25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

慌ただしく

2019年09月10日 | 日記

 韓国のソウルで反日集会をしている人々のそばで「ハグしてください」と目隠しをして手を広げる日本人男性。1時間半で50人の人とハグした。
 かたや日本の男性に触発された韓国の女性。大阪で反韓ヘイトスピーチデモをしているそばでその女性が「ハグ」の呼びかけをした、呼びかけは双方とも文字である。その小さなボードにはなぜ「ハグ」を求めるのか書いてある。政権と政権がいわば喧嘩するなかで勇気ある行動的が示すのは普通に生きる人が国が違っても交流を続け、ハグを続けていけば、もしかしたら国家間の戦争をなくせるかもしれない可能性があるということだ。

 それが朝見た「モーニングショー」。本日は内閣も改造。これには一過言あるが、今日はその暇がない。午後一時から今後を左右する話し合いがあるので、次の段階を想定してホームページの原稿を作らなければならない。午前中には病院にも行かなければならなかったが、二日酔い気味だったので、行きたくはなかったが、行った。案の定、血圧は上がっていた。当然だと思っていたら、薬を変えるという。ぼくはこの薬を飲まなくて済むようダイエットもしたのだった。だが「怒涛の子供たちの夏来襲」で、調子こいて飲み食いした。すると、ズボンのバンドの具合がなんとなくわかり、体重計に乗るのが恐ろしくなった。絶対に体重は戻り、さらに超えているように思う。

 これと昨晩の飲酒がきっと血圧に悪影響している。案の定であった。「えのもとさん、だいぶ高いなあ」「いくつですか」「上が170で、下が100やんな」。180までは薬は出さなくてよいという風な指針が出ていたのを新聞で3、4年前に読んでいたので、200は行ってないからという思いもあって、ホッとしていたら、「薬を変えるわい」という。お医者さんのデスクにはパソコンがあった。「やっと導入か」と思いながらも、血圧剤についてはショックだった。
 
 そそくさと、事務所に戻り、ホームページの台本作り。今日は母親が介護施設に行く日なので、昼食は作らなくてよい。

 午後一時。プログラマーと話し合い。知らないことばかりだが、完成したにもかかわらず、ある機種ではインストールができ、ある機種ができない不具合がある。この解決のことと次の段階に進
むホームページ、Google Play へのアップロードの話となった。

 3時半には貸別荘のゴミを取りにいく必要がある。曽根までいくと、別荘は想定外のひどい様相であった。これを片付け、ゴミを出すだけでもたっぷり汗かいた。スーパーに寄り買い物。家に帰ると相撲が始まっている。見たい取り組みがあるので、母親に早めに夕食にしてくれ、と電話して、5時に実家に向かう。戻ってビール缶を開けて、相撲観戦。栃ノ心は可哀想だった。今場所は「遠藤」がキーパーソンだと思う。

 細君が東京の娘の家に行ったので、一人のんびりである。すべて自分でするので張りもある。
 もう夕方はすっかり昨日のアルコールが分解されたようである。慌ただしい一日だった。

 天皇も「この内角は嫌」と言えなくよなあ、と思いながら今ビールを飲んでいる。


 
 

老いのゆくえ

2019年09月10日 | 文学 思想
 書店に小説家黒井千次の新書「老いのゆくえ」が並んでいた。気になって手にとり、買った。帯に「人は自らにふさわしい老い方をするより他にない」とある。
 自らにふさわしい老い方か、そういえば尊敬する吉本隆明は老いてゆく日々もさらしながら死ぬまで本を書いていた。西部邁は老いることで、妻が死んだときと同じ迷惑を娘にかけまい、と自裁した。川端康成は老いてノーベル賞を受賞し、老いて若い女性に恋をし、それが原因かどうかはしらないが自殺した。川端の場合は古井由吉が「事故の顛末」という小説にした。恋をしたのがほんとうかどうかはわからないのだが。
 自らにふさわしい老い方とはどういうもんだろう、と考える。自分とは何か、と問と同じように決して結論のでない問のような気がする。自分なんて自分でもわからないように、老い方もわからない。人生の岐路はまだまだ続く。まだまだ岐れ道をどっちにするか選ばなければならないだろう。
 この前新聞広告で、「DVD世界の絶景100選」を見て、買いたいなあ、と思ったが、行きたいなあという思いが勝って買うのを止めた。バリ島で紫色の夕暮れを見たことがある。そういう珍しい風景が世界のあちこちにある。それらを見たいものだ、と思っている。これは実行できるだろうか。その中にはアメリカを車で縦断してみたいというぉともあるし、スラウェシでヤシ蟹も食べたいということもる。
 酒は自堕落に飲んでいる。休みの日というのを作れない。運動もそこそこ。

 黒井千次はすでに85歳である。ぼくなどは黒井千次に言わせればまだ「若造」だろう。昨日一番下の4歳の孫がぼくの歳になるまで、まだ65年もあるのかよ、と嘆息をついたのだった。

 5Gは次の産業革命のインフラだという。中国は今このインフラ整備を進めているという。来る日の革命のために。その片鱗くらいは見たいものだ。

 もう銃撃戦の中で、いつ弾にあたっても不思議でない歳になっている。まだ生ききったという思いもなければ、最高で思い残すこともないということもない。
 黒井千次の文でも読んで参考とすることにしよう。