25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

インターステラー

2018年07月14日 | 映画
 もう相撲についてはあきれて言うことなし。怪我について真剣に考えなければならない時期がきている。今のところ、優勝候補は、御嶽海、遠藤、豪栄道といったところか。
 今年の夏は暑い。尾鷲で30度、せいぜい31度という記憶しかないが、連日不快な暑さが続いている。
 ぼくは室温25度くらいがちょうどよく、26度になると汗がでてくる。以前は27度で汗がでたのだが、今年は26度である。細君は26度がよいらしい。エアコンの温度の取り合いもイヤなので、扇風機を取りだし、夫婦間のバランスを取っている。
 テレビの音もそうで、ぼくは18くらいがちょうどよく、細君は17くらいのボリュームである。ぼくは17で我慢し、一人で見るからにときは18、19にする。
 
 テレビや映画の好みも違っていて、昨日は一人で「インターステラー」という超大作、人類滅亡の危機から始まり、ブラックホールの中に入り込んで銀河系を抜けて、人類が生きられる惑星を探し、人類の受精卵を運ぶ使命をもつラザロ計画に参加する主人公とその娘の壮大で、深遠で、複雑で最後はシンプルな救世主登場で終わる話である。いたるところでキリスト教的発想が出てくる。死んだ男がキリストによって甦った男の名はラザロであった。主人公はヨハネからの名前であった。どうやら誰も解けなかった方程式を解いたのは娘だった。彼女は異次元にいる父からの重力のに関するデータを三次元にいる娘に父が愛を込めて贈った腕時計にモールス信号を認めたおだった。娘は神の子となった。そして人類は土星に移住した。
 最後は愛の力を信じた。
 ああ、こういう風に脚本家や監督にも染み渡っている意識が無意識にでてくる言葉は大和言葉であるはずもない。あるとすれば多くは聖書言葉であり、その反語である。
 人間が宇宙を探索する。物理学、数学を用いる。しかし謎は残る。その謎の向こうに神がいると詭弁する。
 クリストファー・ノーラン監督。1970年生まれ。若い監督である。