円覚寺日記 四季綴り

このお寺が建っている環境のごとく、ゆったりとした気分で書いていきたい。
浄土真宗本願寺派 円覚寺の日記帳です。

2月20日 本願寺派が浄土真宗になるために

2010年02月23日 | 日記
先週土曜日20日は、鞍手組基幹運動僧侶同朋研修会が鞍手町S専寺様で開催された。

私は問題提起者として登壇。

1992年よりこれまで行われてきた僧侶研修会を振り返り、、そこから見出される問題点(同朋運動を推進しつつ未だ克服されていない差別心とは?)を点検するとともにこれからの展望を話し合ってもらうための問題提起をさせていただいた。

事例として用いた以前起こった事件・事象について、過去に起こった問題で解決したと考えていても見方を変えるとまだ解決すべき論点が見つかったりもする、ということをお伝えしたかったのだが・・・。

何十年同じことをやっているのだ、との意見もあったがそれだけ克服できていないということでもあろう。

ある事例を用いると言うことについていろんな考え方もあるが、しかしそれは決してただ単に他人の意見を引っ張ってくることではない。そこに「人ごと」という観点はないと思います。

僧侶研修会を長年経験して、自らもそうであったが、ついつい研修会終了後にその研修会自体を評論・批判してしまうこともある。それにも気をつけたいと思う。
知らず知らずに評論の立場に自らを置いていては進展しない、ということに私も含めてなかなか気付かない。

阿弥陀如来よりたまわるご信心をいただくということは、自らの煩悩性を深くあきらかに信知するということ。
自らのありのままの凡夫の姿に気付かされるということは、私たちが生きるこの世界のありのままの姿を煩悩を抱えた身でありながら見ていくことにつながる。
さらにそれと同時に因果の道理を正しくわきまえ、因果の道理を正しくわきまえるということは、その道理に外れて間違った業論などによってつくられた差別を決して見逃さない私となっていくことでもあろう。

袈裟・衣を着けさせていただいている者として、浄土真宗のみ教えの領解とは?、を問われている。
研修会終了後、内容について自ら振り返って反省しながら、新たに課題をいただいたようだ。


さて、研修会終了後、同日午後7時半より円覚寺の一泊研修旅行にて撮影した写真を、ご参加くださった皆さんにお配りする作業を旅行委員さんと行った。
写真を見ながら皆さん本当にいい顔をしていらっしゃるなあとうれしく思った。