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学校のない社会 大学のない世界

学校のない社会、大学のない世界に興味・関心のある方、ともに集いましょう。大学教員によるトラックバック等はご遠慮ください。

確かなものを守る

2005年08月13日 03時19分33秒 | 伝統文化
 日本の13弦の琴と、三味線の弦が切れた。
 
 浅野楽器店にまで、ケースに包んだお琴を手で持ってゆく。車と免許がないのはつらい。電車とバスをのりついで楽器店につく。

 楽器店でまず三味線の弦(絹糸)を購入。
 つぎに、お琴の糸を楽器店の人に抜いてもらい、張りなおしてもらう。愛媛の楽器店で締めてもらったナイロン糸ではなく、もう少し丈夫で長持ちするテトロン糸で締めてもらった。(ちなみに、テトロンは、科学的に見て、伝統的に使われてきた絹糸とほとんど同じ弾性をもっている。)

 シュッ、シュッ、シュッとリズミカルに、古くなって黄ばんだ糸がお琴の外に出されてゆく。そして新しい弦がはられてゆく。かかる時間は約一時間。
 ためしに柱(可動フレット)をつけて弾いてもらった。以前と比べてハッキリと音が出る。音色もクリアになっている。こころもちヴィブラートがかかって、よく鳴っている。まるで楽器が生まれ変わったかのようだ。
 今は少しキツ過ぎる状態かもしれないが、数日も弾いていれば、ちょうどいい具合になる。テトロン糸のほうがナイロン糸よりも丈夫だから、今度は長持ちしますよ、とのこと。

 家に持って帰って、さっそく自分で試弾きしてみる。まずは平調子で「六段」、「さくら変奏曲」といった地歌の曲を弾く。次に琉球音階の調弦で「てぃんさぐぬ花」を奏する。さらに律音階で「豊年の歌(宮古島)」といった沖縄民謡。さらに、「アリラン」「トラジ」などの朝鮮民謡。くわえて、「竹田の子守唄」。平調子にもう一度調弦しなおして「お江戸日本橋」「京鹿の子娘道成寺」を弾いてみる。
 2年ほどお琴はブランクがあるので、勘が鈍っている。しかし三味線はずっと続けて練習をしていたので、音感・リズム感は鈍っちゃいない。曲もちゃんと覚えている。まだ音色はうまく作れない。
 やや音が硬く、ヴィブラートが強すぎる。ウインウインと響いている。あと数日すればちょうど良い塩梅になるだろう。

 次に、三味線の弦を自分で張りなおす。いちばん太い一の糸はまだつながっている。切れたのは二の糸と三の糸。根緒に糸を結び、糸巻きに糸を通してくるくると巻いてゆく。糸が重なると切れやすくなるので、重ならないように気をつけながら。ためしに、お琴と同じ曲目を弾いてみる。以前より、バランスよく弾ける。やはり生き返ったように元気よく音が出ている。
 
 地上を走る京福電鉄のなかで、たまたま隣にすわった人が、話しかけてくる。日本の琴からはじまって、モンゴルや中国や朝鮮の琴について、あるいはチャックにつけたキーホルダーについて会話がはずんだ。キーホルダーに、お坊さんと鼓。お坊さんは、日本の音楽はもともと仏教の声明から流れてきたから。それに鼓は、雅楽の時代からお琴といっしょにあわせてきた楽器だから。
 ある十代の子は、「面白そう」と興味ぶかげに人工革でできたケースに入った琴をながめていた。いろいろと雑談をしてゆくと、友人といっしょに広島・長崎の原水禁の大会に行ってきと言う。「わたしも戦争には反対なんですよ」と語るとニッコリわらっていた。カバンの反戦メッセージ入りのバッジと、彼女の手首につけたゴム製の反戦リストバンドを見せてくれた。
 “No more Hiroshima No more Nagasaki”というロゴとHPのURLの入った赤いバンドは、広島で、海外から来た人が売っていたと彼女は教えてくれた。
 それから、乗り換えの駅で別れるまで、わたしたちはいろいろと話した。話題はふたたびお琴に戻った。彼女は、お琴はもう少し分厚い楽器じゃないかと思っていたとコメントした。問わず語りにわたしは、お琴でだいたい江戸時代や明治時代の曲をやるのよ、だけど16世紀の「六段」なんかもやるんよ、と紹介しておいた。彼女は目を丸くして、「ヘエー、それじゃ、500年も前の曲をやるんですか」と応えた。
 わたしは、お琴は、元になる楽器が縄文時代から出土していると説明した。また彼女は驚いていた。
 いろいろなものがめまぐるしく移り変わる時代に、ずっとほとんど変わらないことがあるなんて、不思議だよね。ということで二人の意見は一致した。
 
 やはりわたしは子どもが好きだ。子どもは、好奇心に満ちて、人に分け隔てがなく、柔軟でオープンだ。以前フリースペースのスタッフをしていたころのことを思い出してしまった。
 今、おおかたの労働者と失業者は、雇用の不安定化にさらされている。不安定な世の中で、昔から伝えられた確かに美しいことを守ってゆきたい。そう願わずにはいられない。
 楽器を弾くと、イヤなことも忘れられる。慢性的にひどく落ち込む失業生活の中、自分がまったく無能ではないと確認させてくれる。普段はつきあいのない人と語り合うチャンスを開いてくれる。
 それから、京福電車もすばらしい。いまどき珍しい路上電車なのだ。この電車のおかげでブログに書くネタも増えた(W)。
 フランス語でコンは「ばか、まぬけ」の意味がある。つまり、ネオコンは「新しいバカ」だ。このふたつの楽器を練習しつづけるかぎり、きっとネオコンにならずにすむ。もっと練習をして、レパートリーを増やしたい。そして、人前で弾くのに恥ずかしくないレベルに達したいものだ。
 
 
 
 
 
 
 

 

皇太子ご一家と沖縄・ベトナムーーtu の関係

2005年01月18日 05時52分31秒 | 伝統文化
 他者には二種類ある。親しい他者と親しみのない他者。わたしが勉強しているスペイン語で言えばtu と usted の違いだ。tuは家族・友人など親しい他者に呼びかける言葉。usted はまったくのアカの他人を指す。
 
 usted はひきこもりを甘えだとみなし、フリーターに自衛隊に入ってサマワに行けと言うだろう。しかしtu はどうか。親しい他者ーー人生の大部分を共有するーーがひきこもりをしたときに、彼(女)をののしれるのか。あるいはNEETをするときに際物扱いできるか。できまい。
 
 それは関係のなかで育まれる。その関係の育まれやすい環境を壊すのが過度の流動性である。車化、情報化、コンビニ化やマクドナルド化というものだ。借金を払うように携帯代を払い、車検のために給料のかなりの部分が飛んでゆく。歩いて行ける近所の小さな店はどんどんなくなってゆく。店で売り子としゃべりながら買い物をするにぎわいも、今は珍しくなりつつある。

 近代は死や病が病院の中に閉じ込められている。死を看取る行為も長寿化や職業の専門化や相互扶助のシステム化とともに、家族や隣人のものではなくなっている。また介助する期間は長くなり、介助の種類も増えている。流動化ともあわせて、tu と呼び合う関係が少なくなり、かわりにusted が増大してゆく。

 そうすると人をモノのように扱うことが多くなる。リストラを平気でやれる状況を用意する。社会的に不利な立場にある人たちを、一般庶民が激しく非難し、冷酷に追い立てる。青空カラオケへの弾圧も、行政のからんだホームレス排除も、ニュータウンで老人ホーム建設に反対する住民運動も、tu よりもusted の関係が優勢の場所で起こりがちなできごとのヴァリエーションなのだ。なぜならば、身近なtu の関係があれば、他者にとっての別のtu も想像しやすく、寛大になれるからだ。

 今の日本で保持されているtu の関係の最たるものとして、皇太子ご一家と沖縄をあげたい。
 皇太子殿下と皇太子妃殿下と内親王殿下は、互いにtu の関係にある。皇太子・皇太子妃両殿下は
世継ぎがどうのというよりも子育てを楽しみたい。周りは政治的な思惑もあって騒いでいるが、両殿下にとってはノイズらしい。
 また皇太子殿下と皇太子妃殿下はtu の関係にあることは明らかだ。周囲の思惑や世継ぎ生む義務の遂行しないとがをかかえながら、また皇太子妃殿下の体調の悪さを理由にいつ離婚する(させられる)か分からない状況にあるからだ。にもかかわらず、今生天皇陛下や弟宮と対立しても皇太子殿下は皇太子妃殿下を守る気であられる。
 片や沖縄では、今では崩れつつあるものの、血族を軸にまだまだtu の関係がある。中国や韓国と同じく血族主義が強い。そうすると失業率が高いのも離婚率が高いのも、「家の外でおかしななことがあったときには血族がかばう」伝統の表れなのだ。shiro さんの紹介しているベトナムも同じだと言う。会社でイヤなことがあったら仕事をやめても血縁共同体が守るそうだ。
 
 日本の中心と周辺にいまや珍しくなった親しき者を大切にし、社会的な価値(国のために世継ぎを生め、失業なんて人間失格、離婚なんてとんでもないetc)を二の次にする生き方がある。だからこそ今皇室が取りざたされ、沖縄に関心が向けられる。それは一般庶民の日常世界からtu の関係がーー個人と社会との間にある共同体/コミュニティがーーなくなっているからだ。

 皇室という経済的には保障されたお立場と、沖縄という血縁共同体による相互扶助に支えられた生と死の共有。そこに学校や会社を軸とする擬似共同体または共同体主義とは違う共同体がいっぽうで作られ、もう一方では残っている。
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 

 

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 

 
 

 

 
 

 

  
 

 
 

 
 

 
 

 

クリスマスに

2004年12月25日 00時27分20秒 | 伝統文化
 みなさん、クリスマスをいかがお過ごしですか?

 何でも新しくなければならない、が教義のネオリベに対抗するかのように(?)、クリスマスを祝いましょう。わたしの友人たちも貧乏であったり、職があれば殺人的に忙しいために、クリスマスのために集まれません。それでも、自律性を保つためにできることをすればよいのです。
 
 ソレーム修道院による「クリスマスのためのグレゴリアン・チャント」というCDを聴きました。ソレーム修道院とは、フランスにあるグレゴリオ聖歌の本拠地です。
 声だけで音楽を作ってゆく点は、日本の仏教寺院を中心に受け継がれる「声明(しょうみょう)」と似ています。他の音楽の源になった点も共通しています。
 また、ひとつの母音を長くのばして複数の高低の音を出す歌い方は日本の伝統音楽にも通じるものがあります。
 
 「古いヨーロッパ」と揶揄されようと、歴史や伝統のいい部分には尊敬の念を持っていたいと考えています。
 


竜神の怒り?ーー台風・熊・活動家逮捕

2004年10月24日 01時01分08秒 | 伝統文化
 日本を台風が襲っている。おわったかと思えばまた来る。まるで亜熱帯気候だ。
 弟の住んでいる地域では土砂崩れでそうとうな被害が出たそうだ。人間は助かったが犬は助けられなかった家の人が、たいそう悲しんでいたそうだ。その地域では昭和7年以降災害がなく、防災意識もほとんどなかったという。

 これは、竜神さまが怒っているのではないだろうか? 竜神とは日本の八百万の神のひとつで、
雨や風を司る。

 激しい空気と水の乱れは、沖縄が必死に拒否しているヘリコプタ-の墜落、必死の抵抗のつづくジュゴンの海を壊す辺古野ヘリポ-ト建設に、日本本土はもっと注目しろと訴えているようだ。
 また、「日朝国交正常化を急ぐあまり拉致被害者を見捨てるな」、とか「自衛隊をブッシュの戦争から撤退させろ」、と言っているようにも見える。
 失業やひきこもりやNEETを道徳的に断罪するなという警告にも見える。
 地球温暖化を深刻に受け止め、環境にやさしい暮らしをしろとの主張にも思える。

 そういえば、熊が出没のニュ-スも、これ以上自然破壊をするな、という自然界からのサインに見えなくもない。

 もうひとつ、高橋ジャミ-ラという反戦活動かの逮捕。http://news.goo.ne.jp/news/sankei/shakai/20041023/m20041023020.html
 活動家が陥りがちな傲慢と自意識過剰へのいましめだと考えることもできる。(もちろん、神やシャ-マンではなく国がこんなことを司っては政教分離の原則に反するが、ここではスピリチュアルな観点から話をしている。)

 この大学では、科学・技術ととともにこういった伝統的なもの、スピリチュアルなものも大切にしてゆきたいと思っている。

 


嵐山の公司さん

2004年08月02日 12時15分18秒 | 伝統文化
 最近、京都の嵐山に行った。お寺を見るためではない。このBlogに使うための写真を撮るためにである。

 いい風景を求めて大堤川から上流へ徒歩でさかのぼるうちに、目につく店があった。このへんはジュースや流しそうめんのお店が多い。そのなかで一風変わったお店があった。なんと、Tシャツを売ってるのだ。
 種類は、今流行の和柄Tシャツ。水墨画風の龍、蒔絵風の金魚、近くにある保津川で魚を捕っているような白鷺などなど。値段は3000円くらい~。洗練された絵で、観光地プライスにしてはお買い得と言ってよい。

 公司さんは人懐っこい笑顔でわたしに話しかけた。なんだか不思議と親しみが持てる。
 彼は、自分がここで手書きで和風模様のTシャツを売っていると自己紹介した。軒下のハンガーにかかっている金魚模様のシャツを裏返して、「ホラ、これは裏にもちゃんと模様が描いてあるの」と教えてくれる。なんだか、以前嵐山の友禅工房で見た着物の模様とつき方が似ている。前身ごろから後ろ見ごろへと流れるように金魚の群れが泳いでいる。一つの絵がTシャツに写し取られたようだ。
「うわあ、キレイ。着物の絵っぽい?」と感想を漏らすと、
「そう。僕は着物の絵柄を15歳のころから日本画の世界に入って、ずっと着物の絵の型を作っていたの。最近ここでTシャツに絵をつけてやるようになった。」
と語る。語り口は、目の前の川の流れるようになめらかだ。
 ちょうど知り合いに日本画の勉強をしている人がいるので、彼の話題で盛り上がった。彼は今、アルバイトで苦労しながら日本画をやっている、と話すと「ああ、それが一番ですよ。やりがいもあるし」と答えた。苦労も含めた実感ただようシンプルな答えに驚くものがあった。
 普通は「そうは言っても~」などと続くものだが、彼はそういわなかった。自分の本当に好きなことを一生懸命やっている人独特の勇気と率直さがそこにあった。

 「あなたは何をしておられる人?」と伝統を継ぐ人独特の奥ゆかしさをもって彼は尋ねた。その時、わたしはかなりいい加減な
格好で、安物のリュックサックをかかえていた。「どうせ土まみれになって写真をとるんだから」というのがその理由といえば理由だが、実際には面倒くさがっていただけだ。
 そのことを恥じつつ、実は関西にオルタナティブ大学を作ろうとしていることを話した。そうすると、「へーー、そうですか。バイタリティがあるんですね」と面白がってくれた。
 
 学校に行かなくても人は魅力的になれる、優れた文化を身につけて独立してやっていけると彼は静かに物語っていた。

 パレーシア大学では、ぜひ公司さんのような人を教授にむかえたい。ずっと大学にいて博士号をとった人もスゴイものを持っている。しかし、学校や大学の外にも素晴らしい人がいるのも事実なのだから。




 

 
 
 
 

AGATSUMA LIFE 

2004年07月28日 00時48分02秒 | 伝統文化
AGATSUMA LIFE

 我妻宏光のDVDを聴いた。相変わらず元気で、伝統的で、しかもパイオニア精神あふれるいい作品だ。

 吾妻宏光は高名な津軽三味線奏者だ。権威ある津軽三味線全国大会で二年連続の優勝を果たしている。

 彼は高い演奏技術をもったアーテイストだ。にもかかわらず、謙遜の美徳を忘れない。
 以前、エディ・ヴァン・ヘイレンという有名なロック・ギタリストがTVのインタビューで言っていた。「ギターを征服し、ギターを操れるようにならなきゃダメさ。」
 吾妻宏光は決してそんなことを言いやしない。自分の今の活躍は、津軽三味線という楽器の魅力にあること、また津軽三味線を産み育てた津軽の気候風土や先人の達成によるものだと彼は語る。なんと謙虚なことか! 
 これぞ岡倉天心の唱えたアジア主義の現代的表現だ。何でも近代西洋化していくはてにある個性の摩滅、多様性の減少。それに対する対抗力を津軽という流派は秘めている。全国大会で2年連続して優勝し、邦楽のディスク・オブ・ザ・イヤーに選ばれても当然のように奥ゆかしいミュージシャンを育てたーー少なくともつぶさなかったーー津軽とは、なんとすばらしい楽器だろう!
 
 三味線は流派を問わずマスターするのが難しい楽器だ。まずきちんと構えられるようになるまでに一年かかる。また、サワリという音響調節装置を操れるまでに10年要る。
 他の伝統的民族楽器もそうだが、近代西洋楽器のように万人が弾きやすい方向に「発展」していない。なので、ちゃんと弾こうとすれば、楽器が体になじむのを待つのではなく、体を楽器になじませる努力が求められる。
 その三味線を彼は本当に「自然」に、なめらかに弾きこなす。実験的な試みではいささか荒っぽいところもあるが、完成度は高い。
 能にも通じる静と動のコントラスト、津軽民謡独特の方言のような奏法を生かしながら、ジャズやクラブ音楽とマッチした演奏をしてみせる。
 
 津軽じょんがら節、津軽よされ節といった、「これぞ津軽」というべきスタンダードナンバーの演奏は、模範的な津軽だ。BEAMSのようなクラブ系音楽との融合、「紙の舞」に見られる新古典ともいうべき創作、彼の出世作となった「ゆう(さんずいの横に遊びのつくりの部分)」に見える遊び心あふれるフュージョンの傑作。

明治の先人たちはこう考えた。「西洋化しなければ列強に食われる。しかし西洋化するだけでも列強に屠られる。」
 吾妻宏光は見事にアメリカ化し、アメリカに食われなかった。かといって、アメリカ化するだけではなく、きちんと伝統を守ってみせた。いや、拡張させたといってもよい。
 彼と共演するジャズ・ミュージシャンの演奏を聞けばわかる。
津軽独特のリズムやフレーズに戸惑いながら、影響を受けたり融合をはたして、新たな境地を開いているのだ。それも、自分のキャパシティの限界ギリギリで、ミュージシャン自身予想だにしなかったフレーズや装飾音をまさに産み出しているのだから。
 津軽お得意(特異)の「はね」や「泣き」の奏法が、世界のアーティストに影響を与える現場をこのDVDで視聴者は確認するだろう。

 彼にもパレーシアの素質がある。「カッコいい」と思った音を公の場で公表する勇気があるからだ。
言葉はなくても、彼の津軽が、創作曲が、音色が、奏法が、それを物語っている。それは、伝統楽器の業界では大きな反発が出るものだ。
 それでもなお彼は古典をふまえた実験をやめる気はない。「前につき進むだけ」とこのDVDのインタビューにも応えているとおりだ。
 なお、彼はインタビューの終わりでいみじくもこう言っている。「もう一度生まれ変わっても三味線を弾いていると思いますね。」高名な民族音楽学者の小泉文夫、その弟子筋にあたる若林忠宏は、インド人の音楽への取り組み方を紹介している。それは、「自分は前世でもシタールを弾いていた。来世でも弾いているだろう」といったものだと言う。日本の津軽地方の楽器を弾きながら、インド的な価値観をさらりと語ってみせる。吾妻とは、
アメリカのロックやジャズをとりいれながら、同時にアジア的でもある稀有な存在なのだ。

 

 この吾妻宏光のようにリスクをとれる人こそパレーシア大学は喜んで歓迎する。普通の大学ーー特に芸大・音大ーーでは彼のような人は多分つぶされてしまっただろう。あまりにもカノンに忠実に、正しい指使い、正しい解釈にこだわりすぎるあまり、多様性を殺してしまう傾向があるからだ。そのうえ、自然発生的な創作を「勝手に作ってはダメだ」と師匠が厳しくとがめ、小さくまとまった優等生をつくりがちだからだ。精神的な自由はなく、ロボットのように古典を規範をあがめる。
 そこには括弧とした自己確立も、他のジャンル・スタイルとの交流もない。
 パレーシア大学では、論文に偏らず、音楽や絵画など別の方法で自己表現することも奨励したい。またそういった勉強をする人を歓迎し、応援したい。
 吾妻宏光のように歴史や伝統を尊重し、同時にパイオニア精神をもあわせもつ人をつぶさないことをお約束する。

http://www.mise-yasui.com/item-B0000ZP5X

(NOW BUILDING)

三線を弾く議員

2004年07月18日 12時13分48秒 | 伝統文化
 先日、沖縄ポップスの大御所・喜納庄吉が当選した。
 彼が手にしているのは沖縄の三味線。三線だ。
 
 三味線の期限については諸説あるが、沖縄の三線は、16世紀半ばに大阪の境に入港している。
 ではその三線がどこからやってきたかというと、中国だ。こちらは三弦(サンシェン)という。
 その中国の三弦はどこからやってきたか? 中央アジア・西アジアからだ。実際、クブース、コブス、ラバーブ、セタールといった親戚楽器が点在する。
 
 沖縄の三線は、本土の三味線の産みの親であり、アジア諸地域と日本本土をつなぐ楽器である。その楽器を弾く人が国会議員になった意義は大きい。
 沖縄では議会や財界の地位の高い人が、三線の名手だったりするという。そのため、県のGNPが低くても、音楽や踊りのイベントに予算や協賛がつくそうだ。
 日本にも喜納庄吉のような議員が増えてこそ、経済だけでなく文化面でも一人前になれるだろう。外国から「エコノミックアニマル」と見られることもないはずだ。
 現在、文教予算も構造改革に伴う緊縮財政によって削られている。またもともと日本では諸外国に比して、芸術や芸能が冷遇されているともよく言われる。
 日本からも伝統楽器の大御所や踊りの名手が議員となってほしい。伝統文化の保護から新しい文化の育成まで、支援できればいいと思う。
 知り合いのクラリネット吹きは文化レベルは高いが悲しいかな貧乏だ。彼女は家でクーラーをかけられない。それで、この暑い季節に楽器のコンデイションに悪いだろう、と気にかけている。 こういう人に芸術の奨学金を使えないものだろうか? 文化を知る議員ならきっと質問したり、立法したり、調査したりと力になってくれるのではないだろうか?
 また、来るべきアジア連合についても一家言あるだろう。喜納庄吉の「花」は、いくつかの沖縄ポップス同様、アジア諸国でもヒットしている。

 彼を候補にした民主党の英断には敬意を表したい。逆に言えば、喜納庄吉タイプの人間を候補にできなかった共産・社民のGNP至上主義は反省をせまられている。階級・階層だけでは文化やアイデンティティの問題は解けないということだ。

 オルタナテイブ大学では、理科・文科・芸術科を問わず、ひろい視点からの研究・教育を行う。この小文がひとつのたたき台になれば幸いである。

(写真は大阪・梅田の阪急東通商店街で三線を弾く沖縄出身のストリ-ト・ミュ-ジシャン。)

「ヤマトンチュのための沖縄音楽入門」 金城厚 音楽の友社
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00004W9XE/qid=1090521896/sr=1-9/ref=sr_1_8_9/250-5719845-2906634
入門者のために歴史的・地理的背景から政治や軍事との関係まで
記したよき沖縄解説書。


沖縄の音楽 キングレコード
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/tg/detail/-/books/4276330807/reviews/ref=cm_rev_more_2/250-5719845-2906634
古典音楽を収録。琉球琴のすががき(本土なら「六段」にあたる)が3段まで聴けるのが珍しい。石垣島など沖縄本島以外の音楽も楽しめる。

若林忠弘 「民族楽器大博物館」 
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4900455482/qid=1090522442/sr=1-9/ref=sr_1_10_9/250-5719845-2906634#product-details
写真が豊富。

「幻の楽器を求めて」
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/448004194X/qid=1090523101/sr=1-3/ref=sr_1_8_3/250-5719845-2906634
地道なフィールドワークの成果がここにある。