2.<活動的(=現実的)存在actual entity>について
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これはホワイトヘッドの云う「存在の範疇」の中核を為すものである。どの要はタイプの存在に語る場合でも、そこには何らかの形で<活動的存在>が含まれていなければならない。"actual"という形容詞は、この基底的な存在が原子のような死せる物質ではなくて、「活動的(=現実的)存在」であること、アリストテレス的な意味での「エネルゲイア(活動態)」にあることを示している。
活動態(現実態=actuality)という語も、(actualitiesのように)名詞化されて使用されるが、それは、個々の活動的存在だけでなくて、それらの結合体をも含む広い意味で使われる。
<活動的存在>の範例は、我々人間の誰もが、その都度それであるところの経験の一つ一つの具体的な生起(occasion)である(PR18)。活動的生起(actual occasion)という語も、このような経験の出来事性を強調するときには使用される。
全ての存在を要素的な原子の機械的運動に還元する唯物論とは異なり、有機体の哲学では、もっとも高度に組織化された有機体である人間存在(ホワイトヘッドの用語では、人格的秩序によって結合された活動的生起の結合体)の相互の関わりが、範例となり、それを他の諸存在の領域に一般化する。複雑なシステムから出発して、その諸機能を捨象することによって単純なシステムを考察するというかたちで物事を説明する。それゆえに、ホワイトヘッドが<経験>と云うときには、それは意識を前提しない活動的諸存在の「具体的な被関係性の事実concrete facts of relatedness」において考察される。それは、<抱握prehennsion>と術語化される。
<抱握>という語は『科学と近代世界』では、「非認識的な把握(uncognitive apprehension)」という意味で使われた。一つの活動的存在は、さまざまな範疇の存在に関係付けられている。 すなわち、他の諸々の活動的存在、永遠的客体、結合体、命題、多岐性、対比など、およそ「ある」と呼びうるすべての存在は、一つの活動的存在の成立に際して具体的で確定した関係を持っている。この具体的な関係性の事実を表す最も一般的な用語が<抱握>である。ちなみにOxford English Dictionary は "prehension" の十六の用例を挙げているが、そのうちの七例はホワイトヘッド自身か彼の哲学に言及した用例で、この語が現在ではテクニカル・タームとして用いられることを示している。 日本語の「抱握」は、『科学と近代世界』(上田泰治・村上至孝訳)以来、定訳として使われている感があるので本稿もそれに従った。「抱」という語は、一つの活動的存在が、そのなかに全世界を含むというニュアンスを出すためにつけられたようである。
しかしながら、抱握は決して他者の他性を解消しないこと、とくに他者自身の<現成>の自由を拘束することは出来ないことに注意しなければならない。自己と他者は、過去―現在―未来という座標時間の分類においては、共時的(contemporary)であり、現在過去未来を共有しているが、その「生成論的分析」においては「因果的に独立」な自己決定のプロセス(固有時間)において記述される。即ち、「共時的なものは因果的に独立である」。