円覚寺日記 四季綴り

このお寺が建っている環境のごとく、ゆったりとした気分で書いていきたい。
浄土真宗本願寺派 円覚寺の日記帳です。

怨親平等

2013年10月02日 | 日記
「やられたらやりかえす、倍返しだ!」、で一躍視聴率トップに躍り出たドラマ半沢直樹、私も全話見ましたよ。
ドラマ終了後もこのセリフを聞かない日はない。流行語大賞とるかもね。あくまでこのセリフ、シャレで言って笑っているだけならば良いが・・・。
最終回、大和田常務を100倍返しで土下座させた場面なんぞは、「さすがにやり過ぎやろ」と引きかけた。
まずそんなことは起こりえんだろうが、それでも真剣にみんなが「倍返しだ~!」とか用いだしたらと思うとゾッとする。

ここで思い出されるのが親鸞聖人の師、法然聖人幼少時のことである。

法然聖人のお父上、漆間時国は美作国の押領士(地方の治安維持にあたる在地豪族)であったが、法然聖人9歳のある日、土地争論に関連して明石源内武者貞明に夜討をしかけられて殺害されてしまう。
父時国は臨終の枕辺にいならぶ家族にむかって、
「われこのきずいたむ。人またいたまざらんや。われこのいのちを惜しむ。人あに惜しまざらんや」(恨みをはらすのに恨みをもってするならば、人の世に恨みのなくなるときはない。恨みを超えた広い心を持って、すべての人が救われる仏の道を求めよ)
と、つよく仇討ちをいましめられたのだった。この遺言は仇討ちを当然視する武士の風習、とはまったく逆の方向を示すものとして注目されている。

身近な人を失った悲しみ、またこの世の不条理さへの憤りは、とうてい推し量ることも出来ないほど深いであろう。
「100倍返しなんてとんでもない!」、と思っていた私であったが、よくよく考えると、もし自分がその立場になったら、臨終の一念まで100倍返しどころか1000倍いや10000倍返しでも足りないかもしれない。

それでも阿弥陀さまの怨親平等の願海はそんな私を悲憫しそのまま抱き取り、苦悩を救いへと変えてくださるのだろう。

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