日本の13弦の琴と、三味線の弦が切れた。
浅野楽器店にまで、ケースに包んだお琴を手で持ってゆく。車と免許がないのはつらい。電車とバスをのりついで楽器店につく。
楽器店でまず三味線の弦(絹糸)を購入。
つぎに、お琴の糸を楽器店の人に抜いてもらい、張りなおしてもらう。愛媛の楽器店で締めてもらったナイロン糸ではなく、もう少し丈夫で長持ちするテトロン糸で締めてもらった。(ちなみに、テトロンは、科学的に見て、伝統的に使われてきた絹糸とほとんど同じ弾性をもっている。)
シュッ、シュッ、シュッとリズミカルに、古くなって黄ばんだ糸がお琴の外に出されてゆく。そして新しい弦がはられてゆく。かかる時間は約一時間。
ためしに柱(可動フレット)をつけて弾いてもらった。以前と比べてハッキリと音が出る。音色もクリアになっている。こころもちヴィブラートがかかって、よく鳴っている。まるで楽器が生まれ変わったかのようだ。
今は少しキツ過ぎる状態かもしれないが、数日も弾いていれば、ちょうどいい具合になる。テトロン糸のほうがナイロン糸よりも丈夫だから、今度は長持ちしますよ、とのこと。
家に持って帰って、さっそく自分で試弾きしてみる。まずは平調子で「六段」、「さくら変奏曲」といった地歌の曲を弾く。次に琉球音階の調弦で「てぃんさぐぬ花」を奏する。さらに律音階で「豊年の歌(宮古島)」といった沖縄民謡。さらに、「アリラン」「トラジ」などの朝鮮民謡。くわえて、「竹田の子守唄」。平調子にもう一度調弦しなおして「お江戸日本橋」「京鹿の子娘道成寺」を弾いてみる。
2年ほどお琴はブランクがあるので、勘が鈍っている。しかし三味線はずっと続けて練習をしていたので、音感・リズム感は鈍っちゃいない。曲もちゃんと覚えている。まだ音色はうまく作れない。
やや音が硬く、ヴィブラートが強すぎる。ウインウインと響いている。あと数日すればちょうど良い塩梅になるだろう。
次に、三味線の弦を自分で張りなおす。いちばん太い一の糸はまだつながっている。切れたのは二の糸と三の糸。根緒に糸を結び、糸巻きに糸を通してくるくると巻いてゆく。糸が重なると切れやすくなるので、重ならないように気をつけながら。ためしに、お琴と同じ曲目を弾いてみる。以前より、バランスよく弾ける。やはり生き返ったように元気よく音が出ている。
地上を走る京福電鉄のなかで、たまたま隣にすわった人が、話しかけてくる。日本の琴からはじまって、モンゴルや中国や朝鮮の琴について、あるいはチャックにつけたキーホルダーについて会話がはずんだ。キーホルダーに、お坊さんと鼓。お坊さんは、日本の音楽はもともと仏教の声明から流れてきたから。それに鼓は、雅楽の時代からお琴といっしょにあわせてきた楽器だから。
ある十代の子は、「面白そう」と興味ぶかげに人工革でできたケースに入った琴をながめていた。いろいろと雑談をしてゆくと、友人といっしょに広島・長崎の原水禁の大会に行ってきと言う。「わたしも戦争には反対なんですよ」と語るとニッコリわらっていた。カバンの反戦メッセージ入りのバッジと、彼女の手首につけたゴム製の反戦リストバンドを見せてくれた。
“No more Hiroshima No more Nagasaki”というロゴとHPのURLの入った赤いバンドは、広島で、海外から来た人が売っていたと彼女は教えてくれた。
それから、乗り換えの駅で別れるまで、わたしたちはいろいろと話した。話題はふたたびお琴に戻った。彼女は、お琴はもう少し分厚い楽器じゃないかと思っていたとコメントした。問わず語りにわたしは、お琴でだいたい江戸時代や明治時代の曲をやるのよ、だけど16世紀の「六段」なんかもやるんよ、と紹介しておいた。彼女は目を丸くして、「ヘエー、それじゃ、500年も前の曲をやるんですか」と応えた。
わたしは、お琴は、元になる楽器が縄文時代から出土していると説明した。また彼女は驚いていた。
いろいろなものがめまぐるしく移り変わる時代に、ずっとほとんど変わらないことがあるなんて、不思議だよね。ということで二人の意見は一致した。
やはりわたしは子どもが好きだ。子どもは、好奇心に満ちて、人に分け隔てがなく、柔軟でオープンだ。以前フリースペースのスタッフをしていたころのことを思い出してしまった。
今、おおかたの労働者と失業者は、雇用の不安定化にさらされている。不安定な世の中で、昔から伝えられた確かに美しいことを守ってゆきたい。そう願わずにはいられない。
楽器を弾くと、イヤなことも忘れられる。慢性的にひどく落ち込む失業生活の中、自分がまったく無能ではないと確認させてくれる。普段はつきあいのない人と語り合うチャンスを開いてくれる。
それから、京福電車もすばらしい。いまどき珍しい路上電車なのだ。この電車のおかげでブログに書くネタも増えた(W)。
フランス語でコンは「ばか、まぬけ」の意味がある。つまり、ネオコンは「新しいバカ」だ。このふたつの楽器を練習しつづけるかぎり、きっとネオコンにならずにすむ。もっと練習をして、レパートリーを増やしたい。そして、人前で弾くのに恥ずかしくないレベルに達したいものだ。
浅野楽器店にまで、ケースに包んだお琴を手で持ってゆく。車と免許がないのはつらい。電車とバスをのりついで楽器店につく。
楽器店でまず三味線の弦(絹糸)を購入。
つぎに、お琴の糸を楽器店の人に抜いてもらい、張りなおしてもらう。愛媛の楽器店で締めてもらったナイロン糸ではなく、もう少し丈夫で長持ちするテトロン糸で締めてもらった。(ちなみに、テトロンは、科学的に見て、伝統的に使われてきた絹糸とほとんど同じ弾性をもっている。)
シュッ、シュッ、シュッとリズミカルに、古くなって黄ばんだ糸がお琴の外に出されてゆく。そして新しい弦がはられてゆく。かかる時間は約一時間。
ためしに柱(可動フレット)をつけて弾いてもらった。以前と比べてハッキリと音が出る。音色もクリアになっている。こころもちヴィブラートがかかって、よく鳴っている。まるで楽器が生まれ変わったかのようだ。
今は少しキツ過ぎる状態かもしれないが、数日も弾いていれば、ちょうどいい具合になる。テトロン糸のほうがナイロン糸よりも丈夫だから、今度は長持ちしますよ、とのこと。
家に持って帰って、さっそく自分で試弾きしてみる。まずは平調子で「六段」、「さくら変奏曲」といった地歌の曲を弾く。次に琉球音階の調弦で「てぃんさぐぬ花」を奏する。さらに律音階で「豊年の歌(宮古島)」といった沖縄民謡。さらに、「アリラン」「トラジ」などの朝鮮民謡。くわえて、「竹田の子守唄」。平調子にもう一度調弦しなおして「お江戸日本橋」「京鹿の子娘道成寺」を弾いてみる。
2年ほどお琴はブランクがあるので、勘が鈍っている。しかし三味線はずっと続けて練習をしていたので、音感・リズム感は鈍っちゃいない。曲もちゃんと覚えている。まだ音色はうまく作れない。
やや音が硬く、ヴィブラートが強すぎる。ウインウインと響いている。あと数日すればちょうど良い塩梅になるだろう。
次に、三味線の弦を自分で張りなおす。いちばん太い一の糸はまだつながっている。切れたのは二の糸と三の糸。根緒に糸を結び、糸巻きに糸を通してくるくると巻いてゆく。糸が重なると切れやすくなるので、重ならないように気をつけながら。ためしに、お琴と同じ曲目を弾いてみる。以前より、バランスよく弾ける。やはり生き返ったように元気よく音が出ている。
地上を走る京福電鉄のなかで、たまたま隣にすわった人が、話しかけてくる。日本の琴からはじまって、モンゴルや中国や朝鮮の琴について、あるいはチャックにつけたキーホルダーについて会話がはずんだ。キーホルダーに、お坊さんと鼓。お坊さんは、日本の音楽はもともと仏教の声明から流れてきたから。それに鼓は、雅楽の時代からお琴といっしょにあわせてきた楽器だから。
ある十代の子は、「面白そう」と興味ぶかげに人工革でできたケースに入った琴をながめていた。いろいろと雑談をしてゆくと、友人といっしょに広島・長崎の原水禁の大会に行ってきと言う。「わたしも戦争には反対なんですよ」と語るとニッコリわらっていた。カバンの反戦メッセージ入りのバッジと、彼女の手首につけたゴム製の反戦リストバンドを見せてくれた。
“No more Hiroshima No more Nagasaki”というロゴとHPのURLの入った赤いバンドは、広島で、海外から来た人が売っていたと彼女は教えてくれた。
それから、乗り換えの駅で別れるまで、わたしたちはいろいろと話した。話題はふたたびお琴に戻った。彼女は、お琴はもう少し分厚い楽器じゃないかと思っていたとコメントした。問わず語りにわたしは、お琴でだいたい江戸時代や明治時代の曲をやるのよ、だけど16世紀の「六段」なんかもやるんよ、と紹介しておいた。彼女は目を丸くして、「ヘエー、それじゃ、500年も前の曲をやるんですか」と応えた。
わたしは、お琴は、元になる楽器が縄文時代から出土していると説明した。また彼女は驚いていた。
いろいろなものがめまぐるしく移り変わる時代に、ずっとほとんど変わらないことがあるなんて、不思議だよね。ということで二人の意見は一致した。
やはりわたしは子どもが好きだ。子どもは、好奇心に満ちて、人に分け隔てがなく、柔軟でオープンだ。以前フリースペースのスタッフをしていたころのことを思い出してしまった。
今、おおかたの労働者と失業者は、雇用の不安定化にさらされている。不安定な世の中で、昔から伝えられた確かに美しいことを守ってゆきたい。そう願わずにはいられない。
楽器を弾くと、イヤなことも忘れられる。慢性的にひどく落ち込む失業生活の中、自分がまったく無能ではないと確認させてくれる。普段はつきあいのない人と語り合うチャンスを開いてくれる。
それから、京福電車もすばらしい。いまどき珍しい路上電車なのだ。この電車のおかげでブログに書くネタも増えた(W)。
フランス語でコンは「ばか、まぬけ」の意味がある。つまり、ネオコンは「新しいバカ」だ。このふたつの楽器を練習しつづけるかぎり、きっとネオコンにならずにすむ。もっと練習をして、レパートリーを増やしたい。そして、人前で弾くのに恥ずかしくないレベルに達したいものだ。