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学校のない社会 大学のない世界

学校のない社会、大学のない世界に興味・関心のある方、ともに集いましょう。大学教員によるトラックバック等はご遠慮ください。

教育よりも子どもを!

2006年11月18日 09時03分21秒 | アンファニズム
AML保存庫より。教育基本法「改正」は教育を救えないのだそうな。
http://list.jca.apc.org/public/aml/2006-November/010138.html

なるほど。教育が守れれば子どもは死んでもいいのか。
大人から子どもへの支配・征服・破壊活動としての教育。
上の階級・階層の文化を下の階級・階層に教え込み自分たちを恥じさせる教育。

そうしたものを救いたいのか。教育が希少なものとされ、それを手に入れられるのは学校、それも上のランクの一部の学校だけ。そこに行かなければ、そしてそこで仲良くできなければ未来はない。将来はない。上の段階のいい教育(高等教育)を将来受けられない。
それゆえに居場所を奪われ、苦しみ命を絶つ子どもたち。
彼ら・彼女らを、苦しめる原因である教育がそれほど大事か。

こんな声明を発表する団体は解散してほしい。
大切なのは子どもだ。
親や教員や上の世代がデタラメ放題を尽くすための教育じゃない。
責任者は切腹でもするべきじゃないのか。

入会儀礼と子どもの解放

2005年07月28日 16時16分28秒 | アンファニズム
↓ ある掲示板に書いた文書。

285 名前:名無しさん@社会人 :2005/07/28(木) 15:48:15
>>278
>子ども期のおわりの大人ゴッコというのはむつかしいものだね。
>「ひとつの時代を生き切ったものは、次の時代に生きるのがむつかしい」って中井久雄は「治療文化論」で言っているけれど。

残酷な表現になるけれど、管理反対運動などで、体や心がボロボロになる人がいたり、 自殺者さえ出たりするのは、十代半ば~二十代初頭くらいの大きな子ども/若い大人にとっては、入会儀礼なんでしょうね。

人生や社会には残酷なものがあると人生の初期に自我にきざみこまれるのは、衝撃的です。
そのあと、ヘンになる人がいても当然でしょう。
社会とか自我とかいうものに入ってゆくのはたいへんなことで、それもまた慣れたり受け入れたりしなければ 生きてゆけないのが、個人と社会にとっての限界なのかもしれません。
だからといって、傷つくこと・失敗することを恐れるゆえにニヒルやシニカルに走っても、うるものは少ない。
安易に「中途半端なロマンティシズム(ミヤダイ)」にも流されずに、長じてからは単なるノスタルジーにのまれることもなく
やってゆくにはどうすればよいのでしょう?
(モレの知り合いには、ロマンテイックな恋愛・同棲生活に救いを求めて、
勉強も友達づきあいも何も捨ててしまい、ふたりの世界で崩壊していったヤシもいる。それに、ノスタルジーにのみこまれて、
(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)


286 名前:名無しさん@社会人 :2005/07/28(木) 15:52:03
285のつづき。教育とか入会儀礼とかいうものは、どうしても人を傷つけ、混乱させ、 ゆがめてしまう性質を、宿命的にもっているのかもしれない。
ならば、小学校高学年~高校まで、いわゆる管理教育的な環境に子どもを閉じ込めるのは、 あまりにリスクが大きすぎる。そのあとの自殺・肉体や精神の故障などを考えれば、「社会的費用」が高すぎる。
ならば、ゆるやかな自由のなかーーもちろん、自由の中にはむつかしさも厳しさも含まれ、放縦ではないーー のなかで、なるべく傷や混乱を小さく入会してゆく方法を編み出さねばならない。

その意味では入会していく大人社会の民主化も、子どもの権利のために求められるのだろうね。


287 名前:名無しさん@社会人 :2005/07/28(木) 16:10:14
>(モレの知り合いには、ロマンテイックな恋愛・同棲生活に救いを求めて、
>勉強も友達づきあいも何も捨ててしまい、ふたりの世界で崩壊していったヤシもいる。それに、ノスタルジーにのみこまれて、
>骨董品や古典芸能などの世界にひたって浮世離れした美意識のなかに癒しを求めたヤシも。)

そのほか、家出、心中、リストカット、バイクで暴走して大怪我、売春と麻薬などなど、 子どもと大人のはざまでホルモンのバランスから社会的な立場・アイデンティティまで、 宙ぶらりんの時期は本当に息苦しいですね。学校教育なんてところで、さらに管理主義なぞやれば 、ますます窒息しますよね。

子ども・若者排斥運動

2005年04月30日 20時50分26秒 | アンファニズム
 現在、2つの都市で子ども・若者排斥運動が行われつつある。
 1つは大阪府の不登校「半減」政策であり、これにはもう予算も人員もついてしまっている。もう1つは、横浜と神奈川の青少年の夜間外出を規制する条例である。こちらはまだ検討中だ。

 大阪府の政策は、子どもを学校に閉じ込めておきたいのだ。これは、街中に子どもが自由に行き来することを許さないという意思表示だ。経済効率優先と、大人の子どもに対する優位者としてのプライドのために、昼間の時間帯における子どもの外面(行動)と内面(思想・信条)の自由をつぶすものだ。
 もう一つ、横浜の、市と県のふたつで検討中の条例は、夜の時間帯における青少年排斥運動だ。
 
 
 大正末期から昭和初期にかけて活躍したアクティヴィストの高橋貞樹は、こう書いている。

「米国の太平洋沿岸カリフォルニアその他の諸州には、もはやこれ以上の日本人は要しないという移民制限排斥の意味で「日本人無用(ルビで「ノ-モーア・ジャパニ-ズ」)の立て札を市街・村落の入口にたててあるが少なからぬと言う。けれどもわれらは、至るところにわれらを差別する「無用(ルビで「ノ-モーア・エッタ」)」の無形の立て札を見る。」と語っている。
(高橋貞樹「被差別一千年史」岩波文庫1992,1993:197)
 ひるがえって、今の日本のひとつの都市ではどうだろうか? “No more children during daytime”の見えない立看板が立てられたも同然ではないか。もう一つの都市では、もうじき“no more children and youth during night time ”の立看板がかかげられそうな気配である。
それが年齢や日時を問わずに拡大すれば、移民排斥運動の前に、自国内での青少年排斥運動が盛り上がるだろう。すでにニ-ト・ひきこもり・フリ-タ-などが、教育・医療・福祉の対象として閉じ込められようとしている。子どもの昼間の学校への囲い込みは、大人への弾圧の前兆かもしれない。

 それにしても、子どもとともに住めない大人中心主義社会もここまで来たのか、とあきれざるをえない。右肩下がりの経済のなかで、将来の下層階級・階層予備軍、あるいは現在の下級身分を見るのが何よりも嫌でかなわない人々が、苦痛で気が遠のいた状態で作ったとしか思えない政策によって現在を壊され、その延長線上に存在するであろう健全な未来を奪われるのは、子どもと若い世代である。
 立場を超えて、この2つの愚行を、ゆるしてはならない。
 
 
 



 
 

子どもの人権関連集会の案内

2005年04月09日 21時08分55秒 | アンファニズム
以下、医療・福祉の戦争協力に反対する連絡協議会掲示板
http://bbs.infoseek.co.jp/Board01?user=mwhansen
より転載。



75 お詫び 睡蓮 - 2005/03/18 22:03 -
下記のイベント場所がぬけていました。文京シビックセンター3階障害者会館C会議室です。すまんですじゃ(^^ゞ



74 お し ら せ 睡蓮 - 2005/03/18 16:08 -
4月13日(水)
19:00~21:00
「子どもは大人のパートナー」~子どもの人権を考える~

講師 坪井節子さん
〈経歴〉弁護士、東京弁護士子どもの人権救済センター相談員、東京弁護士会子どもの人権と少年法に関する委員会委員、日弁連子どもの権利委員会幹事、NPOカリヨン(子供のシェルター)理事長
〈著書〉
子供は大人のパートナー (明石書店)
弁護士お母さんの子育て新発見(草土文化)
少年法・少年犯罪どうみたらよいのか
(明石書店)
子ども人権双書
性と子供の人権
乳幼児期の子供たち
(明石書店)

連絡先 前田くにひろ
03‐3818‐3191
e‐mail honobono@be.to


東京の子ども差別に反対する情報

2005年02月01日 16時14分23秒 | アンファニズム
みなさん、東京で子どもを情報環境から排除する案があるそうです。ネット情報は有害と言う説に確かな根拠はありません。もし子どもにとって危険で有害なものがあるとすれば、そもそも通う・通わないを選ぶ権利がないばかりか体罰やいじめだらけの学校教育、家での虐待ではないでしょうか? 
 あなたがもし子どもの情報にアクセスする権利を守ることに賛成であれば、最後の関連URLを参考に、東京都への抗議にご協力願います。
 (ちなみにわたくし ぱれいしあ は、アンファニスト・子ども解放論者として、反対の意見を寄せるつもりです。) 
 

 以下、AMLのリンク。

[AML 0327] 7 日で〆切:都青少年問題協議会答申意見募集

http://list.jca.apc.org/public/aml/2005-January/000321.html



[AML 0332] 情報から子どもを排除する意義を述べる低俗な答申に反対する意見提出

http://list.jca.apc.org/public/aml/2005-January/000326.html


そのほか関連サイト

Kitanoのアレ

てっちゃん@はてな

子どもを無知にしようとする政策に反対します

みなさんの意見を募集します


アンファニスト宣言

2004年08月09日 23時45分08秒 | アンファニズム
アンファニスト--子ども解放主義(者)。
アンファニズム--子ども解放(主義)学。

 子どもは大人に比べて損だ。差別されている。抑圧はすさまじい。

 従って、子どもの解放がぜひとも必要だ。黒人や女性や障害者の解放と同じように、子どももまた解放される必要がある。

 それは「子どもの権利条約」のような法律・政策的な側面をも併せ持っている。しかし、それだけではない。「子どもとはこのようなもの」という通念、子どもを劣位に置き貶める思考の枠組み、日常生活の無意識の実践などを根底から問い直す実験的な試みなのだ。

 たとえば、子どもから親への主張はなぜ権利の主張として理解されず、「甘え」「依存」と見下されるのか? この手の定型思考はあまりに大人中心主義、親優位主義に基づいているのではないか?
大人中心のバイアスによって組み立てられる常識、科学的知識を信用してもよいのか? それへの代案は?


 初期の子どもの解放は、大人によって主張されるかもしれない。しかし、やがて子どもたちによってなされるだろう。

↓ とある掲示板に書いた文章
 We have an impression that children is student,but in fact, place of children is not school
but home.In addition, children began to go to school only about 300 years ago. If you think
of the fact that the origin of learn goes back to the Stone Age, you will find that children
began to go to school only recently,which seems as if it were yesterday. Therefore,“Back to the
School”is irrevant word. If we choice correctly, “Back to the Home”.

 わたくしどもは、子どもを学校に封じ込めることに反対する。学校への自由と学校からの自由の両方を擁護する。

 大人であっても子ども差別をしない・したくない人々は存在する。小さいころに大人から受けた屈辱ゆえに子どもを憎むのではなく、屈辱を受けたからこそ子どもの子どもらしさを肯定し、権利を擁護するのだ。

 わたくしどもの名はアンファニスト。子ども解放主義者。

 パレーシア大学では、子ども差別に反対する成人を求める。




(Now Building)