25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

胎児の微笑

2019年09月02日 | 文学 思想
胎児の微笑・2009年12月30日(水)

 超音波診断装置を使って二十三週と一日めの胎児を撮影した。三分間の撮影で計六回。一回あたり四・七秒の微笑を胎児は見せた。その写真が今日の読売新聞に載っていた。
 ぼくらは母の心情、母を取り巻く環境が胎児に刷り込んでいく物語を「心のチューニング」で学ぶのであるが、その中で、想像でしかない部分があった。それは「息が詰まったり、悲しみを我慢したり」という微笑とは反対の表情である。微笑があるとすれば、その反対の苛酷な表情もあるはずである。
 この微笑は自発的微笑と呼ばれ、外的な刺激と無関係と見られているが、ぼくは無関係などとはいえないと思っている。
 母の愛情によって笑っているのか。人間はそれとは無関係に笑うものなんか。そのとき自律神経は副交感神経にシーゾーを傾けるのか。胎児は神経のバランスをとっているのか。

 ぼくらの体や心は過去に刷り込まれた痕跡である。新しく生き直すには過去の心も過去の体もリセットするしかない。日常の物の考え方、日常のしぐさや動き、これらをリセットすることが現在というものを変えるキーワードのように思える。
 過去の縛りから自由になること。
 どうやら人間はその手立てを必死になって考えているように思う。過去の縛りからの解放が多くの健康本、トレーニング本、カウンセリング本などとなって無意識に現れているのではないか。ヨガも、ロルフィングも、調息法も、ゆる体操も、過去からの脱皮を目指しているのではないかと思うのだ。

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 過去のブログを校正し、整理している作業を毎日2時間ほどしている。本として残しておきたいと考えるからだ。
 それにしても10年前の上の文。「胎児の微笑」を読売新聞は報道したが、「胎児の息詰まり」「胎児の我慢」「胎児の怒り」「胎児の悲しみ」についての報道がない。今もない。ぼくは母親の動悸が激しくなれば胎児もびっくりすると思う。血管を流れる音は速く激しくなると思う。母親が悲痛に暮れていれば、胎児は息も詰まると考えている。あくまでこれはぼくの想像である。
 文学作品、異常事件、その一番深いところに胎児期、乳児期の母親との関係性、母親と父親の関係性がある。だから小説も映画もそのあたりのことを書きたがる。
 昨日、詐欺集団のことに触れたが、詐欺集団に入る、受け手をする、描け人をする、店長をする、首魁をする。警察はそういう犯罪者を捕まえたら、プロファイリングをしてみたらいいと思う。できるかぎり遡って生い立ちを調べる。う~ん、これはもう警察の仕事ではなくて精神医学者とか、文学者とかの仕事になってしまうのだろうか。
 読売新聞の上記記事を書いた記者は何を思ったのか、書いてほしかったとは思う。
 「微笑の逆」もあるのではないかと。