25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

七つの罪

2018年07月18日 | 社会・経済・政治
 四世紀半ば、修道士ポンティコスの著作によると、罪の重さの順は、大食、色欲、貪欲、憂鬱、憤怒、怠惰、虚飾、傲慢 だとされた。
 六世紀後半、ローマ教皇グレゴリウス一世により、罪の種類は八つから七つに絞られ、虚飾が傲慢に吸収され、憂鬱は怠惰に含まれ、新たに嫉妬が加わり、順序が変えられた。
 傲慢、貪欲、淫乱、憤怒、大食、嫉妬、怠惰 となった。暗黒の中世に突入しており、中世カトリック教会は、この罪から、免罪符だの、寄付だのを強要するシステムを巧妙に作りあげていった
。(以上中野京子「名画の謎」
 カトリック教会の権力と腐敗が宗教改革へと進んだ。

 このような罪をもたない人間はいないはずで、それは誰もが知っていることだ。モーゼの十戒の方がよほど守るのがたやすい。
 「父母を敬え」「殺すな」「姦淫するな」「盗むな」「偽証するな」「隣人のものを欲しがるな」

 人間が飢餓状態から解放されたのはまだほんの100年とか、先進国で200年前のことである。だから食べ物があるうちに食べておく、無いときは皮下脂肪として溜め込んだ脂肪酸で生きる。ということで、人間の識字率が低く、無知であったから、大食で命を落とす人が多かったらしい。それで「大食」が罪となった理由である。

 マハトマ・ガンジーも「新・七つの大罪」を提唱している。
 原則なき政治、道徳なき商業、労働なき富、人格なき教育、人間性なき科学、良心なき快楽、犠牲なき宗教。 これは納得させられる。
 2008年、ヴァチカンが新時代のための「七つの大罪」を発表した。
 遺伝子組み換え、人体実験、環境汚染、社会的不公正、貧困を起こすこと、淫らなまでに金持ちになること、麻薬。

 これが守れないとIT億万長者も、遺伝子組み換え産業の経営者も、地獄行きであるが、罪の内容がこれほどガラリと変わるとは、一体何なんだろう。
 以前の罪はすでに社会の中で倫理道徳にまでになったから、あえて言わなくてもよいということなのだろうか。

 以下日本に蔓延している状況、
 バイ菌を怖がれ、陰口をたたけ、出る釘は打て、失敗を赦すな、子供を無視しろ、なんでもひとのせいにしろ。コネを使え、不要な物におそお金を使え、・・・皮肉もあとは浮かばないな。