25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

不快

2018年07月19日 | 社会・経済・政治
 涼しい部屋でビールかハイボールでも飲んで相撲をみている時間帯が一番良い。大相撲はイマイチで残念な名古屋場所だが、まあ、しゃあないか、と思いながら見ている。バドミントンのタイ大会でも実況してくれればいいのに、と野球びいきのスポーツ番組に文句のひとつもいいたくなる。せめてNHKは野球ばかりに長いニュース枠をとってほしくない。民法だけでいいと思う。

 東京オリンピック時の熱中症対策が俄に言われるようになってきた。
 水滴にならない霧をつくる人がいて、彼にでも頼めばいいと思うがそもそもきの時期にするなどというのは無茶話で、もっと言えば東京オリンピックの誘致などしなくてよかったのに、と思う。
 公共事業で経済の活性化はできない。そのとき限りの政府、東京都の投資である。残ったものでお金を生むとは思えない。

 尾鷲の海洋深層水も行き詰まっている。フランスのエビアンは氷山の下をゆっくりとながれる水で、絶妙のカルシウムとマグネシウムの配合を誇る。海洋深層水も種類はいろいろあるが、カルマグ水というのがあり、これがエビアンに負けないのだ。この水の利用法を結局、真剣に開発づることができなかった。

 話がそれてしまった。戻したい。オリンピックは必要なのか。テニスにはウィンブルドンがある。サッカーには4年に1度のワールドカップがある。陸上にも世界陸上がある。それぞれの競技には世界大会がある。テレビで公平に世界大会を録画して放映してくれればそれでいいのではないか、と言いたくなってくる。お金のない、もう、これ以上の金融緩和ができない、いわば危うい日本である。誘致時には予測できていた。

 オリンピックは石原慎太郎が言い出した。おっと、それから石原慎太郎が尖閣列島を東京都が買うと言い領土問題は共同統治しか解決策はないのである。棚上げの事項だったのに火をつけてしまった。この人の功罪は大きい。中国はいずれにしろ巨大な消費市場である。喧嘩する相手ではない。喧嘩したかったら石原慎太郎が行けばよい。
 ああ、こんな風に文が流れていき、不快になってきた。不快な暑さに加えてだから余計不快である。