9月9日(土)午後1時~
シンポジウム
「杉田玄白 没後 200周年 ーー 東北の 蘭学 ーー」
興味を増やしたくない、と 思うが
東北の、と 聞けば 行かない、なんてできない。
蘭学 すこし は 言葉 名前を 知っている。
なんとか なるだろう。
会場は 一関博物館。
主催は 博物館と 洋学史学会。
知らない 名前は 少なかったから
そうなんだ、と うなずきながら なんとか 来た。
質疑応答で
私の 前の席の方が 腑分け・豊吉のことを 聞いた。
回答は 少しだけ だった。
私 知っている。
小説「みちのく腑分け始末」が わかりやすい、よ。
一関市の 小野寺苓先生が 書いている よ。 そうそう
「火 --- みちのく一関忠臣蔵」が 発売されたばかり。
余計なことまで 聞こえないように つぶやいた。
閉 会 行 事
「西の ツヤマ 東の 一関」と いう言葉が 聞こえた。
前の方 聞きもらした。 今日は 蘭学の講義だから
前の方に 蘭学と つければ 良いだろう。
ツヤマ とは 聞いたことがあるが さて どこだっけ。
大阪より 西の方だと 思うが……。
ツヤマ は なんで しられているんだろう。調べなくちゃ。
外へ出たら
いつも お世話になっている 女性の 学芸員さん が
誰かに ご挨拶して いた。
いや 副館長さん だ。
長い間 親しみを 感じてきたものだから
副館長さん と いうことを 忘れる。
さっきの ツヤマ って サンズイの 津 ですか、と 私。
「そうです」
さらに …… ツヤマ って どこですか。
「岡山です」。
ありがとうございました。
岡山市の 津山は 列車で 1度 ? 通ったところだ。
それで 憶えていたのだろう。
岡山? 津山? と 蘭学 ?
全然 繋がらない。
東の 一関 は 今日の 演題にあるように
「高野長英・大槻玄沢・建部清庵 …… 」その他
蘭学に かかわりがある方が おおい。
私でさえ知っている。
しかし「西の 津山」は 誰 ????
帰宅。 調べた。 xxxxxxxxxxxx
激動する時代の中 洋学の重要性が 高まり、
幕府や 政府は 海外に留学生を派遣して近代化を推進した。
津山からも
津田真道、箕作麟祥、菊池大麓、箕作佳吉、久原躬弦、箕作元八 ら
多くの若者が海を渡った。
私 …… 箕作 が なんとなく という 程度。
ほとんど 知らない お名前。
津山藩にはじめて蘭学をもたらした、という
宇田川玄随、その跡を継いだ 玄真・榕菴 と。
情けない。。。 全然知りません。