25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

時代は変わる

2019年09月08日 | 文学 思想
 「道頓堀で居酒屋やってまんねん」 「へえ、道頓堀ですか」。ぼくは宮本輝の「道頓堀川」を咄嗟に思い出し、ついでグリコのネオンサインを思い出した。若者が興奮して飛び込むのもこの川だった。「ぼくんとこは道頓堀と言っても一本筋がちがんですわ。常連さんばっかでやってます」と言って朝の8時に大坂を出たらしい。海が見えて、広い庭があって、こんなとこでのんびりさせたいんですわ。みな、マンションとか庭のない家で育ってますんでね」
その大将はこまめに若い子らの面倒をみているようである。ぼくに手土産までくれた。
 台風の影響が心配されたが、雨が降ることもなく幸運だったと思う。

 どうもこの9月に入ってからの客をみていると、分散してしまった仲間が一同に集まったり、今日の大将のようにやはりアルバイトで働いてくれる人を一同に集めて、自分たちでBBQをするのである。釣りをするのでもない。熊野古道を歩くのでもない。ただみな集まって同じ時を過ごし、食べて飲んで楽しむ。思えばこのようなことは旅館や民宿、ホテルではできない。 
 昔は社員旅行というのがあった。上げ膳据え膳で宴会がある。朝から酒を飲むものまでいる。まだこういうのがあるのだろうか。
 デフレ時代の遊び方は、自由に、自分たちで準備用意して、料理をし、フトンを敷き、洗面用具もタオルも持参結構というわけである。
 こういう合理的で節約の人たちが増えているのだろう。

 これももう昔の話だが、列車内で宴会をする人たちがいた。そういうグループもこの頃見なくなった(と思う)。列車が速くなったのと健康面への気遣いもあるだろうが、大声を上げたり、昼間から酔っぱらうのを奇異な目で見る人も多くなったのだろう。
 このような面では時代が変わった。

 もうひとつ変わってきたことがある。それは剥き出しの感情をSNSや電話、FAXでしてくる人が増えているような気がすることだ。それに乗る週刊誌、テレビ情報番組。危ない、危ない。

 日本は明治維新から40年で日本を近代化し、世界での地位を上げた。次の40年で日本は崩壊に歩んだ。積み立てた言論が戦争となった。戦後の40年でまた復興、成長し、GDPが世界で2位となって一億総中流社会と呼ばれるようになった。そして今は次の40年間の最終コーナーである。積み立てされた言論は本当のところどうなっているのだろう。勢いのよい剥き出しの感情の少数のものたちがこの日本列島を支配しているわけではない、と思う。