歴程日誌 ー創造的無と統合的経験ー

Process Diary
Creative Nothingness & Integrative Experience

無の場と創造性ー歴程の自然学 2

2007-04-24 | 哲学 Philosophy

私は、「過程」の哲学ではなく、「歴程」の哲学という概念によって、ホワイトヘッドがその主著Process and Realityで展開したコスモロジーを批判的に継承することを心がけている。なぜ、「歴程」という語を使うか。

 それは、ホワイトヘッドの哲学的コスモロジーの要諦は、米国の process theologian のいうprocess の概念によっても、またホワイトヘッド自身のいう「有機体の哲学」という概念によっても十分に良く表現されないと考えるからである。

たとえば、「有機体の哲学」という言葉では、個的なる実存の主体性・自律性・独立性というものが表現されず、常に個的実存が全体に従属するカテゴリーとなるという含意がある。しかし、ホワイトヘッドの云う活動的存在(actual entity)は、自己創造的であり、自己原因的である。すなわち、活動的存在は個的実存であり、真の意味で実在する物(res vera)なのであるから、決して「世界」を構成する一要素にすぎない個物(individual)ではない。活動的存在は個的な実存として世界をうちに含むことによって世界と自己自身をその都度超越する存在なのである。

Process theology でいうところのprocess の概念を、ホワイトヘッドの Process and Reality の原点にたちかえってもういちど批判的に吟味し、継承すべき優れた洞察が何であり、批判すべき点はなんであるかを再考する必要があろう。

「歴程」という語を私が使用する理由は、それが単なるコスモロジーだけではなく、我々の実存的な歴史をも表現することが出来るからである。いや、むしろ話は逆であって、個的実存を本質的に特徴づける歴史性が、人間のみならず、人間がそこにおいて存在する世界、そして諸々の世界の総体に他ならぬ宇宙そのもののもつ本質的な特性であるというべきかもしれない。コスモロジーと個的実存の思索の双方を射程に収め得る概念として、私は「歴程の哲学」という用語を使用したのである。

「歴程」には、日本語ではさらに別の含意がある。それは戦前と戦後を通じて日本の現代詩をになってきた詩誌の名前でもあった。草野心平、中原中也、高橋新吉、逸見猶吉等が昭和10年に刊行したこの詩誌は、イデオロギーの拘束抜きで、個々の詩人の個性を重んじた詩的サークルを形成し、現在に至っている。そこで「歴程」ということばは、なによりも個々の人が経過した人生の軌跡、個人史を表すものであり、それぞれの詩人の実存の歴史にほかならない。

  「過程」という日本語には、「歴程」とは違って、そのような個的実存の歴史を表すという含意がない。また、「過程」には、過ぎゆくもの、途上にあるものという意味が強すぎて、その都度完結し、作品として結実する生の航跡という意味が表されない。つまり「過程」は、その過程によって生み出された「作品」も、また「過程」において自己形成する作者自身を表現することが出来ないのである。

ホワイトヘッドがProcess という言葉を使うとき、それは、単に「途上にある」もの、「初めと終わりの中間」にある「過ぎゆくもの」を表しているのではない。Process は、實は、自己を形成し、創造し、自己の作品のなかにその都度、自己の存在の航跡を表現していく我々自身の生の歩みを一般化した語なのである。 我々は、みな、自己の生に於いては、脚本家であり、演出家であり、主役なのである。各人は、自己の歴程の主人公であるが、その主人公自身が、歴程において、他者と出会い、他者の世界を自己の世界へと内面化しつつ(抱握しつつ)、自らを他者に対して作品として与える存在なのである。そういう自己創造のプロセスとその成果を現すのに「歴程」という日本語が最も相応しいのではないだろうか。

我々の世界の根柢を「ポイエーシスの世界」と呼び、作られたものから作るものへと動いていく創造的世界と捉えたのは西田幾多郎であるが、ホワイトヘッドの歴程の哲学の趣旨も、まさしく創造的世界の創造的要素である活動的存在にほかならない。 それでは、かかるポイエーシス世界の構造は、のようにして哲学的に表現されるのか。単に藝術作品の創造という意味での狭い意味でのポイエーシスにとどまらず、実践(プラクシス)も理論(テオーリア)もすべて、そこにおいて表現されるべきポイエーシスの世界とは如何なるものであるのか-これが歴程の哲学の主題である。

ホワイトヘッド哲学の重要性を最初に認識した日本の哲学者は田辺元である。 ドイツでの在外研究中にハイデッガーの講義を聴講し、解釈学的現象学の新しい転回に直接触れた田辺は、帰国後、ハイデッガーと恩師西田幾多郎の双方の哲学の批判的継承を目指して、「種の論理と世界図式」等の一連の論文を発表している。 田辺がホワイトヘッドを引用しているのは「図式時間から図式世界へ」という論文(1932)であるが、そこでは図式論を機軸としてカント哲学の存在論的解釈を遂行したハイデッガー(『カントと形而上学の問題』1929)を批判しつつ、時空の統一体としての「世界」概念を機軸にした図式論の再解釈を提案している。田辺のいう<図式世界>は、当時の新しい物理学=相対性理論における時空概念の統一と複数の時間系の存在をふまえている点に於いて、『過程と実在』の<思弁的図式>の議論と照応していることに注意したい。即ち、一方に於いて西田哲学に於ける場所論の持つ「空間性」、他方においてハイデッガー哲学に於ける現存在分析の中核を為す「図式時間」、この両者を統合すべき、<図式世界>を具体的に転回することが田辺の狙いであった。それは、ニュートン的な唯一絶対の時間を哲学的に一般化したカントの時間論に代わるものとして、多元的な相対時間(multiple time-system)とそれらの相関を主題とするアインシュタイン・ミンコフスキーの「世界=時空」概念を哲学的に一般化することを意図していた。

不幸にして、田辺の世界図式論は、世界大戦を契機とする田辺の哲学的挫折ないし中断という事情のために、その後の田辺自身の哲学においては十分に展開されることはなかったが、彼の<世界図式>論に於ける議論は、ホワイトヘッドの『過程と実在』における範疇的図式の目指すものと一致していた。

ホワイトヘッドの哲学は、カントの逆転―即ち、カントが認識の次元で遂行した「コペルニクス的転回」を、一般的な形而上学として再度「転回」することを意図していた。すなわち、如何にして主観から世界が構成されるか、という問題だけにとどまらず、如何にして世界から主観が発現するかをも問題としていた。そのような「存在論への転回」こそ、新カント派の認識論を越えて、解釈学的現象学の立場で実存論的範疇論を語るハイデッガー、「場所」の立場によって、認識論から形而上学へ踏み込んだ西田幾多郎、アインシュタイン・ミンコフスキーの多元的時間論と時空<世界>を哲学的に一般化し、生成論と場所論の統合を目指したホワイトヘッドと田辺に共通する問題状況であった。

「過程と実在」を読む場合に、そこで「範疇」によって意味されることを理解するためには、次の事に注意しなければならない。即ち、ホワイトヘッド哲学の文脈で云う「範疇」とは、悟性に内在する形式でもなければ、超越論的な自我の自己定立から演繹されるものでもない。それは、主客対立以前の経験の具體相の一般的記述であり、構想力(imaginative construction)の働きによって遂行される経験の自己解釈の枠組みなのである。

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