんでそんなことをしたのか残念に思っていたから、今日からは同情に変わった。
 マネージャーが三田の名義でお金を借り、使い込んだという事件もあり、その返済に全国を歌ってまわったらしい。
 三田明はずいぶん歌が上手くなった。一度彼のブログを覗いたことがある。久保浩という「霧の中の少女」でヒットを飛ばした歌手と今も仲がよいらしく、彼が経営するスナックバーが神戸にある、と読んだことがある。一度行ってみたいと思っているがチャンスが来ない。
 三田明は物真似もうまく、さらに5年ほど役者をしたらしいが、歌手の世界に戻ったと言っていた。舟木の「高校三年生」に匹敵する「美しい十代」があったからだろう。
 テレビで新曲「こんな俺でよかったら」を歌っていた。四十すぎくらいの男が歌っているようで、歌唱力もあった。歌ってみたくなるような男の歌であった 上から下、靴までも真っ白なスーツを着て歌っていた。声もよく出ていた。
 なんと70歳だと言っていた。ここにも年齢不詳の男がいた。
 しかし彼の若い時代に歌を歌うには恥ずかしく、時々客の一人が歌うのを聞いて中学時代を懐かしく思い出す。
 あの頃、可愛い男の子が歌手として出てきたのは初めてのことだったが、いかんせん、佐伯孝夫が作詞を担当しただけに、歌詞の古くささがもったいない。
 1970年代に入ると、歌の世界は急速に散らばっていった。グループサウンドからフォークの時代へと移り、テレビに出ない井上陽水なども出てくる頃だったときに三田明は姿を消していったのである。流行歌手の世界も大変な浮き沈みのある世界であるが、一時代に光輝いた歌手のその光はファンに支えられて一生涯放つものだと改めて思ったのだった。
 すると桑田佳祐はどうなる?
 


橋幸夫

2017年12月15日 | 音楽

  この前舟木一夫のことを少し書いたので、今度は橋幸夫について思っていることを書いてみようと思う。

 舟木一夫と橋幸夫の生き方はまるで違っていて、舟木一夫はファンに支えられて生きているように思えるが、橋幸夫には一ヶ月も公演できるほどの観客動員はできないように思う。おそらく「若い奴」でボクシング演技をしていた頃は股旅物に目はつぶっても、ある種の若者をを象徴していたのではないだろうか。舟木が「暗さ」であれば橋は「明るさ」だった。胸がキュンとするのは「暗さ」である。

 昭和37,8年頃にデビューした「潮来笠」という股旅物がデビューだったのがいけなかった。カッコイイという歌手に股旅物という意外性がテレビに受けただけのことで、同時代の青春期にある人々の気持ちを掴めなかったような気がする。出す歌もまるでバラバラ感があった。「江梨子」のようなブルース調もあれば、「舞妓はん」みたいなわけのわからない雰囲気調もあった。「白い制服」「赤いブラウス」「青いセーター」という衣類の色のシリーズもあった。するとまた股旅物に戻ったり、「リズム歌謡」というものまでヒットを飛ばした。

 明るい橋幸夫は作詞家に恵まれていなかったように思う。ぼくはこれが一番残念なことだと思う。佐伯孝夫という作詞家はあまりに古すぎた。明治生まれではないかと思ったこともある。時代を歌詞に入れこむことも、若者のこころに入り込むには若者の言葉ではあり得ない歌詞も多かった。幸運なことに吉田正の門下生の代表として橋幸夫はテレビにも多く登場する。「いつでも夢を」がレコード大賞を吉永小百合と取ったことも大きいことだった。しかしながら僕には今もなお歌うに恥ずかしい歌である。舟木の「高校三年生」も恥ずかしいが、そこにはある世代の青春が反映されている。「いつでも夢を」に何が包含されているのか。「明るさ」のみである。

 「雨の中の二人」「霧氷」で吉田正から脱皮したところが最頂点で、時々、「しとしとぴっちゃん・・・」という「子連れ狼」を歌ってヒットし、「今夜は離さない」というデュエットムード歌謡をヒットさせた。それはそれは舟木一夫も及ばないヒットソングの持ち主なのである。

 舟木一夫はコアなファンを掴んだが、橋幸夫はコアなファンを掴めなかったのではないかと思うのである。

 橋幸夫が性格としてもつ「明るさ」と「声のソフト性」は多くの客層をターゲットにすることもできるが、客が散らばってしまう感もあった。北島三郎のような土臭く、海臭い大御所にもならなかった。綺麗な歌が多かったこともあるのだろう。コアのファンを形成する意志もなく、母親の介護経験のことを本にしたりして素顔を見せ始めた。

 確かに橋幸夫は多くのヒット曲をだした。「懐かしのメロディー」になるとよく顔を見せる。特集もされる。でも、吉田正の歌は松尾和子やフランク永井あたりの曲が大人の歌として優秀なのではないかと思える。このような点からも橋の若い歌は、つまり吉田、佐伯コンビは、頂点を過ぎていた、とぼくは勝手に思っている。

 でもぼくらを西郷輝彦、三田明も含めて高度経済成長期の田舎少年少女をワクワクさせたことは確かである。