いち参加者として、教育基本法「改正」に反対する京都・四条河原町でのデモには加わった。
運動のおかしな点について例によって報告したい。
・分かる人にだけは分かる、きわめてオタッキーな会合であること。外に人にはわかりにくい・親しみにくい。
・教育=学校教育 という枠組みがある。
・教育=大人による子どもへの教育 という枠組みがある。
・学校教育によって社会的な格差が生まれているにもかかわらず、学校教育には賛成し、格差社会には反対する。この2つの相反するテーマをパッケージにする。
・パっと見で、政治セクトとおぼしき一団がいる。
・正規の実行委員とは別に、勝手にルールを設定したり他の参加者の代弁をしてくる人たちがいる。だいたいは不合理的で、不必要と思われる。それがセクトらしき団体と重なるまたは親しい関係にあることは、その場にいて人と人との物理的な距離や話す口調を見ていれば分かる。
これは自治を通じた支配欲・征服欲の表れだ。
それをまた「当然だから」と正当化する。
なぜ? どーして?
成人教育はどうでもいいのだろうか? 学校教育以外の教育は存在しないとでも言うのか。それは独学者やホーム・スクーラーらに対して失礼・差別的にはならないのだろうか。
そもそも学校・教育・学校教育・子ども時代とは、「善」だろうか?
そうした問いかけや対話というものが成立しないのだ。
この運動は、学校教育や子どもを神聖視したうえで「教育基本法改正ハンターイ!!」「教育基本法の改正はヤメロ」「教育基本法はシビレルー!」
と言い募る
フリースクールやホームスクールについては人の話を聞く姿勢もなく、十把ひとからげにして侮蔑をこめた表情で「あれは金持ち教育だから」「お金のない家の子は学校に通わないと勉強ができないから」などと一方的に通告する。
これは、フリースクールやホームスクールへの誤解と偏見であり、貧乏な家の子や
学校に行かない子の自律的学習能力への侮蔑でもある。
実際には学校が遠いのでホームスクーリングをする場合もあるし、母子家庭・父子家庭・民族性の関係で学校の冷たい雰囲気に嫌気がさしてフリースクールをやることもあるのだ。
また、貧しくとも学校に通っていなくとも子どもは学びを行う。
こういう、人を無視したり見下したりする傾向の強い閉鎖的な運動に、どうやったら風穴を開けることができるのだろうか?
自分たちの思考停止が広く一般の人たちを傷つけ、混乱させ、不安と不信を招いている。そこから運動嫌い、運動ばなれが生じる。
一朝一夕にはいかないだろうが、そこをうまく改めないかぎり、これからもデモや集会の参加者は増えないだろう。
また、一般市民の理解をえられない運動ならば、たやすく特定の宗教団体・政治団体にのっとられる。
いわゆるカルト・セクトといわれる集団による市民運動のM&A(吸収と合併)を避けるためにも、実質的に開かれた社会運動が求められている。
トラックバック用URL:http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20061115
http://d.hatena.ne.jp/inumash/20060928
運動のおかしな点について例によって報告したい。
・分かる人にだけは分かる、きわめてオタッキーな会合であること。外に人にはわかりにくい・親しみにくい。
・教育=学校教育 という枠組みがある。
・教育=大人による子どもへの教育 という枠組みがある。
・学校教育によって社会的な格差が生まれているにもかかわらず、学校教育には賛成し、格差社会には反対する。この2つの相反するテーマをパッケージにする。
・パっと見で、政治セクトとおぼしき一団がいる。
・正規の実行委員とは別に、勝手にルールを設定したり他の参加者の代弁をしてくる人たちがいる。だいたいは不合理的で、不必要と思われる。それがセクトらしき団体と重なるまたは親しい関係にあることは、その場にいて人と人との物理的な距離や話す口調を見ていれば分かる。
これは自治を通じた支配欲・征服欲の表れだ。
それをまた「当然だから」と正当化する。
なぜ? どーして?
成人教育はどうでもいいのだろうか? 学校教育以外の教育は存在しないとでも言うのか。それは独学者やホーム・スクーラーらに対して失礼・差別的にはならないのだろうか。
そもそも学校・教育・学校教育・子ども時代とは、「善」だろうか?
そうした問いかけや対話というものが成立しないのだ。
この運動は、学校教育や子どもを神聖視したうえで「教育基本法改正ハンターイ!!」「教育基本法の改正はヤメロ」「教育基本法はシビレルー!」
と言い募る
フリースクールやホームスクールについては人の話を聞く姿勢もなく、十把ひとからげにして侮蔑をこめた表情で「あれは金持ち教育だから」「お金のない家の子は学校に通わないと勉強ができないから」などと一方的に通告する。
これは、フリースクールやホームスクールへの誤解と偏見であり、貧乏な家の子や
学校に行かない子の自律的学習能力への侮蔑でもある。
実際には学校が遠いのでホームスクーリングをする場合もあるし、母子家庭・父子家庭・民族性の関係で学校の冷たい雰囲気に嫌気がさしてフリースクールをやることもあるのだ。
また、貧しくとも学校に通っていなくとも子どもは学びを行う。
こういう、人を無視したり見下したりする傾向の強い閉鎖的な運動に、どうやったら風穴を開けることができるのだろうか?
自分たちの思考停止が広く一般の人たちを傷つけ、混乱させ、不安と不信を招いている。そこから運動嫌い、運動ばなれが生じる。
一朝一夕にはいかないだろうが、そこをうまく改めないかぎり、これからもデモや集会の参加者は増えないだろう。
また、一般市民の理解をえられない運動ならば、たやすく特定の宗教団体・政治団体にのっとられる。
いわゆるカルト・セクトといわれる集団による市民運動のM&A(吸収と合併)を避けるためにも、実質的に開かれた社会運動が求められている。
トラックバック用URL:http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20061115
http://d.hatena.ne.jp/inumash/20060928