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歴程日誌 ー創造的無と統合的経験ー

Process Diary
Creative Nothingness & Integrative Experience

米国の禅仏教研究について

2005-08-22 |  宗教 Religion
先日、ある米国の研究者が書いた禅に関する論文のコメントを依頼され、米国の仏教研究、とくに禅にかんする研究の現状がどのようなものであるか、知る必要があり、(K)The Koan, Texts and Contexts in Zen Buddhism, edited by Steven Heine, Dale S. Wright (Oxford UP 2000)に収録されている Dale Wright, Victor Hori 氏等の論文を読む機会があった。

私が米国宗教学会などで仏教とキリスト教の対話セクションや、プロセス神学者と仏教者との対話に参加していたのはもう20年前になるが、そのころとくらべれば、確実に米国の仏教研究は前進しているという印象を持った。

それでも、細部に関する限り不満が残る。たとえば、鈴木大拙の扱い方。米国では大拙の英文著作はよく読まれているが、大拙の扱い方は思想家と言うよりは、啓蒙家としてである。彼等は、大拙の書いたものを入門書と見なしているが、それは正しくない。公案との関係で言うと、彼等は、鈴木大拙が、禅に思想性を認めず、「公案を、解決不可能なパズルと見なした」、となどと書いているが、これは誤解である。大拙の英文で書かれた通俗的啓蒙書には、確かに、そのような誤解を生む記述が見受けられるが、大拙全集で4巻にわたり書かれている「禅思想史研究」を読む限り、そこには、禅に固有の「思想」ないし「哲学」が研究されている。

鈴木大拙は西田幾多郎との相互の影響のもと「禅思想」を研究テーマとし、般若即非の知を以てその根本としていたのであって、そういう観点からみれば、公案を反合理主義、解決不能なパズルとみるのは浅薄な見方である。

一般に、誰かが禅について書く場合、著者に参禅の経験があるのかどうか、あるとすれば、どのような法系の老師のもとで参禅したのか、また、参禅の経験がなく、禅について書かれた文献に依拠してのみ、思想的な研究をしているのか、その辺に注意しなければならない。

もちろん、参禅の経験がなくとも、禅について、文学の見地から、あるいは哲学の見地から、語ることはできる。しかし、その場合、そのような言説がいかにして成り立ち得るか、についての反省が求められるであろう。

公案について論じる場合、論者が臨済宗の僧堂で、入室参禅した人であるのか、それとも曹洞宗で参禅したか、また論者が依拠している第一次文献が臨済宗系の人によって書かれたか、曹洞宗系のひとによって書かれたか、ということになんの配慮もしない論文を良く見受けたが、これは、禅の思想史的研究にとっては致命的である。

なぜなら「教外別伝・不立文字・見性成仏」とは臨済宗でのみ重んぜられる言葉だからです。曹洞宗は、ひたすら坐ること、日常生活のなかで仏道を行ずることを重んじ、臨済宗の「看話禅」とは違う行き方である。

おなじ「禅」といっても、修行者の教育システムにおいて、公案をどのように位置づけるかについては、臨済と曹洞とでは大きな違いがあり、それはそれぞれの「禅思想」においての違いとなって現れる。

たとえば、道元は、「我々に本具する佛の本質」(性)を直観(見性)して佛となるという意味での「見性成仏」を斥けたのであって、仏性が我々の本性に内属するのではなく、我々自身が仏性のうちにあると言っている。彼は経典の権威というものを重んじ、「教外別伝」という思想を外道と考えていた。先覚者の書き残した文字を大切にし、なによりも聞法という他者との出会いを重視したのである。正法眼蔵のような思想書は「不立文字」を標榜するものには書けぬと思う。

道元は、「公案」を「無理会話(理性では理解できない話)」と考えるものを「杜撰のやから」と批判している。(「山水経」参照)これは、公案と理性との関係を考える上で重要な示唆を与えている。

臨済宗では、曹洞宗と違って「見性」をめざす「公案修行」を重んじ、様々な古則公案を修行体系の中に取り入れている。秋月龍老師の「公案」(ちくま文庫)は、越渓ー禾山室内公案体系が公開されており、江戸時代以来の臨済禅の教育システムのなかで公案が如何に使われていたかを現代の読者に公開している。

秋月老師に依れば、公案は、「理致」「機関」「向上」の三つに体系化されるとのこと。 そこには、禅の修行体系に関する臨済宗の「思想」が明確に出ている。一つ一つを看れば、不合理に見える公案も、一つの修行体系に組織化される場合は、そこに、仏教に固有の「理性」、即ち、「般若即非」の「智」が働いていると看るべきであろう。

最近の米国の禅仏教研究者の間には、Reason(理) ではなくてFeeling(情)を重視する傾向があるようだ。そこでいうReason が仏教で言う分別智を意味するならば、かかる分別智は否定されるべきものだという点で正しい見方であろうが、仏教では分別智は全面的に斥けられるということで終わるのではなく、否定によって自覚された「無分別智」において、ふたたび「智」が蘇るということが重要なのである。つまり、禅とは、単なる反合理主義ではない。

また、ただの情(Feeling)ではなく意志(Will)も考慮すべきであろう。すなわち「知情意」のすべてが統合された宗教的人格が問題である。

いわゆる分別智(科学的合理性)は、情意を含む人格の全体を支配することが出来ない。無分別智という仏教的な「理」を自覚することが、仏教思想の根幹であり、それを「事」において、即ち、日常の具体的な行為と生活の内に実現することこそ禅の持つ現代的意味があるだろう。

参禅修行では、老師は修行者の人格の全体を看るわけであるから、当然、情意的なるものが重要な要素となる。その点で、禅に関する論述において「情意的」経験が持つ重要性を指摘することは正しい。しかし、他力の念仏の行とは違って、臨済禅の公案修行の中では、単なる情緒的なもの(Feeling)ではなく、意志的・知的なものが強調されていると思う。

情というのは本質的に受動的なもの、action ではなくてpassion であるわけだが、臨済禅では、修行者の主体的な行為を重んじているので、その修行を、情に還元するのは的がはずれているだろう。

また、米国の仏教研究者であるであるKasulisはIntimacy ということを強調していた。ことばによらないメッセージということは、言葉が必要ないという意味ではなく明確な言葉に表されない暗黙智の次元があるということは正しいだろう。

しかし、Intimacy という言葉は、禅の経験を秘教的なもの、仲間内にしかわからないもの、従って、公共世界に無縁なものと誤解させる危険がある。

禅の公案修行では、多くの師に歴参することが望ましいとされるが、これは一つの場所に定住して、師弟が馴れ合いになること、Intimacy の弊害に陥ることを戒めるものである。
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小笠原登の医療思想その1

2005-08-21 |  宗教 Religion
 昭和16年の「中外日報(浄土真宗系の新聞)」に掲載された小笠原登と早田浩の論争について言及したものはこれまでの文献にもあるが(たとえば大谷藤郎、藤野豊)、その詳細は十分に知られているとは言い難い。これは、戦前の日本に於ける救癩政策ー強制的な終生隔離政策-を推し進めていった光田健輔に代表される療養所学派と小笠原との間の論争を知る上で貴重な資料である。

 この論争の発端は、京大の皮膚科診療室を取材した新聞記事である。このあとで、国立療養所の医官、早田浩が、同じ紙上で反論し、小笠原登が、それに答えるという形で論争が展開された。

なお、当時の浄土真宗では、「大谷派光明会」が結成され、宗派を挙げて、「救らい」キャンペーンに参加していたことに留意すべきであろう。

「癩療養所の患者達は祖国を浄化する為に、療養所内に安住し、此処に骨を埋めることをいさぎよしとしてゐるのである」-などという文が当時のこの派の出版物に頻出している。小笠原登を取材したこの記事は、そういう光明会の活動とは別の流れが浄土真宗にあったことを示している。

まず、中外日報の昭和16年2月22日に「癩は不治ではない-伝染説は全信できぬ 小笠原博士談」という記事がでたことが論争の発端となった。
 癩は現在の学説では伝染病となっており、それは不治を約束されてゐる難病だという社会的常識すら有る。然るにこの癩伝染説に疑問符を持ち「癩は不治の難病にあらず」と断定したら、学会も一般社会もさだめて驚くことであろう。ところがこの逆説的な研究に身を委ねて去大正14年以来今日まで、実に16年間、孜々として倦むところを知らない人に京大医学部講師小笠原登博士がある。
實は、この記事の見出しには医学的にはやや不正確なところがあり、あとで示すように、小笠原登の考え方によると、癩は「不治の病」というのは迷信であると喝破してはいたが、らい伝染説を否定したのではなく、らいが危険な伝染病であることを否定したのであった。つまり、小笠原と療養所学派との論争点は、決して、「伝染説か体質説か」という二者択一にあったのではなく、「らいは強制隔離をおこなうほど危険な伝染病か否か」にあったと言うべきであろう。しかし、この点は後で又論じることとしよう。
 中外日報の記者は、次に小笠原登を次のように読者に紹介している。
 小笠原博士は愛知県海部郡甚目寺村大谷派円周寺の出で、令兄は現に大谷大学に教鞭をとってゐられる。兄弟とも五十を過ぎて独身で両人して荘厳院西之町に借家し簡素な自炊生活を続けて居られるが、博士は連日学内皮膚科特別研究室に屯して三十人たらずの入院患者と多数の外来患者を相手にこの貴重な研究を続けてゐる。癩の治療には祖父以来浅からぬ因縁があって、祖父は治療を求めに来た患者を本堂の縁に灰を積み、その上に新聞紙を布いて据らせこんねんに治療に当たったもので、しかも食事など家族も共にやるといふ大胆なやりかたで時に召使いのものの不機嫌を購はねばならぬことも多かったといふ。ともかくさういふ具合で博士の家は伝統的に癩患者をいたはり、その治療の為に考へ、至力をここに尽くすべく宿命づけられてゐるものとも見られるわけで、社員は博士の高き風格に直接してその篤実な学者的態度に撃たれた一人である。以下は博士の談話の要旨である。
ここで注意すべきは、小笠原の家が代々漢方医として癩の治療に当たっていたという事実である。彼は西洋医学だけではなく、東洋の伝統的な漢方医療にも通じていた。そして、祖父以来の豊富な臨床的な経験から、らいは決して危険な伝染病ではないこと、らいは決して不治の病ではないことを確信していたのである。光田健輔のように、らいの原因をらい菌のみに求め、その病原菌を強制隔離によって日本から撲滅しようと言う考え方を小笠原はとらなかった。彼は隔離ではなく患者との「共生」をめざす医療思想を説いたが、それは、伝統的な東洋の医療思想に根ざすものでもあった。我々は、あとで、小笠原の「漢方医学の再評価」という著作を検討するが、近代西洋医学一辺倒であった光田学派の非人間的な医療政策の問題点を、なぜ小笠原が戦前の時点において洞察し得たか、それを医の倫理の根源に遡って検証することとなるであろう。
 さて、中外日報の記者は、小笠原の談話を次のように伝えている。

癩は神代の昔からあったといひ伝えられて居り、大宝令の令義解にはすでにその伝染説が出てゐます。しかし、癩が果して強烈な伝染性のものなれば今日までに国中が癩で充満したといふやうなこともありませうが(何等予防の施設のなかった長き歴史に於て)嘗てさういふことを聴きません。

 小笠原は、らいという病気の原因を、病原菌だけではなく、それにたいして感染し発病する人間の体質ないし感受性、および患者の生活する衛生的環境の三つの因子の相関関係の中で捉えようとする。それを判りやすく示すものが、「鐘と撞木」の譬えである。
 今ここに一つの撞木があるとする。この撞木を用ゐるときには大きな鐘も小さな鐘も皆一様に鳴るといふならば頗る妙な撞木だといふので、この撞木を問題とせねばならぬ。しかるに反対に、この撞木を用ゐるときは何れの鐘も鳴らぬのであるが、唯一、二の特別の鐘のみが鳴るとしたならば、撞木を研究して見るよりも鐘の方を研究せねばならぬのである。今、癩の場合に於いては、癩は何れの撞木の場合に当て嵌まるかを考へるならば、癩の場合における病菌の関係は正しく後者の撞木の場合に合致するのである。

この鐘と撞木の譬えが適切であるという根拠は、次のような病理学的なデータがあるということを小笠原は指摘する。
 何故ならば、人体実験及びその他を考へ併せるならば癩菌はさほどに病原性を有するものでは無いといはねばならぬからである。即ち此場合に於ては癩菌の研究よりも寧ろ病原性の乏しい癩菌に遭遇して発病するがごとき体質のほうが問題とせらるべきであるとするのが私の主張であります。私が文献的に知ってゐる人体接種実験は約220例ありますが、この実験によって癩が現れたのは僅かに五例で、約2.3%に過ぎませぬ。またフィリッピンに於てこんな統計の出た実験があります。それは患者の子を親達から隔離して健康者の手によって養育した結果発病を見たのが23%、そのまま親の手元においたのが11.5%といふのです。これなども考へささるべき統計ではありませんか。
我々は「伝染病」という言葉の意味が決して一つではないという事を小笠原は指摘する。
 およそ伝染病にも二種の区別があり、広い意味のと狭い意味のとおのづから別れてゐます。広い意味からいへば、いはゆる飛火グサなども立派な伝染病でせう。癩はけだしこの広い意味における伝染病と申す外はありません。従って療養所も厚生当局も病菌の研究のみに専注しないで体質の研究に邁進すべきだと思ひます。
具体的には、国民の栄養の改善、衛生環境の改善のほうが、隔離よりも効果的であるという含意が小笠原説にはあった。それは統計的な考察から明らかであったが、其れにもかかわらず、人々が隔離政策を当然視したのは、癩は不治の病であるという考えに呪縛されていたからである。この不治と言うことについても、小笠原は再考を求めている。

 最後に私は癩の全治を確信するものでありますが、それは今日までの私の実験が立派に証拠だててゐてくれます。しかし、それを諒解して貰ふのには一つの前提が必要で、即ち病気が治るといふことは病菌が無くなって人体の組織を破壊する力がなくなったといふことを条件とせねばなりません。私の実験上、この条件に達したのは無数にあります。しかし、病歴の結果、指が屈んだとか、腕が曲がったとかいふ現象の残るのは、それが後遺症である場合、避けがたいことで、その現象のみを見て素人考へに彼の人はまだ癒ってゐないとするのは妄談であります。内臓の病気でも何処かに痕跡を残しているもので、その痕跡を突き止めてお前の病気はまだ治って居らぬといへば酷でせう。チプスの如き場合、三十年も潜んでいた病菌がまた再発するといふ事すらありますから、これらはよほど慎重に考へねばならぬところだと信じます。
この小笠原の談話を紹介したあとで、中外日報記者は次の如くコメントしている。
 博士の主張は最近学会の多く認むる所となり各地の療養所でもこれを尊重してゐるといふことであるが、取締関係上厚生当局では、まだこれに疑問符を残してゐるといふことである。社員は、博士の主張が徹った場合、その与へる社会的影響がどうであるかをも考へぬではないが、それよりも真実が明るみに出るといふことは医療文化のために喜ばしいことだと信じて敢へて博士の説を紹介した。なほ博士には「癩と佝僂病体質」「癩とヴィタミン」「二,三の皮膚病」「癩の話」などの諸研究がある。なほ、小笠原博士は最近全治した朝鮮青年を自坊に引とっていそぐ患者をそのベッドに入れようとして居られるなど涙ぐましい献身的なはたらきをしてゐられる。

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小笠原登の医療思想その2

2005-08-20 |  宗教 Religion
中外日報の小笠原論文に対する早田皓の反論

前回、小笠原登に関する昭和16年の中外日報の記事、「癩は不治ではない 伝染説は全信できぬ 研究16年  小笠原博士談」を転載したが、これに対する療養所学派、長島愛生園医官早田皓の同紙によせた反論、「癩の遺伝説と治癒の限界に就て―京大小笠原博士に呈すー 」はどんなものであったか、それを検討しよう。早田は、この反論を次のように書き起こす。
「鐘が鳴るのか、撞木が鳴るのか、鐘と撞木の間が鳴る」穿った民謡であるが、之を学説に応用されると面倒なことになる。本年の春京大小笠原博士は談話の形式で本誌に癩は多分に遺伝であり、また癩は不治ならずとして、患者の随喜渇仰に値すべき説を発表されたが、本紙が医学専門雑誌でない関係から、一筆呈上に及ばうとは思つたもののご迷惑とさしひかへて見たが、良く考へて見れば本紙の読者層は主として宗教家であり、地方の指導者階級である以上之を放任して今更に癩が遺伝であったかと信じられては本病予防もいよいよ峠の見え出した今日この頃、徳川の初期、隔離事業がやつと緒に就いた處をキリシタン禁制と一所におぢゃんになり、三百年の放任主義が遂に明治初頭の癩暗黒時代を現出したことを思えば、敢て一言博士に苦言を呈し、併せて読者諸賢の癩予防事業に対する全幅のご協力をお願いしたく筆を執った次第である。筆者は博士には昭和八年以来御厚誼を願っており感情上の問題ではなく純学問的討論であることを初頭に於て御断り申し上げて論旨を勧めて行く。」
まず早田は、小笠原の主張を要約した新聞記事が「伝染説は全信できぬ」という見出しを掲げたことを取り上げ、小笠原が、らいは遺伝病だというすでに論破された学説に固執しているといって非難した。これは、絶対隔離政策を推進した療養所学派が、小笠原説を非難するときの常套文句であったが、彼らは、小笠原がすでに1931年に「癩は遺伝病である」ということを「三つの迷信」のうちの一つとして斥けたことを無視している。小笠原の論点は、らい菌に触れただけでは滅多に感染が起こらないこと、夫婦の間で感染発病するケースが稀であることであった。従って、配偶者が癩であったからといって悲観する必要は全くない、というのが本来の論点であった。

「癩は強烈な伝染病ではない」という小笠原説の核心については、早田はどういっていたか。

「夫婦間に癩の発病が少ない、すなわち夫婦間に於ける伝染は何百例に就いて一例ほどしかないといはれる、これは少なくとも日本においては事実である」

癩は成人同士の間ではめったに伝染しないこと、この根本に於いて早田は小笠原の主張を認めている。それだけでなく

「(小笠原)博士の御祖父が患者を世話し、博士も幼少時代に於いて殆ど同居生活を続けられたが、未だに癩を発病しないと言われ、同じ浴槽で入浴されたとのことであるが、太田教授の最近の研究では、60度で既に癩菌は死ぬ由であるし、入浴ということ自身が本病予防上重大な役目を演ずるので、草津に於いては、健康者で嘗て癩の発病した例がないとの伝説さへある。石鹸の使用量と癩の発生は反比例するともいはれており、皮膚を清潔にすれば、少なくも余り危険なものではない。」
と言っている。

次に断種については「重症者においては梅毒の場合と同じく、胎内感染がみとめられる」ことと「先天癩の子供の暗黒さを考えてやらねばならぬ」ことから、

「断種法を実行することは楽しみの少ない癩患者に対して、僅かながらも人生を味わせる親心であり、素質遺伝を肯定するからでもなんでもなく、病的な子供を必要としない、大和民族の大英断である」

と述べている。そして、「癩は不治ではない」という小笠原の論点に対しては、癩が完治するなどということはあり得ないとし、早田は次のように反論した。
「自覚症状がなければ治癒したと仮定が真理なら、我が国一万五千の癩者はたちどころに、二千人に減じ得る。誤れる仮定のもとに治癒を決定し恐るべき伝染病患者を世に送る事は、医人としての重大な罪悪である。情に負けて人工妊娠中絶、あるいは伝染病患者の届出でを励行しない徒と何等異ならない。厳たる科学的観察と冷静なる判断のもとにのみ決すべき治癒の問題を軽々に取り扱うことは、果たして真の医人であろうか。」

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小笠原登の医療思想その3

2005-08-19 |  宗教 Religion
小笠原の解答-我が診療所よりみたる癩

中外日報に於ける早田皓の小笠原批判は、結論を見れば判るように、大日本帝国の国策として、らい病を撲滅することが第一義的と定められたのだから、小笠原もそれに従えというにつきる。医学上の知見としては、小笠原の「体質説」は結局は遺伝説にほかならぬと、位置づけた上で、早田は一応それに反対するデータを揃えはしたが、結局のところ「癩は強烈な伝染病ではない」という小笠原の意見は認めたのである。

それでは、それほど弱い伝染性しか持たないものをなぜ強制的に絶対隔離するのかというと、この病気が不治であるというのが、その論点であった。これに対して、小笠原は中外日報紙で、この早田の批判に対して、あくまでもひとりの臨床医としての医療経験に基づき、自分の云う体質説が遺伝説とはことなることを次のように説明した。
「ここに誤解してはならぬことがある。癩に罹りやすき素質が遺伝しうるものとするならば、子々孫々に伝わって永遠に危害を貽すものであると考へてはならぬ事である。凡そ、天地間に常住なるものは一つもない。恒に転変を続けているものである。また自存するものも一つもない。万有の相関関係によって流転の真っ直中に於いて仮に一時存立するにとどまる。癩性素質も亦此の鉄則に漏れぬのである。環境の変化はよくこの素質に転化を与える。癩に罹りやすき素質も亦生活法の改善を行ふだけにても消失する。
 地方には癩系と称せられてゐる家があって、有名であるにもかかはらず、今日は一介の患者すらないことが通例となってゐる。かた、某県に於いて、舊幕時代に患者を放逐した小島があって、現在の戸数63戸ほどであるが、何れも皆患者の子孫のみであると聴いてゐる。しかるに該島には今ひとりの患者すらないのみならず、所属隊の壮丁成績が頗る佳良であるといふのである。この事実は、また、癩に罹りやすき素質も亦環境によって消失するものであることを察知せしめる事実である。」
 つまり、遺伝病であるならば、環境の如何によらず、患者が発生するはずであるが、癩に罹りやすい感受性は、環境を改善することによって消失するというのが、小笠原の云う体質説と所謂遺伝説との決定的な違いなのであった。

 また、隔離せずとも癩の患者の数は、近代化とともに減少傾向にあることを統計によって示し、小笠原登は、
「明治24年以来、徴兵検査の際に発見せられた癩患者数は次第に減少したと共に、また北里博士の明治39年の統計に於いて、二万三千八百十五名であったのに対して、昭和十五年三月の統計では一万六千五十四名となってゐるのである。すなわち、隔離法が行われざる以前より、患者数は減少に向かっていたのである。」
という統計的事実を指摘している。

また、当時の外国の学者の説をも引用して
 「ジャンセルム氏は「ハンセン氏菌の感染力の弱きことは単純な観察がこれを論証するに十分である」と云ひ、ダウル、ロング両氏もまた、伝染力の微弱なことを認め、ヴェダー氏は「癩は伝染によって蔓延することが一般に認容せられてゐるにもかかわらず、吾人の期待を満足せしむるに足る論拠がない」と云っていつのと相通じるところがある。急激な伝染を思はしめるような特殊な例を挙揚し、之を一般化して考へてはならぬ。」
「クリングミュラー氏は、その著「癩」において、「癩問題は吾等の世紀に入って新時代にすすみ行ってゐる。なぜならば、今や、新時代の治療法によって癩不治のドグマは転覆しているといふことを確言し得るからである」
と療養所学派の隔離政策を批判している。この最後の言葉、すなわち「癩不治のドグマは」転覆している」というのは、この論文が掲載されたのが昭和十六年六月七日であることを考えると、まさに歴史の趨勢を言い当てたものであった。小笠原の結論を引用しよう。
「要するに、癩は細菌性の疾患ではあるが、その伝染力は頗る微弱であるたがために、俗眼をもってしては伝染性の有無を辧じがたきほどに緩慢なものであって、羅病の素質あるものが特に病原の害毒を受ける物であると考へられる。しかし、万物流転の鉄則に従って、癩羅病の素質は、なきものにも生じ、有るものには又消えうるものであって、永遠に伝わるといふのではない。クリングミュラー氏は「きわめて単純な衛生法にて癩の伝染を防ぐに十分である」といってゐる。患者諸君は絶望する所なく、治療に専念せられんことを希望してここに筆をおく。」

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小笠原登の医療思想その4

2005-08-18 |  宗教 Religion
早田皓の再反論

小笠原の「我が診察室よりみたる癩」が掲載された後で、早田皓は、昭和16年7月4日の中外日報で再び、「癩は伝染病なり」という論文を発表して、療養所学派の強制隔離政策のキャンペーンを次のように展開した。

これは早田自身がはじめにことわっているように、小笠原の諸説は無関係に

(1)癩の発病は遺伝的関係を有しない
(2)癩の治癒が困難であること
(3)現在に於ける癩予防事業の方向
の三点を論じた。

それらは、彼の属する療養所学派の医療政策そのものであるが、(3)の結論部に於いて小笠原に言及しているので、その箇所を引用しよう。
「癩の治療は前述のごとく困難である、羅患を防止させる以外に蔓延を停止させる策はない。環境衛生の完備によって或いは軽症者との同居なら何等支障を来さないようになるかも知れない。しかし、その対象たるや全国七千万の同胞に及ぼさなければならない。僅かに残余五千名の隔離により本病が根絶せしめられ得るならばこれほど容易なことはないであろう。即ち一万六千の絶対隔離の断行こそ本病絶滅の捷径である。
ここで、「僅かに残余五千名の隔離により本病が根絶せしめられ得るならばこれほど容易なことはないであろう。」という箇所に注意したい。隔離押された一人一人の人間の命の重みという視点はそこにはない。「即ち一万六千の絶対隔離の断行こそ本病絶滅の捷径である」というが、はたして絶対隔離の断行が実際に患者の新規発生を減少させるのに効果があったのかどうか、それは国民の衛生環境、栄養水準の向上以上に有効なファクターであったのかどうか、その点に関する学問的、統計的資料を早田は提出していない。光田派の医師の一人でもあった内田守が戦後に発表した論文によると、癩患者の新規発生の現象と言うことと上水道の普及ということには強い因果関係があるが、そういう統計的事実を調べようと言う姿勢も見あたらないのである。
 早田の議論は、次に大東亜戦争開始前の状況を反映して、次のような議論へと移っていく。
 東亜共栄圏には癩が多い、志那に百万、印度に十万、果して伝へられる如きものかは不明であらうが、何れはこれらの癩者にも福音を与える時が来よう。まず隔離、新患者の根絶、しかしこれによっても療養所内には多数の癩者は其の病と闘って居る。新薬の発見、新治療法の創案もまた望みなしとはしない。難を捨てて易につく、或いは大丈夫の志ではないかも知れないが、いたずらに聲を大にし犠牲者の蔟出を来すことも大丈夫たるものの為す所ではあるまい。すなわち曰く「まず所謂撞木を処理せよ」と。」
早田自身は沖縄の療養所に派遣されたが、それのみならず、韓国や台湾の療養所もこのような光田イズムにしたがって運営され、強制隔離政策が実施された。
 早田は、驚くべき事に、明石海人の短歌まで持ち出して、それを強制隔離政策の正当化に利用している。
「「鐘が鳴るのか、撞木が鳴るのか」こんな議論を続けるより、一時も早く、撞木を処理することにある。撞木がなければ鐘も鳴らぬ、三千年来、苦しんだ業病癩の根絶は、既に今一歩の先に迫って居る。「日の本の癩者に生れて我悔ゆるなし」と歌った一癩者の聲は、全国十余箇所の療養所内で生活する九千の病者の聲である。九重の雲深き處、仁風薫じ慈雨に浴する感激の生活は其の隔離政策においても何らの暗黒面なき世界に冠絶した救癩事業であることを知らねばならぬ。区々たる感情による誤れる診断、誤れる予後判定に由来する幾多の悲惨、「畳師の悔むともなく云ひつるは惜しみなく捨てし薬料のこと」「人参飲んで首くくり」の愚を演ぜしめざるにある。今や、上下一万五千の病者に安居の地を与え、楽業の土を分つことこそ我等大和民族の最初に実行すべき、民族浄化の聖業である。志那百万の癩を救い、印度十万の癩を助ける日こそ、八紘一宇の大理想顕現の明日であろう。」
はたして、このような強制隔離政策が、早田の自負していたように「何らの暗黒面なき世界に冠絶した救癩事業」であったかどうか、歴史は全く異なる事実を我々に示している。後で示すように、愛生園においても、沖縄の療養所においても、強制収容された患者達の戦争中の異常なる死亡率が、その一端を物語るであろう。

再論の結論部で、早田は、療養所への入所が、いかに癩者にとっても福音であるかを強調しつつ、小笠原について次のような評価を下している。
「(癩は不治であるが)然し治らないからあきらめて療養所に入院しろと云ったところで肯んずるものは殆どない。結局、軽快するから治療せよとすすめるが、一度療養所の門をくぐった時、病者の過半は再び社会生活への欲望を断念するほどに住みやすい處である。最近においては、岡山医大では、癩と診断したものは殆ど愛生園への紹介の労をとる。経済的な圧迫を加えられずに送りうる園内生活に感謝の念を生じないものは一人もない。癩全治の宣伝は世を誤らせること甚だしい、ことにその経済的負担は、その精神生活を悪化させること無限である。浮浪患者が脅迫をやり、窃盗を敢えてするのもその遠因は此処にある。 徒然の友として栄えある使命を達せんとするものは、病者にその正しき道を辿らしめねばならぬ。かう私が書いてきたとき、私の毒舌の対象は小笠原博士であると云ふのではない。私は博士の心境は一番よく知って居る心算である。博士は御祖父の遺志を継がれて真の病者の友として立たれたのである。病者の翹望はなんと言ってもその治癒にある。金オルガノゾルにより大風子油剤以上の効果に驚喜せられた博士は次第に此の薬の虜になられたものである。しかし治療を加えていく裡に次第に不満足の点が生じて来た。神経癩においての後遺症なるものの範囲を拡大されて、治癒の限界の程度を下げられた。しかし、慢性伝染病である関係から特に著名に実害が現れてこない。遂に癩菌そのものの存在すら否定される様になったわけである。伝染病でなければ、隔離は無用である。博士は遂にこんな考へかたから現在皮膚科特別診察室では、特に消毒を厳重にされていない。幼時における御祖父の感化であるかも知れない。かうして治癒の条件を非常に寛大にして浸潤の消褪だけでも治癒と決定されるに至ったものである。即ち、博士の許に於ける治癒率は百%にちかいものになった訳である。夜11時まで外来を許される博士の心やりも良く病者の心理を穿ったものである。同情心は遂に遺伝説にもおよび、伝染病者解放運動に迄進展して行った。前述した不徳義な面々とは雲泥の相違があるり、殊に清貧に安んじられた貴い姿は現世に菩薩を拝するの感がある。
 だが、今や、世相は一変した。個人個人の翹望を容れての医学より、民族全体の浄化を計る時機に到来した。一患者を解放することにより、僅かに少数の犠牲者を出すだけであるからといって、これを許すべき時ではない。将来の犠牲者をまず根絶し、而して後に現在の人たちを救うべき時である。真実に現在の人たちに福音をもたらすためには金オルガノゾルに百倍すべき偉効を有する薬剤を必要とするからである。折角の癩者に対する献身が、病者を溺愛するの余りにあらぬ方向に走りつつあるのを悲しむものであり、私は、今、博士の冷静なる御熟考、御再考を祈りつつ、この稿を終わるものである。
執筆者の早田皓は、長島愛生園医官で、光田健輔のもとで当時、「救らい」活動をしていた。この小笠原との論争の後で、「大東亜共栄圏」の救癩活動の一環として、内地の軽症患者を海を越えて外地に派遣しようと提案した人物でもあった。彼は、日本が侵略した東南アジア地域の癩患者を20万人と推定した上で、療養所を20カ所設置し、それに日本と朝鮮の軽症患者3000人に「個人主義を排撃した精神的な猛訓練」を施し、「全国12カ所に世界に比類なき病者の楽園を築き上げた日の本の癩者達は、御恵を遠く救はれざる民草に及ぼすべき大使命を負はされて居る。救癩挺身隊の出現之こそ日の本の癩者に生まれた幸を獲得する日でなくてなんであろう」と言っている。(「誰が東亜の癩を戡定するか」愛生 1942年4月号)

 早田皓は、のちに、沖縄愛楽園の園長となり、その地で沖縄に於ける癩患者の強制収容、強制労働に奔走した人物でもあった。

付録:愛生園と愛楽園の入所者数と死亡者数の推移

国立療養所    1940  1941  1942  1943  1944  1945  1946
長島愛生園(入所)1533  1784  1883  2009  1851  1478  1299
     (死亡) 119   138   167   163   227   332   163
沖縄愛楽園(入所) 304   357   483   503   835   657   518
     (死亡) 17   19   12   18   58   58   252     

沖縄愛楽園の死亡率が1945年に激増しているが、これは空襲によるものである。米軍が癩療養所を誤爆したことは、戦争犯罪であったが、この空襲時には、患者は全員防空壕に避難していたために、直接に爆撃で死亡したものは少数である。しかし、防空壕を掘る作業は患者の強制労働であり、そのなかでの生活という劣悪な環境が死亡率を増加させた。(清水寛 第二次世界大戦の障害者(1)-太平洋戦争下の精神障害者・ハンセン病者の人権-)埼玉大学紀要教育学科、39巻1号 1990)
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大乗起信論を読む 1

2005-08-10 |  宗教 Religion
なぜ大乗起信論を読み直すか

「大乗起信論」は、本覚思想の成立に多大の影響を与えた書物である。近年、本覚思想は仏教にあらず、という学説が袴谷氏によって提出された。これは、「如来蔵思想」を非仏教的と見る松本氏の説と共に、今日、起信論を読むものが真正面から問題とすべき事柄である。

しかしながらその反面に於いて、「衆生心」そのものに世間的なるもの出世間的なるものも、一切が内蔵されるという「起信論」の根本思想は大乗仏教の真に普遍的なものとしたこと、これによって外来の宗教であった仏教が、内発的なものに転換したという事実も見落とすべきでない。

なによりも現世逃避ないし現世離脱ではなく、否定を肯定へと転換する大乗仏教の精神が、起信論の本覚思想を生み出したのである。本覚思想とは何かを、天台本覚論のごとき頽落態ではなく、本来の姿に於いて、明らかにするために、我々はもういちど「起信論」という原点に立ち返る必要がある。


同時に、「衆生が本来仏であるならば、無明は何を理由にあるのか、そもそも発心や修行は何の爲にあるのか」という、若き日の道元の問によって端的に示される大乗仏教の根本問題もそこに生じてくる。

私は、「本覚思想」の問題は、決して、「何が真正の仏教か」というに留まらぬ射程を持つと思う。たとえば、滝沢克己氏の「インマニュエル」の神人論というのは、私の見るところでは、キリスト教の文脈に於ける「本覚思想」である。それは、超越神論の根強い伝統のもとにあるキリスト教神学に対する根本的問を内包すると同時に、汎神論的な傾向をもつ日本の土着思想に対するラジカルな批判でもあった。

それゆえに、仏教とキリスト教という枠組みをはずして、本覚思想の問題を、宗教哲学の根本問題として論じる必然性があると考える。

以下では、漢訳(サンスクリット原典は知られていない)と、その英訳を手掛かりにしながら議論することとする。英訳としては、真諦のテキストによるものとしてYoshito S. Hakeda 氏のものを使用させて頂く。

また、鈴木大拙による英訳(実叉難陀のテキストに従う)は、一世紀前のものであるが、大拙自身の大乗仏教にたいする見方が反映され、また、彼の「大乗仏教概論」との関連も深いので、大拙自身の思想形成を辿るという意味で、適宜、引用することとする。その他の解説としては、

「大乗起信論講義」      衛藤即應著  名著出版
「大乗起信論読釈」      竹村牧男   山喜房
「如来蔵と大乗起信論」    平川彰編   春秋社
「縁起と空ー如来蔵思想批判」 松本史朗   大蔵出版
「本覚思想批判」       袴谷憲昭   大蔵出版

を参照する。


大乗起信論 伝馬鳴著 真諦訳

THE AWAKENING OF FAITH IN MAHAYANA attributed to Asvaghosha
(translated by Yoshito S. Hakeda)

序分 帰敬偈(三宝への帰依・論述の動機を詩偈に託す)

帰命尽十方 最勝業偏知 色無礙自在 救世大悲者、
及彼身体相 法性真如海 無量功徳蔵、如実修行等。
為欲令衆生 除疑捨邪執、起大乗正信、仏種不断故。

Invocation

I take refuge in the Buddha, the greatly Compassionate One, the Savior of the world, omnipotent, omnipresent, omniscient, of most excellent deeds in all the ten directions;
And in the Dharma, the manifestation of his Essence, the Reality, the sea of Suchness, the boundless storehouse of excellencies;
And in the Sangha, whose members truly devote themselves to the practice,
May all sentient beings be made to discard their doubts, to cast aside their evil attachments, and to give rise to the correct faith in the Mahayana, that the lineage of the Buddhas may not be broken off.



正宗分 (本論の主題と目次)

論曰、有法能起摩訶衍信根、是故応説。説有五分。云何為五。一者因縁分、二者立義分、三者解釈分、四者修行信心分、五者勧修利益分。

The Contents of the Discourse

There is a teaching (dharma) which can awaken in us the root of faith in the Mahayana, and it should therefore be explained. The explanation is divided into five parts. They are (1) the Reasons for Writing; (2) the Outline; (3) the Interpretation; (4) on Faith and Practice; (5) the Encouragement of Practice and the Benefits Thereof.

第一段 因縁分(本論執筆の理由:八箇条・問答)

初説因縁分。問曰、有何因縁而造此論。答曰、是因縁有八種。云何為八。一者因縁総相、所謂為令衆生離一切苦、得究竟楽、非求世間名利恭敬故。二者為欲解釈如来根本之義、令諸衆生正解不謬故。三者為令善根成熟衆生於摩訶衍法、堪任不退信故。四者為令善根微少衆生修習信心故。五者為示方便消悪業障、善護其心、遠離癡慢、出邪網故。六者為示修習止観、対治凡夫二乗心過故。七者為示専念方便、生於仏前必定不退信心故。八者為示利益勧修行故。有如是等因縁、所以造論。問曰、修多羅中具有此法、何須重説。答曰、修多羅中錐有此法、以衆生根行不等、受解縁別。所謂、如来在世衆生利根、能説之人色心業勝、円音一演異類等解、則不須論、若如来滅後、或有衆生能以自力広聞而取解者、或有衆生亦以自力少聞而多解者、或有衆生無自心力、因於広論而得解者、自有衆生復以広論文多為煩、心楽総持少文而摂多義能取解者、如是、此論為欲総摂如来広大深法無辺義。故応説此論。

The Reasons for Writing

Someone may ask the reasons why I was led to write this treatise. I reply: there are eight reasons.
The first and the main reason is to cause men to free themselves from all sufferings and to gain the final bliss; it is not that I desire worldly fame, material profit, or respect and honor.
The second reason is that I wish to interpret the fundamental meaning of the teachings of the Tathagata so that men may understand them correctly and not be mistaken about them.
The third reason is to enable those whose capacity for goodness has attained maturity to keep firm hold upon an unretrogressive faith in the teachings of Mahayana.
The fourth reason is to encourage those whose capacity for goodness is still slight to cultivate the faithful mind.
The fifth reason is to show them expedient means (upaya) by which they may wipe away the hindrance of evil karma, guard their minds well, free themselves from stupidity and arrogance, and escape from the net of heresy.
The sixth reason is to reveal to them the practice of two methods of meditation, cessation of illusions and clear observation (samatha and vipasyana), so that ordinary men and the followers of Hinayana may cure their minds of error.
The seventh reason is to explain to them the expedient means of single-minded meditation (smriti) so that they may be born in the presence of the Buddha and keep their minds fixed in an unretrogressive faith.
The eighth reason is to point out to them the advantages of studying this treatise and to encourage them to make an effort to attain enlightenment. These are the reasons for which I write this treatise.
Question: What need is there to repeat the explanation of the teaching when it is presented in detail in the sutras?
Answer: Though this teaching is presented in the sutras, the capacity and the deeds of men today are no longer the same, nor are the conditions of their acceptance and comprehension. That is to say, in the days when the Tathagata was in the world, people were of high aptitude and the Preacher preached with his perfect voice, different types of people all equally understood; hence, there was no need for this kind of discourse. But after the passing away of the Tathagata, there were some who were able by their own power to listen extensively to others and to reach understanding; there were some who by their own power could listen to very little and yet understand much; there were some who, without any mental power of their own, depended upon the extensive discourses of others to obtain understanding; and naturally there were some who looked upon the wordiness of extensive discourses as troublesome, and who sought after what was comprehensive, terse, and yet contained much meaning, and then were able to understand it. Thus, this discourse is designed to embrace, in a general way, the limitless meaning of the vast and profound teaching of the Tathagata. This discourse, therefore, should be presented.

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大乗起信論を読む 2

2005-08-09 |  宗教 Religion
第二段. 立義分 (本論の主題:仏教の普遍性=大乗の意義と根據)

已説因縁分、次説立義分。摩詞衍者、総説、有二種。云何為二。一者法、二者義。所言法者謂衆生心。是心則摂一切世間法出世間法、依於此心、顕示摩詞衍義。何以故。是心真如相即示摩詞衍体故、是心生滅因縁相能示摩詞衍自体相用故。所言義者則有三種。云何為三。一者体大、謂一切法真如、平等不増減故。二者相大、謂如来蔵、具足無量性功徳故。三者用大、能生一切世間出世間善因果故。一切諸仏本所乗故、一切菩薩皆乗此法到如来地故。

Outline

The reasons for writing have been explained. Next the outline will be given. Generally speaking, Mahayana is to be expounded from two points of view. One is the principle and the other is the significance.
The principle is "the Mind of the sentient being". This Mind includes in itself all states of being of the phenomenal world and the transcendental world. On the basis of this Mind, the meanings of Mahayana may be unfolded. Why? Because the absolute aspect of this Mind represents the essence (svabhava) of Mahayana; and the phenomenal aspect of this Mind indicates the essence, attributes (lakshana), and influences (kriya) of Mahayana itself.
Of the significance of the adjective maha (great) in the compound, Mahayana, there are three aspects: (1) the "greatness" of the essence, for all phenomena (dharma) are identical with Suchness and are neither increasing nor decreasing; (2) the "greatness" of the attributes, for the Tathagata-garbha is endowed with numberless excellent qualities; (3) the "greatness" of the influences, for the influences of Suchness give rise to the good causes and effects in this and in the other world alike.
The significance of the term yana (vehicle) in the compound, Mahayana: The term yana is introduced because all Enlightened Ones (Buddhas) have ridden on this vehicle, and all Enlightened Ones-to-be (Bodhisattvas), being led by this principle, will reach the stage of Tathagata.

第三段. 解釈分 (主題の解説)

已説立義分、次説解釈分。解釈分有三種。云何為三。一者顕示正義、二者対治邪執、三者分別発趣道相。

Interpretation

The part on outline has been given; next the part on interpretation of the principle of Mahayana will be given. It consists of three chapters: (1) Revelation of the True Meaning; (2) Correction of Evil Attachments; (3) Analysis of the Types of Aspiration for Enlightenment.

第一章 顕示正義 (正しい意義を明らかにする:仏教の普遍性=大乗は人々の心に基づく)

Revelation of True Meaning

1. 一心二門 

顕示正義者依一心法有二種門。云何為二。一者心真如門、二者心生滅門。是二種門皆各総摂一切法。此義云何。以是二門不相離故。

One Mind and Its Two Aspects 

The revelation of the true meaning of the principle of Mahayana can be achieved by unfolding the doctrine that the principle of One Mind has two aspects. One is the aspect of Mind in terms of the Absolute (tathata; Suchness), and the other is the aspect of Mind in terms of phenomena (samsara; birth and death). Each of these two aspects embraces all states of existence. Why? Because these two aspects are mutually inclusive.
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大乗起信論を読む 3

2005-08-08 |  宗教 Religion
心真如門
 
心真如者即是一法界、大総相法門体。所謂心性不生不滅。一切諸法唯依妄念而有差別、若離心念則無一切境界之相。是故一切法、従本已来、離言説相、離名字相、離心縁相、畢寛平等、無有変異、不可破壊、唯是一心、故名真如。以一切言説仮名無実、但随妄念、不可得故、言真如者亦無有相、謂言説之極、因言遺言。此真如体無有可遣、以一切法悉皆真故、亦無可立、以一切法皆同如故。当知、一切法不可説、不可念故、名為真如。

問曰、若如是義者、諸衆生等云何随順、而能得人。

答曰、若知一切法難説、無有能説可説、雛念、亦無能念可念、是名随順、若離於念、名為得人。復次、真如者、依言説分別、有二種義。云何為二。一者如実空、以能究竟顕実故。二者如実不空、以有自体具足無漏性功徳故。

The Mind in Terms of the Absolute 

The Mind in terms of the Absolute is the one World of Reality (dharmadhatu) and the essence of all phases of existence in their totality.
That which is called "the essential nature of the Mind" is unborn and is imperishable. It is only through illusions that all things come to be differentiated. If one is freed from illusions, then to him there will be no appearances (lakshana) of objects regarded as absolutely independent existences; therefore all things from the beginning transcend all forms of verbalization, description, and conceptualization and are, in the final analysis, undifferentiated, free from alteration, and indestructible. They are only of the One Mind; hence the name Suchness. All explanations by words are provisional and without validity, for they are merely used in accordance with illusions and are incapable of denoting Suchness.
The term Suchness likewise has no attributes which can be verbally specified. The term Suchness is, so to speak, the limit of verbalization wherein a word is used to put an end to words. But the essence of Suchness itself cannot be put an end to, for all things in their Absolute aspect are real; nor is there anything which needs to be pointed out as real, for all things are equally in the state of Suchness. It should be understood that all things are incapable of being verbally explained or thought of; hence the name Suchness.

Question: If such is the meaning of the principle of Mahayana, how is it possible for men to conform themselves to and enter into it?

Answer: If they understand that, concerning all things, though they are spoken of, there is neither that which speaks, nor that which can be spoken of, and though they are thought of, there is neither that which thinks, nor that which can be thought of, then they are said to have conformed to it. And when they are freed from their thoughts, they are said to have entered into it.
Next, Suchness has two aspects if predicated in words. One is that it is truly empty (sunya), for this aspect can, in the final sense, reveal what is real. The other is that it is truly nonempty (a-sunya), for its essence itself is endowed with undefiled and excellent qualities.

1. 空真如 
 
所言空者、従本已来、一切染法不相応故、謂離一切法差別之相、以無虚妄、心念故。
当知、真如自性非有相、非無相、非非有相、非非無相、非有無倶相、非一相、非異相、非非一相、非非異相、非一異倶相、乃至、総説、依一切衆生以有妄心、念念分別、皆不相応故、説為空。若離妄心、実無可空故。

Truly Empty

Suchness is empty because from the beginning it has never been related to any defiled states of existence, it is free from all marks of individual distinction of things, and it has nothing to do with thoughts conceived by a deluded mind.
It should be understood that the essential nature of Suchness is neither with marks nor without marks; neither not with marks nor not without marks; nor is it both with and without marks simultaneously; it is neither with a single mark nor with different marks; neither not with a single mark nor not with different marks; nor is it both with a single and with different marks simultaneously.
In short, since all unenlightened men discriminate with their deluded minds from moment to moment, they are alienated from Suchness; hence, the definition "empty"; but once they are free from their deluded minds, they will find that there is nothing to be negated.

2. 不空真如 

所言不空者、已顕法体空無妄故、即是真心。常恒不変浄法満足故名不空、亦無有相可取、以離念境界唯証相応故。

Truly Nonempty

Since it has been made clear that the essence of all things is empty, i.e., devoid of illusions, the true Mind is eternal, permanent, immutable, pure, and self-sufficient; therefore, it is called "nonempty". And also there is no trace of particular marks to be noted in it, as it is the sphere that transcends thoughts and is in harmony with enlightenment alone.
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絶対者の人格性と非人格性-1

2005-06-24 |  宗教 Religion
絶対者の人格性と非人格性をめぐって-人格的なるものと最も普遍的なるもの―

田中 裕



日露戦争で弟を亡くした西田幾多郎にたいして鈴木大拙は次のような英語の一四行詩を捧げて追悼の意を表している。(注1)

O human life, what a fragile thing thou art! 
ああ、人の命よ、汝はなんと儚いものか
A drop of dew on a weather -beaten leaf, 
風雨に晒された木の葉の上の露の一滴
By passers’ feet down-trodden; and how brief 
行く人に踏まれ、そしてかくも短き
Thy glitter! Too soon fated to depart 
汝の輝き!あまりにはやく逝く定め
To a region, who perhaps didst thou first start. 
おそらくは汝の来たりし初めの場所に
The mornful thought doth follow us like thief; 
弔う思いは秘やかに我らに従い
Heavily opressed we are without relief;  
打ち沈む我らに安息はない
Eternal void, would thou allay our heart!  
「永遠の空」よ、我らの心を癒やし給え
And yet ours is to strive, to weep, to bear;  
しかし我らの心は、苦しみ、泣き、忍び
Human are we, with fire in our veins burning; 
人である我らには血潮がたぎる
To Reason’s hollow talk let’s not concede. 
理性の空虚な話には耳を貸さぬように
Our tears run free, the heart its woes declare! 
涙を存分に流し、心は悲しみを叫ぶ
From every grief endured life’s lesson learning 
耐えた一つ一つの悲みから人生の教えを学び
Into the depths of Mystery we read.  
「不可思議」の奥底にそれを深く読みとる


この追悼詩のなかで、若き大拙が、キリスト教徒ならば、神(God)と呼びかけるべきところにで、「永遠の空」Eternal Void と云い、次に「汝(thou)」と呼びかけている事に注意したい。すなわち、キリスト者ならば

「神」よ、我らの心を癒やし給え     God, would thou allay our heart!

と人格神によびかけるべき場所で、大拙は

「永遠の空」よ、我らの心を癒やし給え  Eternal Void, would thou allay our heart!

と呼びかけているのである。そこでは、あたかも「空(eternal void)」が人格化され、「汝」として呼びかけられているかのようである。 大拙は、何故このような表現を使ったのであろうか。 
何故にEternal Void という否定的な表現から、「我々の心を癒す」べき「汝」という人格への呼びかけが可能となるのであろか。また、それは、絶対者の人格性、ないし、非人格性という問題に対して、どのような関わりを持っているのであろうか。

語の普通の意味に解するならば、Eternal Void は、肉親あるいは自分にとってもっとも親しきものの死に直面した空虚感、やるすべのなき感情であろう。 何によっても癒されることのない「空しさ」という意味が第一の意味である。それは、この世の儚さがもっとも切実に感じられる瞬間であろう。その「空しさ」は、理性によって克服されるものではなく、ただ「苦しみ」「泣き」「忍ぶ」という人間的な感情をそのままに吐露することによってのみ耐えることが出来る。そういう、全人格的な存在の根柢から「汝」という呼びかけが起きる。そして、「理性の空虚な話」には耳を傾けずに、「涙を存分に流し」「耐えた一つ一つの悲しみから人生の教えを学び」「神秘の奥底にそれを深く読みとる」ことを詠んで、このソネットは終わっている。

「永遠の空」といっても、それは佛教哲学で理論的に語られている「空性」のように、非人格的なものではなく、そのただなかから「汝」への呼びかけを可能ならしめるような「空」である。
この詩を捧げられた頃の西田自身もまた、鈴木の書簡に呼応するかのように、肉親の死に見舞われた友に宛てて次のように文を残している。(注2)
ものには皆値段がある。一人、人間は値段以上である、目的そのものである。いかに貴重なる物でも、そはただ人間の手段として尊いのである。世の中に人間ほど尊いものはない、物はこれを償うことはできるが、いかに詰まらぬ人間でも一のスピリットは他の物をもって償うことは出来ない。(中略)
今まで愛らしく話したり、歌ったり、遊んだりしていたものが、忽ち消えて壺中の白骨となるというのは、いかなる訳であろうか。もし人生はこれまでのものであるというならば、人生ほど詰まらぬものはない。ここには深き意味がなくてはならぬ、人間の霊的生命はかくも無意義のものではない。死の問題を解決するというのが人生の一大事である。死の事実の前には生は泡沫の如くである。死の問題を解決し得て、始めて真に生の意義を悟ることが出来る。

この西田の文には、あきらかに、人間を手段としてではなく目的として扱うべきことを説いたカントの人格主義の影響があるが、たんなる実践理性の倫理的な要請としてではなく、肉親の死という出来事に直面したときの個人の根源的な悲哀の情念と、それにもとづく全人格的な応答として書かれている。

哲学が絶対智を問題にするとすれば、それは、プラトンの「善」やアリストテレスの「不動の動者」のごとき非人格的・非歴史的なる超越者を志向するのが一般的である。ユダヤ・キリスト教的な宗教的世界のごとく、人格的・歴史的なる「神」への信仰は、哲学的知恵から見れば「愚かなこと」であり、理解しがたい世界である。しかしながら、「善の研究」の宗教論のテーマは「神」でり、最終章に付加された「智と愛」において、西田は、
神は分析や推論に由りて知り得べきものでない。實在の本質が人格的の者であるとすれば、神は最人格的なものである。我々が神を知るのは唯愛又は信の直覺に由りて知り得るのである。故に我は神を知らず我唯神を愛す又は之を信ずといふものは、最も能く神を知り居る者である。
と云っている。(注3)すなわち、当時の西田にとっては、人格的なる實在の本質は、非人格的なるものに向かう分析的知性によってではなく、「愛」または「信」という絶対者への人格的関係によってこそ認識されるものであったといえよう。

『善の研究』では、「意識現象のみが唯一の實在である」という実在論の立場がとられたが、当時の西田が理解していた意識現象とは知・情・意のすべての精神活動が含まれており、人格的存在と不可分のものであったと言ってよい そのような個人的精神の働きは、「神性の分化せるもの」であり、「各自の発展は即ち神の発展を完成する」ものである。我々が何事かを知るという働き、何事かを感じ、そして愛するという働き、何事かを意欲するという働き等、すべての意識現象の根柢にある「統一的或るもの」を「神」として人格的に把捉せしめる「愛」もしくは「信」の働きが強調されている。

我々の個人的な知情意の根柢に、分析的知性の及ばぬ人格的な絶対者を信仰によって直観するという議論は、鈴木大拙の「大乗佛教概論」(Outlines of Mahayana Buddhism)にも見られる。「善の研究」が西田哲学の原点ということが言えるとすれば、鈴木大拙の「大乗佛教概論」は、彼の佛教思想の原点が何処にあったかを我々に教える書でもある。この書は、二十世紀の米国の読者に向けて書かれた大拙自身の「大乗起信論」という性格をも持っている。それは、中国を経由して日本に伝えられた大乗佛教の伝統の中から、現代に通じる普遍性を持つ宗教思想を大乗佛教者として生きている大拙自身が主体的に選び取ったものであったが、大拙は、大乗佛教に於ける絶対者の人格性の問題と深く関わりを持つ「法身(dharmakaya)」の概念について、次のような注目すべき独自の見解を示している。 (注5)
法身は基本的に三種の面で我々の宗教的意識の中に映し出される。第一は知恵、第二は愛、第三は意志である。法身が知恵であることは、法身が宇宙の流れを盲目的にではなく合理的に方向付けるという言明から知ることが出来る。また、法身が愛であることは、それが一切の生き物を慈父の優しさで包み込むことから知られる。そして、それが意志であると考えざるを得ないのは、この世の一切の悪が最終的には善になっていくことを確固たる活動の目的にして居ているからである。意志がなければ、愛と知恵は現実化しないであろうし、愛がなければ、意志と知恵は推進力を失ってしまう。そして知恵がなければ、愛と意志は不合理なものとなってしまうであろう。実際、この三つの側面は互いに協力しあって法身の唯一性を成り立たせているのである。(中略)佛教者たち、とくに浄土系の佛教者達は、法身のうちに、全能の意志、すべてを包含する愛、そして一切を知る知恵が存在していると考える。しかし、彼等は、より知性的でない信奉者やちの心に、もっと具体的な表象を、もっと人間的な姿で著し出そうとする。そして其の結果、法身は絶対的なものであるにも関わらず、一切衆生を生死の苦しみから解放するために、自分自身に向けて祈るのである。しかし、法身が自己の内奥の本質から起こす、この自分自身に向けられた祈りこそが、まさしく法身の意志をかたちづくるものなのではないか。(But are not these self-addressed prayers of the Dharmakaya which sprang out of its inmost nature exactly what constitutes its will?)
ここで、大拙のいう「自分自身に向けられた祈りself-addressed prayers」という言葉に注目したい。この祈りは、自己自身に向けられた「法身」の祈りであるが故に、神々と人間との取引としての祈祷―相対的な祈り-とはことなり、絶対者としての法身自身の本性に従う自発的なる「意志」として捉えられている。すなわち大拙は浄土真宗に云う「本願」を、究極的には、そのような法身の「自己自身に向けられた祈り」として捉え、それを法身自体の「自らなる意志(spontaneous will)」と解釈しているのである。(注6)  

このような大拙の大乗佛教解釈は何処に由来するのであろうか。それを解く鍵の一つは、大拙自身が英訳した「大乗起信論」の真如熏習を論じている次のような箇所であろう。注7
普遍的な知恵と普遍的な意欲をもってすべての佛陀と菩薩は一切の衆生の普遍的な救済を達成することを望む。彼等の側にあってはこの要求は永遠であり自ずからなるものである。そしてこの知恵とこれらの意欲が一切の衆生を熏習する力を有するので、衆生は、佛陀や菩薩を思い想起させられ、ときに彼等に聴き、ときに彼等を見、一切衆生は(霊的な)利益を得るのである。すなわち、純一な三昧に入り、彼等が出会う障害を滅ぼし、宇宙の絶対的な一性を意識することを可能ならしめ、無数の佛陀と菩薩を見ることを可能にするすべてを貫く洞察を獲得するのである。

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絶対者の人格性と非人格性-2

2005-06-23 |  宗教 Religion
絶対者の人格性と非人格性-人格と最も普遍的なもの-2

 次に、「大乗起信論」の帰敬偈をみてみよう。ここでは、よく読まれてきた真諦譯のテキストと、鈴木が従った實叉難陀譯のテキストの両方を考察する。

佛法僧への三帰依を表明する偈は、キリスト教において三位一体の神への信仰を表す信仰宣言が多くの宗派に共通であるのと同じく、佛教の諸宗派に共通して重んじられ、佛教的な信の根本をなすものであろう。後で、キリスト教に於ける信仰宣言の代表的なものとして使徒信条をとりあげるが、それらを対比することは、佛教とキリスト教に於いて、信仰宣言あるいは三帰依のよりどころである絶対者の持つ人格性ないし非人格性の特質を考察する手掛かりになるであろう。 まず、真諦訳のテキストの帰敬偈を英訳とともに参照する。
帰命盡十方 最勝業遍知 色無礙自在 救世大悲者、及彼身体相 法性真如海 無量功徳蔵、如実修行等。為欲令衆生 除疑捨邪執、起大乗正信、佛種不断故。

I take refuge in the Buddha, the greatly Compassionate One, the Savior of the world, omnipotent, omnipresent, omniscient, of most excellent deeds in all the ten directions; And in the Dharma, the manifestation of his Essence, the Reality, the sea of Suchness, the boundless storehouse of excellencies; And in the Sangha, whose members truly devote themselves to the practice, May all sentient beings be made to discard their doubts, to cast aside their evil attachments, and to give rise to the correct faith in the Mahayana, that the lineage of the Buddhas may not be broken off. 注9

「佛」に対するこの帰依文は、大乗佛教に於ける人格的なものに対する「信」を表していると言ってよかろう。最初に云われる「佛」を the Savior of the world, omnipotent, omnipresent, omniscient, of most excellent deeds in all the ten directions と単数形で訳し、さらに、omnipotent、omniscient, omnipresent という用語を使って訳しているためでもあるが、この英文に訳された「Buddha」は、殆ど一神教的な印象さえ与える。「佛」をキリスト教の「神」と言い換えてもさほど不自然さを感じないであろう。

そして、次に帰依されるべき「法」は、「彼の身の體相」といわれている。「法」を「佛」という人格的存在の「本質の顕現」としたうえで、かかるものとしての「法」への帰依が説かれている。すなわち、佛という人格性が、我々にとっては先なるものであり、「彼の本質の顕現 the manifestation of his Essence」が「法」として位置づけられている。いいかえれば、三宝それ自体は三一的であるが、修行者が帰依を表明する場合、「佛」が最初に帰依されるべきものであり、次に、「佛の本質の顕現」としての「法」への帰依が説かれ、しかるのちに「僧」への帰依が語られる。

次に實叉難陀のテキストに従う大拙の英訳を参照する。

帰命盡十方 普作大饒益 智無限自在 救護世間尊、及彼体相海 無我句義法 無辺徳蔵僧、勤求正覚者。為欲令衆生 除疑去邪執、起信紹佛種、故我造此論。

Adoration to the World-honored Ones in all ten quarters, who universally produce great benefits, whose wisdom is infinite and transcendent, and who save and guard [all beings].
[Adoration] to the Dharma whose essence and attributes are like the ocean, revealing to us the principles of anatman and forming the storage of infinite merits.
[Adoration] to the congregation of those who assiduously aspire after perfect knowledge.
That all beings may rid themselves of doubt, become free from evil attachment, and, by the awakening of faith, inherit Buddha-seeds, I write this Discourse.

大拙訳は、Hakeda訳とは違って、「佛」は、単数ではなく複数であり、盡十方の世界にあまねく存在する「世間尊」(the World-honored Ones)としての「佛」への帰依となっている。 「法」とは「世間尊」の教えた「無我の教法」であり、その「法」の「本質と諸属性=體相」が海の如く無限の功徳をもつと訳している。

 このように三帰依においては、人格的存在としての「佛」への帰依が最初に来ものであり、次に、その人格的存在の本質ないし諸属性(體相)としての「法」への帰依がいわれ、最後に「如実に修行する」僧への帰依がいわれる。

 これに対して、起信論の本論の叙述に於いては、その「発起序」において「有法能起摩訶衍信根、是故応説」とあるように、「信」を起こす「法」が説かれ、その「法」のありかたが、「一心二門三大」として具体的に縷説されるが、そこでは、事柄自体に於いて、「法」は「佛」よりも先なるものとして叙述されている。そこでは、必ずしも「教法(佛陀の教え)」というにとどまらず、教法や佛陀という人格の根柢にあるもの、法を法として成り立たせ、佛陀をして佛陀たらしめている根源が「真如」という言葉によって指示されている。

衛藤即應は、「大乗起信論講義」において、事柄自体に於いては、「法」が「佛」の根源であるということについて次のように云っている。 注9
佛の教法とは、佛が佛になることに由って、佛を通して始めて見出された常恒不變の法を衆生に示されたのである。もし後から法と佛とを離して見るならば、法は佛によって今始めてある所のものではなくして、始めより有りし所のものとして佛陀の自覚の絶対性を裏付けてゐるものである。かくて、法は佛に論理的に先行するもの、即ちアプリオリティを持つものである。
衛藤に依れば、佛教に於いては、法は佛よりも、高き位置を占めるものであって、それでこそ覺者の絶対性が保証されるが、これを衆生に対して見る時には、「佛は法よりも高き位置を占むるものであり」「佛は法の上に位し、佛法僧の三寶の順序が成立する」と云う。つまり事柄自体に於いては非人格的なる「法」こそが、人格的なる「佛」よりも根源的であるが、我々衆生にとっては、「佛」のほうが、「法」よりも先なるものであるというのが、起信論に限らず、佛教に汎通的であると思われる。
しかし、「法身の(平等無差別の)意志」を云う大拙の場合は、どうであったのだろうか。彼に於いては、むしろ、形而上学的な原理である「真如」ではなく、根源的な人格性を帯びている法身そのものが、宗教としての大乗佛教の根底をなすものであった。大拙は「宗教的對象」としての「法身」について次のように云う。 注10
法身は一心であり意志を持ち認識する存在であり、それ自体が意志と知性、思想と活動にほかならぬ一なるものである。大乗佛教徒が理解しているように、法身は真如のような抽象的な形而上學的原理ではなく、思想のみならず自然界にもその姿を現している生きた精神である。この精神の一表現としての宇宙は、盲目的な諸力の意味のない戯れではないし、様々な機械的な諸力の闘技場でもない。そのうえ、佛教徒は、法身には無数の功徳と美徳、絶対に完全な知性があると考え、それを愛と慈しみの無盡蔵の源泉とするのである。
上のような大拙の「大乗」佛教觀が、たとえばインドで成立した大乗佛教の客観的・学問的な解説として歴史的に妥当するかどうか、については様々な異論があるであろう。しかしながら、「大乗」という言葉を、インドに於いて歴史的に成立し、中国やチベット、朝鮮や日本に伝えられた特殊な宗教運動としてのみ捉えるのでなく、ちょうど「起信論」著者がそのように解したように、「大いなる教え」すなわち、「本質に於いても属性に於いても働きに於いても、最も「大いなる」教え、最も普遍的な宗教的教えという意味にとれば、大拙の概論は、そのいみでの「佛教の普遍性」を現代人に示した書物なのである。

============================

注1 『鈴木大拙未公開書簡』(井上禅定 禅文化研究所 1989)による。日本語訳は英文から、筆者が直接に訳した。

注2 「國文學史講話」の序(西田幾多郎全集第一巻 418頁)

注3 「善の研究」の最終章(西田幾多郎全集第一巻 200頁)

注4 『善の研究』で西田の云う「意識」は、西欧哲学のconsciousnessが、意志とは区別されるのに対して、「意志」という要素を「感情」とともに含む事、精神的現象のすべてを含むことに注意すべきである。

注5  D.T.Suzuki、Outlines of Mahayana Buddhism, Schocken Books, New York, 1963, pp.240-241.

注6 このような法身觀は、鈴木の「大乗佛教概論」の書評を書いたプサンによって「法身の意志という考えは、インド大乗佛教の特質ではなく」「鈴木の思想は、佛教ではなくヴェーダンタ哲学や、キリスト教的な一神教的世界に近い」と批判された。(The Journal of the Royal Asiatic Society of Great Britain and Ireland, 1908, pp.885-894)(鈴木大拙、「大乗佛教概論」、佐々木閑訳、岩波書店、2004、428頁の訳者注参照)この書評で、プサンは鈴木の大乗佛教思想に対する日本真言宗の影響を示唆しているが、鈴木の思想は、真言宗の法身觀に直接に影響されたものというよりは、真言宗の教義にも多大の影響を与えた「大乗起信論」そのものに由来すると考えるのが適切であろう。

注7 Suzuki & Goddard, The Awakening of Faith in the Mahayana and its Commentary, The Principle and practice of Mahayana Buddhism, SMC Publishing INC, Taipei, p.93
This book was first published in 1907 by Luzac and Company, London.
これは、實叉難陀譯の漢文テキストに依るものである。参考までに漢訳原文を示すと、
一切諸佛及諸菩薩以平等知恵平等志願普欲抜濟一切衆生。任運相續常無斷絶。以此知願熏衆生故令其憶念諸佛菩薩或見或聞而作利益。入浄三昧随所斷障得無礙眼於念念中一切世界平等現見無量諸佛及諸菩薩。(兩譯對照内容分科 大乗起信論 明石恵達著 永田文昌堂 昭和62年、38頁)

注8 この英訳は、Yoshito S. Hakeda, Awakening of Faith Attributed to Asvaghosha, (Columbia Univ Pr 1974)による

注9 衛藤即応 「大乗起信論講義」(大蔵経講座12 名著出版 復刻版 昭和六〇年)

注10 Suzuki、op.cit. pp.222-223.

注11 池田魯山「現代語訳 大乗起信論-佛教の普遍性を説く」(大蔵出版 1998)では、「大乗」を「普遍性」と訳している。
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絶対者の人格性と非人格性-3

2005-06-22 |  宗教 Religion
絶対者の人格性と非人格性-人格と最も普遍的なもの-3

前節で、大乗起信論の帰敬偈について考察した。それは佛・法・僧への三帰依のあり方を考察したのである。「佛」が人格的、「僧」が社会的であるとすれば「法」は、その根柢にある非人格的なるものである。しかし、「佛を見るものは法をみる」というごとき言い方に如実に表れているように、佛法僧の三帰依は一体をなしており、不即不離の関係にある。

佛教の場合、「佛陀Buddha」 という言葉自身に「覺者(目覚めたもの)」という意味が含まれているのであるから、第一義的には「覺の宗教」である。佛陀が覚するものは「法」であり、「法」は釈尊という一人の人格的存在が歴史的に登場する以前から、いうなれば久遠の昔から、厳然としてあるものであり、その「法」の真實とその働きに目覚めた「人」が「佛」である。釈尊は、そのような佛の一人、すなわち先覚者であろう。したがって、佛教に於いては、いかに崇敬されるべき教祖といえども、法はその人個人の専有物ではなく、むしろすべての佛陀を佛陀として生かす根源として、それ自体は非個人的ないし超人格的なる「普遍」として了解されていたと言ってよかろう。
しかしながら、『善の研究』を書いた頃の西田幾多郎にとっても、また『大乗起信論』を英訳し、みずから『大乗佛教概論』を書いた鈴木大拙にとっても、實在の根柢には人格的なものが深く関わっていたことを確認した。そして、大乗起信論の三帰依や、法身の概念、大拙による人格的な捉え方を検討することによって、「佛教の普遍性」としての「大乗」という概念に至った。

この節では、焦点を佛教からキリスト教に移し、まず、使徒信条を手びきとして、キリスト教の普遍性という問題を考察する。そして、キリスト教の有する「普遍性」は、他ならぬ「この私」という絶対的に個的な人格と不可分であることを示したい。

使徒信条は、いわゆるローマンカトリック、アングリカン・カトリック(聖公会)、プロテスタントの諸宗派に共通する信仰宣言であり、キリスト教信仰の要をなす三位一体の神への信仰を告白したものである。

その内容を理解するために、日本語の典礼訳だけでなく、原文のラテン語と英訳を参照しつつ、とくに「カトリック教会とは何か」という問題に焦点を合わせて考察したい。

使徒信条は、父と子と聖霊の三位一体の神への信仰を宣言したものだが、その三番目の、聖霊への信仰を宣言する箇所で、「聖なる普遍の教会」という言葉が出てくる。

日本語典礼訳:聖霊を信じ、聖なる普遍の教会、聖徒の交わり、罪のゆるし、からだの復活、永遠のいのちを信じます。アーメン。

ラテン語典礼文 Credo in Spiritum Sanctum; sanctam ecclesiam catholicam; sanctorum communionem; remissionem peccatorum; carnis resurrectionem; vitam æternam. Amen.

英訳 I believe in the Holy Ghost; the holy catholic Church; the communion of saints; the forgiveness of sins; the resurrection of the body; and the life everlasting. Amen.

まず、注意すべき事は、信仰宣言のもつ人称性である。それは、「私は信じる」と述べるものなのであって、決して「我々は信じる」ではない。常に「一人称単数」で宣言するところに、信仰宣言ないし信仰告白(Credo=I believe)の特徴がある。それは、信仰共同体としての「我々」の中に個の主体性を埋没させることではなく、あくまでも「一個人に徹する」ことを通じて、「普遍の教会」を信じることを「公に」宣言するのである。

次に、「聖霊への信仰」が、同時に「聖霊のうちにある信仰」であること。聖霊こそが、そこにおいて「私は信じる」という信仰の生起する場所なのである。そして聖霊の場に於いて「聖なる普遍の教会」すなわち「カトリック教会」への信仰が生起する。

日本語典礼訳の「聖なる普遍の教会」は英訳では、 the holy catholic church すなわち「聖なるカトリック教会」と訳されている。この点では、日本語訳の方が、良いと思う。ここでのカトリックとは、プロテスタントを排除するものではないからだ。アメリカのプロテスタント教会では、the holy Christian Churchと訳して、catholic という語を避ける場合もあるし、日本のプロテスタント教会では、「聖なる公同の教会」と訳すことが多い。ようするに、カトリックとは、公同的、普遍的といのが原義なのである。

「普遍の教会」という原点に立ち返って考えるならば、そこでいうカトリックとは、けっしてプロテスタントに対するカトリックという如き意味に特殊化されるべきではない。プロテスタント教会もまた、使徒信条を自らの信仰の拠り所としている限りでは、カトリックでなければならないからである。ローマン・カトリック=カトリックと考える人もいるが、真に普遍的なものに、西も東もなく、ローマも東京もないであろう。ラテンアメリカの人も、アフリカの人も、ヨーロッパの人に劣らずカトリック的であり得る。それ故に、真のカトリックとは民族という特殊性から自由でなければならないし、特定の教派からも自由でなければならない。 私は、さらにもう一歩を進めて、日本の「無教会主義」のキリスト教、とくにその原理を旧約聖書にまで遡って、理解しようとした関根正雄の「無教会思想」のなかにもまた、本来的な意味でのカトリックの原点を見る。ここに云う「無」は教会の否定ではない。「無」の場所に徹するところに「聖霊への信仰」があり、聖霊の内にあることこそ、新たに誕生し、あるいは刷新されるべき教会の原点なのである。 もし「無」が西田哲学に於けるように、決して主語として対象化され得ない究極の普遍であるとするならば、「無教会」こそが真の「普遍の教会」であると云うことも出来よう。そのような、究極の普遍としての「無の場所」において「私は信じる」と個人の信仰を「公に」宣言するところに、真正の意味に於けるカトリック信仰があるであろう。
  
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絶対者の人格性と非人格性-4

2005-06-21 |  宗教 Religion
絶対者の人格性と非人格性-人格と最も普遍的なもの-4

前節では、使徒信条に於ける個人の人格と普遍の教会との関係について論じたが、『大乗起信論』の帰敬偈が拠り所とする「佛法僧」の三位一体と比較して、使徒信条の三一神への信仰告白は、それらが一人称単数で、自己の責任に於いて語られるという事を指摘した。

この一人称単数の「私」のもつ普遍性、公同性は、キリスト教信仰の特質である。そして、そういうカトリック的信仰においては、更に、信仰の対象そのものが、歴史的な存在であるイエス・キリストの人格に関わるものであるということは云うまでもないであろう。とりわけその受肉、十字架上の死、黄泉への降下、死者の内からの復活、昇天して父の右に座すキリストという歴史的人格的な存在への信仰をキリスト者が告白する点で、そこには佛教よりも遙かに人格的な色彩の強いものがある。

それは、非歴史的な普遍者を原理とするギリシャ的な哲学的理性とは容易にふれ合わぬものであるが、一個の歴史的人格を原点とする福音書の物語的な統一性が、人格から人格へと響き渡るメッセージを内包することによって、歴史的世界に於ける個人の人格的な行為を直接に喚起するという働きを持っている。

日本語に於いて、「人格の尊厳」、「人格の回復」、「人格の形成」などの成句に見られるように、「人格」という言葉は既に市民権を得ている。基本的人権とは、「個人の譲渡できぬ生得的権利」のことである。また、「人格への配慮 cura personalis」とは、多くのカトリック系の教育機関が標榜している「人間教育」の基本原理である。

しかし、たとえば、「人間」と「人格」は何処が違うのか。日本語に即して云えば、人間が文字通り「人と人の間」(関係性)すなわち、社会性を含意するのに対して、「人格」は「個人性」をも含意するようにも思われるが-その両者、すなわち社会性と個人性とは如何なる関係にあるのか、こういった基本的な事柄に対して、必ずしも我々は明瞭な自覚を持っているとは言い難い。

嘗てジャック・マリタンは、「個体(individu)」と「人格(personne)」を区別して使うことを提案し、「個体は社会のために存在するが、社会は人格のために存在する」という原則を以て、キリスト教的な人格主義の原則となした。この定式は、今から六〇年以上も前のものではあるが、当時のヨーロッパを席巻していた全体主義的イデオロギーを批判すると同時に、資本主義諸国に於けるブルジュア的個体主義をも同時に批判し、個人の人格の尊厳を第一義的とみなすキリスト教的な人格主義のあり方を提示するという文脈の中で提出されたものである。「個人」と「人格」との区別は、存在論的な議論を必要とすると同時に、社会福祉のような実践の場面に於いて深い関わりを持つものである。(注12)

しかしながら、日本に於いて「人格」や「個人」という言葉は、宗教的な背景ないし含意は捨象された上で使用されることが多いのではないだろうか。個人の人格を何よりも重んじるという考え方は、キリスト教信仰によって人類の思想史に提供されたものである。それは、単なる哲学的思索ではなく、哲学に先行するキリスト教信仰の所与にほかならぬ聖書の読解から生まれたものであること-このことをまず確認しておこう。

人格神の概念は、我々が聖書に於いて出会う神とは誰か-キリストとは誰かという、キリスト教にとって二つの枢要なる問いかけから生まれたものである。 信仰が自己反省を始めるやいなや、これらの根本的な問いかけに対して、キリスト教的な思索はギリシャ哲学に於いてはそれまで使用されていなかった「人格(prosopon=persona)」という概念を使った。それによって、キリスト教的思索はこの言葉に新しい意味を与え、新しい次元を開いたといえる。
ここでは、人格概念の成立を廻る教理の歴史にたちいる余裕はないが、幾つかのポイントを押さえておきたい。  

まず取り上げるべき思想家はテルトリアヌスであろう。彼は「三つの人格的存在をもつひとつの実体una substantia―tres personae」という三位一体論のなかで 人格的存在(persona)という語を用いて、キリスト教的な神概念を定式化した。テルトリアヌスは、「不合理故に我信ず」とか「アテネとエルサレムとのあいだに何の関わりがあるか」という言葉で知られている護教家であるが、聖書の神の本質(essentia) ないし実体(substantia)が不可知であるにしても、神の内なる三つの人格的存在は、不可知なる神の本質を我々に分かる言葉によって、聖書の啓示として語ることを可能にするのである。人格的なる神は、決して知性による認識を絶する闇の中に留まっているわけではない。それは、我々にむけて語られる聖書のメッセージの中に現存している。

いうなれば、神の不可知なる本質から、言葉へと語り出るところに三位一体という「人格的存在(persona)」が立ち現れるのである。したがって、このような三位一体の人格神の意味するものは、「信仰の神秘」を知性に解消することなく、むしろ知性を「信仰の神秘」へと人格的な言葉を通して導くものである。 三位一体論は、人間の知性による内在的了解を常に越えでるものであるが、それを把握することから、神と人との人格的関係と内的対話に基づくキリスト教的思索が始まるという意味で、決して反知性的なものではない。

もっとも神を人格化して語ると云うことだけならば、かならずしもキリスト教的とは云えないであろう。古典ギリシャ時代には、ヘシオドスやホメーロスの如き詩人はテオロゴイ(神を語る人=theologian)と呼ばれたが、彼等は、物語に生気を与えるために、神々を人格的存在として描き、彼等に語らせ、それによって物語を進行させる。人格的存在は、様々な「役割」をもっており、そのもろもろの役割を通して、行為が対話の中で描き出されるのである。もともと、「ペルソナ」とは、「役割」を意味し、俳優の付ける仮面を意味していたことが想起されねばなるまい。神話や物語に生命を与えるために詩人達が創造した劇的役割、対話的役割を明らかにすることは、「人格的釈義」と呼ばれたが、初代の教父達もまた、この人格的釈義を聖書釈義に盛んに応用した。教父達は、神が複数形で導入され、自己自身と語るという事実を、人格的に釈義したのであり、それによって、「人格」という言葉に新しい意味が生まれた。

二世紀中頃にユスチノスはすでに「聖なる著者は異なる人格的存在(persona)、異なる役割を導入している」と書いている。聖書の釈義家達によって導入された「役割」は、対話的な実存として、単なる現象にはとどまらぬものを持っているので、「預言者があたかも一人の人が語っているかのように述べるのを聞くとき、諸君は、それらが霊に満たされた者達(すなわち預言者)によって話されたと思ってはならない。そうではなくて、それは彼等を動かしている御言葉(ロゴス)によって語られている」と ユスチノス は言う。だから、預言者によって導入された対話的な役割は、決して単なる文藝上の装置ではない。

「役割」はたしかにあるが、それは、「ペルソナ」であり、「顔で」あり、此処で真実を語りつつ、預言者との対話的関係に参入する「御言葉」そのものである。

 人格的存在の概念は、聖書を読みそれを釈義することの中から生まれたが、それは、対話の観念、より詳しく言えば、対話的に語る神現象の「人格的釈義」に起源を有つ。神自身が物語る聖書、人との対話のなかに現存する神が人格の概念を成立させたのである。我々が聖書によって導き入れられる根本現象は、物語る主体としての三位一体の人格神であり、語りかけられる個人(=person)である。このように、人格の観念は、その起源に於いて、対話の観念と対話的存在としての神の観念を表現している。人格は、ロゴス(言葉)の中に現存し、「私」「あなた」「我々」のような言葉から成立する存在としての神を示している。

五世紀を迎えると、キリスト教神学は、「神は三つの人格に於ける一つの存在」であるというキリスト教的な人格神のテーゼの含意するところを、ギリシャ哲学の論理的なカテゴリーを踏み越えて表現できるような段階に達した。神学者は「人格」は「実体」としてではなく「関係」として理解しなければならない、ということに気づいたのである。

神における三つの「人格的存在」は、並列するあるいは序列を有つ三つの異なる実体なのではなく、具体的な活動としての関係に他ならない。活動する関係、ないし関係づけられて活動することは、「人格的存在」という「実体」に付け加えられる何ものかであるのではなく、それは「人格存在」そのものなのである。その本性に於いて、人格的存在はただ関係としてのみ活動するのであって、実体として存在するのではない。

たとえば第一の人格的存在(父)は、第二の人格的存在(子)を生むという活動をなすが、この働きはすでに完成した人格的存在に付加されるものではなく、その人格的存在が、生むという活動、自己を与えるという活動、自己を発出させるという活動そのものなのである。人格的存在とは、この自己贈与の活動と同じである。

一つの人格的存在は他の人格的存在に向けられた純一な関わりであるが、さらに人格的存在を、相互内在をもたらす関係性すなわち、ペリコーレーシス(回互性)と捉えることができる。父と子と聖霊は、どのひとつの人格的存在をとっても、他の二つの人格的存在が内在するといういみで、純一なる他者への関係となるのである。人格は実体のレベルにあるものではなくー実体は一である-対話的な現実性、他者への純粋な関係性のレベルにある。

かつてキルケゴールは「死に至る病」のなかで、人間精神を「関係が関係自身に関係するような関係」と規定したが、それはここでいう人格の規定にも当て嵌まる。他者への活動的な関係において、自己自身に関係し、自己同一を保持する純一なる関係こそが、「出来事」であると同時に「存在」でもある人格を形成するのである。

======================================

注12 キリスト教における「人格主義」と、人格概念の起源に関する文献は多い。ここでは特に以下の文献を参考にした。

Jacques Maritain, “The Human Person and Society”, in Scholaticism and Politics, Books for Libraries Press, 1940,
Hans Urs von Balthasar,“On the Concept of Person,”Communio 13 (1986);
Josef Ratzinger, Concerning “Retrieving the Tradition Concerning the Notion of Person in Theology, ”Communio 17(1990).


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絶対者の人格性と非人格性-5

2005-06-20 |  宗教 Religion
絶対者の人格性と非人格性-人格と最も普遍的なもの-5


西谷啓治の「宗教とは何か」はReligion and Nothingness というタイトルで University of California Press から1982年に出版された。そのなかで、とくに「宗教に於ける人格性と非人格性」という章をとりあげ、彼のエックハルトに対する考え方を手引きとして、佛教とキリスト教に通底するものを確認しておきたい。

西谷の「宗教とは何か」の議論は、「人格」と「絶対無」との関わりを巡って展開する。彼は次のように言う。
人格としての人間という観念が、従来現れた最高の人間観念であったということは疑ひない。人格としての神といふ観念についても同様である。主体的自覚が確立されて以来、人格としての人間といふ観念は殆ど自明的になってゐる。しかし、人格といふものについて従来一般に考へられてきたやうな考へ方が、果して唯一の可能な考へかたなのであらうか。(注13)


「人格といふものについて従来一般に考へられてきた考え方」ということで、西谷が意味しているものは、おそらく、デカルトの自我の概念、あるいはカントの人格概念などの近代に固有のものに限らず、ギリシャ哲学にまで遡る基本的な思惟のありかた指して語っており、「我」を何らかの形で実体化して捉える人格概念を指してていると思われる。

我々は第一節に於いて、『大乗起信論』や大拙の『大乗佛教概論』を手引きとして、佛教的な思索の展開の中で、とりわけ佛法僧の三一性において如何に人格的なるものが語られ得るかを論じた。いうまでもなく、佛教の根本は「無我説」であり、実体化された自我の存在は斥けられる。しかしながら、佛教には「法灯明」「自灯明」という佛陀の遺言にみられるように、客観的な「法」とともに、主体的な「自己」が拠り所である。そのような自己は、他者に対して閉ざされた實體ではなく、前節でキリスト教的な「人格主義」の説明で述べた言葉を使うならば、「個体」ではなく、「人格」であるということができよう。

人格を實體としてとらえる伝統は確かに西洋哲学には古くからあるものである。「理性的本性を有つ個別的実体である Persona est natura rationalis individua substantia」とはボエティウスに遡る定義である。このように人格を「個的実体」ととらえる理解は、優れてギリシャ的、あるいはアリストテレス的であるといってよかろう。実体とは、存在するために他を必要としないものであり、アリストテレスの意味では、第一実体としての基礎個体である。それは「理性的本性をもつ」という人間に固有の特有性によって特徴づけられ、他の生物学的個体や単なる物体から区別されている。西谷啓治が言及した「人格」の伝統的なとらえ方に、是が含まれることは間違いない。
西洋の形而上学の伝統の中では、とくに人間という物質的な基盤を持つ存在については個的實體としての人格概念が主流であったが、キリスト教的哲学には、そういう實體概念とは別のもうひとつの人格概念がある。それは、前節で言及したキリスト教の三位一体論に由来する「人格」概念の伝統である。それは、人格を「実体」ではなく「関係」と見なす伝統といってよい。

中世の初めに於いて、聖ヴィクトルのリシャールは、キリスト教の内部から由来する人格概念を、「霊性を有つ通約不可能な実存=spiritualis naturae incommunicabilis existentia」と定義している。ギリシャ哲学では、常に主題となるのは「類的存在」ないし「種的存在」としての本質を備えた「人間」であり、個人というものは視野に入っていない。あの人間もこの人間も、「人間性」という共通の本性に於いては通約可能であり、そのかぎりで学問的な研究の対象になる。しかし、人格とは、第一義的には共通本質ではなく通約不可能な実存(existentia)である。

また、「霊的spiritualis」という言葉も、理性的と同義ではない。聖書の伝統では、霊的なるものは、理性だけではなく感覚的な身体を含む人間の全体を指すのであり、身体から分離された精神的な実体ではない。

「通約不可能な実存」としての人格は、すぐれて個々の人間の自由と責任の問題、類的存在のような共通性に還元されぬ代替不可能な生きた全体としての人間に関わりを持つ。この考え方こそ、掛け替えのない個人の価値を第一義的に考えるキリスト教の伝統を表すものと言ってよいであろう。このような「個人への配慮 cura personalis」こそ、人間論を実践哲学へと架橋するキリスト教的哲学の核心にあるものといえる。

「宗教とは何か」における西谷の人格論は、エックハルトの思想に依拠し、そこにおける「神と神性の区別」をもとにしている。 エックハルトは鈴木大拙も西田幾多郎も非常に早い時期から注目していたが、ある意味で、それはキリスト教の佛教にも通底する普遍性を我々に課題として示した先覚者であると言ってもよかろう。

西谷によれば、エックハルトのいう「神性」とは神の本質essentia であり、「神をして神たらしめるもの」である。西谷には「神と絶対無」というエックハルト研究があるが、そこではこの神性を「絶対無」と等値している。しかし、本質essentia とは、アリストテレスに由来する哲学用語であり、それはものが「何であるか」を言い表す説明方式(ロゴス)であり、実体のカテゴリーについて本来言われるべき事である。 従って、神の本質としての神性というとらえ方自体が、存在を表す言葉essentiaに派生するのであるから、それを「絶対無」とよぶことが果たして妥当であろうか、という問が生じるであろう。

もちろん、エックハルトが、ある文脈に於いて、「無」に該当する言葉を使っていることは、その通りである。しかしそれは、どういう文脈であろうか。

それは、「神が何であるか」を、我々が、人間の理性の立場ではけっして知り得ないと言うこと、人知の限界を承認することを意味するのである。そして、それは否定神学の正当なる主張を摂取したトマスの根本主張でもあり、エックハルトもこの先人の考えに従っているのである。

したがって、「神性が無である」ということは、神性については我々はロゴスによって語ることが絶対に出来ないと言うことを意味する。そのかぎりで「無」ということは適当である。エックハルト自身、被造的存在を「有」というその尺度を当てはめる限り、神は決して「有」ではないといったのであるから。しかし、この主張の裏にあるもう対立的主張を見落とすべきではなかろう。
すなわち、神の存在を「有」とする尺度をあてはめるならば、どの被造物も決して「有」ではあり得ないという対立命題であって、それと組み合わせて始めて、「神性」を「無」とよぶことが動的な転換をしめす命題として生きてくるのである。

エックハルトのラテン語著作を読む限り、彼は「esse(動詞としての有)」を機軸として考えるトマスの伝統を受け継いでいる。その伝統では、神性は、純一なる「有」というべきであって、決して、「絶対の無」とはいえない。

エックハルトの著作を後世に伝えたニコラウス・クザーヌスは、「神は有でも無でもない」とし、有無の対立を超越した神を「絶対に最大なるもの」すなわち「究極の普遍」として言い表した。この考え方は、真の意味でのカトリックを目指すキリスト者にとって指針を与える。

 究極の普遍は、それを限定するものを持ち得ないが、あるものを「無」とよぶ場合は、必ず「有」を否定することによる限定が伴うのである。その限りで、有無はつねに相関しており、その両者を越えるものを言い表すことは出来ない。 

西谷においても、又一般に所謂京都学派に於いても、「絶対無」という言葉は、有を聊かも含まない絶対的無という意味ではなく、有無の対立を越えた絶対無、有の否定ではない無という、独特の意味で使われているが、「我はありてあるものである(ego sum qui sum)」という言葉で自己を啓示する聖書の人格的なる神、かかる宗教的経験に立脚する絶対者を言い表すのに、「絶対無」は適切とは思われない。しかし、そうかといって、それを「有」というギリシャ哲学の用語で概念化するのも不適切である。そこで、出エジプト記の神名の啓示を手掛かりとして、ヘブライ語の動詞「ハヤー」をもって、「有無を超える純一なる生成」を言い表すーこれがキリスト教的な普遍を表すもっとも適切な言葉であろう。

 存在論と神学との結びつきを絶ち、「実体の形而上学」ではなく、真の意味でのキリスト教的形而上学は、「オントロギア」(存在論)ではなく「ハヤトロギア」(現成論)でなければならない。 (注14) 

 ここでは詳説しないが、佛教においてすら、有無を超える「絶対」を再び「無」とは、必ずしも呼ばないのではないだろうか。「中論」で明示されているごとく「空」は「縁起」と同義なのであり、決して老荘的な「無」ではない。大乗起信論では、佛の根源は「法身」であり、法の根源は「真如」であるが、真如は「絶対無」というよりは、離言と依言、「空」と「不空」の二つの側面を持つ根本原理である。 

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注13  西谷啓治「宗教とは何か」(創文社、昭和三六年、79頁)「現成」という言葉は、道元の「正法眼蔵」にある言葉であるが、「ハヤトロギア」を日本語化するにあたって、私は、それに最も近いと信じる佛教者の言葉を使った。道元は、「正法眼蔵」において、無や空を「絶対化」せず、有無を超える絶対を「現成」と言っている。

注14 「現成」という言葉は、道元の「正法眼蔵」にある言葉であるが、「ハヤトロギア」を日本語化するにあたって、私は、それに最も近いと信じる佛教者の言葉を使った。道元は、「正法眼蔵」において、無や空を「絶対化」せず、有無を超える絶対を「現成」と言っている。
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絶対者の人格性と非人格性-6

2005-06-19 |  宗教 Religion
キリストは今どこにおられますか-クザーヌスの公現の主日の説教に寄せて

我々は、四節で西谷啓治のエックハルトに関する議論に言及し、エックハルトのいう「神性」が、有無の二元対立を越えつつ、「無」と「有」の二つの側面を持つ動的原理であることを示唆した。そのさいに、神の本質essentiaは、絶対無という言葉よりは、クザーヌスのいうごとき有無を越えた「絶対的に大なるもの」という言い方がより適切であると述べた。

しかし、この「絶対的に大なるもの」を、最も普遍的なるものと解するならば、『大乗起信論』における三大にかんする議論と同じく、キリスト教的な普遍性へと開かれた議論に導かれる。

以下では、あくまでもひとつの試論に過ぎないが、この「もっとも普遍的なるもの」のもつ「場所性」ということを論じたい。

1456年の公現の主日にニコラウス・クザーヌスは 「イスラエルの王として生まれた方は今何処にいますか?」 (Ubi est qui natus est rex Iudaeorum?) というラテン語の説教をしている。
(注15)

 クザーヌスといえば、東方教会の伝統、とくに偽ディオニシウス文書に代表される否定神学、キリスト教的プラトニズムと、マイスターエックハルトの独逸神秘主義の伝統を継承した思想家である。彼は真にカトリック的なもの、すなわち、「真に普遍的なもの」を探求し、教会の一致と、イスラム教との平和共存を説いた先駆的な思想家でもあった。彼の「智ある無知」や「隠れた神」などの主著は既に邦訳されているが、ここで言及したラテン語説教の様なものは残念ながら翻訳されていない。しかし、私の考えでは、この説教は、彼の根本思想を、我々自身の自己の実存の問題に架け橋する上で重要なものであると思う。

 「イスラエルの王」とはキリスト(救世主にして王、あるいは神の子)のことである。したがって、「イスラエルの王として生まれた方は今何処にいますか?」 (Ubi est qui natus est rex Iudaeorum?)という問は、「キリストはいま何処にいますか?」 という問と同じである。

ルカ傳が伝えるキリスト生誕の物語ならば、答えは「ベツレヘムにおられます。空の星があなたを導いて下さるでしょう」という答えですむであろう。

 しかし、1456年のクザーヌスにとって、「キリストは今どこにいますか?」という問いは、過去の歴史的な事実に関する問だけではすまぬものを持っている。そして、2005年のこの物語を聞く私にとっても、「キリストは今何処にいますか?」という問は、単に、「ベツレヘムに」とかあるいは「ナザレに」とかいう空間的場所を指し示すだけではすまないものがある。
「キリストは今何処にいますか?」

この問に対して、あなたならばどう答えるのか-それは単純な問ではあるが、公現の主日に発せられた基本的な問である。それは、キリストは何処にいるか、と問うと同時に、キリスト者であるあなたは今何処にいるのか、と問いかけている様にも思われる。

 神学者ならば、このような問に答える仕方を何通りも知っているであろう。たとえば、「死せるものと活けるものとを裁くために今、キリストは父の右に座しておられる」などと。神学者でない人は、たとえば公共要理などの専門家によって書かれた権威ある書物を繙くかも知れない。しかし、クザーヌスは、自己を学者(ソフィスト)ではないと断言したソクラテスの弟子でもある。「無学者」として、一人の信仰者として、彼は聴衆に語る。その場合、神学が与える様な他人ごとの知識ではなく、彼自身が自らの実存の深みに於いて端的に了解し、そこにおいて生き、行為すべき答えこそが、説教者には求められるのである。

 興味深いことに、用心深い神学者ならばキリストというべきところで、クザーヌスは、もっと端的に、あの大工の一人息子、イエスの名をもって語る。即ち、

  「イエスはいま何処にいますか?」Ubi est Iesus?  (Where is Jesus?)

という三語によっても語る。「キリスト」は元来、普通名詞である。これに対して、イエスは固有名詞であり、肉体を持って生きた歴史上の人物ー一個人(person)-の名前である。

 イエスという一個人の名前は、キリストという名前と不可分であり、キリスト者とはイエスがキリストである、と証言するもののことである。すると、この問に対して、如何なる答えが可能であるのか。ある意味で、出来合の答えというものはない。各人が、自らのキリスト者としての実存をかけて、それぞれ生涯をかけて答えるべき根源的な問であるとも言えよう。
クザーヌス自身はどう答えたのか。彼は、ある端的な答えを与えている。それは、

  Ubi est Christus. (Where is Christ). と。

すなわち、 「何処(ubi)」すなわち「場所(locus)」こそがキリストである、と。すなわち、私はキリストにおいてあり、キリストこそが私の「場所」に他ならない、と言うのがクザーヌスの答えであった。

 イスラエルの王としてのキリスト、ユダヤ民族の救世主(メシア)としてのキリスト、あるいは全能永遠の神の一人子としてのキリスト、というような神学者の言葉に寄ってではなく、もっと端的に、「キリストは私の場所である」というのである。その意味するところをさらによく考えてみよう。

 まず、「キリストに於いてen Cristw=in Christ」という言い方はパウロ書簡で多用される表現であることに注意したい。「私はキリストに於いて真実を語る」というように。そこでは、キリストは自己とは別の実体ではなく、そこに於いて私が生き、語り、証する場所として捉えられている。キリストとは、私の主体性がそこにおいて成り立つ「場所」なのである。

 この「キリストという場所」は、メシア(王あるいは救世主)という伝統的な意味とどのような関係にあるのか。ヨハネ福音書は一つの手がかりを与える。それはイエス自身が、「あなたはキリストなのか?」と問われたときに、「我在りego eimi = I AM」と答えている箇所に注意したい。それは、決して、「私こそユダヤの王である」等という意味に解されてはならぬであろう。もっと端的な「我在り」こそがイエス自身の証言であった。

 このように、キリストをキリスト者の場所として捉える見方は、キリスト教だけに固有のものであろうか。私にはそうは思われない。旧約聖書に於いては、信仰が向けられるものは、決して固有名をもたない。それは対象化を許さぬものであるから、世界の中にあるひとつの対象ではないのである。だから、神を有限なる実体としてではなく、無限なる場所として捉える見方は、旧約聖書の伝統の中にも厳然として存在する。ヘブライ語のマーコムという言葉が、「場所」に該当するが、ミドラシュの伝承に寄れば、神は世界の中には存在しないが、世界は神の中に(神に於いて)存在すると明言される。

 世界の中にある有限なる対象は、如何なるものも神ではない。更に言うならば、存在するものの総体である世界そのものが有限なる存在である。そういう世界を構成する一要素、あるいは世界の全体を神と等値する思想(汎神論)は聖書的ではない。しかし、このような神の超越性だけを述べるのはまだ一面的である。この考えでは、神は絶対的に超越的であって、人間と神、世界と神の関係は疎遠なままに留まるでだろう。これに対して、「神は世界の場所である」という命題に於いては、神はそこにおいてある世界、世界の構成要素たる個々の人間と不可分でありながら、有限なる世界には還元されぬ無限者なのである。

 このような旧約の伝統における超越者、いうならば名付けることの出来ない無限なる「吾が主」が、一個の人格と如何なる関係にあるのかという根本問題を、一個人の「私」の場所としてのキリストを機軸にして考えることーこれが「私はキリストに於いて語る」というキリスト者のメッセージの核心にあるものではないだろうか。この世界の場所、個人の人格がそこに於いて成りたつ場所という思想は、キリスト教的人格がそこに於いて成立する場所であるが、同時に、有限なる世界を無限に超越することを可能ならしめる場所でもある。そして、その場所は、キリストという人格、個々のキリスト者という人格と不可分であり、また「キリストによってキリストと共にキリストの内にある」教会の典礼に与る諸々の人格の共同体の成立する場所でもあると言えよう。

====================
注15  Josef Koch, Cusanus-Texte: Ⅰ. Predigten 2/5, In die Epiphaniae, Brixinae,1456, pp.84-117


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キリストの所在

2005-04-14 |  宗教 Religion

1456年の公現の主日にニコラウス・クザーヌスは 「イスラエルの王として生まれた方は今何処にいますか?」 (Ubi est qui natus est rex Iudaeorum?) というラテン語の説教をしている。クザーヌスといえば、東方教会の伝統、とくに偽ディオニシウス文書に代表される否定神学、キリスト教的プラトニズムと、マイスターエックハルトの独逸神秘主義の伝統を受け継ぎつつ、それをローマンカトリックのなかで継承した思想家である。彼は真にカトリック的なもの、すなわち、「真に普遍的なもの」を探求し、教会の一致と、イスラム教との平和共存を説いた先駆的な思想家でもあった。彼の「智ある無知」や「隠れた神」などの主著は既に邦訳されているが、ここで言及したラテン語説教の様なものは残念ながら翻訳されていない。しかし、私の考えでは、この説教は、彼の根本思想を、我々自身の自己の実存の問題に架け橋する上で重要なものであると思う。

「イスラエルの王」とはキリスト(救世主にして王、あるいは神の子)のことである。したがって、「イスラエルの王として生まれた方は今何処にいますか?」 (Ubi est qui natus est rex Iudaeorum?)という問は、「キリストはいま何処にいますか?」 という問と同じである。

ルカ傳が伝えるキリスト生誕の物語ならば、答えは「ベツレヘムにおられます。空の星があなたを導いて下さるでしょう」という答えですむであろう。

 しかし、1456年のクザーヌスにとって、「キリストは今どこにいますか?」という問いは、過去の歴史的な事実に関する問だけではすまぬものを持っている。そして、2005年のこの物語を聞く私にとっても、「キリストは今何処にいますか?」という問は、単に、「ベツレヘムに」とかあるいは「ナザレに」とかいう空間的場所を指し示すだけではすまないものがある。

「キリストは今何処にいますか?」

この問に対して、あなたならばどう答えるのか-それは単純な問ではあるが、公現の主日に発せられた基本的な問である。それは、キリストは何処にいるか、と問うと同時に、キリスト者であるあなたは今何処にいるのか、と問いかけている様にも思われる。

神学者ならば、このような問に答える仕方を何通りも知っているであろう。たとえば、「死せるものと活けるものとを裁くために今、キリストは父の右に座しておられる」などと。神学者でない人は、たとえば公共要理などの専門家によって書かれた権威ある書物を繙くかも知れない。しかし、クザーヌスは、自己を学者(ソフィスト)ではないと断言したソクラテスの弟子でもある。「無学者」として、一人の信仰者として、彼は聴衆に語る。その場合、神学が与える様な他人ごとの知識ではなく、彼自身が自らの実存の深みに於いて端的に了解し、そこにおいて生き、行為すべき答えこそが、説教者には求められるのである。

興味深いことに、用心深い神学者ならばキリストというべきところで、クザーヌスは、もっと端的に、あの大工の一人息子、イエスの名をもって語る。即ち、

  「イエスはいま何処にいますか?」Ubi est Iesus?  (Where is Jesus?)

という三語によっても語る。「キリスト」は元来、普通名詞である。これに対して、イエスは固有名詞であり、肉体を持って生きた歴史上の人物ー一個人(person)-の名前である。

イエスという一個人の名前は、キリストという名前と不可分であり、キリスト者とはイエスがキリストである、と証言するもののことである。すると、この問に対して、如何なる答えが可能であるのか。ある意味で、出来合の答えというものはない。各人が、自らのキリスト者としての実存をかけて、それぞれ生涯をかけて答えるべき根源的な問であるとも言えよう。

クザーヌス自身はどう答えたのか。彼は、ある端的な答えを与えている。それは、

  Ubi est Christus. (Where is Christ). と。

すなわち、 「何処(ubi)」すなわち「場所(locus)」こそがキリストである、と。
すなわち、私はキリストにおいてあり、キリストこそが私の「場所」に他ならない、と言うのがクザーヌスの答えであった。

イスラエルの王としてのキリスト、ユダヤ民族の救世主(メシア)としてのキリスト、あるいは全能永遠の神の一人子としてのキリスト、というような神学者の言葉に寄ってではなく、もっと端的に、「キリストは私の場所である」というのがクザーヌスの答えであった。その意味するところをさらによく考えてみよう。

まず、「キリストに於いてen Cristw=in Christ」という言い方はパウロ書簡で多用される表現であることに注意したい。「私はキリストに於いて真実を語る」というように。そこでは、キリストは自己とは別の実体ではなく、そこに於いて私が生き、語り、証する場所として捉えられている。キリストとは、私の主体性がそこにおいて成り立つ「場所」なのである。

この「キリストという場所」は、メシア(王あるいは救世主)という伝統的な意味とどのような関係にあるのか。ヨハネ福音書は一つの手がかりを与える。それはイエス自身が、「あなたはキリストなのか?」と問われたときに、「我在りego eimi = I AM」と答えている箇所に注意したい。それは、決して、「私こそユダヤの王である」等という意味に解されてはならぬであろう。もっと端的な「我在り」こそがイエス自身の証言であった。

このように、キリストをキリスト者の場所として捉える見方は、キリスト教だけに固有のものであろうか。私にはそうは思われない。旧約聖書に於いては、信仰が向けられるものは、決して固有名をもたない。それは対象化を許さぬものであるから、世界の中にあるひとつの対象ではないのである。だから、神を有限なる実体としてではなく、無限なる場所として捉える見方は、旧約聖書の伝統の中にも厳然として存在する。ヘブライ語のマーコムという言葉が、「場所」に該当するが、ミドラシュの伝承に寄れば、神は世界の中には存在しないが、世界は神の中に(神に於いて)存在すると明言される。

世界の中にある有限なる対象は、如何なるものも神ではない。更に言うならば、存在するものの総体である世界そのものが有限なる存在である。そういう世界を構成する一要素、あるいは世界の全体を神と等値する思想(汎神論)は聖書的ではない。しかし、このような神の超越性だけを述べるのはまだ一面的である。この考えでは、神は絶対的に超越的であって、人間と神、世界と神の関係は疎遠なままに留まるでだろう。これに対して、「神は世界の場所である」という命題に於いては、神はそこにおいてある世界、世界の構成要素たる個々の人間と不可分でありながら、有限なる世界には還元されぬ無限者なのである。

このような旧約の伝統における超越者、いうならば名付けることの出来ない無限なる「吾が主」が、一個の人間と如何なる関係にあるのかという根本問題を、一個人の「私」の場所としてのキリストを機軸にして考えることーこれが「私はキリストに於いて語る」というキリスト者のメッセージの核心にあるものではないだろうか。
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