25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

未来の年表から

2017年07月31日 | 社会・経済・政治

「未来の年表」を読んでいると、縄文時代から弥生時代にかけて第一次人種混合時代があり、まさに2017年、人口のピークが転じて減少となった今年から第二次人種混合時代がある、と考えてしまう。でなあいと、西暦3000年で日本の人口が2000人などとあり得ないからだ。人類は長い年月をかけて混じっていく。アマゾンの奥地に住むヤノマミやピダハンさえもカメラや書物に露わにされ、政府が保護管理下し、やがては別の人種とまじっていくのだろう。

 問題は大きな人口減少による結果ではない。長い流れの中で起こる不幸ともいうべき困難さである。ヨーロッパは多くの移民を受け入れている。アメリカも同様でアメリカのトランプ政権を生んだのは白人の危機感でもある。

 日本は高齢者がさらに高齢化し、女性の内の半分が高齢者になる時期はすぐそこまできている。女性の方が平均寿命が長いから、一人住まいの女性が増える。しかしながら健康寿命については女性は長いことはない。病む年数も男性より二倍ほど多い。日本人の姿勢が悪いことも関係しているだろう。ロコモティブシンドロームは歩き方の問題でもある。膝が悪くて寝たきりになるとか、そんなことだ。

 一億総活躍などというのはあり得ない。今日の新聞を見ると、年金は75歳からになるかもしれない、という。働かされるのである。働きたい人はそれでよい。もう休みたいという人は休めないのだ。それは活躍ではない。

 地方から銀行が消える。銀行の仕事など、担保と保証人だけで融資を行うのであれば、AIで上等となる。事務職はAIにとって代わり得る。

 しかし漱石が扱うような主題はいつまでも消えることはない。個人幻想、対幻想、共同幻想という三つの観念の領域との確執である。漱石は「三角関係」として描いている。未来の年表にこの主題はない。精神の未来年表でもあれば興味津々だ。嫉妬はなくなるのだろうか。思いやりはどうなるのだろう。自殺は解決されているだろうか。

 


人口減少カレンダーを見る

2017年07月30日 | 社会・経済・政治

 人口減少カレンダーをみていると、この先人口が増加するこよはありえず、西暦3000年には日本人も人口は2000人となる。わずか2000人。日本国は存在しえないだろう。このことは、アフリカ大陸で誕生し、南インドあたりからインドネシア、フィリピン、中国も南東部から、あるいは朝鮮半島やバイカル湖あたりからの民族が日本列島に渡り、ついには弥生人と混じりあっていくまでの第一次人種混合時代を起こした事実を思い起こさせる。

 これからも日本に第二次混合時代がなければ、2000人でどうやってこの先日本列島が生き残っていけるはずがない。

 日本の労働生産人口は激減していく。高齢者は激増していく。その兆候は外国人労働者の雇用を緩くしていることで、労働力を補っている。もちろん、AIやロボットの活動で外国人労働者のコントロールはするのであろうが、このカレンダーを大きく変えるももではない。高齢者がさらに、超高齢化していく。

 我が町は人口を増やした、と自慢する呑気な話ではない。

 天皇制を支える第一次日本人がどんどん少なくなっていくのであるは言うに及ばず、それはまた第一次日本人が絶滅危惧種になっていくということである。

 経済成長政策をいくらやっても、もうこれ以上の物はいらない。人々に必要なことは、自分が働けなくなったあとの安心感である。スエーデンやデンマークのように人口が少ない国でも十分に豊かであり、安心感を作り出している。残念ながら、日本人は政府がつくる制度をあまり信用していないのか、まだ競争社会を社会のモデルとしているのかもしれない。政治も今のこと、いまの株価、今の為替レートにきゅうきゅうとしている。

 南スーダンまで自衛隊員を派遣し、それを心底、苦労をかけて申し訳ない、家族に対して、不安な思いをさせるという、気配りも稲田大臣にはなかった。こんな政治家達が未来の日本を設計えきるわけはない。

 普通の人々は恐らく価値観が徐々に変わって来ているように思える。日本会議が目指したことは安部政権の樹立と安部政権の終わりで、日本会議も終わるのかもしれない。彼らの理念や方針に西暦3000年を見据える想定力がない。

 

 

 


死ぬまで未来から

2017年07月28日 | 文学 思想

 明るく、笑いが絶えない。ちょっとした歌や掛け声に喜んではしゃぐ。娘とその子どもたちを迎えて、車の中で、思った。僕はその頃のことは覚えていない。この子らも忘れてしまうのだろうか。その記憶はきっと滲むような白色の絵の具が空色に吸収されてしまうような記憶となり、心の有り様を決めるのではないか。

 僕には同じような記憶がない。リセットされてしまったか、単なる脳細胞が弱いのか、この子らの様子をみていると、幸福そうに見える。たぶん、今、虐待されている子もいる。恐ろしくて、悲しくて泣いている子もいる。おどおどし、気遣い、逃げるにも逃げられない子もいるのだろう。

 今日は、津で、本屋で30分ほどぶらぶらした。四冊お新書を買った。「未来の年表」「応仁の乱」「さらば、民主主義」「高校生物超入門」。カフェで、「未来の年表」の書き出しを読んだ。始めから、厳しいお叱りだった。現在の人口動態からコンピュータで推測していくと、西暦3000年には日本人は2000人になるという。現在の推移をベースにするとそうなるらしい。もちろん、ぼくはいないわけだが、それもわからない。十年すれば、永遠の命が保証されるかもしれない。

 ある市や町の人口が増えるということに成功したという呑気な話ではない。人口の移動の話ではない。日本全体の人口の話である。全体の人口が減っていくルールとそれが及ぼす影響の総体的な流れである。この川のような流れに、誰もが巻き込まれることになる。人口減少のスタートが2016年だった。

 どうせ死んでいないのだから、と言いたくない。死ぬまで、未来から現在を考えたい。


森友、加計問題の構造は同じである。

2017年07月27日 | 社会・経済・政治

 森友学園問題と加計学園問題の構造はほぼ同じである。このことは国民のほとんどが承知することだろう。ひとつは思想・信条の仲間であること。他の官邸や閣内の大臣、上級官僚が「記憶にない、記録にない」と言って押し通すこと。

 学校の見積書も補助金をとるために水増し見積もりをしていること。請負業者がそのように示唆するのか、籠池氏が頼んでしたのかは今後の捜査だが、加計学園の獣医学部校舎建設も通常相場の約2倍となっており、2倍であるなら加計学泉側は、市と県、国からと援助をしてもらい一銭のお金も出すことはないとなる。

 この見積書の精査をするべきである。こんなことがまかり通るなら、また財務省から国税庁の長官に出世した佐川元理財局長などが「記憶にない、記録がない」と言い張るのなら、僕らは税金を払う気が起こらない。

 安倍政権というのは株主と輸出業者優遇で、しかも思想的に近い人を優遇するという馬鹿丸出しの政権である。なおも経済政策と連呼し、陰で憲法改正を企んでいる。憲法をアメリカから押し吊られた憲法から自主憲法に変えたとしても、アメリカへの追従姿勢は変わらず、自主独立はあり得るはずもない。

 どこの国とも仲良くするために自主独立をするのであるが、それは今の憲法下でもできることで、要は政権の思考回路の問題である。

 時期選挙までに政界再編が起こることを願う。憲法をより良い憲法にするなら賛成であるが、より悪い憲法になるならば反対である。集団的自衛権の廃止。原発の廃止。共謀罪廃止を唱える政党なり人物がでてこないものか。再度共産党は名称を変更すべしである。


「ひよっこ」を見ている

2017年07月25日 | 日記

 朝ドラの「ひよっこ」の脚本家岡田惠和のセリフはいつも礼儀正しく、セリフもうまい。「おひさま」でも礼儀正しい家族を描いていた。しかし「おひさま」ではそば庵を作るあたりから物語が破綻したと思ったのだった。僕にはそう思えたのだった。

 それで「ひよっこ」もその点を心配している。現在のところ「みね子」は絶好調である。島谷と二人で話す場面でも、あの時代の人ならわかるセリフで、あそこまで賢く、抑制できて話せるかは別だが、「家族を大事にしない人は嫌いです」と言い切るみね子が今本当に生きていたら70歳ほどである。

 1980年代に入ってきてから家族の崩壊が目に見えて多くなってきた。本当はとっくに崩壊しているのに、世間体から仲が悪い夫婦なのに離婚もできず、我慢していた時代が続いた。それが女性の地位向上と働いて収入を得ることで、様相が変わり、前面に出てきた感がある。地獄の家族なら解体して幸せな母子家庭や父子家庭の方がよいだろう。

 岡田惠和の脚本はまず言葉に礼儀正しさがあり、社会的な人間の最低限のルールを言葉化してセリフにしている。「おはようございます」「こんにちわ」「ありがとうございます」「はい」。こんな挨拶さえしつけられない親もいる。子供を制御できない親もいるのだろう。

 こういうことを考えていて、東京の貸家や賃貸マンションの料金のことを昨日思っていた。家賃が10万円や15万円というのは、必ずや夫婦が共働きをしないと払えない家賃である。将来の年金や健康保険の社会福祉制度が不安定で、見通しがつかないなかで、老後になっても死ねまで10万円や15万円を支払い続けなければならないのだろうか。

 僕は女性は働くのは結構だと思っているが、胎児期から乳児期までは休暇がとれる社会体制が必要だと思っている。女性は妊娠するとオキシトシンホルモンが活発に出て、お腹の子を慈しむ愛情ホルモンがでると言われている。この愛情が出せる人間の自然な期間、十分に子供に愛情を降り注ぐことが必要だと考えている。子供と母親の気持ちは正反対に成り得るのである。子が「お乳がほしい」と思えば、母は「忙しくってイライラしながら哺乳瓶で飲ませる」 子が「目を覚めて泣く」、母は「うるさい、なんとか黙ってくれよ」と思う。このような子と母の物語は背反する場合があるのである。それは経済的に苦しければ、夫への不安、将来への不安があれば、なおさらのことであろうと思う。家賃の異常な高さは政治問題にならなければいけない。

 みね子は想像するに胎児期、乳児期は愛情ホルモンをたっぷり浴びて健全に育った。途中、田畑の不況や借金などで貧乏になったが、それを乗り越えていけるのもみね子が愛情を持って育てられているからだ。つまり、みね子の心の壁が高いのである。

 都会では家賃が高すぎるために女性も仕事をせざるを得ず、地方の田舎町では空き家がいっぱいあっても仕事がないという日本である。この国が先進国であるはずがない。

 


石浦は?

2017年07月21日 | 日記

 宇良の膝が心配である。遠藤も、照の富士も同じである。かれらは停滞して、持ちこたえている。妙義龍、大砂嵐は十両まで落ちている。膝は厄介だ。

 怪我のなかった稀勢の里も今年中は休場かもしれないと噂が立っている。

 そんな中でも、嘉風、阿武咲、御嶽海の活躍と、白鵬の偉大な強さと取り口で、観客を沸かせている。

 白鵬の立ち合いは変幻自在で、昨日の高安戦ではややかわし気味に廻しを掴まえるおとなく、突き、張り手、のどわ、押っつけで倒してしまった。高安もまだまだである。

 高安もカチアゲの立ち合いに失敗すると、強さが半減する。稀勢の里も左下手がはいらないと苦戦する。この田子ノ浦部屋の力士はなぜ腰高の立ち合いをするのだろう。稀勢の里の相撲は以前から危なかしくてしようがなかった。

 もっと研究、稽古が必要だろう。石浦について一言。見て立ち合わなければならない。彼の場合、跳んで、跳ねる、逃げる、突っ込む、入ったらどちら側からでも下手投げを打つ。相撲は前に踏み込んで投げを打つものだが、それをやり抜きたかったら、立ち合いの速さ、角度、足運びが腰と連動していることが必要である。

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小説「相撲取りになるど」8月7日発売開始

 

 

 


死を克服する日

2017年07月20日 | 文学 思想

 Dポイントt、Rポイント、三省堂カード、イオンカード、たばこのカード、床屋もカード、主婦も店カード、航空会社カード、TSUTAYAのカード、オークワもカード、病院のカード、カードだらけである。ITがなせる技である。

 Debid Card も出てきて、このカードの世界はやがて、ビットコイン交換だとか、海外への銀行送金、決済などにも使われるのだろう。財布の中は現金よりもカードでいっぱいである。

 人間は死を克服するかもしれないと言われ始めた。ナノ化されたロボット細胞ができ、その細胞が身体のなかで管理する。たとえばインスリンがでないとそれを感知して、インスリンをだすようにする。

 ゲノム編集では胎児のうちから、遺伝子を編集してしまう。ガンが見つかってもガン細胞お遺伝子を書き換えてしまう、老化も遺伝子さえ編集できるという。100年かかるといわれていたゲノム配列は世界の科学者が取り組むと、5年で解明されてしまった。科学の進歩は超加速度的で、現在では100年かかっていたものは1日かからないという。すると、武器を無力化できる装置などやる気になればできるもではないか、と思う。

 残るは事故、災害、自殺である。自殺も心の壁を高くするカウンセリング技術も向上し、さらに薬剤の発展で精神的疾患も克服されるかもしれない。

 地球はどこまでの人口に耐えうるのか知らないが、あと5年、10年もたてば人生の様相も違ってしまっているのだろう。う~ん。

 

 


コミュニティカレッジ

2017年07月19日 | 社会・経済・政治

 久しぶりに岡田さんと大酒を飲んだ。「昭和史」を貸していたのが戻って来て、代わりに「明治維新という誤り」を貸してくれた。江戸時代までの文明を壊し、西洋化に突き進み、富国強兵まっしぐらの明治時代であった。近代的自我の始まりでもあった。江戸時代末期に訪れた多くの外国人はおとぎの国のような美しくて人のよいこの国が西洋化づることを惜しんだ。その頃の西洋は汚かった。下水道も、人間の排泄物の処理もでいていない有り様だった。ペストが流行り多くの人が感染症で死んでしまう国々だった。

 教え子が一人途中参加した。ぼくは、プログラミングを教える人、健康術、たとえば骨ストレッチやボディチューニング、歩き方などの自己ケアを教えられる人、英語のテストが民間テストに代わるので、トウフルや英検の専門コース、登校拒児のスクーリング、国語も論述などが教えられるところがいる。できるとすれば君だ、と力説した。僕らは応援する、と。すると彼女は、「コミュニティカレッジみたいなもんですね」 「そう、どうまさにそう。尾鷲、全国各地に必要になってくる。もうあと3年で変わる」

  ぼくが予想してから30年。ようやく政府が動いた。あとは鬱病克服のための精神の壁作りである。乳幼児は無理だから、母になる人や高校生がいいのかもしれない。現在悩みを抱える人には認知行動療法がいいだろう。

 もう少し若ければなあ、と思うが、こんなことに気がつくのも辛酸をなめたせいなのかもしれない。

 大酒を飲んだが翌日の体調は変わらずだった。岡田さんもヘルペスが治ったらしく、また剣道の稽古となるのだろう。

 

 


日馬富士対宇良

2017年07月18日 | 日記

 調子が戻ってきていた日馬富士に対して宇良は「とったり」という技で、日馬富士の腕を掴み、からだを振った。見事に技が決まったのだった。

 白鵬戦を見たとき、白鵬に投げられたが、投げられ方が実に身体の柔らかさを感じた。この柔らかさととっさにでる技があれば、上位でも十分に取っていけるだろうと思う。

 よく見て突かれても、足取りやもぐって突進もあるし、土俵際の思わぬ身体能力もある。この点では石浦よりも器用であり、柔らかいバネがあるようだ。

 用心してかからなければと思わせる新人である。

 阿武咲、北勝富士、豊山、朝乃山、貴景勝とやる気満々の力士が出てきて、嘉風、豪風というベテラン勢も見ごたえがある。たとえ、鶴竜、稀勢の里、照の富士、遠藤が休んでも十分大相撲を楽しませている。それにしても白鵬は強い。かかって来いと、とうとう土俵上で仁王立ちになった。これもすごかった。 早や今日で十日目。貴重な楽しみな時間が過ぎていく。

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白鵬対宇良

2017年07月16日 | 日記

 ガシでも釣りに行こうと思い、スーパーに生いわしを買いに行った。ところが市場が休みだということでイワシがなかった。別のスーパーにもなく、しかたなくゴマサバを買い、それでやってみるかと勇んで、松本まで車を飛ばす。

 ダイビングの人たちで広場はいっぱいである。岸壁から次々とダイバーたちが出て行っては、別の船が戻ってくる。

 僕の方はまったくあたりがなく、いれば食いついてくるガシだからあたりがなければガシは留守なのだろう。満潮まで2時間ある。すぐに諦めた。諦めた方がよいのである。

 撒き餌でもあれば結構楽しめるだろうと思うくらい堤防下には魚がいた。目的はガシだったので、撒き餌の準備もしていない。

 尾鷲の夏は涼しいのが特徴であるが、今日は32度まで気温が上がっていた。

 暑い中焼きそばを食べた。さて今日は白鵬に宇良戦がある。圧倒的な強さの白鵬になっている。まさか白鵬が負けるとは考えにくいが、どんな取り口をするのか興味津々である。上位番付の力士が休場したおで、阿武咲や宇良にも横綱と対戦するチャンスが出た。白鵬がそびえ立ち、日本人力士があとを追って続々登場している。朝乃山次は幕内に入るだろう。

 金魚、メダカと初めて飼うので、なにかと不手際がないか心配である。百合と桔梗が満開である、


誰かやらないかと思う

2017年07月14日 | 社会・経済・政治

 松居一代とはなんだ。こんなことでワイドショーの時間をとらないでほしいと思う。夫婦のことなんて誰にもわかるものではない。テレビでさわぐのも、この事件が視聴率をとれるからだとテレビ局側が考えるからなのだろう。

 もっと報道づるべきことがあるのではないか。おもしろおかしければいいというももでもないだろう。

 大学受験の英語テストが民間の検定試験をも採用されるようになる。英検とトッフルである。大手予備校はその準備を始めるという。まずこのことを頭においておく。

 近未来にも必要とされている職業がある。それはヘルスケアである。それに美容が加わってもよい。身体と心のバランスがなんとなく重要だと人々は理解しはじめている。これはたんなる健康志向というよりも、スポーツにも応用される。

 今度は国語。論述式の試験となる。このような未来への推移に合わせられるスクールが尾鷲にはない。

 こういうことを考えると、ひとつの事業が浮かんでくる。人材さえそろえばこの事業は成り立つものと考えられる。おしてその場合、2つの方向が考えられる。ひとつはnouhauを蓄積して、全国展開を目指すか。あるいは、各人の役割を定めて、平等化を図ってこの地域だけで行うか。ボランティアも取り込むか、ということになる。

 こういうこと考えるとウズウズしてくる。だれかやればよいのにと思う。

 


自分に利するほうに感情は動く

2017年07月12日 | 社会・経済・政治

 自分に利する方に感情は流れる。これは人の常だ。官僚しかり、政治家しかり、一般人しかり、誰でもその傾向がある。

 仕事を辞めることになると、利害関係はほぼ狭まるから、せいぜい選挙の時に、どの政策が自分に利があるか、あるいは利が関係ないとすれば日本はよくなるか、という大きなところから判断することになる。

 森友学園の籠池元理事長に関連して、200人ほどの弁護士グループが近畿財務局の官僚7人と財務省を証拠隠滅罪で13日に刑事告発する。 籠池氏に関係なく、弁護士たちは国民の財産を不当に安く売り、しまも証拠を隠滅したのが許せないということだ。当然のことだろうと思う。おそらく加計学園問題でも同じことが起こることが予想される。自分に利することも過剰になれば、こういう仕打ちが待っているということだろう。

 さて、昨日は週刊現代を買った。近い未来の年表があったからである。かねがね新聞で未来の年表の本の広告掲載があり、買いたいと思っていた。

2018年 IT技術者不足が深刻化する

2030年(だったか?) 地方からデパート、銀行、病院が消える

 次回にでも年表風に並べてみようと思う。すべての原因は人口減少、高齢化社会にある。それと大都市一極集中にもある。が、三軒に一軒は空き家となるのは東京も同じである。マンションの耐用年数がやってくる。修理が起こってくる。

 また社会が蠢動し始めている。

 


日本人の中には情けない人もいる

2017年07月11日 | 社会・経済・政治

  道を歩いていると、多くの家の軒下に通る人に見せるように植木鉢に花を育てている。ヨーロッパでは出窓には通りを歩く人に見せるように飾り物があるというが、日本人も通る人に見せるよう花々を置いてある。庭木も盆栽も家の敷地内にあるもので、それは自分だけが楽しむようなものであった。今は掃除機があるが、昔は家の掃除は埃は外に掃き出していた。

 講演会でヨーロッパと日本の違いをそんな例を出して、「公共」よか「他者への配慮」「社会」というものを語る人がいたことを覚えている。

 その点から言えば、日本もずいぶんヨーロッパ化したのかな、と思う。

 京都でのゴミ捨ての話が今朝の「モーニングバード」で報告されていた。ゴミ捨て禁止という立て看板のあるところに、若いもんたちが次々とゴミを捨てていく。ポイとゴミ袋を投げる。次の人はペットボトルを投げる。また女性がゴム袋を投げる。そこには人も行き交っている。煙草を投げるものもいた。よく見ていたらポイ捨てする共通点があった。投げるのはジャージの人ばかりである。

 家の中と外。ジャージファッションはそのどっちも使えるものなのだろう。もしかしたらスーツを着ていたらポイ捨てしないのかもしれない。スーツや小奇麗な服は社会性を表している。家ではパジャマでも、裸でも誰がとがめるものでもない。観念の領域が違ってしまうのだ。ジャージは内にも外にも通用するから、社会性というルールの観念が薄らいでしまうのかもしれない。

 情けない話だが、日本人の中にも程度の低い人がいるものだ。パジャマで買い物をする中国人を笑う資格などはない。バス事故で韓国を笑う資格もない。アメリカ、イギリス、フランス、ロシア、中国、インド、パキスタンだけに核保有を認めて、北朝鮮は認めないというアメリカや日本の政府にも北朝鮮を責める資格はない。核兵器禁止条約に加入しない被爆国である日本はいつまでアメリカ追従をしているのか、と思うと情けない。

 


玉鷲に期待する

2017年07月09日 | 日記

 今日から15日間、夕方が楽しくなる。大相撲である。二ヶ月が経つのはあまりにも早くて驚きである。稀勢の里の腕は治ったのだろうか。十分稽古ができたのだろうか。

 名古屋まで行って関取の出入りでも見てみたいなと思いながらも、やっぱりテレビ観戦の方がよいわい、と3時5分にテレビをつけたら、応援している旭大星対青狼だった。北海道から高校を卒業し、元大関旭國の部屋に入った。稽古が辛いらしく、逃げ出したこともあった。テレビの真夜中のドキュメンタリーで見た。あれから8年になると思う。今彼は十両4枚目である。今場所の成績次第で、前頭になる可能性がある。その旭大星が青狼に勝った。よい勝ち方だったので、オヤッと思った。腰も低く、前さばきもよく、攻めも次々とでて早かった。万全の相撲であった。初日だけを見ると相撲が変わったように思える。

 金魚を飼い始めて、一匹一匹に名前を付けた。大柄な稀勢の里、浅黒の高安、華麗で大きい朱文金の白鵬、オレンジ色のコメットは勢い、小さな琉金の于良、頭と尾が赤い正代。名前をつけかねているのがあと二匹いる。

 今場所の楽しみは于良、貴景勝ち、北勝富士がどこまで上位とやるかが楽しみであるが、ぼくは実は玉鷲が強くなっているので、期待している。のどわを上手く使うのも見事である。


橋下徹の矛盾

2017年07月06日 | 文学 思想

 橋下徹のような口から先に生まれてきたような人っているものだが、この人は節操がない、都民ファーストの野田数は極右も極右、天皇主権、国民忠君、明治憲法に戻せという人物である。橋下徹の日本維新の会は太陽の党と組んだとき、その馬脚を表した。野田数は日本維新の会から立候補したのである。

 橋下は野田数の思想と都民ファーストの会を批判する資格はないだろう。そういう思想の人物を日本維新の会から立候補させたのである。これって、あり? こういうのをぼくは節操がない、と言う。

 維新の会が無駄を省くため、大阪都構想を提唱し

地域の政治をやっていたときは、改革者として注目していた。ところが国政となってくると、もっと根本的な思想が問われる。彼は石原慎太郎と組んだのだった。これにはあきれた覚えがある。ほぼ籠池とかと同じ思想である。

 ぼくはこのような、明治憲法に戻そうとか、教育勅語を奨励するとか、東京裁判は無効であるとか、侵略戦争でなかったとか、南京虐殺の人数が違うとか、先の戦争を正当化する考えがどうすれば生まれるのかいつも不思議に思う。

 戦争を起こしてしまったことに関わる政治家、軍人、官僚、一部の、企業家は300万人の国民の命を守れなかったことを猛省するべきだった。

 マスコミも煽った。軍部も煽った。一部の国民も熱狂的となったが、判断材料のない時代であった。オカミに逆らうことは許されず、オカミのすることは正しいと信じる向きもあった。たいていの人は淡々と生活していたはずである。

そこへ赤紙がくる。万歳と言って見送られる。

 自衛隊に入る人が少なくなれば、勧誘方法が激しくなってくる。勧誘方法が効を奏さなければ徴兵を行うしかなかろう。だから、自衛隊は災害救助や、万が一の場合の自衛の場合の組織でいいのである。集団的自衛権は不要なのである。PKO活動はライフライン、土木事業や教育事業のようなもので貢献すればいいのである。

 こういう原則は日本の立ち位置として世界で貫徹すればよい。世界のみなが羨む憲法をもっているのである。羨むなら、その国も日本のような憲法をもてばいいのではないか、とぼくは思うのである。