観劇三昧:仙台シアターラボ『透明な旗』
2019/6/7
水槽の前で四人の男達が記憶の断片をつないでいく話、だと思う。
取引先からの絶望的な一言。
コンビニにいる、仕事はできるが性格が悪いという厄介な先輩店員。
「あんたは目の前のことしか大切に出来ないんですか!」という理不尽な人格否定。
自分も過去に似たようなこと言われたことがあるような気がする。
見ていて辛くなるシーンが多い。
明らかにモテないのに嫉妬深い男もつらい。
水槽の中で静かにゆれる水面が、それらを浄化しようとしているように見える。
旗は目標の象徴だとして、それが透明だということは、抽象的な意味で迷子になった人たちの話なのか。
目標は見えない。しかし、追い続ける。
英語の先生のシーンもそういうコンセプトの一環なんだろうけど、面白味が強すぎて、ただ面白いだけだった。
高尚な話なんだと思うんだけど、ちょいちょい茶目っ気が漏れ出ていて不思議なバランスの作品だった。
劇団名 仙台シアターラボ
公演時期 2013/06/28
地域 東北
出演
野々下孝/澤野正樹/本田椋/飯沼由和
スタッフ
構成・演出:野々下孝 照明:山澤和幸/音響:中村大地/舞台監督:鈴木拓(boxes Inc.)/宣伝美術:川村智美 /情宣写真:佐々木隆二/制作協力:佐々木一美/製作:仙台シアターラボ
あらすじ
■テーマ「記憶のプール」
演劇を創る過程で、我々の頭の中には、先人の様々な営みや想いが浮かんでは消えていく。
アートというものはそうして誰かから受け継いで創られていくものなのかもしれない。
だとすればアートとは自己表現でありながらも、その範疇に留まらないものになる可能性を秘めている。
我々の内部に「記憶のプール」と呼べる、歴史や想いが集積したタンクの様なものが眠っていると仮定する。
演劇における故郷喪失者である我々にも「記憶のプール」はある。
古典を失い、規範を失い、続けること自体が孕んでいる絶対の孤独と戦いながら、個人の原風景をもとに演劇活動を続けている我々にも、そのプールに浮かぶことはできるのだ。
歴史はいつも否応なく伝統を壊すように動く。
個人は常に否応なく伝統の本当の発見に近づくように成熟する。
過去と未来が非連続となり、歴史感覚が失われている現在、
故郷喪失者たちは、抽象的な観念の美に酔うことしかできない。
※観劇三昧HPより引用
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