25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

アブラのない魚

2018年07月07日 | 日記
 各地で大雨による被害が出ている。気候変動のせいなのか。それにしても、過去には大雨のあった尾鷲はここ十年をみても大雨地域から外れている。台風もよくきたものだが、これも外れている。
 気候変動のことで言えば、尾鷲の海の水温が上がっていると思う。実際に測ったことはないが、
2月、3月の片口イワシには脂がうっすらあったものだが、これがまったくなくなってから久しい。
 先日新鮮な大きな鯖をもらった。塩焼きにして食べた。美味しかったがこれも脂がなかった。ちょっとでも脂があればなお美味しいと思う。処方箋をもって母の薬をもらいにいくとき、若い薬剤師と時に話をする。鯖をもらったのはその薬局の隣のぼくら夫婦の友人で、それがおすそ分けとしてぼくの家にもまわってきたのである。
 たぶん彼が釣ったのだろう。翌日の夜11時頃、偶然にその若い薬剤師が仲間とワイワイと路上を歩いていくのに、気づき「○○先生」と呼びかけた。彼は客一人だと気づいたらしかった。「最近サバ釣った?」と訊くと、「はい、釣りました。彼と」と言って仲間のうち一人を指差した。「やっぱり釣れたてのサバは旨いな。それにしても大きかったなあ。どこで釣ったん?」と言うと、「古里付近です。船で行ったんです」「もうちょっと脂があったらなあ」と言うと、「そうですね」とこれは相槌かもしれない。
それだけの会話で、すれ違った縁での会話だった。「失礼します」と青年たちは深い礼を二度ほどした。これには戸惑ったが、悪い気がしなかった。仕事から離れた青年が楽しそうに仲間と戯れるように歩いて行った。アルコールが入っているのだろう。

 三日に一回、カレイの干物を買いに行っていた店が閉じた。交通事故で、仕事ができなくなったのである。斜め向かいにあったからぼくには便利だったのである。カレイのつなぎがもう食えなくなるのか思うと、残念である。片口イワシとカレイのつなぎはよい酒の友だった。それで、駅前の干物店まで車でいく。ヤナギカレイがある。高価である。福島の妻の実家から毎年ヤナギカレイとウニを送ってもらっていた。このヤナギカレイ上品な旨さはやはり薄い脂があるかどうかである。残念ながら尾鷲産のヤナギカレイは全く脂がなかった。

 若い頃ぼくが東京に移り住むことをためらわせたもののひとつにほどよい脂のあるイワシ、アジ、カレイのような魚であった。