25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

名古屋行き

2019年09月14日 | 日記
 昨日、本当に久しぶりに車で名古屋駅まででかけた。いろいろと、見たいものがあったから、早めにでた。仕事を終えて、母への準備も終えて、1時半だった。これなら、6時07分に着く細君をピックアップするにも十分である。しんどくなるくらい書店内で歩くだろうが、気にならない程度の時間である。4時には着いているつもりだった。ところが鈴鹿と四日市の間で渋滞になっている。これはトラウマになる、と思った。「また名古屋に車でいけば渋滞か」と思うトラウマである。
 着いたのは夕方の5時を過ぎていた。あせって、セントラルタワーの三省堂に向かった。ところが三省堂はない。JRゲートタワーに引っ越したという。
 もうこれだけで15分は使った。ようやく三省堂に着き、本を探しはじめると、とてもじゃないが時間が足りない。まずは外国語のテキストとCDのあるところへ。そこで選ぶにしても焦ってしまい、もう、目にしたものを、である。次にアプリ関係の情報がほしい。これがどこなのかわからない。書店員を引っ張りだす始末であった。5Gの知識を得ておこうと、その関係の本も探った。そして現代思想にふれたいと思った が、時間切れであった。急いで、反対側の新幹線口まで歩いた。細君を迎えるついでに自分の興味あることを、という算段が甘かった。そして思い出した。JRで紀勢本線をのんびりいくのがよかったのだと。ただJR料金が異常に高いために、忘れていた。
 そういえば、名古屋発19時45分の南紀特急は必ずと言っていいほど、途中、鹿がぶつかり到着が遅延していた。それが嫌で車に換えたのだった、鹿であれ、人間であれ、事故が起きれば停滞である。
 なんだか時間を損したような気分になった。これはきっとトラウマになる。 もう名古屋には行きたくないと思うのだ。