ホワイトヘッドが「相依性の原理」を提示するときに、事物の相互内在だけでなくて、生成が存在に優越すること、「生起」とが「存続するもの (enduring object)」に優先することを述べていうことに注意しなければならない。言い換えれば、存続する事物の相互内在は、もっとも基底的なレベルでの諸生起の関係を前提している。二つの生起の間には、(1) 一方が他方に因果的に内在するか、あるいは (2)その逆か、(3) 相互に因果的に独立であるか、の三つの内のどれか一つ成立しない。この第三の選択肢が成立するとき、二つの出来事は、共時的 (contemporary) であるという。言い換えれば、それぞれの生起が、共時的な諸生起とは独立に決断を下しうるということ、それにも関わらず、その決断は、諸生起の連鎖に他ならぬ「存続する事物」の未来に影響を与えるということが、事物の相互内在の意味なのである。これは、次のような図によって示すことができよう。
左図は、二つの「存続する事物」AとBの相互内在の関係を表現したものである。事物Aは生起A1, A2, A3,...の連鎖(nexus)であり、事物Bは生起B1, B2, B3,...の連鎖である。A1とB1、A2とB2、A3とB3、...は相互に因果的に独立であり、それぞれが、自立的な主体として、独自のパースペクティブの元に世界を抱握する。A1が因果的に内在するのはB2より後のBの諸生起であり、同様に、B1が因果的に内在するのは、A2より後のAの諸生起である。従って、時間を捨象して、事物が相互内在するということは、全く意味がなく、過去から未来へのベクトル的な方向性が、因果的内在の基本的な様式を決定しているのである。共時的なものの因果的独立性という事は、それぞれの事物の未来は、自己自身の決定だけではなくて、自己と共時的な他者の決定にも依存してるということを含意している。各瞬間瞬間において、Aは生起としては完結した自律性を持つが、継時的には自己のあずかり知らぬ他者の決定の影響に常にさらされているということを意味している。従って、この図式によって理解される事物の相互内在は、世界の創造的前進のただ中において考察されねばならないのである。