25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

集団の形成

2018年08月31日 | 文学 思想
 人類が生物の中で生き残っていくために、集団を作ったほうが有利に働き、一夫一婦制のほうが過酷なエネルギーを使うこともないという合理性を見つけた。集団(共同幻想)、夫婦(対幻想)生活はやがて、他人、相手の立場で物事を考えてみる、他人を推し量るというとても複雑な想像力を生むことになった。喜びや労り、配慮、思いやりだけでなくその想像力は妬み、恨み、やっかみ、嫉み、嫌みや悪意までも絡むようになった。
 おそらく呪術をする者もこの複雑さの副産物なのだろう。そしてまた統率よく集団を運営するためにリーダーが必要となり、それは小さなグループリーダー、そのリーダーをまとめるリーダーと組織ができていったのだろう。それに加担したのが宗教的な共有できるものだったのだろう。
 人間だけが霊長類の中で、もっとも未熟で生まれ、成年になるまで時間のかかるもはいない。胎児の時期から産まれて2年は母と母的な者の世話が必要である。3歳まで脳はフル回転して、おおよそ20歳まで成長する。その過程は40億年の地球の歴史を追体験し、動物の発生、哺乳類の発生、人類5発生の歴史をなぞる。おおよそ20歳で現代までの成長を終えるのだろう。人類は学ぶことが多すぎて、今は22歳くらいではないかとぼくは思っている。
 親からの遺伝子を受け継いでることは多くあるが、受精の瞬間から環境や体験から人格が形成されていくのも人間だけである。
 教育の根本的なところはここにあって、この制度化がなされたのは一般庶民からみれば200年の歴史もない。
 人類700万年の歴史の中で、どの子供も学校に行って学ぶという制度は日本では明治維新の近代化を待つまでなかったのだ。
 今もっても人類進化の歴史は詳細に学校で学ぶことはない。また不幸なことに、歴史は過去から学ぶのが常識になっているのか、現代史特に昭和に入ってからの歴史は受験期と重なってくるため、習うこともない。

 ホモ・サピエンスの歴史を読んでいると、書き手にもよるのだが、考えることが多い。
 戦争をしかたのないものととらえる西洋やアメリカと戦争を放棄した日本やコスタリカ。この時間的距離はとてつもなく大きいように思う。日本の場合、多くの犠牲の上に憲法が作られた。この先進性は相当な未来からみた場合、世界史、人類史の大きな、石器作りを覚えた頃と同じくらいの精神の出来事ということになるだろう。当然戦争は集団制が生んだ最大の悪である。この悪を人類は捨てなければならない。

 
 

備えあれば

2018年08月29日 | 社会・経済・政治
 上空にいけば行くほど雲の水分は氷の粒にあり、それが重くなりすぎると、大きな氷の粒が下に落ちる。落ちる時に、上に上がろうとする氷の粒と衝突する。このとき摩擦のようなエネルギーが発生する。これを雷という。こういうことはたぶん小学生の頃に習ったのだろうが、こういうことを科学的に証明した人がいるのだろう。気象の予測はなかなかにむずかしいものだと思う。今日の尾鷲の天気予報に雨マークはなかった。3時頃ゲリラ雷があり、大粒の雨がドカンと降った。これは夏の夕立というような風情ではない。
 このところ尾鷲は大雨から免れている。相変わらず南海トラフのニュースがグーグルからいぇってくる。ハザードマップに危険地域で載るところの土地や家屋の値段は下がる、というよりも売れない。
 尾鷲では毎月人口が20人から30人減っている。このペースは「広報おわせ」をみはじめてから変わらない。このままでいけば、一万人を割る日も遠い未来ではない。総合病院は運営できない。介護施設もどうなるか。人の手が足りないのである。
尾鷲の短期、中期、長期計画はどうなっているのかぼくは知らない。

 雨が一時間ほどで止み、気温も下がった。日中気温が上がってももはや勢いはなく、夜になるとエアコンも要らなくなるほどである。七月、八月の暑い時期、エアコンが故障したら、工事を待つまで時間がかかると言われていたので、早めに取り換えをしておいてよかった。熱中症で死んだのではないかと、ある病院で連続してなくなった事件が起こったのを見て、エアコンの故障は今年は時間がかかると知っていただけに、病院のようなところは転送先を即探せるネットワークシステムを作っておくか、故障がないように常に定期点検をし、緊急時には業者に優先的にきてもらえうようにしておくべきだったのだろう。
 暑さで死ぬ人が増えているのは確実である。
 尾鷲はありがたいことに、名古屋よりも2度ほど気温んがいつも低い。それでも今年の夏はあつかった。バリ島よりも5、6度高い。

 涼しくなったら釣りに行こうと思っている。四日前お客が30センチ以上あるクエを釣ったという報告があった。やる気出てくる。
 
 
 

肯定と否定

2018年08月28日 | 映画
 見ごたえのある映画を観た。タイトルは邦題で「肯定と否定」という。ヒトラーがホロコーストをめいれいしたかどうかが面白いのではない。あった書物に書き、授業でも教える女性教授は、ホロコーストはなかったと主張するイギリスの歴史学者をこきおろしたために
名誉毀損で訴えられる。
 この映画が魅力的なのは弁護団が打ち立てる裁判勝利への方針とその論理である。普通なら生き残ったユダヤ人たちを呼んできて、証人質問をするというにが常套手段に思えるが、その方法は取らない。被告人の女性教授はその方針が気に入らない。
 弁護士、法律家とは「情」で動くものではない。その弁護団チームは頑として最初にたてt(方針で裁判を行う。その作戦がおもしろかった。言語の組み立てがここまできたかと思わせ、優しさとはなにか、まで考えられさせる。
 たいへんおすすめの映画である。
 多様な意見があってよいのだが、嘘を本当のように語るおは意見ではない。
 日本人の多くはこの種の議論、討論が不得手のように思える。この映画は「南京虐殺」にも「慰安婦問題」にも通じ、この実話映画は語りに鋭い論理と人間性のよい部分が前面に出てきて、とても心を打たれた。



500年生きて

2018年08月27日 | 文学 思想
 人間の脳だけはいまのぼくの歳にしても成長過程である。もちろん運動神経やいくつかの特殊訓練されなければならない神経は退化起こしているだろうが、ぼくが体験上得た知識は広がり、深まり、理解の力も強まっていく。
 脳に使うエネルギーは総エネルギー量の80%ほどで、幼児は85%も使う。身体は動いていなくても脳は活発に動いている、とぼくは実感的にも思う。
 人間だけが成長し続ける脳をもつ。
 あと十年もしたら脳のことはもっとよくわかってくるのだろう。もしかしたら、脳は500年くらいは生きるのかもしれない。人間の寿命は120年とか125年とか言われているが、医学の革命によってその年齢も怪しくなるのかもしれない。
 骨を3Dプリンターでつくり、その骨を人体に入れると、本当の骨になる技術。心臓の再生技術。臓器でさえも取り換えられる。iPS細胞もさらに研究が進むことだろう。
 というわけで、人生でもっとできることがある、と考えるようになっている。これを人に言うと、「そんなに、長く生きとってもしかたがない」とか「老人になって何するん」と言われる。
やることなんかいくらでもあるだろう、と思うが、黙っておく。
 人類は敵と味方を分け、味方を共同幻想で強固にしてきた。別の集団の所有物を強奪することもやってきた。集団もあり方は強固から緩やかになってきているが、難民が押し寄せてくると、ナショナリズムが先鋭化してくる。
 共同幻想がすべて悪いとは言わないが、集団という組織をつくる場合には、根底に個人幻想がいつでも自由に抜け出てもよい共通の共同幻想がいる。人類は相変わらず戦争をしている。これは愚かなことだ。「殺し合う」という言葉を捨てる強い意識が必要である。愛お宗教であるキリスト教なんと自らの教えを裏切り、人を殺してきたことか。
 人の性がグラデーションのようになっていることもわかってきた。昔、故多田富夫が「免疫の意味論」に中で「中間性」があると書いていた、あれから25年、性は多彩であることがわかってきた。つまり、対幻想も変化しているのだ。
 人間はいつ共同幻想の悪い部分を克服できるのだろうか。500歳になってもそれを見たい。

声質

2018年08月26日 | 音楽
 自分の声の質に合った曲というのがあるのだろう。好きで唄いたい歌あが自分の声質に合わなくても、唄いたい歌を唄うことにしている。ぼくの声はバリトンだと思う。しかし世に出回る歌はそもそも声が高い。ジャニーズ系はどのグループのものも高い、
 自分の声質をしっかりとわかって曲選びをしているカラオケ通は下手なことはしない。どれもどうだといわんばかりの選曲をしている。だが面白くない。
 先月初めてカロオケ喫茶に行ったとき、まず、部屋の明るさ驚き、みなさん客は静かに座っている。他人歌っているときにおしゃべりしてはいけないというマナーがあるらしい。他人の歌もしっかり聴いて拍手をするのである。4人いたので仲間かと思っていたら、二人連れと一人で来ている女性が隣り合って座っていた。ここはだめ、ここがよかったと批評し合うわけでもない。
 これは尾鷲だけのマナーなのか全国共通マナーなのか知らない。三人以上の人の集りではなんとなくルールができていくのだろう。
 ぼくも友達も少々酔っていたので、友達は「なんやこの明るいのは。もっと暗うせんかい」とかルール破りのようなことを言っていた。そしてすぐにTPOを思ったらしく慎重に曲を選んでいた。客の中には知り合いもいたので、他人が歌っているとき話しかけて始末だった。
 今後一人でいくことはないだろう。
 しかし考えてしまう。自分に合う歌というのはどんな歌なのだろうと思う。知り合いの女性は園まりの「優しい雨」がとても彼女の声に合う。歌い方、ながれるような調子もよくあっている。ところが彼女の声は刻むようなリズミカルな曲に合わない。
 そういうことぼくは知りたい。
 

元号

2018年08月25日 | 文学 思想
 運転免許証の元号表記が廃止されるらしい。最もなことだ。行政文書裁手続きは元号を使わなければならない。「元号法制定」に成功した「日本青年会議」が「日本会議」を隠れ蓑にして成功した事例である。「日本青年会議」とは「日本会議」の事務局として、「美しい日本の憲法をつくる会」や「アジア地方議員大会」を裏で操る元生長の家の原理主義者たちによる市民活動団体である。明治憲法に一旦戻すのが当面の目標である。この元生長の家原理主義者たちは故教祖谷口雅春に心酔している。戦前に自分は戦争にいかず、戦争を煽りに煽った男である。戦後青年による政治団体をつくり、70年安保ではこの学生政治団体が長崎大学で左翼を追い出した、この運動は九州の大学い広がり、現在では安部政権中枢に入り込んだいる。「日本政策研究センター」がそれでこれも日本会議や日本青年会議の仲間である。
 彼らの戦略は市会議員のような地方議員に働きかけ、国会議員も巧妙にまとめている。天皇については絶対に父系でなければならない。
元号が不便なのは昭和が何年までだったかすらもわかりにくく、西暦と元号をいちいち探さなければならない点である。平成31年4月30日で平成は終わる。この際元号だけは残すにしても、行行政文書や裁判文書は西暦にしてもらえないものか。元号へのこだわりがぼくにはわからない。別に西洋を礼賛するわけではないが、いつのまにか過去の出来事を西暦でおぼえてしまっているため、平成元年は何年だったのかピンと来ない。
 古代国家の誕生を考えてもたかだかせいぜい2000年である。日本列島にはそれ以前に2万年以上の歴史がある。日本列島に住む人々は純粋の血族ではない。外からやってきた人々の混合である。
 なぜ明治憲法に戻そうとするのかもわからない。天皇を元首とし、天皇はひっそりと祈っていてくれればよい、と考える。視線の高さを等しくすることを嫌う。天皇の発言は政治的意味を含むこともあるから、真意を聞けないだろうが、国民と寄り添い、慰霊の旅をする今上天皇は国民に親しまれているように思う。
 ほんの少数の「日本青年会議」がこの国を動かすまでになった。先の戦争を謝罪しないのも、靖国神社に参拝させようとするのも少数人々である。
 
 すでに秘密保護法、共謀罪、集団的自衛権も安部政権は成立させ、準独裁体制を築き上げている。

 一方で国民は自分たちの生活に満足している人々が70%を越えている世論調査データが昨日発表された。10代、20代では80%近くになっている。アンケートの取り方にもよるのだろうがこれもどう理解したらよいかわからない。確かに戦後十年も経ってからあ平穏で、次第に豊かになってきた。ぼくもこの平穏の中で生きてきた。政治的無関心と老人による主張が今最高潮の時期なのだろうか。その生活面満足は借金によるものの最高潮とも言えるのだが。

書いてみる

2018年08月24日 | 文学 思想
 キセノサト、ハクホウ、タカヤス、イキオイ、トチノシンも無事で(これは金魚の名前です)、メダカも、孫が獲ってきた川魚の稚魚も台風を無事にやり過ごした。やれやれ、ととんと晴れない空は台風の前哨戦のような感じがある。貸別荘の看板は吹き飛ばされ、庭においてあったものは散乱していた、ブルーシートまで吹き飛んでいた。
 これらの暑さや台風の原因が地球温暖化のせいなら、今後も続くということになる。日本はまさに災害列島である。諸行無常。

 ホモ・エレクトスに続き、ホモ・サピエンスがアフリカを出て、シナイ半島を渡り、ヨーロッパへ。他のグループはアジアへ。南アジアから幾つかグループがジャワ島や、フィリピンへ。フィリピンから黒潮に乗ったかもしれない。一部のものは中国から台湾へ、台湾から沖縄諸島へ。またあるグループは朝鮮半島から対馬、九州に。バイカル湖付近のグループは新潟や秋田に到着したかもしれない。

 2万年。縄文人の時代があった。歩き続けた人々だったのだろう。すでに土器を作り、火も使っていた。組み合わせも技術も当然持っていた。槍に自分達で制作した鋭利な刃物もつけた。
 現在「縄文展」が東京上野にある国立博物館で開催されている。
妻と娘たちはわざわざ見に行った。ぼくは「ぶらぶら美術館」で見た。火焔式土器やら女性の身体やら、実用的、リアルさはなく、何かを象徴しているような物ばかりである。
 狩猟採集で生きていたが、やがて栗などを栽培することで定住化した遺跡も出ているが、貯蓄というものがないから、奪うということもめったになかったのかもしれない。概ね、農耕が始まるまではよい時代だったのではないだろうか。詳細がわからないので言いようがない。
 ただ日本列島は海に囲まれ、外から入ってくる人も少なく、地震や津波、台風をしのげば、お腹がすく日もあっただろうが、成長が遅れて若さが保たれ、脳は発達したことだろう。

 アマゾン奥地の文明と接しなかったヤノマミは生きるに必要な食糧や環境をみて、産まれてくる子供の数をコントロールしていた。その決定は産む母がするのだった。
 人類は未熟児のまま子供を産む。直立歩行の運命である。生涯で10人くらいまで産めるのだから人間の数は増える一方である。採集する食糧にも限りがある。
 農耕は大産業革命であっただろう。貯えることができるようになった。するとまもなく部族によって格差ができた。奪い合いが始まった。
 日本列島は中国の文化を朝鮮経由で取り入れながら、独特な宗教観、文化を持つようになったが自己改革がなかなか進まない国だった。変わるのに、外国の力が必要だった。精神的にも西洋化されることは今もない。精神の底にはアジア的停滞が澱んでいる。天皇を父系に限ると頑としていい放つ人たちもいる。

 「絶滅の人類史」を読んでから別の「人類進化700万年の物語(チップ・ウォルター)」という本を読んでいる。この本は2回目だというのに、記憶が薄れていて、20種ほどいた人類の名前さえおぼえられない。しかしこんきよく覚える努力をしているが、人類史はまだ推測の域でていないほど証拠が少ない。しかし確実に積み重ねの研究が行われている。

 記憶というのは人に語ることで高まるものだ。語って整理し、覚える。しかし語る相手は少ない。だから、ブログに書いてみる。

視線の取り方

2018年08月23日 | 文学 思想
 さすがにこの台風では客もキャンセルだろうと思っていた。すると、づでに尾鷲にいると予約客から電話が、かかった。京都からの家族である。銚子川で遊びたかったのだが、それは断念。しかし大泊に美味しい料理屋があるらしい。この辺にはよくきていて、そのみせが一番ですね、と言っていた、料理もあったから、それも楽しみで来たのだ。
 キリスト教勉強が終わって、読書がまた人類史に戻っている。木の上で生活していた人類の祖先の中に、ある日突然折れ曲げられない足の親指をもつ奇形の子が誕生した。その頃アフリカはジャングルから疎林や草原になっていた。足の親指がまがらない奇形児は木の上での生活には親指が曲がらないため、不便だったにちがいない。
 ところが地上で立ってみると、親指で蹴って歩くのには実に便利であった。立つことによって敵を見晴らすことができる。物を腕に抱えて運ぶことができる。足の親指が曲がらない方が環境にてきおうするにはよかった。直立歩行が始まって、骨盤が小さくなった。
 それでも疎林や草原で生きるには難しかった。直立歩行は他の動物よりスピードがでない。やはりネラワレルと弱い。飢餓もあった。何でも食べるようにした。獲物が獲れないときがある。だがホルモンは飢餓のときには細胞の成長を遅らせた。食べられる時に食べておいて、飢餓のときは自分の芝生やたんぱく質で生きた。体の代謝を遅らせたが、逆に脳が発達した。考えなければならなかったのだろう。
 ホモ・サピエンスは人類の誕生700万年前から680万年経って系統分化した。
 華奢で弱かったサピエンスは唯一の人類となった。

 ところでぼくも万世一系である。多分、ずっと、ずっと前、植物と動物に分かれる以前から、命を奇跡のように繋いできてぼくもあなたもいる。天皇のみが万世一系ではない。おとこであれ、女であれ、ずっと命を繋いできているのである。そのくらいの常識は誰にだってわかる。
 古生物学、人類学、考古学もまた研究が進んでいる。その研究は血統を無化し、人類の野蛮性を客観化する。現在を見るには大過去からと未来の死からの視線である
これはぼくの持論である。今日だけを一所懸命という言葉には違和がある。

 

論議のない日本社会

2018年08月22日 | 社会・経済・政治
 今日は空に晴れ間が見える。蒸し暑い。明日から台風20号による大雨が2日に渡って降るという。四国に上陸したら東側は風も強いというので、風も心配している。大雨は実家のそばの溝というか小さな川が氾濫しないか、風が吹けば金魚の水槽が飛ばされないか気にかけてもいる。
 テレビの報道番組は、甲子園と台風情報が主であったが、自民党の総裁選も紹介するようになった。予想するに誰がなろうと、大変にご苦労な政権運営となるだろう。特に財政政策である。

 そんな中、文部科学省からの助成を受けて、理研と富士通が「京」より100倍速いスパコンの開発に成功した。災害の予測、創薬、宇宙の成り立ちなどに役立つという。またこれ一般向けコンピューター用の高性能CPUにも応用できるという。

 ITが進化していくなかで、既得権益を打破できない日本社会はどうなっていくのだろうと思う。タクシーの相乗りなど許せばいい思うし、そもそも白タクも認可し、免許返上の、環境を整えることが必要だ。どこでも乗れて、どこでも降りられるミニバスなども認可すればよい。

 アメリカの、ウーバーが空飛ぶ車を市街地と空港を結び、相乗りで人を運ぶ構想で、2023年の開始の予定である。これも既得権益団体との戦いになる。
 中国のチューブトレインは時速1000キロと聞いた。おそらく今後10年で世界は様変わりするのだろう。この様変わりに日本はどう対応していくのか、政治家から聞いたことがない。自衛隊を明記する憲法改正につき進んでいてよいのか、とも思う。

 知らぬ間に介護保険料が上がっている。輸出企業のみを支援する政府の政策で、実質賃金は上がらない。日銀が株を買い、年金機構も株を買い、株を下げられない状況となっている。
 このような論議もない現在の日本である。

待っていた

2018年08月21日 | 日記
「エノモトさんじゃないですか。まあ久しぶりですね」と突然偶然にコメリで出くわした男性が言った。ぼくは思い出せない、誰だったけ、と思いながら、思い出そうとしておぼえている振りをして、会話をした。
「尾鷲におるん?」
「いますよ。3年前に戻ってきましてね。シンガポールに12年いたんですよ」
「シンガポールに?」
「中古船の買い付けをやってたんですよ」
 まだ思いだせないにで、
中古船のことには突っ込まないで、若い人とも話もしたいち思い、
「おれ今人が待っとるんで、電話番号教えて」と訊き、スマホに登録をしたら、彼の名前が出てきた。前に電話暗号の交換をしたのだ。
「便利なドラムのセットを簡単に組み立てられるのを作って、売ろうと思ってるんですよ」
「へえ」というとそのセットの話を始めた。最後に「何か手伝うことありませんか」という。
  前の犬歯が抜けていて、身なりもだらしないように見えたが、神経質そうでなく、何か一発当てたいような山っけがありそうだった。
 3日経って、また彼と今度はスーパーで会った。
「よく会いますね」
「ぼくらは最初どこで会ったんやろか」
「どこで? ぼくは野地町でTシャツ屋」やってたんですよ」
 それでも思い出せない,中国でやりたい仕事があるので、その話をしてみた。
「おれ、中国語と英語、ペラペラですよ。プロログラミングもできますかから」
内心、ペラペラ話せるなどと言うなよ、その言葉だけで信用なくなるぞ、と思ったが、一度酒でも一緒に飲んでみようと思ったのだった。しっかり彼を知りたい。

 昨日、福岡の女性がどうしても相談したいことがあって、名古屋までいくので、会ってくれないかという話があり、ぼくは名古屋に出かけた。そこでも人脈をたどることをした。
 今日は友人に中国人の実業家を紹介してもらい、早速連絡を取った。相手も何を警戒することもなく、ぼくのプレゼンテーションを聴くと言ってくれた。なにかが動き出しそうな気がしている。ぼくも、チャンスがくるのを虎視眈々と待っていた、あわてず、あせらず。80歳までにチャンスがくればいいやと呑気に待っていたのだった。ドラムの彼に手伝ってもらうかもしれない。
 砂漠を農地化する。ぼくにとっては四年前内モンゴルに行ってからの捲土重来である。
 


 

手のひらに乗るドローン

2018年08月19日 | 社会・経済・政治
 手のひら乗るドローンがAIとなって、顔の識別をして確実殺す。ドローンが自動運転するのだ。飛行機の中から大量のドローンが蜘蛛の子を散らすように飛び出してきて目標物のいる建物を破壊して穴開け、そこから侵入して目標物を殺す。アメリカではこんな技術が開発されている。戦いの民族なら考えそうなことだ。
 キリスト教徒の多いアメリカは原爆まで作って、それが使えないなると、使える武器を作る。殺す側は機械、殺されるは人間。銃の次武器になり、一般人が殺人に使う凶器にもなる。

 今日の朝日新聞ではあと二年で空飛ぶ車が実用化されると載っていた。
 もうひとつ最近知ったこと。男性の染色体Yにはオスと決めるSRYという遺伝子がついているらしいが、染色体の長さ女性の染色体Y長さ半分ほどになっているということだった。このままでいくと男性は滅びるらしいが、SRYを別のところでオスを作るよう変異するのかも知れない。
 またどうやら性というにはオスとメスけの二元論ではなく、メスからグラデーションのようにんsっている。対極がオスである。染色体からみた場合メスに限りなく近いオス、メスとオスの中間くらいのオスといふうに性は多様なのである。

 700万年前に誕生した人類が約四百万年かけて石器を作ること知った。人類がわれわれホモ・サピエンスだけになったのは5万年前のことだ。言語を使い、様々な道具を作った人間は他の人間の集団を襲い、略奪する知恵も持った。強い者が権力を握るようにもなった。他方個人の自由、平等、平和の希求も考えるようになった。オスの染色体も短くなった。
 で、ドローン。これをどうするか。ホモ・サピエンスは絶滅した他の人類のように長く存在できるのだろうか。
 政治家は未来を見ないから、どうなることぞ。

思い出すこと 2

2018年08月18日 | 日記

 小学の4年生の頃に野球が流行りだした。ぼくらもクラスの者で野球を練習し、チームを結成した。チームを結成すると、帽子のロゴマークもほしいし、ユニフォームもほしい。他のクラスのチームと試合もした。しかしながら5クラスあった学級の全部に野球チームがあるわけではない。6年生になると、他の学校と試合をしたかった。噂では宮ノ上小学校が強い、九鬼にはちゃんとした監督がいて指導を受けている、という噂も聞こえてきた 
 ぼくは試合の交渉に出掛けた。どのような伝で試合の日時などを決めたのかもうおぼえていない。
 不思議なことだが、ピッチャーをやっていると、バッターボックスで構える者にたいして、「こいつはできる」「こいつたいしたことがない」と判断ができる。何となく迫力があるのだ。今風に言えば「オーラ」を発しているのだろう。そしてその判断はほぼ正確に当たった。その子が持っているなにかがわかるのだ。

 なんども日曜日に試合をした。宮ノ上チームは強く、負けたことだけおぼえている。一度も勝てなかったのではないか。勝ったという記憶がない。
 九鬼小学校チームは整然と行儀のよいチームだった。ぼくらは指導者もおらず、好き勝手に練習しているだけで、頭を使って、練習方法を考えることはなかった。九鬼のチームにもさんざんに負けた。
 学校の休み時間はよく相撲を取った。放課後は野球をした。
 小学も卒業を迎え、卒業写真をとるとき、男子学生は僕一人を除いて、みな黒い学生服を着ていた。坊主頭している生徒もいた。これにはびっくりした。ぼくだけがいつものセーターだった。今もその卒業写真かがある。
 中学に入ると、野球部に入るか相撲部に入るか迷ったが、集団プレイが性に合わないような気がして、一対一で勝負ができる方が気楽でいいやと思ったのと、相撲が好きだったこともあって相撲部を選んだ。筋肉がつきにくく、細い相撲部選手だった。体力では負けるから技で勝負するしかなかった。相撲部の一年先輩は誰も優秀で、勉強も教えてくれたり、喧嘩の助っ人に来てくれたりした。一年上の者二人がぼと同じクラスのものを廊下で殴っていた。ぼくが助っ人に入ると、二対一の殴り合いになった。しばらくすると先輩達が駆けつけてくれた。
 小学生や中学生の頃は、子供の世界があって、それは決して両親には言わないものだった。
 ぼくはやせっぽちだったので、先輩の一人ガッシャンが銭湯に行こうと誘ってくれた時、彼は、自分の筋肉姿を鏡に映してうっとりしていたのをよくおぼえている。「ほら、ここ触ってみよ」といわれて羨ましいと思ったものだ。
 敬愛する一年先輩のうち、警察官になったMさんは早くに死んだ。Hさんは定年退職と同時に脳卒中を起こし、寝たきりとなった。東京でスナックをしていて結婚とともに尾鷲に帰ってきた勉強のよくできたKさんは65歳にもならない内に死んだ。ガッシャンは今も健在である。父の葬儀のときにも駆けつけてきてくれた。彼は独身を通した。Yさんは官僚となり、日露漁業交渉に当たった。今も健在である。
 忘れがたい、親近感のある先輩たちである。先輩、後輩の関係は死ぬまで続く。 
 一年年上の彼らは三重県大会で優秀を果たし、続いて翌年僕らも優勝した。
 夏の県大会にいく途中、白山付近の踏切で、列車からウンコが飛び散って来て、白いシャツにペチャッとついたのをおぼえている。当時の国鉄列車はそんなのだった。
 優勝をしてその次の日に柔道の助っ人で県大会に出た。ぼくは一回戦で松坂の男の子に5秒くらいで放り投げられた。これでクラブ活動が終わったのだった。
 秋になってぼくは文学少年に変わっていた。


思い出すこと 1

2018年08月16日 | 日記
 尾鷲小学校に入っての一学期、掃除の時間にぼくは担任の男先生にひどく叱られたことがある。温厚なその先生がひどく怒ったにだった。ぼくは同級生の吉沢くんと悪ふざけしていたのだろう。なぜ叱れたのかその理由が思いだせず、叱れた、本気で先生が怒ったということだえが強く印象に残りもう、何百回も思いだしている。ぼくはしてはいえないことをしたのか、悪ふざけも度が過ぎたんか。きっとぼくの行為の何かが先生の勘に触ったのだろう。
 他人に叱られるということが初めてだったと思う。これまでも母や父に叱れたのだろうが記憶にないから、他人に叱れるというのはよほどショックだったのだろう。

 小学生の頃は授業に集中しなくても、姉がいたせいで三年は得をしていた。姉が習うことを弟のぼくもきっと家で見ていたにちがいない。
 とにかく外で遊ぶことが好きだった。遊びにも流行があって、ビー玉が流行ると、やがて潮を引くようにやらなくなり、今度は角パンが流行るという風だった。仲間を集めては中村山あたりで薪を刀にみたて、切り合いをしたり、相撲を取ったりした。
 一年、二年と進んでいくと、ますます授業中に別のことを思うようになり、機があれば多動児となった。三年生で女性の先生になり、男の先生の恐ろしさとはうってちがうので、その先生をなめきっていた。机の前でじっとしておれず、調子こいていた。その女性教師が出産で休み、臨時できた男の先生は怖くもなく、あまり怒ることなく、ぼくはいよいよギャング時代に突入したのだった。姉の勉強をわき目に見ていたぼくの貯金もかなり使ったように思う。昭和31年から33年kyらいのことである。今のように多くの物はなかったが、食い物は十分だった。そして天真爛漫でもあった。父が遠洋漁業船に乗っていたので、父がいないときが多く、ぼくは増長してヤンチャだったように思う。

LED懐中電灯

2018年08月15日 | 日記
 とっさの地震で、電気が止まり、いよいよ津波がくるというとき、肝心のドアが開かなかったらといつも思っていた。「ナカミチ」で、衝撃の大セールのチラシに、LEDの懐中電灯があって、しれにはガラスを破る金槌とカッターナイフ、幾種類ものドライバーがついている。灯りは前も照らし、後ろ照らす。これはいいもんだ、と買い、毎日のテーブルに常備してある。
 人というのはなんとなく死んでしまう場合がある。ぼくの近親でも、叔父が漁に出て行方不明となった。叔母は扇風機に感電してお腹の中にいた子と一緒に死んだ。その叔母の娘の子は列車に轢かれて死んだ。
 妻の両親は東北大震災の津波で家ともさらわれ死んだ。
 人間の生き死にはちょっとしたことがつらなった運命的な事故と運命ともわからないような病気とで成る。津川雅彦が亡くなって、歳をみると78歳だった。78歳と言えば、ぼくはあと十年であるが、津川雅彦にとっては十分だったのか、ぼくにはまだ早すぎるような気がする。ぼくの父もそのくらいの歳で臥せたのだった。
 現在の医学ではあと5年。あと5年で多くの病が解決される。未来の予測はそうなっていて、あとの注意は「不注意」と「まさか」の想定である。妙な切っ掛けで、LED電灯を買った。命に関する物をそばにおいておくには安心感をつくる。Google のニュースでは8月20日が南海トラフの大地震などという噂話が予想者の名を借りて配信する。

8月15日

2018年08月15日 | 文学 思想
 「日本は負けますよ」と言ったら、「シー」と指で口を結ぶ。これを公の場所で言えば、特高につかまる。「あくまでも志願の特別攻撃隊だ」といっても志願しなかっら張り倒される」
当時の政治意識は日本の歴史の中でも最低である。嫌と言えない雰囲気を国、軍、マスコミ
それに威勢のいい大衆の一部が人々を煽りに煽った。日本国民が独自に裁判をしなかったから、戦争責任も異論が残ることになり、靖国神社に東京裁判での戦犯も祀られ、73年経った今でも中国、朝鮮、アメリカとギクシャクする。なんといっても責任hとらないと。
その後の日本は責任を曖昧にしてすませる伝統が定着したように思える。
 集団的自衛権の発動があり得る。その時、自衛隊員はどう反応するのだろう。
「拒否」できる自由な雰囲気はあるのだろうか。小さなボクシングあレスリングの世界でも知性あるお隣たちがたった一人のボスに抗うことができないのだから、自衛隊員も自由の表明は辞めるしかないのかもしれない。戦争などにまったく行く気もなく自衛隊に、入った隊員は職を失うことになる。
 集団を組織化する場合、出入り口をあけておくのが共同幻想から身を守らせる方法である。このような考えは集団に根付かなければならない。人類のまだコクフクできない課題である。
 もうひとつは第三者によるチェックだろう。
 日本列島人のどこがよくて、どこが悪さところなのか、あるいはどこが優れていて、どこが弱いく、劣っているところか。昔は「菊と刀」とか、「甘えの構造」というような日本列島人論が書籍になってでてきたが、近頃はその種の本がみあたらない。たぶん分散しているのだと思う。
 日本列島人とは何か、というテーマがそろそろ出てきてもいいのではないか。
 「外国人記者がみた日本」をテーマとした外国人記者たちが論ずる番組がたぶん、毎日曜日の夜だったと思う。これは結構面白い。海外の記者がどうみているのかを知ることは興味深い。
 若者も日本列島人を考える機会があればと思う。いいところも嫌なところも言い合って、我々などう進んだらよいのか、を論じ合う機会があればよいと思う。
 故郷尾鷲も同じだ。もうすでに消滅都市へのカウントダウンが始まっている。一大市民会議が行われなければならない。