25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

自由に生きられる社会

2018年07月05日 | 文学 思想
 西洋の真似からはじまった日本の明治新政府はとにかく真似る。真似ること知る西洋を見た人達が外国をしらない国民を牽引した。明治、大正、昭和の12年日中戦争までの約72年で日本政府はアメリカ連合軍の統治下になった。戦後昭和20年8月から今年の8月で74年になろうとしている。すでに戦前、明治より長くなってきている。
 戦後の経済成長はまた真似ばかりぢていればよかった。荒れ地が復興させるのだから、どんなチャンスもあった。そういうなかで世界的に優れた物を作り出す企業も出てきた。そのうち、アメリカでIT革命が起こった。日本はおこぼれを頂戴した。
 すでに2018年。日本は停滞したままである。世界史が動きつつある。アメリカがその覇権をみずから放り出そうとしている。アメリカが作った冷戦後の体制であったのが、ことごとくやめようとしている。TTP.WTO.イラン核合意、もしかしたらG7までやめようとするかも知れない。
 2022年。アメリカは空飛ぶ車のサービスが始まる。中国はチューブのなかを走るリニアモーターカーでヨーロッパとつながり、北京~上海をつなげようとしている。
 中国とインドが過去例がないほどの巨大市場になっている。中国が経済失速すれば現在の共産党政権も危ないだろう。
 日本はどうなっていくのか。

 現実の政治の流れよりも、人間の意識の流れの方が気になる。人間は重要な点で克服できていないことがある。強固に内に結束する観念とそれにあわないものは憎み、排除する意識だ。また人を裏切り、自分も自分を裏切るという意識だ。また、権威という本当にあるものかどうかもわからないものを好むみ、他者と自己に優劣をつけることだ。まだある。保育園のある子がタコの絵をかいたら、瞬く間に園児が真似するように、大人とて瞬く間に伝染するということだ。そしてその同調に気がつかないことである。
 このような何千年来の人間の心理、観念の問題がなんら解き明かされないことがぼくには大きなことのように思える。
 空飛ぶ車や超高速リニアがチューブを走っても、攻撃の対象にもなりえる。新しい科学は武器にもなり得る。

 昨日ポータルサイトを運営している会社のスタッフと電話で話をしたのだが、彼らまたは彼女らは外国に本社があるコンピューターシステムでことごとく処理されていくことから起こるトラブルの処理を行っている。まるでコンピューターに使われる人だという印象を持った。すでにAIによる支配のミニ版を見ているようだった。最後は彼ら彼女らの声も人工合成音化されるのだろう。
 どれだけ科学が発達しようと、その先に神の領域があるのだ、と現在のキリスト教者は言うだろうし、人間はいつになったら、人間の課題を共通の課題ととらえ、共通の解決方法を持ち得るのか。自分は日本の、戦後の昭和に生まれて幸運だった、とつくづく思う。
 娘や息子、その子供たちも、自由に生きられる社会であってほしい。