25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

紀勢本線 尾鷲~新宮

2018年04月22日 | 日記
 兵庫県の三田に住み、釣り好きのFさんは曽根に小さな囲炉裏付きの別荘を持っている、来るのに五時間かかるらしい。ぼくが紹介した物件で、彼の物件探しはこの家で終わった。そのFさんが時々誘いがあったが都合がつかないときもあり、昨日は久しぶりに時間も気分も都合がよかったので、彼の誘いに応じる余裕があったのだった。
 のんびりと汽車でいくことにした。普通列車も様変わりしていた。向かい合って座る座席から、山手線のような一列が両側にあるものに変わっていた。
 紀勢本線のうち尾鷲から新宮までの車窓は全国の鉄道の車窓景色ではベスト3くらいにははいるのではないか、といつも思う。尾鷲から大曽根は青色の海だが、九鬼になるとどんよりい陰った濃い緑色になる。三木里では青い海が弧を描くようにある。鮮やかに黄緑色になった木々の葉が間近に通りすぎる。トンネルは景色観覧の一休みだ。
20分ほどで賀田駅に着いた。そこから曽根までぶらぶらと歩いた。躑躅の季節である。25分かかった。
 この区間の車窓風景はもっと宣伝されてよいと思う。
 その夜は美味しいスコッチウイスキーを飲み、洒落たジャズなど聞き、結構静かに語りあったのだった。銘柄は忘れたが、最初に飲んだハイランドの14年物が旨かった。
 彼は神戸、大阪でバーに通っているらしい。そこでうんちくを聞くのだろう。彼の憩いの家にはみたこともないスコッチウィスキーが置いてあった。確か残る人生分を買っておこうと思って、と言ったような気がする。飲み方にもこだわりがあるようだった。
 楽しい、贅沢な時間が過ぎた。帰りは妻に迎えに来てもらった。そうして春の心地よい土曜日が終わったのだった。
 

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

中井貴一のよさ

2018年04月21日 | 映画
 中井貴一という役者はたいしたもんだ、とまた時代劇映画「柘榴坂の仇討ち」を見て思った。桜田騒動で主君を守れなかった主人公は、襲撃をかけた水戸藩士のひとりの首を取ってこいという命令で、十三年めにとうとう最後の男を見つけることになる。仇討ち禁止令がでる。世の中は大きく変わっている。妻が飯屋や縫い仕事で、彼の生活をササエテいる、
 降りしきる雪の中でも花を咲かせる風景が出てくるしみじみとした映画であった。幾つかの名場面があった。
 中井貴一の武士の所作、表情の変化、歩き方と姿勢、納得のいく名演技だった。この平成の世には時代劇を演じられる俳優はこの人しかいないのではないか。
中井貴一は演技分野も羽ばたきが広い。コメディっぽいものを軽妙にこなすことできれば、悪役を演じることもできる。とうに父親の佐田啓二を超えている。
 「サラメシ」の明るいナレーションもよい。高慢ちき風でもない。やがては老人役もするのだろう。岸恵子や草笛三越前が超年齢となって年齢不詳の女優になったように、中井貴一もそうなるもではないかと思うくらい、年齢が泊まっているような感がある。
 「愛しのエリー」が流れていた「不揃いの林檎たち」から、テレビ、映画と間断なく登場する。
 
 思えば、時代劇が映画公開されるのは珍しく、制作されて上演されるものは力作ばかりである。
「雨上がる」くらいの時期から、「山桜」「武士の一分」「花のあと」「川辺のほとり」「義士壬生伝」「秘伝 鳥刺し」「殿、利息でござる」くらいしか覚えていないがどれも秀作で心打たれるものばかりだった。
 
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

チャラ男

2018年04月20日 | 社会・経済・政治
 新潟県米山隆一知事は潔く辞任した。今日週刊文春を読んでみたが、知事だけが一方的に悪いのではない。彼のことをお客さん思っていた有名大学A子(大学名と名前を出してほしかったが)や元彼にばらしてしまうはめになったB子も大学生としてはやっていることの見識がない。よい金づるだったのだ。知事は独身で、緊張が続く公務の中で、息抜きしたかったように思える。そしてその相手を女性に求めていたのだろう。
 さっさと辞めた決意は評価できるというものだ。で、その女子学生については週刊文春はどうするのか。お金を払ってその寝たらをもらうようなら、文春もひどいものである。女性についても批判はされなければならない。知事は暴行したわけではない。互いの合意の上で、謝礼めいたお金をわたしたのだった。
 一方で、福田財務事務次官は一般人の男と比べても質が悪い。自分で誘っておいて、女性記者が本題に入ってくると、おちゃらけて卑猥な言葉でかわし、それを楽しんでいるかのように見える。超エリートかなんてわからないが、別の世界では幼稚な男である。しかも往生際が悪いときている。
 加えて麻生財務大臣の意識と見識の低さにもあきれはてる。
他者の状況を思いやる頭脳がない。記者を男だけにしたらいいんだ、という発言もバカだと思う。

 工業社会の先端をいっていた日本がグーグルやアマゾン、フェイスブック、などを生み出せなかったのはなぜかといえば、多くの分野でのリーダーがインターネットが及ぼす社会を予見できなかったからだ。政治家しかり、民間企業しかりで、国民は相変わらず自民党に政権を委ねてしまう始末である。現在、第四次産業革命が勃興している。現政策をみていると、これにも取り残されそうである。
 トヨタが生き残っていけるか、ということも不透明である。
 経済社会が移り変わって行く中で、官僚のセクハラ、官僚の記録隠し、改竄、かばいだて、見えぬ者からの指令によるそんたく、そんなことばかりがテレビニュースを占めている。
 自衛隊の派遣によって、自衛隊員がどれほど多く自殺をでぃているか、どういうことは論じられない。
 いい加減、間抜け顔した福田という男の顔も見たくない。それ以上に、奇妙に気取って帽子を被った麻生の姿も気に入らない。
 「柘榴坂の仇討ち」という映画をみたが、仇討ちする方もされる方も、そのこころはチャラ男ではない。こんな男になりたいとも思うが、ぼくは福田や麻生に比べてまだましな方であると、我ながら思っている。
 
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

何が起こるかわからない

2018年04月18日 | 日記
 近所の干物やさんの女性が後ろから車にて当てられて、膝の骨を折った。三週間の入院だと言っていたのが一ヶ半とい長い入院となった。99歳の姉や義甥の食事の世話や市場への買い出し、そのあと魚を加工する仕事ができなくなった。加害者はよそ見をしていたらしい。
 このような交通事故の場合、弁護士をつければ、弁護士基準と保険会社基準で争うことになるが、弁護士をたてない場合は保険会社はグイグイと保険会社基準で押してくる。家族全員が超高齢化しているため、僕が医者とのやりとりや、保険会社とのやりとりをやっている。母も事故で知っているksら、ということも引き受ける理由である。
 交通事故も場合、加害者と被害者をどう公平にみても被害者が損である。仕事ができなくなる可能性だってある。医者は後遺障害はない、と判断したが、はたして本当に後遺症はないか、わからない。
 加害者は時速5キロくらいで走っていたという。この数字で車を運転してみたが、ぼくには5キロで走るのは不可能であった。噂ではスマホを見ていた、という人もいる。加害者も辛いことだろうが、被害者はもっとつらい。
 ぼくの母も、事故からとたんに弱くなり、歩くのも道具類が必要になった。筋肉も弱った。裁判では想定外のことが事故以後に、また裁判での決着後に、事故の影響がでてきたのだった。
 つくづく被害者は損だと思ったのだった。
 干物やのおばさんは、「仕事ようするやろか」と不安がる。「六ヶ月ほどは無理せんと様子みてな」と励ます。
 これまでせっせと市場に手押し台車を押して、魚をバケツに入れて、家に戻り、干物作りをしていたのだった。平穏だったはずだ。何が起こるかわからない。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

「よもやまばなし」に参加した

2018年04月17日 | 日記
公民館で「よもやまはなし」という講座があったので、参加しようと思い、図書館に加入申し込みをした。すると、前もって読んでくる本として、「四十九日のレシピ」という小説を読んでくるのが課題であった。その本を寝がけに、枕元で4回ほどに分けて読んだ。見知らぬ、人ばかりと思われるので、少し緊張した。
 今日がその講座の日だった。作者のプロフィールが紹介され、あらすじまでも、ネットでの批評も資料に書かれていた。
 7人の出席者だった。この小説をもとに出席者の言葉が次々と展開されていく。ぼくも意見を言う。申し訳ないが話を飛ばす。この本について語るべきことがない、みなしんな風だった。
 1時間半ほども経ったとき、84歳になるという元公務員の男性が「テレビの前で、殴ったろか、と思う奴がおる」と背中を曲げて言った。「それは誰なん?」と問うたら「アベ「と言った。笑ってしまった。超老人がここにもいるのかという印象である。
 ぼくは他人との交流を考えてこの講座に参加した。懐かしい同級生がいた。そして温かく迎え入れてくれた。公民館の空調は寒すぎると思い、体が冷えきったようになtらが、心に温もりがあったというしか言いようがないものだった。来月はいろいろな意見が聞きたいと思っていた、「村上春樹」の「レーダーホーゼン」をぼくが提案した。その感想が楽しみである。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

ホモ サピエンス

2018年04月16日 | 文学 思想
 人類がなにか偶然の遺伝子突然変異で、徐々にだろうが、木の実上の生活から、二足歩行をするようになった。足の形たちはまだ手のようだった。か弱い人類のひとつは二足歩行によって、落ちている木の実や果物、他の動物が餌食とした食べ残しを手にもって運ぶことができた。しかも、同じ種のオスとメスをとる争いにエネルギーを使わなくて済むように一夫一妻をよしとしていた。この一夫一妻をとったのが、手で抱えて物を運べるようにしたのか、手で運べるから一夫一妻にしたのか、わからないが、あきらあにこの時には観念の「対幻想」が芽生えていたのかもしれない。
 次に仲間を作って、食糧をとる有利さも獲得していった。「共同幻想」が芽生えていたのだろうか。他の動物が残した残骸には骨もあった。骨のなかには栄養の多い骨髄があった。それを食べるには悪しかなかった。やがて、偶然であるか、骨髄を引っ掻いて取り出す鋭利な石器を手に入れて、使ってみた。

 二足歩行をするためにはその代償もあった。女性の骨盤が変形したのである。馬のように生まれてすぐ立ち上がることができない。未熟児のまま産んで、子供が一歳ほどになるまで、つまりタチアガッテ歩けるようになるまで育てなければならなかった。オスはそのために蘇とに出かけ、危険がありながらみ食糧をメスに持ってくる必要があった。貝や魚を食べることも石器のおかげでできるようになり、食べてみるという好奇心も働く。
 現在20種の人類が700年前から20万年くらいの間にいたというが、大変な年月だ。ホモサピエンスが生き延びることができた。
 それはなぜなのか、NHKスペシャルの第2回「人類誕生」であきらかになるのだろう。ネアンデルタール人がなぜ滅んだのか、ホモサピエンスが生き残っていったのか、最新の研究をもとに栄蔵かしながら紹介するのだろう。第一回をみてもか弱い人類の逆転に逆転につぐ生き残り方によくやったと応援したくなる。他の人類はなぜ滅んだのだろう。
 ホモサピエンス優位の歴史はまだ短い。宇宙に進出しようとするとするホモサピエンス、戦争をやめないホモサピエンス。核爆弾を作るホモサピエンス。あと千年生き残るのだろうか。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

命の育み

2018年04月15日 | 文学 思想
 命の誕生というのは尊いものだ。岡田さんの初孫は7ヶ月で今日わざわざ来てもらって初めて見た。笑顔を見せるときもあった。父親はぼくの息子と同級生で大学時代までは仲良く付き合っていた。さすが仕事をするようになり、京都、東京と離れれば、めったに会える機会もないことだろう。
 父親と眉毛がそっくりで、目は岡田さんに似ている。この子も剣道をするのだろうか。すでに男の顔をしていた。小さな手や足もむっちりで、健康そうだ。
 人類の発生から700万年。この子も700万年前から脈々と繋いできた一番最先端のヒトである。これから最初の人類のアミダスが立ち始めた頃に向かい、感覚を研ぎ澄まし、細菌を十分に取り込む「なめ廻し」の時期となる。なんでも触り、なめたりする。あまりにも清潔だと自己免疫疾患になることもある。
 自分の孫も可愛いものだが、友達の孫も可愛いものだ。赤ちゃんを抱いている女性をスーパーなどで見かけると微笑ましくなり、子育て苦労も想像され、頑張れよ、と心の内でつぶやくことがある。2歳まで、母親や父親が経済的にも、愛情的にも安心感を与えることができれば子育てはほぼ成功するように思える。
 ぼくの最初の孫娘は早生まれなので今月から小学校に入学した。ランドセル姿の写真が届いた。勉強かあ、授業中じっとしていることは辛かったなあ、と苦く思い出す。
  

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

知性の夜と男と

2018年04月13日 | 文学 思想
 土俵は神域、女の子は危ない、伝統である、土俵祭が行われるから神事である、どれも説得力がない。伝統を重んじ、女人禁制を貫きたいのなら、公益財団法人を返納すればよいだけのことである 

 これだけの行政不祥事が起きても、日本国民の3分の1はコアな自民党支持者である。だから政権も自民党の中での争いとなる。それに対抗するには野党連合しかないことだろう。

 よい大人が幼稚な精神性で知らぬ存ぜぬを押しとうそうとでぃている。テレビでみていても見苦しい。頭脳優秀、省庁中の一位などという意識が政治家、官僚、一般人にいたるまで支配されている限り、同じようなことが起きると思う。財務省の事務次官は優秀だったのかもしれないが、単なる58歳のオスというだけであった。知性とエロス。女性記者をみると言葉という知性で性的面白さを味わっていたのだろう。まあ、最低級のえらそうなオスだったのだろう。

 岡田さんのブログの意見に賛成だが、西部邁への自殺幇助で、ガクンと落胆した。江藤淳を見習えといいたいものだ。逆に吉本隆明のように最後までダラダラとでも生を生き抜けと言いたいものだ。この啓蒙家は自分のことを自分でできない人だったのだろう。百万語の言葉と論理を並べてもダメだ。結末が他者による手伝いによる自殺となれば、おしなべてそうなるではないか。
 ぼくはこの啓蒙家が自裁する、自裁すると、常日頃いい述べ、書き述べていたのを知っているので、フン、どう言うことだ? とケチをつけたくなる。
 p
 
  

 
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

ぼくの同級生の妹

2018年04月11日 | 日記
 中学時代に仲良く遊んでいた同級生には7つ下の妹がいた。この同級生の親は「クロ猫ドン」というバーをやっていた。中学時代、その同級生の男親に、2回スキーに連れていってもらった思い出がある。7つ下の娘はスキーにいくことはなかったが、日頃同級生の部屋には大きなステレオがあり、歌謡曲を聞きながら、ゴロゴロとして、たぶんふざけたり、たわいのない話をしていたときに妹が入ってくるのだった。その時の印象は明るく、陽気で、物を見る大きな目の焦点が合わないが、そこが可愛いらしかった。
 人に誘われてスナックに入ると、その娘がママさんとなって、カウンターの内側にいた。あら、とぼくの名前もおぼえていてくれた。38歳くらいに見える。上は天然のパーマらしく西洋人形のようにしていた。
 誘ってくれた人は「この方は全国尾鷲節コンクールの優勝者やで」と聞いてびっくりした。話をしていると、小さい頃から三味線、舞踊などの習い事をやってきたらしい。カラオケで尾鷲節やら伊勢音頭などを聞かせてもらった。彼女は人が変わるようにその民謡の世界に入って行った。こんな上手い歌手の歌はめったに聞けるもんじゃない、と思ったのだった。
 ぼくは歌謡曲しか歌えないが、客が歌っている時には彼女は身体をスイングさせて聞く。ボーッとしているわけではない。なんだか体が自然とswingしているようだ。それがぎこちなくするのではない。日本人はアメリカやブラジルやジャマイカの人のように体を揺らすことはめったにないから、この女性はどこで身に付けてたにだろう、と思う。そしてこちら側も体が揺れてくるのだ。
 娘には芸事をとあの親は思ったのだろう。人生はいろいろで、個人の歴史もなだらかな線ではない。あの頃からどんな人生をたどったのかは知らない。
 客との距離の取り方もよいものであった。上手言うわけでもなく、慣れたかのように笑顔で客に対応している。
 久しぶりに夜の世界で宝物のようなものを発見したと思った。しかも山崎も、竹鶴も、オールドパーも置いてあった。
 ぼくの同級生の兄貴も元気である、ということだった。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

砂漠化

2018年04月10日 | 社会・経済・政治
 北京から航路でパオトーまで行き、そこから車でさらに内陸部、黄土高原に入った。砂ばかりである。その面積は日本列島より広い。北はゴビ砂漠と繋がっている。
内モンゴルの巨大企業がこの地の草原地帯からカシミアの生産と加工を始め、世界のカシミア市場の4、5割を占めるようになった。この企業は電気、石炭、セメント、ホテル、資源開発の子会社をもつまでに発展した。
 昔で言えば、群雄割拠の時代の豪族のような感じだ。何しろ巨大なのである。その発展の中で遊牧民は定住化した。山羊は植物の根っこまで食べてしまう。木は伐採されて燃料としているうちにゴビ砂漠に飲み込まれるように砂漠化した。現在もなお砂漠化の勢いはとまらず、北京にまで迫っている。
 この内モンゴルの南に黄河が横たわるように流れている。黄河から500メートルほど以内くらいは農業を行っていた。甘草のような漢方薬草を作っているところもあった。
 小麦粉くらいに細かければ砂はどうろをもすぐに飲み込んでしまう。
 砂漠に、簡易道路を作り、車を通させ、防砂提を作る。とりあえずそこからなのか、と思いながら帰国したのだった。あるいはまた、と考える。ある村があるとして、そこの村人に砂漠の砂を農耕可能な土に変える方法を教え、興味ある人たちから農地を作っていく。そんな広げ方もあることだろう。
 あれから、なんだかだとあって、計画はストップのままである。きっとチャンスは訪れる。今度岡田さんと中国人がやっている商社の人と岡田さんの紹介で会えそうである。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

「人類の誕生」を絶賛する

2018年04月09日 | 文学 思想
 NHKスペシャル新企画「人類誕生」が映像で見える時代になってしみじみよかったと思う。「生命の誕生」も同じ感想であった。これまで書籍でしか読めなかったものが、いろいろな人の手によって、最先端の研究を紹介し、必要な部分をCGで映像化している。
20種ほどいた人類の中で、ホモサピエンスが生き残ったのはなぜか。
 理由は4つあった。余計なエネルギーを使わないで済む一夫一婦を作ったこと。仲間を形成して獲物を捕らえるようになったこと、骨膸を食べたりするのに、尖った石器を作れたこと、肉食だったのに、追いつめられた果てに魚や貝も食べてみる好奇心がわいたこと、を挙げた。
 「生命の誕生」「人類の誕生」も学校で見て感想を述べ合うのに、よいテキストではないか思ったのだった。
 こんな話を一つ一つの家庭から、または夫婦や、母から啓蒙と言ってみてもダメなような気がする。近くにいる人が、こうしなさい、人類ってこうなのよと説教しても、聞く耳を持たないのが人間でもある。このような場合、NHKスペシャルのようなものが客観性があり説得力も高い。
 生命を得た生物は、ヒトになるための精巧なプログラムを作っていった。哺乳類の仲間になっても弱い、存在だった。人類はそれを逆転していく。弱かったからこその発想であり、それが遺伝子に取り込まれていく。
 来週はいよいよネアンデルタール人とホモサピエンスとの生存競争が題材である。骨の化石を採掘し、それを判断し、組み立てていく現在の研究者にも驚く。
 頭や心が波立つようなNHKの企画に大絶賛である。
 
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

危ない社会

2018年04月08日 | 社会・経済・政治
 日銀の出口戦略について、民放のBSニュースなどで、トピックになるようになってきた。40%の国債を銀行から買い上げ、銀行は使い道もそんなになく、お金は日銀の当座預金に眠っている。それを吐き出させようとマイナス金利を導入した。
 銀行は逆に日銀に金利を払うというようになった。銀行は国債を買うのも手控え、儲け口がどこにあるのか必死であろう。ひとつにFXや株式投資もあるだろう。日銀は株にも手をだし、その額は24兆円である。日銀の動きで株式市場が動くようになっている。日銀が株をちょっとずつ売りにだすことも難しいほど日銀の動きに敏感である。
 統合政府という考え方があって、戦争中は政府の発行する国債を日銀が買っていた、これを財政ファイナンスという。軍事費に途方もなく使われた。国債というのは日本の場合国民の貯金を担保に政府が国民から借りるようなもので、矛盾である。だから結局、政府は借金がゼロに近づいてて、国民のお金は限りなく価値がなくなるということである。
 日銀も政府も同じだ、貸し借りをチャラにすればいいだけのことではないか、またぞろ戦前の日銀に戻るような発言をする自民党議員がいる。概ね、現政権はそんな考え方をしている。この考え方が反省され、日銀は独立性を保つようになった。200万人以上も犠牲の上に成り立ったのである。
 異次元の金融緩和は円高から円安効果を生み、輸出企業には有難い政策である、日銀ができるのは金融政策であって、財政政策や成長戦略は政治家の仕事である。異次元緩和をしてから、日本は成長産業を育成し、不必要な規制は撤廃し、産業の構造改革をもっと図るべきだった。安部政権はそれができなかった。
 すでに第四次産業革命が始まっている。第三次産業革命の時に日本のソニーやPanasonicなど世界的企業がついていけなかった。今度の第四次革命に車のAI化、EV化、水素燃料化も入ると思うが、既存のガソリン車とハイブリッド車をつくる職人の技能は違ってくるので日本の自動車産業も大丈夫なのかと心配する。
 日本に根強い製造業リスペクトは産業構造の変革に大きな障壁にもなり得る。今のまま、国債を買い続け、株を買っている状態が続けば、国債、株とも大暴落となる日がくる。外国人に買われたら、不安定になる。
 こんな時に復古主義の政権とは、いろいろな面で危ない、とぼくは思っている。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

2018年04月07日 | 日記
 大気が少し冷たくなるととたんに咳が出る。医者に「レントゲンとりますか」と言われ、「
それは何のためですか」と訊くと、「肺癌をみるためです」と言った。笑いながら「いやいや結構です」と拒否した。普通問診といものがあるだろう。手掛かりのようなものだ。どんな時に咳が出るとか、呼吸は苦しいか、とかなんだかだである。それを訊くこともなく、いきなりレントゲンと言ったので、いきなり笑って誤魔化した。
 コメリに出かけた。藤の木を、3日前に見たので、もう二本買おうと思ったのだった。庭の一本だけのツルの伸び方を見ていると藤棚ができるまでに死んでしまうのではないか。単純にもう二本ほどあれば早いのではないかと他の藤棚を見物することもなく実行しようと思ったのだった。残念にもこの前売りに出されていた藤は全部売り切ってしまったという。「二週間ほどかかりますが、お取り寄せしまでょうか」と言ってくれたので、「頼みます」と連絡先を記入した。「50センチぐらいのでいいでうか。」「はい」「いくらぐらいまでならいいですか」と最後の質問に「い本一万円もしないででょ」「そうですね」「とにかくお金のことはかまわずに注文してください」わかりました。
 この前店にあったのは昨年ぼくが買ったのと同じくらいのサイズで30センチほどだった。それが長い日本のツルを一年の間に伸ばした。
 山茶花が終わったあと、木蓮が儚過ぎるほど咲いては散り、春一番に水仙が咲き、トサミズキが豪華に咲いた。続いて桃とレンギョウの花が咲いた。そぢて木瓜の花へと続いた。
 金魚やメダカは水温が上がったのだろう、冬の冬眠のような状態から一斉に元気に泳ぐようになり、餌を求めるようになった。稀の里も高安も元気に泳ぎ、稀の里が一番よく食べる。
 コメリではすでに夏のレジャー用品が並んでいた。金魚も今日がデビューのようで、季節が変わるのをホームセンターで感じる。
 風邪、歯肉炎、気管支炎と続いた冬もすっかり春爛漫と変わるとともにぼくの症状も治まった。自然はそのものが生きている、と感じるのだ。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

科学はすごいもんだ

2018年04月06日 | 文学 思想
 NHKの「NHKスペシャル人体」では最先端の医療医学を鮮やかに描いていた。ナビゲーターはiPS の山中伸弥とタモリだった。
 胎児と母のやりとりが顕微鏡やスキャンでわかるようになっている。決定的なのはほんの1ミリにもならない受精卵が日増しに大きくなり、母の子宮に着床する場面だった。着床は難しい。しかし、受精卵は母と連絡を取り合っていた。これをメッセージ物質という。着床するとドミノ式全自動で心臓が作られ、心臓が肝臓を作りだしていく。この映像が映し出された。ぼくは腸から心臓が出来上がってくるのではないかと思っていたものだからこれには興味津々だった。
 胎児のもつ胎盤はメッセージ物質をだして、母の血管に「酸素が足りないよ」「もっと栄養がほしいよ」というメッセージをだす。そしてもっと成長するために母の子宮を破り、もっと酸素と栄養素が放出されるようにする。
 いやいやながら産まれてくる赤ちゃんという概念が飛んでいきそうだ。胎児は生きたい、生きなければならない、という自然の意志を持っている。各内蔵は互いにメッセージ物質でコミュニケーションをとっているのだった。そして生きる意志は胎児にあった。生まれるというだけで何億年も歴史を再現して進化する。それは奇跡のようなものだった。子供が母親に拗ねているなんて、無意味化されるようにも思えた。
 メッセージ物質の解明研究は医学では大革命である。これが解明されれば、体の内側から、薬での治療が可能となるそうだ。あと、5年。10年もあればほとんどの病気が克服され、若返ることだって可能になってくる。
 AIやIoT、ビッグデータベースともに、静かに医療革命が始まっている。驚くばかりだ。
 このような発見や研究は哲学-思想にも、そして当然のごとくぼくらの自然にも多大な根本的な影響を与える。「オレはおまえに産んでくれといった覚えはない」という親への反抗の言葉も無意味化されるが、生きる意味うぃ見いだすことにもなる。科学はすごいもんだ。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

自分というものの根拠

2018年04月06日 | 文学 思想
 自分が体験してきたこと、自分が真摯に向き合って、何度も同じ本を読んだ物くらいが自分というものの根拠となり、その根拠があってそこから社会的事項にまで考えを伸ばせるものだと思っている。
 自分の仕事としての職歴、何度の読んだ著者では、吉本隆明、夏目漱石が何度も読む。
 本は毎日のように読む。それはいろいろである。結構多岐にわたる。しかし専門家ではないから本を読む楽しみであり、異なる意見や知らなかった知識や目の付け処、視点、行為などが僕の脳に読んだ内容体験として入ってくる。これも物事を考える上で体験+αの分類に入るのだろう。
 自分が専門としないところから物を言うと間違えることがあるがあるから注意が必要である。

 ところで「オフィス北野」のことがテレビでおもしろおかしく取り上げられているが、こんな話でテレビ電波を使わないでほしいと思う。何の意味もない。
 さらに大相撲の地方巡業での土俵上で市長が倒れ、女性看護師がいたので、その方が心臓マッサージをしていたとき、数回、女性は土俵から下りてください、と場内アナウンスが何度かあったらしい。アナウンスは他の行司の役割である。土俵に女性が上がることを禁じる伝統が刷り込まれているのだろう。人間とはそんなものか。とっさに自分の判断で命に係わることを男、女、慣習、伝統によって判断できなくなってしまう。これは恐ろしいことだ。共同幻想が勝ち過ぎている。自分が市長の立場に立てばわかることだ。そしてその能力は昨日読んでいた養老孟司の「遺書」の中で「6歳児には他人の胸の内がわかるようになる」と書いていたほどで、何歳の行事だったのか知らないが、またその場にも、行司や協会役員がいただろうが、とんでもない幼稚性である。ぼくは異常な暴力を振るった日馬富士を場所に出場させたことに反発を感じるのであるが、協会に違和感をもつ。

 自分がこのように意見を述べるのは「自分の成り立ちの根拠」から行っている。会社のために文を書いているでもなく、強制されて文を書いているわけでもない。
 命と慣習とどちらが大事か、と言われれば、今の時代、多くの人が「命」だと判断するだろう。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加