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明るい/暗い○△□

2006年05月07日 20時37分25秒 | 不登校
明るい○○、暗い○○という議論がある。これは、特定のグループを有徴化しつつ、「監視と処罰」を強める機能をもっている。それは、日雇いなり不登校なりその他のグループの、長い時間をかけて行われる社会的排除の原因であると同時に、経過であり、結果でもある。

931 :名無しさん@社会人:2006/05/05(金) 20:18:42
>>928
明るい登校拒否か暗い登校拒否かという二者択一問題じゃないのは確か。

鎌田慧さんの臨時工のルポ(「追われ行く労働者」ちくま文庫)に、
明るい出稼ぎ・暗い出稼ぎという議論がある。これも不毛なのですぐにポシャったみたい。
(歴史的なことなんで、詳しいことはわからないので留保。)
70年代に都会に出稼ぎに行くのを地方自治体があっせんするのが経済政策だった時期があった。
そのとき、子どもの作文(学者子どものじゃないよ! 念のため)の紹介など
マスコミによる出稼ぎイメージが湿っぽい暗いものが多いと、嫌がって出稼ぎに二の足踏む人が出ることへの
対策として「明るい出稼ぎ」のイメージをふりまこうとしたこともあったそうな。
そんなことをしたって、使い捨て労働力で、しかも正社員からは邪魔者扱いされる立場に変わりはない。
労働基準法無視、人権や人格無視の状況を改善しなければ、「暗い」作業のきつさや職場環境の劣悪さを強調しても、
明るい、つまり出稼ぎの収入で電化製品を手に入れたり自治体の税収も上がるなどの点を宣伝しても、
その立場の悪さ、それにマクロな経済政策がそれを後押ししていることは
隠されたままだ。

登校拒否/不登校をめぐっても、時間的な自由を強調しても、将来の進路の困難さを強調しても、
それは現実の一面をえぐったにすぎない。それらを組み合わせた像こそ、実際の登校拒否/不登校と言える。
明るい/暗いの議論は、不毛で、ためにする議論なのではないだろうか?


935 :名無しさん@社会人:2006/05/05(金) 22:41:02
>>931
同意。
付言すると、かの稲村博さんも早々その言葉(「明るい登校拒否」)に反応していて、
日本の不登校の大多数は「暗い登校拒否」であり、そういう不登校児には〈治療〉が
不可欠・・・心理カウンセリング程度ではだめで、入院治療や宿泊治療をしないと将来
深刻な引きこもり状態になって人生を無為に過ごす、なんてようなことを言ったわけ。

「明るい登校拒否児が増えて困っている。彼らはより〈治療〉しにくい」という言葉にも
象徴されているように、いわゆる「治療」派言説の人たちにとって「明るい登校拒否」
という不登校像の登場はある意味ずっと邪魔な存在であったということも、不登校の
言説史を捉える上できちんとおさえとかなきゃいけないポイントだったりします。

貴戸さんの言説の登場も決して偶然で目新しいものではないので、その言説史上
(市場)からちゃんと見ておく必要もあるんですよね。そのことも付け加えておきます。