25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

保水層、空中井戸など

2018年11月19日 | 社会・経済・政治
あれ、もしやと思い、炭酸カリウム、硫酸第二鉄、塩化アンモニウム、塩化カルシウム、25%苛性ソーダをアマゾンで検索してみた。実験用に使うのに各品を25kgも買うのは高いし、容量も多すぎるからで、薬局に頼むと25kgのものが最低の量だと言ってくる。するとアマゾンでは硫酸第二鉄だけがなかったものの、それぞれ500gのものがある。硫酸第二鉄も試験薬として500gで売っているところがあった。よかった。やれやれ、と気分がよい。やはりアマゾンは便利である。
化学はほとんどわからないが、それぞれの利用法を読んでいると、人間もこんなものをよく調べ、開発し、利用してきたものだと驚いてしまう。

 これは来年のための準備である。ぼくはどうしても、砂漠を農地に変えることの実例を示したい。縁あって、民間の故老研究家が尾鷲を去る前にぼくに頼んだ。試験を継続し、完成させることを。
 現在はその故研究家の頭の中を覗いている感じで、頭の中の理屈をぼくの頭の中に、ぼくの納得の仕方で移すことをボチボチとやっている。だいたい整理がついてきて、砂漠の砂の性質。土壌というもの、混和物である土の特徴的なこと。保水層に溜まる水質の栄養のこと、つまりは植物にはどんな栄養がいるのか、ということ、砂漠における砂防提が必要な理由。砂漠を開墾するための簡易道路建設のこと。保水層を作ったとして何を植えるのがいいのか、いくつか植物をピックアップしてみることなど、ポツポツを思いを巡らし、時には調べ、頭の中だけで構想を練っている。

 自宅でやっている実験から実際の内モンゴル黄土高原でやってみる必要がある。あるいはやってみたい企業なり農家があれば、やってもらいたいが、そういう企業や人を見つけるのは困難なことで、面倒臭いから、実際に村に行って、一坪ほどをお借りしてやってしまうのが一番早いと思っている。

 懸案のことだったので、このことは失敗するにせよ、成功するにせよ、来年で決着させる。気分もよい。魏の国を復活させるのだ。砂漠を緑化できれば、中国政府も大開墾事業を始めることだろう。上空からいくら種や苗を蒔いても、どれほどの成果が上がっているものか、実際に視察もし、その効果のなさを実際に見た。

 砂漠化は北京市に迫っている。
 農民は都市生活者と同等の生活が保証されなければならない。都市で貧窮な暮らしをする農村出身の若者も農村に帰り、開墾すればよい。葡萄でも作れる。それをワインにすることもできる。
 日本からいくボランティアの人達がやっているのは苗を植えて待つ、というものだ。水が地下にあるらしいところしか成功できない。

 こんなアイディアもある。ビニールハウスを作り、室内を太陽光で温め、室外との温度差を作る。氷が入ったコップの外側には水ができる。これと同じだ。この水を自動的に集まるようなものにして、農地には点滴のようにその水をやればよいのだ。

 この原理なら井戸を掘っても重金属などが出てくるような地域は保水帯を作り、小便もそこでし、気化させて再び水滴を作って取水する空中井戸を作る方がよい。

 ふむ、と一人で考えている。 

 
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三島由紀夫 二つの謎

2018年11月18日 | 文学 思想
 一昨日、朝日新聞の広告で、「三島由紀夫 二つの謎」という本が集英社新書ででたことを知った。早速アマゾンで注文したら、翌日にはここ三重県の紀伊半島の端っこでも、夕方には届いていた。
 三島由紀夫について論じるのが難しいのは、大衆小説、純文学小説と書き分けながら、戯曲も作る知性の持ち主だったのが、なぜ、1970年11月25日に市ヶ谷駐屯地で、あのような愚行をやったのか、その知性と愚行の落差をどう解釈したらよいのか、という困難さがいつもつきまとってくる。三島由紀夫の育成歴からみれば、病気の絶対的権力の祖母からの偏愛、母を祖母に奪われた生い立ちからみれば三島由紀夫はいずれ死ぬしかないだろう、という感想をもってしまう。
 著者の大澤真幸は三島由紀夫の事件を小学生のときの職員室での重苦しい教師たちの雰囲気で知ったという。そして小説の方は高校生のときに「金閣寺」を初めて読んだのだという。

 ぼくの場合、これまで読んだ小説の中で、三島由紀夫の「豊饒の海」を一番に挙げる。つづいて中上健次の「千年の愉楽」であり、津島佑子の「夜の光に追わ0分れて」を挙げる。
 ぼくは、三島は「切腹した」と言われ、切腹が強調されるが、自殺したことのほうに重きをおいてみている。彼の知性からしてみれば、あのバルコニーからの演説で自衛隊員が決起するはずもないことはわかっていることである。ぼくは小説と彼の最後の行為を一応分離して考えている。
 さて、小説は自殺決行の日の朝の日付にして第四巻(最終巻)を脱稿している。
 漸くに四巻まで読みすすめたぼくは、最後の1ページで驚愕の虚無の穴に落ち込むことになる。
 輪廻転生など夢幻であったのではないか、輪廻転生した若者たちを見続けてきた本多繁邦の人生とは何であったか。
 ぼくは相当なショックと小説の圧倒感でしばらく声もでなかったことをおぼえている。読むときにあの切腹した三島由紀夫だと思って読んでいない。

 大澤真幸はこのラストを謎だとしている。ラストを「それはないだろ」と読んだらしい。切腹自殺も切腹に力点が置かれていて「それはないだろ」と判断している。そこからこの2つの「それはないだろ」の謎を解いていくのが彼の挑戦である。二つのなぞはきっと繋がっていることだろうと仮定して論をすすめている。
 この時期世の中でなにがあったかというと、70年安保、全共闘運動が大学をわたってあり、下火になりかけた頃であった。やや若者たちが急速に既存の社会に吸収されていくのだった。前年に三島由紀夫も東大にでかけ、学生を前に演説し、「君らが天皇陛下万歳とただ一言言ってくれたら、ともに闘えるのに」というようなことを言ったのをぼくはおぼえている。ぼくは三島由紀夫らの事件を大学の食堂で知ったのだった。
 吉本隆明は「掘り下げて勉強しよう、学問しよう」と言っていた。「自立の思想」を宣言した頃であった。

 ぼくは心情的に、「楯の会」のような活動を嫌い、吉本が言うような掘り下げて勉強していく姿勢の方に寄った。
 48年経って、対峙するには難しい三島由紀夫作家論が出てきた。
 楽しみにして読むつもりでいる。どうでもいいや、とは彼の小説を読んでいて言えないのだ。その感想はまた書こうと思っている。 
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ロヒンギャ問題の難しさ

2018年11月17日 | 社会・経済・政治
 ひと動きすると汗が出る。不慣れなことをすると汗が出る。さっさとやり終えてしまいたいと思うと汗が出るのだ。汗って本当に新陳代謝の代物だろうか。神経のような気がする。
 それはともかく、一応床張りを終えた。ざっくりと。あと細かいところがあるので、それはやる気をみて。たいしたことではないとぼくは思うが完璧症の人なら、さぞかしイライラすることだろうと思う。
 汗をかくとすぐに急速に体が冷えてくるので油断してはならない。汗を拭き取り、下着も替えよう。
 テレビをつけると、アウンサン・スーチーミャンマー最高顧問女史がいろいろな賞を剥奪されている、とあった。ロヒンギャ民族への迫害、虐待により、彼らはバングラデシュに逃げて、難民キャンプにいる。ミャンマーは帰って来いよ、というが誰一人帰らないそうである。ミャンマーの大方の人は仏教信者で、ロヒンギャはイスラム教徒である。宗教対立である。スーチー女史もどうするこもできない。軍事政権ならなんとか抑え込めたかもしれないが、統制が緩み、急速に民主主義となると、難しいのだろう。
 こころを救済するということでは仏教もイスラム教も、キリスト教も同じだ。宗教とはそういうものだ。それが喧嘩、対立、殺戮となるのだから、この共同幻想恐ろしい。人類はいつになったら宗教共同幻想を抜け出ることができるのだろう。宗教を否定するつもりはない。集団のあり方であり、宗教という共同幻想の自己コントロールの仕方の獲得が必要なのである。この問題が解けない限り、宗教的対立はなくなるはずもない。
 共同幻想の構造と自己幻想、対幻想との関係。吉本隆明が明らかにしたが、彼の考察はまだ普遍化していない。共同幻想論を易しく読み解ける具体的テキストがほしいくらいだ。
 ロヒンギャはミャンマーには戻れないだろう。周辺のイスラム教国が面倒みるしかなかろう。
 宗教とは罪なものだ。まったく個人の中で共同幻想と自己幻想が一致と逆立が同時起こっている。大矛盾である。

 
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移ろい

2018年11月16日 | 日記
 朝起きて、朝ごはんを食べ終えて、さてと、「大根菜」を見にいくか、と立ち上がったら、テーブルの上に財布がない。はて、車の中に置き忘れたのか、と外に出て車の中をチェックする。ない。再び、居間やら階段やら、玄関外の金魚周りやらを丹念に調べる。昨日の最後の買い物は? 確かイオンだった。サービスカウンターに行ってみるか、と車のドアを開けると、右側前方に自転車が見えた。もしかして、前の籠に? と思い、近寄ってみると、財布はあった。一晩を過ごしたのか。ホッとした。財布にはいろいろと大事なものが入っている。キャッシュカードやらワオンカードやら、死んだら面倒臭そうな物ばかりだ。そう言えば、相撲を見ている最中に急に思い出したことがあって、セイムスに自転車で走ったのだった。
 気を取り直し、まず、ミヤケにいくと、棚に柿やらミカンやらが並べられていない。手伝いのおねえさんがいたので、今日は休みなん、と訊くと、やっとんやんな、と答えたので、蓮台寺柿と大根奈はないかと訊いた。大根菜はくたびれていて、葉もちらほら黄色い。安うしとくさか、黄色い葉っぱは取ったって・・・。オジサンまだ入院しとん? 店先にいるのを見てから二ヶ月ほど見ていないような気がする。おじちゃん死んだんさ。いつう? 月曜日。あらまあ、なんで? 癌やったんさ。通夜は今日で、明後日が葬式。いよいよ来たか。なんとしてもこの店は続けてもらわないと困る。金魚、メダカ話もできなくなるかあ。

 また気を取り直して、家に戻り、大根菜を洗い、外に干した。
 主婦の店にひの菜がないか見て来ようと思い、国道42号線沿いの主婦の店に行った。このての地のもの野菜はイオンにはない。ひの菜はなかったが、大根菜の新しいのがあった。二週間前に買ったときはしっぽの大根は小指程度だったのに、今日のは親指2本くらいの太さだった。あれが二週間でこんなに大きくなったのだろうか、と感心してしまった。2束買った。冷蔵庫に入れて置こう。

 居間の床がボコボコしてきたので、ひとつ自分で床張りをやってみようかと思案している。コメリにいけば材料は揃っている。
 コメリをウロウロして決断しようか。家も年をとる。
 昼、ハオハオ飯店でチャーシューメンを食べよう、と行くと先に知り合いのUさんがいた。ぼくより2つほど年上であるが、ファッションが若い。太る体質でもないらしい。主の野菜一杯の辛い味噌ラーメンにプラス餃子をとっていた。近況を伝えあって、静かに食べてお先に失礼した。先輩にはあまり話すことがない。
 家に再び戻り「まんぷく」を見て、コメリに向かった。

 コメリに向かう途中で海岸道路から突堤を見ると内山さんらしき男性が釣りをしている。車を止めて、見に行った。スズキを狙っているのだと言う。しばし話す。ここに鉄蟹がおってな、こんなんさ、とサイズを手で示し、これは旨いしな、と言った。鉄蟹などという名前を初めて聞くので、驚いた。それから指を差して、あそこで、60センチくらいのヒラメ釣ったどな、と言う。本ゴチはやっぱ小ちゃいキスが餌によいな、ヒラメはアジで釣ったけどな。我々は贅沢な、良いとこに住んどるな、と言って互いに笑った。内山さんはご近所さんである。彼の義母さんからよくなにかといただく。昔はこっちの川も汚かったけど、きれいになったな。ボラですごかったけどな。川に目をやるとモズク蟹が歩いているのが目に入る。今日は少々風がきつい。風きついで、風邪ひくない、といって失礼し、再びコメリに向かって床板を買った。ついでに、バラス20キロ袋を2つ。庭の水溜まりを補修するつもりだ。

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 現在砂漠を農耕可能な大地にするための実験準備をしております、なにせ素人です。
やっていることに大きなミスや知識の無さがあるかもしれません。実験で植える植物であるとか環境作りであるとか、いろいろあるのでしょう。まずは保水力を確認し、保水層の水だけでどれほど成長できるか、保水層のセルコンまで根が張ってくるものか、みたいと思っています。
来年には中国の黄土高原で実験と思っています。
この混和剤は透水性のコンクリートができます。興味あるかたにはお分けします。
実験準備動画はこちら
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いきまいた

2018年11月15日 | 日記
 朝、電話が鳴り、母からだったので、また何事かと思ったら、いつも使っている洗濯物を干す道具がない、という。盗まれたんやろ、という。そんなもの盗む人らあおろかよ、というと、ないんやで盗まれたしかないやり、と口答えする。とりあえず、ロープにでも干しとけば、あとでいくさか、と言って電話を切った。吊し型で四角い物で、洗濯バサミがいくつもついている。どうしてなくなるのだろう。
 しばらくして家にいくと、母の言う通り、それがない。表庭にも裏庭にも横の細道にも落ちてない。久しぶりに裏庭をみたが、砂利を敷いているにもかかわらず、要らぬ雑草が大きく育っているところがある。はて、と、念のため、母の居間の新聞やカセットテープなどを収納する押し入れを開けてみた。すると青い洗濯物干しがあった。
 あれ、わたしがいれたんやろか。あんたの他に誰が入れるんじゃい、一件落着。おとといは薬を飲み忘れていたが昨夜は飲んだようだった。
 この頃は糠漬けを作っているので、主婦の店に行き、大根菜を買おうと思ったが残念ながら今日はない、ということだった。それで家に戻り、白菜を干すことにした。白菜の
糠漬けだ。
 あまりに天気が良いので、昼から一時間ほどガシ(カサゴ)釣りに行った。四匹釣ったので上々と思ったがサンバソウの大きいのがかったが逃がした。空が青いと海も青い。寒くなく、陽があたり、風もそよぐ。堤防にいるだけでセロトニンで一杯のように元気になる。

 昨晩はもう少しのところで、殴り合いの喧嘩になるところだった。
 イチャモンをつけてきた男に頭がプッツンした。殴るつもりはなかったが、罵倒した。
 他の人が歌っているときに、話をするな、と言ったのである。「ここはカラオケ喫茶か、わりゃあ」となったのだ。次から次と歌を誰かが歌とったら、ずっと黙っとらなあかんのか、わりゃあ、と息巻いてしまって、マスターに悪いことをした。男の謝り方も気にいらず、ますます罵倒した。
 そんなこともすっかり忘れていた。それほどの酔いつぶれ天気だったことよ。
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砂漠緑化のための小さな実験準備

2018年11月14日 | 日記
 突然ですが、今日は動画をご覧ください。

 透水性のコンクリートと保水性のソフトコンクリートを作る「混和剤」を作りました。透水性コンクリートは強度、耐久性も優れています。これがあれば水溜まりのできない駐車場や広場、池や護岸などでの水量調整などに使えます。

 一方保水性のものは日本では使う場面がありません。
 中国には日本列島の面積よりも3倍ほどある砂漠があります。三国志の時代には豊かな魏の国も今は砂漠化しています。羊、山羊の放牧で草も根っこから食べられ。手入れをしない過剰な農耕で土は傷み、砂漠化していったのでしょう。今や北京にまで砂漠化は到達しようとしています。日本からも多くの団体がボランティアなどで緑化活動に出かけているようです。成功例もあれば失敗例もあり、大手企業のEllion は砂漠の中に町も作りました。なんとか水を手当できたのでしょう。Ellion のスタッフも広大な砂漠の緑化に日々格闘していますが、どこまでも砂漠は続いています。飛行機で種や苗を落してもなかなか植物は根づきません。


 ぼくは緑化に関して全くの素人です。全くの素人の最初の発想で、まず小さな透明のビニールコップの底に穴を3ケ所あけ、底に砂をしきます。次にセメントと乾燥水苔を混和剤で混ぜます。時間が経つとこの部分が保水性のソフトコンクリートとなります(以下セルコンと呼びます)。最後に。砂と水苔を混和剤で混ぜて人工土(セルベトンと呼びます)を作り、セルコンの層の上に入れます。第1回目はコップの中にサボテンを植え、最初の9月1日に水をやってから一度も水やりをしていませんが、今のところ腐るとか枯れるということなくまだ生きているようです。
 第2回目は大きな鉢を用意し、杉に似た植物、クレスト30cmのものを植えてみました。もうひとつはフリージャの球根を植えてみました。一ケ月後、どうなっているか見るつもりです。
 混和剤には炭酸カリウムや硫酸第2鉄などや、地球上のあらゆるミネラルが入っています。これ実験の様子です。⇒実験動画紹介


 なにせまだアバウトにやっております。今のところ植物が根付くかどうかを確かめたいところです。中国の内モンゴルと日本とでは湿度、雨量、日光、温度などの気候環境も違います。第一に砂がシルト状のミクロン単位の粒です。本来はその砂を手に入れてやりたいものですが、それは中国で実験しようと決めれるほどの確信がないとできません。
 とりあえず、ぼくとしては 保水層を作ることの有効性を知りたいわけです。そうすれば砂防提建設へと進むことができ、農地開墾もできるわけです。道路は簡易道路がこの混和剤とセメントでできます。中国では一坪ほどの土地を提供してもらって、とかってに妄想しています。

 この動画を見て、ダメだよこれは、と決定的なぼくのミスなり、無知がありましたら、ご教示ください。

 混和剤のphは7で、中性です。セルベトンには有機化成肥料を混ぜました。

 鉢の中は三層(砂+セルコン保水帯+セルベトン人工土)です。水をやらずに日向に置いておきます。夜は屋内に移動します。これで根の張り方はどうなるか、が興味のあるところです。
 砂漠があるのは中国だけではありません。中東、インド、アフリカ、オーストラリア、そしてアメリカです。問題は水だと思います。
たとえば、ビニールハウスの内側を太陽光発電で暖めれば室外との気温差で水ができるはずです。
 そんなことも思いながら、とりあえず、保水層が必要ではないか、と思うのです。
 
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水道事業の民営化

2018年11月13日 | 社会・経済・政治
 水道局の民営化を安部政権は狙っている。国鉄、専売公社、電々公社、郵便局、高速道路。NTTを除いて独占企業ばかりである。株主に還元するために高止まりで料金を設定する。こんどはすいどうまでもか。電力も独占企業である。
 独占的な企業は競争してもらってこそのものだと思うが自治体はその資産をお金にしたいというにか、とにかく政府はそうしたいらしい。
 水道を巡っては内乱の原因にもなっている国もあるし、命が担保に取られることから、民営化したものの、水道料金が上がったり、業者がメンテナンスをけちったりすることもあり、国営化に戻そうとする国もある。
 高橋洋一という元財務省の安部政権応援者が、日本は資産が1500兆円あるのだから
まったく財政の心配などない、と言っていたが、水道設備も財産で、これを売って自治体は財源とする、ということだろうか。
 ところで、尾鷲市には海洋深層水の取水設備がある。以前、機械の故障でメンテナンス中だと噂で聞いたが再開したのだろうか。
 この海洋深層水が第二水道になればいいといつも思っていた。尾鷲の住民にくま無く深層水を行き渡らせるのは設備的に難しいのだろうか。深層水もいろいろ種類があって、ぼくはカルマグ水にもっとも興味がある。カルシウムとその半分量のマグネシウムは細胞によいことを突き止めている。資生堂はこの研究から化粧品を作っている。
 カルマグ水を売ればいいのにと思う。これで風呂に入ればお肌つやつやというやつだ。しかし現在販売されているコンビニなどで買えるペットボトルの水はカルシウムとマグネシウムの配分が操作られているように思える。よい水はもともとそうなのか、知識があってそうしているのかは知らない。
 外国人労働者の問題も将来の国の形を決めていく重要な問題である。企業におされて拙速にやってしまうわけにもいかない。しかしこの労働力不足もデータ上のわかっていたことである。少子化問題と同じようなものだ。データがあったのだったら、論議していなければならない。それをしないのは怠慢か狡猾でしかない。
 1年が基本育休の期間で、それ以上2年まで育休をしたい場合は保育園に入れなかった証明書をもらわないと雇用保険から育休時の給料をもらえないので、わざと保育園を落選するように申し込む、という制度矛盾があからさまになっている。初めから育休は2年とすればよかったのである。上部の官僚は自治体の係員の煩雑でミスが許されない聞き取り作業や事務作業の苦労など知らないだろう。
 話が逸れてしまった。水道事業の民営化のことである。ただでさえ財政が不足している地方自治体である。尾鷲市の場合、水道事業はまだ余裕があるようだ。減価償却はしているのかどうかは知らないが、大規模な設備投資が必要だというニュースも聞かない。
 海洋深層水事業が再開したという噂はきかない。頓挫したのだろうか。
 国会では国民に見えにくい形で水道事業の民営化が推し進められている。
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人類が解決するべきこと

2018年11月13日 | 文学 思想
人類がおのずから解決しなければならない問題は、
 1.強制されて人を殺しにいかされること
 2.仲間の批判をしただけで拘留されたり、リンチを受けたり、殺されたりすること
 3.同じく仲間から異端視され、虐待リンチを受け、殺されたりすること
 4.やってもいないのにやったと言われ、警察に捕まり、拘留されること
 5.模倣因子を抑制すること(同調圧力を抑制すること)

 人によってはまだいくつか、いろいろあるだろうが、ぼくの場合、まずこんなことがすぐに浮かぶ。そしてこの5つのことの共通点を考えてみると、集団を重んじる意識と個人を重んじる意識の逆立の問題である。つまり個人幻想が共同幻想にやられる、という観念の問題である。
 例えば、香港の書店主が中国政府を批判する書物を売ったからと言って、書店主が監禁される。あるいは、国民国家のためだと徴兵制が施行され、拒否できず、戦地に赴任させられることも同様である。もっとこまかく言えば、現在自衛隊という組織に所属し、自衛隊の理念と方針のもとで、働き、給料をもらっている妻子ある男性がいたとする。そしてある日、外国で戦争が起こった。日米安保同盟の下、アメリカ軍を応援をしなければならない。その妻子ある男に赴任の命令が下りた。
 この場合、国民はその妻子ある男の苦悩はわからない。わかるのは、国民の一人一人まで「戦地の赴く命令」が身近な普通の人にも来始めたときだ。共同幻想の強力な圧力は日中戦争、太平洋戦争時で体験済であり、朝ドラでも間接的にでも語られるところである。
 共同幻想は個人がもってしまうところに恐ろしさがある。

 人類がおのずから解決しなければならない最後の問題は
  1.飢饉をなくすこと
  2.貧困格差をなくすこと

 この2つの問題は、共同幻想がよい使われ方をすると解決できるように思う。飢饉はおおかた解決されているような現状であるが、貧困格差は今進行中であり、今後深刻な問題になっていきそうな気配がある。理念的には人間は等しく公平に扱われ、言論の自由を持ち、この地球に暮らす生存権をもつ。

 最近おもしろかったこと。
  トランプ大統領がCNNの記者の質問に対して、さんざんに口でののしったこと。そしてあえて、5番目という早い順序で指名したこと。
 これがロシアだったらCNN記者は殺される運命にありそうだし、中国だったら質問できるはずもない。この場面は元首的な二人の権威、天皇と首相に置き換えると日本ではどうなるか。アメリカはあくまでオープンであると思ったのはぼくだけだろうか。


 
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九州場所の女 2018

2018年11月11日 | 日記
相撲界への失望と稀勢里への心配と栃の心への期待で九州場所の太鼓が鳴った。
 何年か前に書いた「九州場所の女」にアクセスする人が多く、今日の九州場所初日はまた多くなった。この初日の田島さん横から撮った画面で力士が蹲踞しているところ、その後ろの砂かぶり左側にちょこんと座っている。はっきりした色合いの着物ではなく、若さと老いの中間のような、派手でもなく、地味すぎるでもない、いわば風雅な茶系の線で模様がつくられた着物を着ていた。各相撲の取り口をしっかり目で追っている。感情は表さない。隣の人と話すこともない。一二度、知り合いの男性ときているのかと見えたこともあったが、今日は一人観戦のように見えた。
 九州場所には定番の女性は何人かいるが、やはりこの女性、田島さんが目立つ。目立つ場所にいるのだ。そして身動きせずに背筋を伸ばして座っているのだ。よく毎日このような特等席のチケットが取れるものだ想像力を逞しくする。
 お祖父さんの代からの人脈? 客による人脈? 今夜は田島のママさんのスナックも盛り上がっているのか、彼女は相撲観戦を終えて、何時になると店に現れるのだろうか、おばあちゃんになっても来るのかな、どのお相撲さんを贔屓しているのだろう、といろいろと妄想が湧いてくる。
 これだけ画面に出て来ると相撲界でもタニマチでも話題になることだろう。タニマチとはなんだか地方の中小企業の創業者で相撲が大好き、というイメージがある。ぼくの知り合いの男は清国応援団で、化粧廻しまでもっていた。「これ、もらったんですか ?」と不思議がると、「買い上げるんや、いや買わせていただくんや」と得意うに言っていた。趣味なのだろう。そして「贔屓」なのだろう。餌をやって鯉が育つのを待つ心情に似ているのではないか、あるいは、一人前の芸者になるまで育てる旦那様ではないか、と思ったりする。
 この田島さんの客の相手がタニマチの旦那衆であればたいへんなことだろう、などと妄想は尽きなく、土俵の仕切り時間も短くなってしまうものだ。

 ぼくはいつかこの女性が経営するバーに行ってみたいと思っているが、今のところ、その勢いが自分にない。
 大相撲の女性着物デイもこの田島さんからの影響ではなかろうか。ほぼ着物そしてあっと小声をだしてしまいそうになる洋装。

 さて、栃の心が玉鷲に完敗。稀勢の里も貴景勝に案の定の負け。
 今場所の朝乃山に光るところを見たし、豪栄道がいいのではないかと思ったのだった。

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民営化の嘘

2018年11月11日 | 社会・経済・政治
 「この前来たときはこいつが大きなハタを釣りまして。子供らは大きなグレでした。子供たちがまた行きたいというので、振替休日だったものですから」
全くの澄んだ秋の空。大阪から一家族が先月に続いて来た。曽根の民ぱく貸別荘のことである。

 八月、九月は毎日のように来て、グループで旅行のしかたにたいして、宿泊施設は時代の流れに対応できていないと思う。二、三家族でワイワイと楽しみたい場合、旅館ではやはり不自由である。やはり庭のある一軒家がいい。食事は自分たちで作る。あるいは尾鷲の新鮮な魚を刺身にしてもらって、持ってくる客もいる。ネットの時代だから、簡単に魚屋さは見つかるのだ。魚を食べて飲むだけのため仲間とやってくるグループもある。
 一番多いのは、集まってワイワイしたい。これが6割。つぎが釣り3割。熊野古道歩きの人もいる。家族や恋人とのんびりという客もある。何もしないというか。曽根には店はない。ふるい分け神社と豊な賀田湾があるだけだ。散歩をするのもいいかもしれない。熊野古道では太郎坂次郎坂があって、この山道を歩けば甫母まで行け、二木島に至る。
 日本の宿のスタイルも変わっていかなければいけないと思うのだ。それは交通機関も同様である。
 JRは民営化されたけど、ぼくはこういうのは民営化とは言えないと考えている。JRには競争相手がいない。独占企業である。儲けたお金は株式の持ち率により株主にいく。JR東海は営業利益過去最高である。それが客に還元されない。尾鷲ー東京往復3万円は高い。
 高速道路も同様である。これも独占企業である。このような重要交通網インフラは利益を国民に還元できる仕組みがあった方がよい。
 イギリスの労働党は一度民営化した国鉄を元に戻す政策提言をしている。

 日本の一人あたりの生産性は先進国のなかでも低いと言われる。ぼくは第一にパソコンの操作でずいぶんとアルファベット国と差がついていると思う。入力、変換、選択、間違いが甚だ多いおが日本の事務所だと思う。情報は高速になり便利になったが、移動となると交通費が高すぎるという現実がある。これが生産力を抑圧する。
 民主党政権の時期、高速道路が無料になった時期があり、テレビではなんだかだとその政策にイチャモンをつけていた。あれは東日本大震災のため、取り止めとなったが、復活してもらいたいものだ。惜しい政策である。
 要らぬ堤防を作るより、要らぬ建物を建てるより、商品券を配るよりよほどよい。消費が上がるのも間違いはなく、企業の生産力が上がるのも間違いはない。

 ぼくらは政府が行う政策を深く考えているわけではないが、その政策の影響を受けながら、節約できる方法や楽しみ方の方法をなんとはなしに模索している。
 そのうち、ぼくらの流れの方が主流になっていき、あわてて政策が追い付いてくるということもある。民泊新法がまさにそうだ。不完全で中途半端な法律だけど、だんだんと整っていくことだろう。ミニバス、白タク、タクシー相乗り解禁。JR、高速道路値下げ。
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汁物

2018年11月09日 | 日記
 快調に糠床が出来上がり、大根菜やら胡瓜やらと毎日漬け込んでいる。ビタミンは熱に弱いから、生野菜で食べると、今度は体温が下がるから、賢き日本人は野菜は煮込んで植物繊維をとり、漬物でビタミンや酵素をとったのだろう。というわけで、尾鷲の店から糠漬けが消えて、残念がっていたが、家で好きなだけ作れるようになって大満足している。

 食べるものとは違うが、この頃、「旨い汁」に快感のため息がでる。ひとつは美味館の五目ラーメンの汁で、レンゲで一口飲んだとき、「ああ、うま!」となる。これは店に行けばいつでも叶えられるものであるが、次のに、嬉しため息がでたのは「土瓶蒸し」の汁であった。尾鷲で土瓶蒸しを出している店が浮かばないので、うちで作ってみた。一回目は納得いかず、二度目は醤油を薄口に代えてやってみた。すると大満足なものができて、「う~ん、うまい」といいながら大満足したのだった。
 次は「はまぐり汁」である。スーパーで蛤を見つけ、これはよい、と買った。これも旨かった。桑名の蛤ならもっとうまいのだろうか。

 アワビのような硬い物が食べづらくなってきたので、ぼくの嗜好は柔らかい物の素材や汁の方向に向かっているのだろうか。

 恒例のハゼ釣りはして、そろそろカサゴ釣りに行こうと思っている。このカサゴもスーパーで売っているのは深海のものでカサゴは浅いところにいるこげ茶色いのが美味しい。カサゴの煮付けなどこの頃は尾鷲でも食えない。冬が来る前に一度と思っている。本当は今日行こうと思っていたのだが、「朝まで生テレビ」を見ていて、まっ今度にするか、という調子である。
 昨日の「昭和元禄 落語心中」もよかったですね。

 
 
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記憶力 つまらないリーガルV

2018年11月09日 | 文学 思想
「人生、善いことも悪いこともあっておもしろい」という人がいて、まあ、そうかな、とも思うが、やっぱり「悪いこと」はない方がいい、と思うから、先の言葉はぼくは使わない。「人生いろいろある」は使う。

 ぼくは記憶力があまりよくないので、過去のことの多くを忘れてしまう。友達が「あの時にぼくが言ったこと、したことをおぼえている」と驚く。すっかり記憶の彼方に飛んでいて、「そうやったかなあ」と訝る。記憶力の悪さでまいることもある。覚えようと頑張らなければ人の名前や外国の場所や音楽の題名など覚えられないのである。すでに観たDVD映画を借りてしまうこともある。
 そういう場合は、その人の個性が光らなかったから覚えていないのだとか、ぼくの感覚に強烈に引っ掛からなかったから覚えてないのだ、映画もそれほど面白くなかったからおぼえてないのだと、自分なりに言い訳のの理由をつけている。

 関心のないことが目の前を通り過ぎて覚えられるはずはない。人の車の番号などに何の関心もないが、ぼくの車の番号を言う人がいて、ぞっとすることが昔あった。その人はそんなことまで覚えてしまうのである。つまりそこに気がいくのである。

 要するに自分の中の好奇心の虫が動き始めないと記憶はできない。俳優の名前が出て来ないのも、ぼくの好奇心の網に掛からないからだと思うようにしている。脳の細胞が死滅しつつあると思わない。

 母親は94歳である。交通事故前の85歳くらいのときに、妄想を言い始めた。物忘れもひどくなってきた。検査してもらったら「初期の認知症」だという。「進んでいくんですか」と訊いたら、「まあそうでしょう」という返事だった。「認知症かあ」と思い、毎月一度検査と薬をもらいにクリニックに通っていた。母の症状はそれ以後悪化するものでもない。妄想もなくなった。薬が効いているのだろうか、とも考えるが、それだったら、薬で認知症はストップするはずではないか。母親だけ効いているとは思えない。事故の時、総合病院の医師は言った。「ベッドで横になっていると一番怖いのが認知症になってしまうことです」(あれ、もうなっているのに・・・と思って聞いた)
 それで要するに母親は認知症ではない、高齢化による自然なことだ、と捉えるようにした。多くの関心を失っていることも確かだ。絵を描いていたがそれもしなくなり、短歌も作っていたがそれもしなくなった。交通事故は多くの物を母親から奪ったような気がするが、認知症ではないと思う。今の一人暮らしをしている。高齢の認知症であれば「自立生活」はできないと思う。超高齢的境地に入っているのかも知れない。
 もちろん新しい機器の使い方などはもうこちらも教えることをあきらめているし、母親になんとかしておぼえようという意欲もない。そんな意欲がなくとも残る人生は確実にやっていけるのだ。
 だんだんとどうでもよいことは頭の中を通過させてしまう、そんな空洞が多くなっているのだろう。

 これはぼくとてそうで、昨日見ていた「リーガルV」という米倉涼子のドラマがつまらなく、まさにその時は脳はガラン洞になってしまっている。

 
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桑田佳祐礼賛

2018年11月08日 | 音楽 ポップス
 テレビ朝日系「関ジャム~完全燃SHOW」毎日曜日23:10 の音楽分析番組が面白い。へえ、となんども驚く。前々回は「ジャズピアノ」「クラシックピアノ」「ポップスピアノ」の奏法の違いやミックスするとどうなるか、連弾してみるとか、とても興味深い。前回は「サザンオールスターズ桑田佳祐のベスト曲20を専門家が選ぶ」というもので、スージー鈴木の「サザンオールスターズ1978年~1985年」を読んでいたので、二重に面白かった。メジャーセブンコードは「東京大人のコード」と言われるほどに音に都会っぽさが表現される。桑田佳祐はこれを多用していることや、メロデイーが歌詞とともに出て来るのではないか、という憶測。一つの音に一つの語という日本語音楽の縛りを一つの音に日本語を詰め込んだり、日本語と英語を合体させたりしていることも実例をして示してくれる。

 サザンと同じアミューズ事務所のスガシカオやLOVE PSYCHEDELICOが出ていた。専門家というのは音楽評論家や音楽家などのことだ。
 初期の(原由子が妊娠して活動休止になるまで)のアルバムはぼくもしっかり覚えている。スージー鈴木は最高傑作として「メロデイー」を挙げていた。今振り返って聞いていると、桑田佳祐の曲は、「LOVE物」と「社会風刺物」「有名人へのお節介物」「エロ物」「前川清物」「オチャラケ物」に分類できるように思う。時々カスみたいな歌もある。
 彼は一度「日本文学全集」という歌を歌った。長いオムニバスの歌であった。有名文学作品の出だしを歌にしていた。題材の人間失格、芥川の蜘蛛の糸、漱石の吾輩は猫である、などなど。
 現在すでに60歳になった桑田佳祐は書き散らす歌詞ではなくて、詞を詩としてとらえ、文学のように向かって書いているように見える。
「大河の一滴」はいい例かもしれない。
 歌詞でいえば、松任谷由実、中島みゆきは優れていると思うが、桑田佳祐もそのなかに入ってくるだろう。

 読売新聞が日本で最も歌が上手い歌手のアンケートを発表したことがある。3、4年前だったと思う。女性は美空ひばりだった。もうなくなっているのに、挙げられるのはそのご美空ひばりを越える歌手はでてきてないと判断されたのだろう。男性服は桑田佳祐であった。
 表現力が豊かである。
 今年の「ひとり紅白歌合戦」も楽しみにしている。

 さて、中南米の移民希望のアメリカに向かう集団行進。どこまできたのだろう。そしてどうするのだろう。不気味である。桑田佳祐もこのニュースを見ていることだろう。ところが行進の中に日本人ジャーナリストgしないから内部の様子もわからず、外側からしか歩いている集団は見えない。もどかしいところだ。
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アメリカの憂鬱

2018年11月07日 | 社会・経済・政治
 中南米はたいへん治安が悪い国(グアテマラ)やら、ホンジュラス、理想郷に思える国(コスタリカの常備軍なしは有名、最近治安が悪くなってきたとも聞く)やら一体どうなっているのだろう。ほとんど中南米国を紹介するニュースは少ないので、アメリカへの集団大移動の実態もよくわからない。この人々一万人の行動がトランプ大統領に利するのか、民主党に利するのか、もうすぐ、中間選挙の結果がでる。

 アメリカの古き良き、1950年代の白人主流時代はもうない。奴隷として黒人を扱って生産性を挙げた時代は過ぎ、黒人は市民権を得て、なおも差別されても、今は概ね平等なアメリカ人である。白人と黒人の分断というのはよく白人の警察官が黒人の若者を銃で撃ってしまったという事件で知ることもあるが、大勢はオバマという大統領を生んだということからもすでに強い互いの憎悪はないように思える。これはぼくが知る限りの少ない知識だけのことで、本当のところはわからない。やがてアメリカはヒスパニック系を労働者として使うようになった。必要だったのだろう。必要だったからアメリカは移住させているのだ。もちろん違法移住もあるかもしれない。しかしそれは掴まえれば母国に帰せばいいことである。とにかく移住者を単純労働で安く使ってアメリカの今があるのである。
 今トランプ大統領が叫ぶのは、「もうこれ以上移民は要らない」ということなのだろう。白人数が過半数を割っていくことの恐れ、いや、たまらない嫌悪感なのかもしれない。人権だなんだ、と知的性より、情緒的な感情というものだろう。

 過激な発言となるが、クリント・イーストウッドが死ぬあたりのところで、ひとつの白人の時代が終わるのかも知れない。そうこうするうちに、新たな産業革命が起こってくる。

 昼、次々とニュースが入ってくる。外交、人事を背負う上院は共和党が勝った。下院では社会民主主義に賛同する民主党が勝った。これはオカシオ・コルテス下院議員の当選に象徴的に現れている。アメリカのかなりの若者は社会主義的政策を望んでいる。貧困の中で生まれたらまた貧困になる負のスパイラルから抜け出せない、と考える人が多くなってきた。考えれば日本は国民皆保険を作り上げているから、健康保険、高額医療、年金、生活保護制度も整っているから、アメリカの若者たちは日本のような国を望んでいるように見える。

 宗教色も強いアメリカ。人種間対立をどう克服するのか。若者の意見をどう取り込んでいくのか、中国とはどうするのだろう。世界史が動いていくのを見える時代であることよ。



 
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御用聞き

2018年11月06日 | 社会・経済・政治
「御用聞き」「便利屋」現代社会の中で隙間を埋めてくれるありがたい仕事であるが、尾鷲には「御用聞きです」と巡回してくれる業者はいないらしく、誰かやればいいのにと思う。
 今、ぼくの場合、鍵で困っている。鍵の交換をしたいと思うのだが、そんな業者はどこにいるのかわからない。テレビで5分100円でやってくれる御用聞き屋さんをやっている男性の紹介があった。老人ではできにくいことをしてくれる。電球をLEDに替えたり、パソコンでちょっと聞きたいことがあったり、ブログを作ってみようかと思えば、立ち上げの手伝いをしてくれたり、ということである。
 この頃、パソコンの動きが悪い。なんだか知らぬ間にエクスプロラーが2つ入っていたり、NTTの光フレッツがきたときに何か中に入れたりしてか、だんだんと動きが遅くなってきた。こんなとき、ソフトを削除すれば動きが元に戻るのか、削除するときに注意することがあるのか、そんなことも知りたい。「御用聞き」に万能の能力が必要であるわけではない。専門家を繋いでくれることだけでもいいのだ。

 これから頼まなければならないことが山とあるような気がする。捨てるものもいっぱいある。木はどんどん伸びてくる。草もどんどん伸びる。家は故障も出て来る。床がボコボコし始めたり、ドアがいかれたり、水道が漏れたり、トイレの便器の調子が狂ったり、となんだかんだ。

 尾鷲のタクシーの運転手さんは駅前か農協あたりでのんびりと客を待っている。ぼくはタクシー相乗り
白タクも解禁してほしいと思っている。どこでも乗れて、どこでも降りることのできるシステムを構築してほしいものだと思っている。どんどん走って相乗りさせてやればいいのだ。

 社会が成熟し、高齢化していくことによって必要な体制が望まれる。交通、買い物、御用聞き、集合住宅。労働についてもそうである。

 今日はアメリカの中間選挙。どうなることやら。南米から行進しているかのように米国を目指している集団的移住希望者の数は今のところ9000人。国境に配備された軍人は15000人。イランへに制裁が強化され、世界は混沌としてきた。 
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