25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

夏休みの日課

2018年07月31日 | 日記
 小学生の頃、夏休みになると蝉とりは毎日の日課であった。行くルートも決まっていた。寺町の路地から袋をつけた竹竿をガラガラと音をたてて、まずは念仏寺の庭、そこで一匹、二匹と熊蝉や油蝉をとると、中村山の方面に桜町を上がる。中村山までの道脇にも大きな木があって、樹皮をくまなく見る。木に登ることも厭わず、竹竿が届く限りにまで登って、一匹を蝉を逃すと悔しかった。中村山にはにいにい蝉もいる。
 藪の中に入り込んで、ハゼの葉に触ってしまいかぶれたことが二度あった。あの激しい痒さには参ったものだ。たっぷりち樹木があるこの山もまわるコースは決まっていた。
 蝉取りも晩年の小学五年生の頃、円柱型になった布の袋よりも、川魚を採る網を竹竿の先端につけたほうがよいことがわかった。逃がす率は少なくなり、あっけなく蝉が取れる。すでにもう蝉取りに飽いていた頃だった。野球をやっている方が楽しかった。

 午後からは黒淵まで泳ぎに行った。飛び込んでは泳ぎ、また岩場に上がって飛び込むのを繰り返すうちに寒さで唇が紫色になって歯をガチガチ鳴らしていた。あの頃は1時間泳いでいても2時間や3時間のように思えたのだった。 盆を過ぎると親たちは泳ぎにいかないよう言った黒淵でも足をじっぱられるとか、なんとか恐ろしいようなことを大人達が言い、それが本当のようにだれも盆を過ぎて泳ぎに行かないので、ぼくは今も盆を過ぎて泳ぐものではない、という思いに囚われる。

 ぼくの黄金期の時期である。二学期が久留のがいやでいつまでも縛られることなく遊んでいたかった。親も、こんなことするな、あんなことをするなと言うのではなかった。
 戦争が終わってもう15年も経ち、ぼくなどは世の中の暗さを知らず、経済成長の恩恵を受けてたぶんすくすくと育ったもだと思う。
 一億総中流社会に突入していた。日本の歴史の中でも一番よかった時代だったろうと思う。団塊の世代にはまだ貧しさや、昔風の男女倫理もあった。鬱陶しく反応権力と叫んでいたものが、あっさりと大企業に入ったり、公務員になっていた。ちょっと馴染めなかった。その転向には潔さのかけらないように思えた。がしかし彼らは高度経済成長牽引したのだった。