25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

後でかっさらう

2018年07月29日 | 文学 思想
 本当に真逆の台風で、これまで経験知は役立たない、と天気予報幸士やアナウンサーが言っていた。まさに、幸運にも尾鷲は昼間風もなく、雨もなく、夜遅くになって少々雨が降るくらいで、普通の日変わらなかった。想定外のことであったが、今回の雨雲レーダーは正確だった。
 テレビを見るのにくたびれた。寝床で島田裕巳の「キリスト教入門」を読んだ。いくら入門書と言っても、聖書を読んでから読むのと、読んでないで読むのとでは島田のいいたいことのツボの理解というか、納得度が違うことだろう。
 これまで、聖書、および「イエスとその時代」「マチウ試論」「喩としてにマルコ伝」映画では「サン オブ ゴッド」「ジーゼスクライストスーパースター」「パッション」「十戒」「ノア方舟」などを読んできた。

 新約聖書なかの「4つの福音書」、「使徒言行録」「書簡」「黙示録」という順で並んでいるが、どうやら、パウロの書簡が一番先に書かれたようだ。パウロはイエス弟子ではなく、弾圧する側にいた。しかもローマの市民権をもっていた。イエス中心とした原始キリスト教団はやがて滅び、パウロの布教活動かえあ信者増やしていった。各地の教会に宛てた書簡は教会の在り方を示す内容が多く、イエスのことにほとんど言及していない。
 宗教というのはそんなものなにかも知れない。あとでくるものが、かっさらってしまうのだ。日常のビジネスでも同じようなことが起こる。
 社会とてそうだ。電柱を建てることも、線を敷くこともなく一気に携帯電話である、
つまり無線である。
 いろいろな喩で包まれる聖書は見方によって、ぼくは面白い。信じることはできないが。