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学校のない社会 大学のない世界

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自壊を避けるために(転載)

2005年08月26日 10時02分27秒 | 日常世界
(この記事は、「フリーターが語る渡り奉公人事情」からの転載です。)
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この記事は「タカマサの気まぐれ時評」http://blog.drecom.jp/tactac/archive/197へのTBです。)

Hi! ハラナさん、お久しぶりです。TBをありがとう。

このエントリー、本当にそうなんですよね。ウォルマータイゼーションってアリ地獄なんです。
アメリカでは労働組合が、地域荒廃や労働組合つぶし、労働条件の切り下げ等を総称して、ウォルマート化に反対していると、以前月間労働組合という雑誌で見たことがあります。日本なら、ジャスコ化ですね。

うちの近所も地域商店街は壊滅。滋賀資本の大手流通が駅前に出店しました。
だけど、地元の人はほとんど雇用されていない。
消費者としては、たしかに安くて、品数もまあまあそろっているので便利になったかもしれないけれど、失ったものは大きい。
その資本の出店のために行政は、昔、商店街のあった地域に住宅を建て、道路は車優先にするためにまっすぐで幅広にしてしまいました。建築家ル・コルビジュエの「輝ける都市」構想そのまんま。小さな路地ーー子どもたちが遊べるところ、近所の人が語らえるところーーは消去されまくりです。
しかも近くに設置した公園みたいなコーナーでは、ホームレスが寝転ばないように、ベンチに仕切りをつけています(←非人道的)。
池はなくて、コンクリートを使用するためだけに作ったのがミエミエの噴水ができている。住民には説明も同意もナシ。工事をしていて、何ができるんだろうと思っていたら、ウォルマートまがいのところだった。

ただ、もうそれしか身近な環境はなくなっている。だから、いやでもその店で買わざるをえないんです。そういえば、弟が四国にいるんですが。地元商店街はゴーストタウン化、一時間半以上もかけてドライブしてジャスコで買い物をしないと生活できなくなっているんだそうです。
実際、給与や保障が下がり、税金も上がる予定の今日このごろ、消費者は節約したいから。そのうえ、営業時間も長く、駅前の超便利なところをまさに独占しているわけです。駐車場も広い。残業の終わった人が、夜遅く帰って、駅前でお買い物をして家に帰る。他に選択の余地はない。サッチャーのねらいどおり、There is no alternativeだ。f○○k you! Your crazy!! Very very stupid !!! 
Save the alternative! Freedom is not abandon, so abandon of wallmartazition destroy employ and community.
We want decision ourselves what we consume.

自分としては、はじめにひやかしに行ったの以外は、なるべく近所の小さなスーパーか生協で買い物しています。けれど、国内亡命・隠居をやめて働きにいくと、残業で遅くなるから、駅前で食料等を買い込むことになるでしょう。

こうなると、地方自治体レベルでの独占禁止法とか、寡占禁止法さえも必要なのかもしれません。ゆとりのある方から不買運動をしかけてもらうのも手。労働組合と消費者団体と人権団体と地域の伝統文化保護団体あたりが手を組んで何かできないかな? 
近所にうでのいい美容室があって、民謡三味線の教室があって、そこのネコが近所の子どもの人気者でだったりする。古本屋のおやじさんが客の思わぬリクエストに応えてくれる。顔のわかったマスターのいる喫茶店は、わたしのような(半)失業者に居場所を提供してくれる。性的虐待を受けそうになった子どもが近所の商店にかけこめる。
生きるのに必要な環境を、消費者みずからが崩すとハラナさんは指摘される。
ならば、それを守るのも消費者ではないのか? 

フリーターも正社員と同じく消費者だ。だったら、この件にも意見を言ってもいい。
完ぺき主義になる必要は無い。ただの一度も大手の安売り店を使うなとはいわない。(現に、自分も使っている)
けれど、それを規制しようとする政治家がもしあなたの選挙区にいれば、一票を入れることはできる。たった一回でも、地元の商店で買い物をする回数を増やしてみてはどうだろう。給料日だけでもいいから。

移動商店街

2005年01月19日 12時10分36秒 | 日常世界
 最寄り駅前にトラックの訪問がやってきた。トラックのドアを開け放って魚・野菜・豆腐などを男性がひとりで売っている。
 近所のスーパーにはない変わったものがある。体長40cmはあるお造り用のかれい。無農薬栽培の直径5cmのしいたけ。近隣地区でとれたおいしいそうなものが発砲スチロールの箱の中に並ぶ。以前は冷凍の甘えび一箱1kgを買って少しずつ食べたこともあった。
 近所のおばあさんがおしゃべりをしながら野菜を見比べている。
 気になった商品の値段を尋ねてみた。
 「はたはたは一口800円!」「そのお豆腐大きいでしょ、おいしいよー」「しいたけはね、ちゃんと原木から栽培しているの」
 威勢の良い掛け声がひびく。不況と再開発計画のために近所の商店がどんどん減って、すっかり寂しくなってしまった一帯に一時的に活気が戻ったかのようだ。トラックの周りが小さな商店街になっている。
 20cmのかますの干物と近所のスーパーの2倍サイズの豆腐、それに無農薬のしいたけを購入した。
 帰宅後、豆腐としいたけを味噌汁に、かますの干物はしいたけを添えてオーブントースターで焼く。焼き皿にはオリーブオイルをしいておく。
 お豆腐もしいたけもおいしい! しいたけからはいい出汁が出ている。かますの干物はあっさりとして美味。あまりしょっぱくなく、オリーブオイルとも相性がいい。 特に豆腐はふうわりとしている。かといって型崩れしにくい。大豆のうす甘い香りがなんともいえない。薬味に使ったにんじんの葉っぱもいい香りだ。
 
 地元の商店が一軒また一軒と減り、地元のものを食する機会も減った。たとえ少々値段が高くついても、安全でしかも生産者や流通者の顔の見えるお店がこれほどよいものかと、それがなくなる前に気づくことができればどれほどよかっただろうか。そうすれば、ヨーロッパのようにムダな開発などせずに独自の食生活や文化を守れたのだ。

 そして長時間労働はこうしたお店へのアクセスを著しく制限する。わたしだって失業中だからなんとか買うことができたのだ。いつもは、近所の安売りスーパーと百円ショップでまずくていかがわしいものを買っている。会社や工場に勤めていては、駅前スーパーにさえ行けたかどうか。
 時折やってくる商人もめっきり減った。小さいころには住宅街にも竿屋、ロバのパン屋さん、ラーメンやうどんの屋台があったものなのに、いつごろ来なくなってしまったのだろう。
 生活世界と両立できる環境はどうすれば維持できるのか、身近な問題として、読者とともに考えたい。どこかなつかしい風景を味わいながら、そう思った。