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学校のない社会 大学のない世界

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フリースクールの自由の伝統を守れ!

2008年02月28日 06時50分07秒 | 不登校
自分は、元不登校であることをこちらのブログで表明してきた。
それは、けっこう勇気もいるし、心理的負担もかかることだ。
そのために、攻撃・差別を受けたこともある。
しかし、いくらかの味方が得られたのも事実だ。
誰が味方で、誰が敵か、くっきりと浮かび上がるのは、余計な憎しみを買ってつらいこともあるけれど、風通しの良い爽快さも手に入る。

もう一つ、ここらで立場をはっきりさせておこうと思う。
どうも、それをどこかに書かなければ、自分はこれ以上ブログを建てられないというところまで来ているので。

自分は、学校のない社会を求めている。
全然wじゃない。
自分が登校拒否をしたのも、学校の無い社会を作るために神がそう仕組んだのではないかと十代のころからずっと考えてきた。

同時に自分は教育のない社会を求めている。
教育は毒だ。
人の体質によっては猛毒になりうる。
どうも自分はその教育が猛毒になるタイプのようだと経験的に分かっている。
そうしたグループは、ある一定の規模でいるのだろう。

それから、登校拒否--フリースクール・コミュニティは、いいかげん学校のない社会のための実験的コミュニティとなるべきだ。
マスコミにとりあげられることの多い東京シューレは、ちょっと知識中心に偏りすぎていて、きちんと公教育と距離をおけていない。建物や雰囲気からしてそうだ。いや、昔世話になった地球学校も含めて、日本のフリースクールなりそれとはちょっとズレるけれど親の会は、学校・教育に甘すぎる。さらに言うと医療の危険性についても認識がなっていない。学校や教育と戦い、新しい文化・・社会を作り、そそれを周囲にすすめていく姿勢が弱いのだ。
それは戦略ということもあるし、妥協もあるだろう。
しかし、どこかフリースクールや親の会こそが不登校差別的というか、とりわけ一生型のフリースクーラーにまるで理解がない傾向をもっているようなのだ。

フリースクールをする人、あちこちのフリースクールを回っている人たちを、アメリカではフリースクーラーと呼ぶ。
このことは、元地球学校の児島さんに教えていただいた。彼は20代のころからアメリカのフリースクールをたくさんまわって、しまいには自分で日本にフリースクールを開いた人だ。
彼の話によると、フリースクーラーには短期型と一生型があるそうだ。
短期型は、たった2-3年でおわる。一生型は、いろんなフリースクールのコミュニティを回遊して一生をすごす。
わたしは一生型だ、もう二度と学校と家には戻りたくない。あの二つは地獄だ。非民主的で不自由で冷たさに満ちている。いつも知識やテストのことしか頭に無い。そんな知識中心の学校や家はいらない。
十代のころにそう思った。
経済的法律的事情により、イヤイヤしぶしぶつきあうハメになったものの、心の奥底ではいつも学校は、しばらくのちには家も、信用できないと思ってきた。

しかし、日本のフリースクール業界は、一生型のフリースクーラーを認めない。
一度正しく、フリースクールの理念と歴史を振り返り、古くは1920年代から作り上げてきたフリースクールのリベラルの伝統を守っていくべきである。

こういうと、「登校拒否は一生直らない難病・宿病」「国民病としての登校拒否・それによって国が滅ぶ」といった稲村博風の俗流不登校論または俗流フリースクーラー論に聞こえるかもしれない。
しかしわたしはそれらとは立場が異なる。

病気でもいいじゃないかと、初出は『あそびのページ』というミニコミ誌)で書いている。
別に、いいじゃないか。一生フリースクーラーやっているやつがいたって。
根っから学校が嫌いで、一生学校に行かず教育を受けずに生き、学校に行かず教育を受けずに死にたい人間だっているんだから。そういうタイプにとっては学校に行かないこと・教育を受けないことこそが最良の薬なのだから。

一生型フリースクーラーを排除する日本のフリースクールは、まともじゃない。
じっさいそういうところもあるのだ。
日雇い派遣労働でくたくたになりながら、ボロボロの格好でイベントに行くと、「成長発展が遅れている」「まだ登校になっていないボケがいる」
と顔に描いているバカなスタッフや、ゲストに招かれた精神科医がいたりする。
連中は論外である。どうしようもない。

追記:まあ、精神科医なんて、高度成長期には、ホームレスには精神障害者が多いし入信させると儲かるなんてこともあって、ホームレス狩りみたいなことを病院ぐるみでやっていた連中だ。貧困層の敵であっても味方にはならないだろう。
ちょっと、ろくでもない連中に期待しすぎて被害妄想になったかなwww









フリースクールを信用しないこと

2006年11月29日 13時01分12秒 | 不登校
↓ はあるフリースクーラーから受け取ったメールである。

おひさしぶり。
もう学校も大学もいきたくない、というのはまったくそれでいいと思います。
望まない予備校で、体はそこにいても心は死んでるようでは、いのちがもったいない。親とけんかしても自分を取り戻せるよう祈っています。そういう親ではどうしようもないのかもしれませんが、抵抗する元気を取り戻してください。今は若い人が本当に働き口がなく、使い捨てで就労政策もめためたな時代です。しかし、それに乗れないからといって、価値がないという見方にはくみしないで、
どうせ自分は、などと卑下しないで、自分を大事にして
行く中で何か見つかってくる気がします。ほんとに大変ですね。なお、親の福祉は受けていいと思います。


こういうところは労働組合ではないのだし、相談メールなど送った自分が悪いのかもしれないが。
この方は、基本的に分かっていない。
偽装請負・派遣で悪いのはその労働力を買う派遣先企業であって、そこに登録して働く従業員・失業者ではない。
また、田舎の保守的な親というのは、まともに話せる理性ある存在ではない。言葉の通じない、人ならざるものである。

すべてを心理的抽象的な問題にすりかえようとしているが、意味がない。
親福祉は親に遠慮し、生理的嫌悪感と根本的不信感のあるむこうに侮辱されつづける地獄である。
派遣・請負の風潮にのる・のらないという問題ではなく、競争環境上いやおうなしに巻き込まれることになる。

学校からの自由ばかり求めて、学校への自由がないとこういうことになってしまう。
とはいっても、もともとこの人を信用していたわけでもないし、この人の作ったフリースクールに通っていたわけでもない。相談したのが悪かったのだと思う。

イヤでも何でも学校や大学に行くことはできない。
女性差別に折れた面と、子ども差別から自由になりたい。これは両立不可能なものだったようだ。
それは、子どもの権利をとって女性の権利を捨てたということではない。
両方とも手にいれられなかったのだ。

自分にとって助けになるのは、学校の外・教育の外・フェミニズムの外だと思っていた。今では、家庭や地域も同じ地獄だと認識できる。
しょせんフリースクールも元祖リストラ学校だ。偽装請負もみんな自己責任にして企業の責任・政府の責任はとわないようにというリアリティをおしつける。
フリースクールもまた大人が子どもに理不尽を強いる地獄なのだ。
子どもの収容所であり、教育の地獄を味わわせる絶望と痛みの場なのだ。

信用できるのはやはり最後には天皇とか神とかいうところしかないのだと思う。




明るい/暗い○△□

2006年05月07日 20時37分25秒 | 不登校
明るい○○、暗い○○という議論がある。これは、特定のグループを有徴化しつつ、「監視と処罰」を強める機能をもっている。それは、日雇いなり不登校なりその他のグループの、長い時間をかけて行われる社会的排除の原因であると同時に、経過であり、結果でもある。

931 :名無しさん@社会人:2006/05/05(金) 20:18:42
>>928
明るい登校拒否か暗い登校拒否かという二者択一問題じゃないのは確か。

鎌田慧さんの臨時工のルポ(「追われ行く労働者」ちくま文庫)に、
明るい出稼ぎ・暗い出稼ぎという議論がある。これも不毛なのですぐにポシャったみたい。
(歴史的なことなんで、詳しいことはわからないので留保。)
70年代に都会に出稼ぎに行くのを地方自治体があっせんするのが経済政策だった時期があった。
そのとき、子どもの作文(学者子どものじゃないよ! 念のため)の紹介など
マスコミによる出稼ぎイメージが湿っぽい暗いものが多いと、嫌がって出稼ぎに二の足踏む人が出ることへの
対策として「明るい出稼ぎ」のイメージをふりまこうとしたこともあったそうな。
そんなことをしたって、使い捨て労働力で、しかも正社員からは邪魔者扱いされる立場に変わりはない。
労働基準法無視、人権や人格無視の状況を改善しなければ、「暗い」作業のきつさや職場環境の劣悪さを強調しても、
明るい、つまり出稼ぎの収入で電化製品を手に入れたり自治体の税収も上がるなどの点を宣伝しても、
その立場の悪さ、それにマクロな経済政策がそれを後押ししていることは
隠されたままだ。

登校拒否/不登校をめぐっても、時間的な自由を強調しても、将来の進路の困難さを強調しても、
それは現実の一面をえぐったにすぎない。それらを組み合わせた像こそ、実際の登校拒否/不登校と言える。
明るい/暗いの議論は、不毛で、ためにする議論なのではないだろうか?


935 :名無しさん@社会人:2006/05/05(金) 22:41:02
>>931
同意。
付言すると、かの稲村博さんも早々その言葉(「明るい登校拒否」)に反応していて、
日本の不登校の大多数は「暗い登校拒否」であり、そういう不登校児には〈治療〉が
不可欠・・・心理カウンセリング程度ではだめで、入院治療や宿泊治療をしないと将来
深刻な引きこもり状態になって人生を無為に過ごす、なんてようなことを言ったわけ。

「明るい登校拒否児が増えて困っている。彼らはより〈治療〉しにくい」という言葉にも
象徴されているように、いわゆる「治療」派言説の人たちにとって「明るい登校拒否」
という不登校像の登場はある意味ずっと邪魔な存在であったということも、不登校の
言説史を捉える上できちんとおさえとかなきゃいけないポイントだったりします。

貴戸さんの言説の登場も決して偶然で目新しいものではないので、その言説史上
(市場)からちゃんと見ておく必要もあるんですよね。そのことも付け加えておきます。



ちょっと気になったリンク

2006年05月07日 19時32分15秒 | 不登校
松下政経塾
http://www.mskj.or.jp/getsurei/ikuko9601.html
自立とは、決して反抗しないことなのか?

複数のフリースクールの比較・紹介
http://www.arsvi.com/0b/96022915.htm
フリースクールが不登校・いじめ対策という面とともに、公教育とは別の系統の教育をやるところという面をきちんと描き出している。いい視点だと思う。

東京シューレ最新情報
http://www.shure.or.jp/cgi-bin/blog/news/date/2005/12.html
学校以外のオルタナティブは、単なる学校批判ではないという主張。これは重要。

ひきこもりという言葉の実務的効果
http://homepage2.nifty.com/donutstalk/ura.htm
やはり実務家からこういう報告が出てきた。予想どおり。

不登校という問題自体、という問いかけを無効にする「ためにする議論」
http://web.sfc.keio.ac.jp/~oguma/kenkyu/03s3/report/saitou.html

かの貴戸理恵の姉妹弟子によるリポート。なんとしても不登校を監視しやすい体制をととのえ、「悪」として扱おうとする意図が、リポートの末尾から読み取れる。


放課後の教育論を書き終えて
http://www.asahi-net.or.jp/~pv8m-smz/archieve/teshima.html
今、学校は壊れている。学校をとりまく環境も壊れている。高校の現場から脱学校をうけとめての議論。

湘南オンラインフレネの紹介
http://blog.goo.ne.jp/tobita/e/ac43b89da58f6d6ae79130e47ad8a729

将来のために子どもを縛る教育への批判。ならびにフレイレが「銀行貯蓄型教育」と呼んだ知識をめぐる権威主義の問い直しは見事。

オルタナティブの灯を絶やさないで

2006年04月14日 22時12分49秒 | 不登校
アメリカで政治的行動を成功させた子どもが、学校教育によって自殺に追い込まれた。
http://sankenbunritsu.blog-city.com/060409.htm

60年代、ロスアンジェルスのラテン系の子どもたちが公教育に異議申し立てをした時期だ。
また、ジョナサン・コゾルがボストンの公立学校で黒人の歴史・文学を教えた時期とも重なる。そうしてはじめて授業に意欲を見せた黒人の子どもたち。それを快く思わない人々によって、ジョナサン・コゾルは教職を追われた。そして、自分のフリースクールをつくり、黒人の子どもたちに黒人の歴史・文化を教えた。

ちょうどそのころ、ヒッピームーブメントやベトナム反戦とともに、ニールのサマーヒルの自由で民主的な教育がアメリカではやった。
その白人中心のフリースクールをコゾルは金持ち中心のものだと批判している。

時はすぎて、サッチャーは「他に選択の余地はない」政策を実行した。共通性の多いナショナル・カリキュラムを「学力」向上のために実行しようとした。そのために邪魔な教育方針・教育方法の象徴として、ニールのサマーヒルをつぶそうとした。ところが、世界中のフリースクーラーやホームスクーラーは反抗した。どうか、大事なサマーヒルをつぶさないでください。そうメールや手紙をイギリス政府に送った。かろうじてサマーヒルは「おとりつぶし」をまぬがれている。

もうすこしたって近年の日本。不登校出身の東大院生が、他に選択の余地はないという立場のもと、日本のフリースクール、オルタナティブ教育の草分けともいえる東京シューレを攻撃する文書を本にして出版。人権侵害との抗議を受けた。

こうした、オルタナティブつぶしの波が世界中をおおっている。そのなかで、十代なかばのラテン系の子どもが、「他に選択の余地はない」派によって、尊い命を落としている。
わたしたちは、なんとしてもオルタナティブを擁護しなければならない。
ほかに選択の余地があること、選択の余地を主張しても叩かれたり自殺に追い込まれたりしない世界を作りたい。



登校拒否って言うな!

2006年03月31日 22時44分45秒 | 不登校
本田由紀さんたちのお書きになった「ニートって言うな!」が売れている。

職場の人権研究会主催の彼女の報告会でのできごとがあった。
「不登校の親の会」の人が、こうおっしゃったのだった。
「自分たちはどうして『登校拒否でもいい』、と言ってしまったのか。なぜ『登校拒否って言うな!』と言えなかったのか。」
悔恨のひとことだった。

その思いは、この新書を手にしてから、わたしも持っていた。
どうしてあのとき「登校拒否って言わないで」と言えなかったか。
有徴化に診断帝国主義、専門家支配に健康至上主義批判、正常と異常の区切りの恣意性と明るさ至上主義の相対化・・・・それらはすべて大事なことの周囲をめぐるだけの論議ではなかったか。(それらの真剣な試行錯誤を前面否定するわけではないとしても。また、うちの子は「登校拒否って言わないでほしい」と言っていて、みなさんと同じじゃなくて困ると出版記念シンポジウムで発言した親御さんに、「その子ががそう言うのならそれでいいんじゃないか」と別の立場を尊重するおおらかな姿勢を崩さなかったとしても。)

もちろん、まだインターネットもなかった時代の十代の子ども、それもフリースクール間の自由な移動を無理解な両親といいかげんなフリースクールによって封じられた家庭の囚人だったわたしにそんな気の効いたことを言えといっても無理だろう。

だけど、今ならなんとか言うことができる。

登校拒否って言うな!

専門家だろうが、素人だろうが、はたまた当事者であっても、
登校拒否なんて言うな。

たぶん、そのキーワードを使っているかぎり、問題解決はない。
カッコつきで使うのはいい。歴史的な文書や証言のなかに出てくるのは仕方ない。
ただし、ベタで使うな。

たった1日や2日、あるいは一週間や10日学校に行かないだけで登校拒否なんていうな。

学校の外で別の学びや経験をやっているときに、登校拒否?どうして?

学校に行きたい/行かなければとの意識は大きい。にもかかわらず、行きたくないとも思う。2つの考えの落差とギャップに戸惑い、苦しんでいるときに登校拒否? やめてよ。バカじゃないの。。。。病気でも障害でもないのに薬を飲ましたり、強制入院させたり、フリースクールに行けと圧力をかけたり・・・。子どもはゆがめられ、搾取されるばかりだ。

意識は学校に行きたがり、片や無意識では学校を拒む。まあ、ひとつの説明なんでしょ。それもひとつの仮説でしょう。確かな証拠はなく、わからないところは推論でおぎなっている。ヒトの祖先は何種かみたいなもので、ミッシング・リングはわからない。それを探求することがいいことかどうかも含めて未知の世界である。

もちろん、「登校拒否でもいいじゃないか」は、ぜんぜん役立たずだったわけではない。もう生きる資格がないと思いつめる究極の自己否定から自己肯定へのいのちがけの飛躍を助けてくれた。
だけれども、社会的な立場や肩書きとしてこれほど不当なものもない。ちょっと学校に行かないだけで人にこの世でもっとも不利なレッテルをはりつける。それはとんでもない暴力だ。
「登校拒否でもいい」という言論。それは、レッテルそのものを問わないものだった。それは自分たちの思考停止もしくは表現力不足だった。
たしかに、登校拒否というマイナスのラベルをなんとかプラス、またはプラス・マイナス・ゼロに価値反転させようとするのは「善意」からの試みだったかもしれない。
ただそれは、ネガをポジにひっくりかえすだけの作業だった。荒っぽい論理だった。
むしろ、どうやっても学校に行きたい気持ちと行きたくない気持ちの間でゆれ・まどい、葛藤するのを否認させる悪魔の思考だった。

診療室やフリースペースのなかではそれでもいい。だけど、外に出たときには偏見・無視・冷遇・排除が待っている。それを改良することかなわぬ無力な論理だった。子どもたちをそういった安全空間に閉じ込め依存させる効果こそあっても、そこから自由になれる力強さのない、小さなコミュニティに特有の論理であり、批判として中途半端だった。

もういいかげんに言うな。登校拒否とも不登校とも言わないで。
なかには学校に通いつつフリースクールにもやってくる子もいる。いっときフリースクールに通い、その後学校に行く子もいる。一生学校には行かないという子もいれば、行く子もいる。

勝手に、専門家の利益のために、あるいは学校のある社会はいいものだという幻想を保つためにいけにえを作らないで。

そう、登校拒否と言われた子と元子らは、この呪いの呪文から自由になっていい。

登校拒否って言うな!

進歩の光は闇をともなう。高校全入、高等教育大衆化は、それゆえのゆがみと犠牲をともなう。
光が強くなれば、闇もいっそう際立つ。
登校拒否という闇を、攻め滅ぼそうとしてはいけない。
登校拒否は悪くない。
そして、登校拒否とはもう言うな。
そこには登校するのと同じ子どもしかいない。
同じようにひとりひとり異なる存在があるだけだ。
その子を殴るな・蹴るな。その子の親を責めるな。
その子を薬漬けにするな。病院に閉じ込めるな。
家を座敷牢にして閉じ込めるな。
何が再登校だ。再家庭、再地域じゃないのか。

そんなことができるのは、たった半日も学校を休んだことのない人だけだ。そして、そんな人は多分どこにもいない。
誰もが何日かは学校を休んでいる。登校と不登校に絶対の差はない。

とにかく、登校拒否って言うな。問題を解決せず、さらにつくりあげるだけだ。

何度でも言おう。登校拒否って言うな!



(この話、つづく


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不登校対策を考えるメールマガジン3

2005年08月26日 06時57分48秒 | 不登校
大阪府の不登校政策を考える市民連絡会より、3つめのお知らせです。
府と直接交渉するところまでこぎつけた模様。
以下コピペ。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 大阪府の不登校対策を考える市民連絡会 Mail Magagine
 URL: http://www.geocities.jp/futoko_osaka/
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
2005.08.03 Vol.003 ※不定期発行※

※このメールは賛同者の方など、これまで連絡会にご連絡をいただいた方に配信して
います。配信を拒否される場合は、このメールにご返信ください。
………………………………………………………………………………
 大阪府の不登校対策を考える市民連絡会は、8月2日、太田房江・府知事、竹内脩
・教育長、生野照子・教育委員(委員長職務代理)らと懇談しました。今回のメール
マガジンは、そのご報告です。
………………………………………………………………………………

【INDEX】

●府知事、教育長らと懇談 8/2

●今後の活動について
------------------------------------------------------------

●府知事、教育長らと懇談 8/2

 8月2日、大阪府の不登校対策を考える市民連絡会は、太田房江・府知事、竹内脩
・教育長、生野照子・教育委員(委員長職務代理)、島善信・市町村教育室長らと懇
談しました。
 知事との懇談時間は約30分。短い時間でしたが、当事者の生の声を伝えたいと、親
や不登校経験者らが、不登校を経験しての思いを訴えました。また、要望としては、
不登校の数だけをみて減らそうとするのではなく、不登校で苦しまなければならない
子どもが少なくなるよう社会状況を変えてほしいこと、子どもにとって本当に施策が
活きるためには、数値目標を見直してほしいこと、学校に行かないで育つことを権利
として認めてほしいこと、などを訴えました。

 太田知事の見解は、要約すれば下記のようなことでした。

・自分自身も、学校でいじめられるなイヤな思いをしたことがあり、いまの学校が昔
とはちがってきていることはよく認識している。
・そうしたなかで起きている問題と認識しており、けっして無理にでも子どもを学校
に連れていこうとか、登校を強制するということは考えていない。
・公約の主旨は、学校をよくして、自然に子どもたちが学校に行きたいと思えるよう
な環境をつくるということであること。
・「半減」という誤解を招くような言い方であったことから、当事者が傷ついたこと
はよくわかった。
・不登校の数は多いが、それを悪いことと決めつけず、一人ひとりの状況を把握し、
きめ細かく対応したい。
・公約撤回というわけにはいかないが、今後は言い方に気をつけたい。
・これからも教育委員会に意見を言ってほしい。力を貸してほしい。


 また、教育長らからは、下記のような見解が示されました。

◎竹内脩・教育長
・(みなさんが苦しまれた経験は)教員や学校が不登校を理解していないで、起きた
ことだったと思う。
・不登校には、不登校にならざるを得ない、それぞれに深い背景があると思ってい
る。それを現象だけみて対処してはいけない。
・いろんな失敗から、学校現場も勉強してきている。なんとかいい方向にもっていき
たい。
・大阪は、遊び・非行型が多い。それに対しては「ちがうだろう」と言っていかない
といけない。

◎生野照子・教育委員(委員長職務代理)
・不登校の子どもたちは、悩む力、感じる力、サインを送る力があると思っている。
そのサインを見て学校を変えるよう動かないといけないのが教育委員としての役目だ
と思っている。
・これから教育委員会も、どう当事者の声を聞いていけるかが大事。頭で理解するだ
けではなく気持ちとして通じながら、施策を進めていかないといけない。

◎島善信・市町村教育室
・基本は、子どもにとって魅力ある、本当に行きたいと思えるような学校づくりが、
どれだけできるか。それでも、不登校がゼロになるとは思っていない。積極的に学校
はイヤだというお子さんや家庭はあると思う。しかし、学校に行きたいのに行けない
で苦しんでいる子どもたちは、ゼロにしたい。
・すべての基本は信頼関係で、支援協力員制度も、信頼がないままに機能すると、と
んでもないことになってしまう。市町村教委に対しても、そういうことをよく理解し
て協力員を選任するよう話をしているし、今日の話を受けて、あらためて働きかけた
い。


●今後の活動について
 「半減」目標撤回までにはいたりませんでしたが、連絡会の運動の結果、事実上、
これを骨抜きにすることにはなったと言えるかと思います。市民連絡会は、大阪府の
不登校半減政策に対して結成したものなので、知事懇談をもっていったん解散し、今
後、恒常的なネットワークを新たに結成したいと思っています。
 9月10日には、この間の活動報告を含め、新たな展望に向けた集会を開催します。
それまでに冊子を発刊する予定としています。くわしくは、また追ってお知らせしま
す。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
大阪府の不登校対策を考える市民連絡会
〒537-0025 大阪市東成区中道3-14-15
TEL06-6973-5892/FAX06-6978-6626
e-mail: osaka@futoko.org URL: http://www.geocities.jp/futoko_osaka/
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
※配信の停止、アドレス変更などは下記アカウントまで。
mail_magazine@futoko.org

大阪府の不登校対策を考える市民連絡会メールマガジン号外

2005年08月26日 06時53分20秒 | 不登校
みなさん、まるでナチスまがいの大阪の不登校半減政策に抵抗する動きがあります。苦戦を強いられながらも、子どもの市民的不服従の権利のために今日も動いています。以下メールマガジンよりコピペ。


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 大阪府の不登校対策を考える市民連絡会 Mail Magagine
 URL: http://www.geocities.jp/futoko_osaka/
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
2005.07.19 号外 ※不定期発行※

※このメールは賛同者の方など、これまで連絡会にご連絡をいただいた方に配信して
います。配信を拒否される場合は、このメールにご返信ください。
………………………………………………………………………………
すっかりご無沙汰してしまいました。「その後、大阪の不登校半減政策はどうなった
のか」などのお声をいただきしながら、ちゃんとご報告もないままになっておりまし
た。その後、私たちは地道ながらも、各方面との話し合いを続けてきました。府の精
神保健福祉課、府議会議員、大阪弁護士会の子ども権利委員会など、さまざまな方た
ちと、不登校やひきこもりについて、話し合うことができました。また、私たちの活
動については、まとまった報告をする機会を設けさせていただければと考えていま
す。
さて、今回は、号外として、このメールマガジンを発行いたします。
………………………………………………………………………………
【知事との懇談決まる】

「不登校半減政策」発表当時から、私たちは太田房江知事への面会を求めてきました
が、ようやく日程が決まりました。
8月2日に、知事および教育長と懇談します。ただし、知事との懇談時間はわずか20
分。短い時間で、どれだけの成果を得られるか、精いっぱい尽力したいと思います。


【情報をお寄せください】

知事・教育長との懇談にあたり、具体的な情報を募っています。
みなさんのなかで、大阪府の不登校半減政策で具体的に影響を受けたことがあれば、
ぜひ、情報をお寄せください。

※たとえば
・「不登校支援協力員」の方が家庭訪問に来られた(その際のようす)。
・学校の先生からの働きかけに変化があった。
・そのほか、知事・教育長に届けたい声など。

※情報は下記まで。
mail to: osaka@futoko.org

………………………………………………………………………………

また、知事・教育長との懇談のようすなどは、このメルマガでご報告します。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
大阪府の不登校対策を考える市民連絡会
〒537-0025 大阪市東成区中道3-14-15
TEL06-6973-5892/FAX06-6978-6626
e-mail: osaka@futoko.org URL: http://www.geocities.jp/futoko_osaka/
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
※配信の停止、アドレス変更などは下記アカウントまで。
mail_magazine@futoko.org

新しいMLへの招待

2005年08月26日 01時17分45秒 | 不登校
みなさん、新しいMLを立ち上げました! その名も「脱学校会議室」。
フリースクールや不登校関係の話題を共有したい方はどうぞご参加を!

脱学校会議室
http://groups.yahoo.co.jp/group/deschooling-oriented/

・投稿用アドレス
deschooling-oriented@yahoogroups.jp
・グループへの参加(自動処理)
deschooling-oriented-subscribe@yahoogroups.jp
・グループをやめる(自動処理)
deschooling-oriented-unsubscribe@yahoogroups.jp
・グループ管理者の連絡先
deschooling-oriented-owner@yahoogroups.jp
・グループページのURL
http://groups.yahoo.co.jp/group/deschooling-oriented

あえて先生に偏差値をつけると

2005年08月15日 02時33分54秒 | 不登校
これはKimura Masaji
http://blog.goo.ne.jp/kmasaji/e/203056bf397545d928159fe5a03eb26eさんへのトラックバックです。

当方、中学校の2学期以降、正規の学校教育に通っていません。その少ない経験から言うと、学校の先生方は何をやっているのかよくわからないです。

受験科目であっても、その他の技能であっても、環境やセンスのよい子の場合は、プライベートの教室に通うとか、独学とかしたほうがいいと思う。そのほうが、効率がよかったり、いい方法で練習・勉強ができておかしなクセが身につかないですむって気がするんです。たとえば、親が画家だったら、美術の授業は不要でしょう。

自分の観察したかぎりでは、学校の教師は知識・技能を伝えることはあまり上手ではない。健全な競争や情報開示がないためか、勉強熱心じゃない人も目立ちます。
いっぽう、情熱をこめてやることといえば、囚人の拘禁反応まがいの細部拘泥主義と被害者意識。わけのわからない校則・体罰、先生主導のいじめ、成績が100点で当然とみなし98点なら無視・蔑視するような完ぺき主義。自分よりも勉強その他のできる生徒や親への陰湿な足引っ張り。生徒指導や教育熱心に名を借りた勉学と生活への妨害行為。わずかの情報公開にもヒステリックに憎悪を示す排他性(例:内申書を生徒が見てはダメ。自殺事件等があれば緘口令。学校に批判的な市民団体やジャーナリストへの誹謗中傷など)。
そうして、都道府県で1番か2番目の本格的進学校(東大や早稲田をめざせる所)とか、体育・芸術の権威ある大会で優勝・上位入賞をねらえる学校以外は、成績は2の次、またはどうでもよい。そういうところは、人権はなくても特権がある。エリートまたは準エリートなので、少々バカやってもいい。ただしやりすぎるとキ○○○イ扱いされるけれど。
大多数のフツーの学校は、ひたすら態度・行状における優等生ぶりを査定する。教員や児童・生徒集団(衆団?)の各種の圧力にひれ伏す子どもを求め、「浮いた」ものを徹底して嫌悪し、たたきのめす。
そのことに抵抗する教員・親・地域住民・子どもを、あらゆる手段を使ってつぶす。(木村さんのキーワードを使えば、恣意・無責任・共同体ですね。)

気持ち悪くて妙なことをするところにずーっと通っても、ほとんど愚民教育受けているようなものだと今ふりかえって思います。勉学面で優秀な子、あるいは音楽でも作文でもセンスのよい子、リーダーシップのある子、手先の器用な子らを、教員たちとその意をくんだ児童・生徒たちが、強い共同体意識をもってつぶしてしまう。
折り紙が上手でも、音楽センスが優れていても、数学がよくできても、料理に詳しくても、編み物が上手でも、水泳の競技会で上位入賞しても、学校のなかではすべて「マイナス」、もしくは「ゼロ」でした。
小学校のときのある理科の教員は、わたしが読んでいる「アニマ」「ニュートン」などの一般向け科学雑誌に目を通していなかったので、授業のペースメーカーとしてはよくても話相手としては退屈だったことを覚えています。

結局、自分は学校にはあわないな、と思ってやめました。学校では自分はゼロかマイナスでしかない、ここに自分はいてもいいんだとは思えない状態でした。
ところが、30代初頭になって確認しておどろいたことがありました。中学校のときのわたしのテストの成績は、低くとも上から7%以内には入っていたのです。あまりに教員たちに否定的にコメントされ、生徒たちにも日常的に侮辱または同情されてばかりだったので、てっきり逆(つまり、テストもできない)だとばかり思い込まされていたわけです。
地元の公立の無選抜の学校だったので、上のほうから数えたほうが早いといっても何も大したことはありません。ただし、客観的認識と自己肯定の許されない歪んだ環境にいたんだなー、ってことだけは分かりました。

学校の教員のかたで、一番印象に残っている方は小学校のときの保険の先生です。彼女は、登校拒否をしている子らはわがままじゃないし、仮病でもないという立場でした。そういう子たちが強制的に転校させられそうになったとき、たった一人で抵抗をして、結局左遷されてしまいました。彼女は成績とか親の職業とかにはとらわれずに、わけへだてなく子どもたちとつきあっていました。わたしは彼女のことは信頼していたし、今でも尊敬しています。ほかにいい思い出ってありません。思い出したくもないことばっかり。

木村さんの提案に応じて、もしこれまで直接知った教員に偏差値をつけるとすれば、保険の先生は偏差値73。子どもの権利の味方だったから。
次に、偏差値57にしたい教員もいます。わたしがまったく学校に顔を出さなかったにもかかわらず、「もし通っていたら多分このくらいの成績は取っていただろう」という推定のもと、わたしの通信簿に5とか4とかをつけてくれていた教員のかた。現役の義務教育のときには、ただウザかったけれど、30代初頭の今ふりかえれば、学校組織のなかではけっこう勇気のいる行動だったと思うから。
そのほかの教員は偏差値32くらい。

おまけとして、毎日人を殴る・誹謗する・罵倒する・威嚇する・ウソをつく・だますとかしていた教員。理科系のできる子に理系の勉学を禁じて文系科目ばかり強要する本末転倒の迷惑教員。大検を受けたいと言う子を放課後何時間も拘束したあげく、大検は東大入試なみにむつかしい、ウチの学校で受かった子はいない、などとデタラメの宣伝を吹き込む教員。親の職業を言わせて差別暴言をする教員。権威と権力を乱用して、片っ端から生徒(と親やリベラル派市民)が傷つくこと・嫌がること・混乱すること・恥ずかしがることを実行するハラスメント系教員。このへんはもう例外・論外。偏差値ナシです。

以上はわたしの恣意による偏差値ランキングです。

偏差値は絶対じゃないと思います。それは、たくさんあるなかのひとつの指標として使うのなら、いいのではないでしょうか。

ただし、自分としては、人を動員し閉じ込める学校システム自体に反対です。

常野くんへのTB

2005年08月10日 23時32分39秒 | 不登校
長くなったので、TBにします。

常野くんの、反ブルジョワ的な話を見ると、正直怖いなあと思ってしまいます。
 
今にもつぶれそうなマイナー団体だということでシューレへの批判を封じようとした件について。「東京シューレはカワイソウ」と宣伝してどうするの? 恥ずかしくない?
 
 元・オウム真理教に対する激しい反対運動で有名な波多野村では、
住民票不受理のほか、し尿施設を作ることを拒否したり、商店で信者への不売運動をしたりしています。それは、今にもつぶれそうな弱体化した共同体だったので、異質なものを受け入れるゆとりがなかったからだとする分析があります。この村も、豊かではなく、苦労してきた共同体だったのです。
 ↓の抜粋をお読みください。

「 若者流出による過疎、高齢化の波をもろにかぶる山里。そこへ、時代の申し子ともいえる新興宗教の若い信者が大量に押しかける。泣く泣くわが子を都会に送り出す村民たちにとって、『泣きっ面にハチ』という思いは強い。(中略)
 教団が進出する3ヶ月前、波多野村に伝わる中江神楽が熊本市内で披露された。(中略)村民のほとんどが観客として、あるいは裏方として会場に詰めた。神楽を中心としたムラおこし。それは祈りにも似た試みだった。熊本大学の芦田哲郎助教授(宗教社会学)は、『今回の問題は、伝統的なムラ意識と異質な教団の対立、という単純な図式ではとらえられない。消えようとしているムラや家を守るため、新しい波野『村』としての共同体イメージをつくろうとしていた矢先、まれ人(侵入者)である教団が外部からの圧力となり、新しい共同体イメージを壊してしまうような危機感をあおった』と指摘する。
 一方、道場や村を視察した池田昭中京大教授(宗教社会学)は、『ムラ起こしという行政的な働きが波野村でも新しい共同体イメージを掘り起こしている。ただ、そのなかで起きた教団との対立が、共同体意識を超えた悪しき集団主義に走らせる要因にならなければいいのだが』と行き過ぎを危惧する。」
(「オウム真理教とムラの論理」熊本日日新聞社編 葦書房 平成四年 74-76P )

 わたしは東京シューレの生徒だったこともスタッフだったこともありません。なので、今シューレが内藤さんの危惧されるとおりの全体主義とか陰湿なのかどうか、分かりかねます。ただし、常野君の掲示板&ブログへのカキコは、共同体とファシズムの関係を知る人にとっては、「シューレはたいへんヤバイ団体です。でも、いやだからこそ僕は大好きです」と言っているだけのように見えたのではないでしょうか?

 わたしにとっても奥地さんはいのちの恩人という側面もあって、抵抗しにくい。
それで、「特権」をおもちの人が、あの独特の学者子どもぶりを発揮して批判してくれたので、内心拍手しているのですよ(まあ、アンビバレントな気分なんだけど)。
 ただし、何でもオープンにするべきだとは思いません。恥を外に出さないようにしながら、なんとか内輪で奥地さんと話し合いを持てないものでしょうか? 政治的な策略も時には必要だと思いますよ。奥地さんは奥地さんで、立場もあれば意地もあるだろう、それは尊重したい。
 かといって、何をしてもよいとはまったく思わない。だって、それでは自由ではなく放縦になってしまうでしょう。自由とわがままはちがうってことは、フリースクールでよく議論になることですよね? やはり人を殺すとか、特定の文化を焼き討ちするとか、陰湿ないじめをやるとかいうことは、自治により禁止するべきでしょう。それができないのは自治の質がよくないということだと思います。

 この問題はとても難しい。自治的なコミュニティの正義・倫理の問題としては、貴戸さんに圧力をかけることは自明のことである。しかし、普遍的な人権からすれば、到底許されない。義理と人情みたいなもの? 歌舞伎とか文楽とかでは繰り返し出てくるテーマですね。お上の法か、自分たちの素直な感情をとるか。

 やはりここは、人権に配慮しつつ、もし貴戸さんの見解に反対であれば、悪口ではない批判をするほかないのではないか。
 ただ、電話工作うんぬんということはわたしは違うのではないかと思う。常野君としては、電話で誰かと話しただけなのかもしれない。東京シューレは個人や個々のユニットがゆるやかに連携するネットワーク型の組織。無色透明なアメーバーのようなものだと思っている。それを、カチっとしたピラミッド型組織のようにイメージする内藤さんまたは貴戸さんのイメージは、間違っている。それは同じようなスタイルのフリー・スクールやスペースを経験したものとして、断言できます。
 いっぽう、相手にとっては組織的な根回し工作のように受け取ったのもわかります。いくらか会社組織に勤めた経験がありますので。そのへんをわかったうえで、論理を立ててゆくほうがいいでしょうね。

 これはおせっかいだったかもしれません。だけど、ちょっとこのへんのことについて考え直してもらいたかったのです。東京シューレはフリースクールとかホームスクールの代表みたいに受け取られているフシも特に東京ではあるみたいですね。東京シューレを擁護するにせよ、ああいうやり口では、イマイチだったのではないか、と思うのです。

(2005-8-17 読みやすくするために少し手を入れました。なお、カテゴリーをファシズム→不登校に変更しました。主旨は変わりません。)
 
 
 
 
 





お前を学校に行かせなければ

2005年05月28日 22時55分21秒 | 不登校
今日のエントリーは映画「活きる」の紹介です。

↓アマゾンのリンクをごらんください。

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0000CCNGJ/qid=1117288780/sr=1-1/ref=sr_1_2_1/249-8108203-2712338

 この映画の中に、文化大革命期の描写があります。戦争が終わり、共産党の支配が始まってからというもの、各家の鉄は、鍋釜まで共同のために提供させられます。また町の共同食堂での食事がはじまります。各自治組織の長が国の威信を乱用して専横をふるうようになりました。小さな子どもも含めて新しい区長の出迎えに総動員されます。
この映画の主人公福貴の子・有慶もです。母親・家珍は、「子どもには睡眠が必要よ」といいます。かたや、父親は強引に子どもを起こしおんぶして学校につれてゆきます。
そのとき、コッソリ寝ているところを車に轢かれて亡くなってしまいました。(しかも新しい区長は父親の戦友だった、という演出つきです。)父親は死に顔を見れるが、周囲の人々は母親にはわが子の死に顔を見せまいと、子の遺体と母をひきはなしてしまいます。

子どものお墓の前で母親は半供覧となって、「学校に行かせなければよかった」としみじみと墓のなかのわが子に向かって語りかけるのです。「母さんが悪かった。」「あの時父さんを止めてさえいれば」「お前を連れて行かせなければよかった」「母さんを許して」「父さんを止めなかった」「お前を無理に学校に」「ごめんね有慶」

父も姉も泣いています。姉・鳳霞は、弟をひき殺したジ=プの窓ガラスを割ろうとして止められます。

そのほか、伝統的な影絵芝居も「旧社会のものは反動的」という思想統制のもと取り締まられ、人形を焼くシーンがあります。
 

悲劇の味わい方

2005年05月20日 17時39分39秒 | 不登校
 不登校に「理解」や「共感」をもって接近してくる人たちがいる。
 たいていの場合は同情にすぎない。その人たちは気休め、自己満足他者不満足型のアドヴァイスや援助を申し出る。うまくいかないと、「あなたのせいだ」と目の前の本人を責める。あるいは、自分好みの信仰や信念をイデオロギ-注入することもある。
 本人が本気で抑圧に立ち向かおうとする。冗談ではなく本気で個性的に生きようとする。そうすると真っ先に怒りを示し、やみくもに反対してつぶそうとするのもこの種の人々だ。
 
 この人たちは悲劇に弱い。おそらく恵まれて育ったのだろう。目の前の悲惨に魅入られたてしまう。そして激しく感動する。
 大いなる悲劇の主人公の魅力に長期間とりつかれる。ゆえに問題が起こる。
 相手が悲劇の主人公ではなく勝利する英雄になったら、あるいはなりそうな予感を覚えると、手のひらを返したように相手に非協力的になり、敵対する。陰湿な方法も含めて足を引っ張り、侮辱し、なまぬるく暑苦しい同情によって相手をスポイルする。そのためにウソをついたり、だましたりすることも日常茶飯事だ。
 さらに、そういったことをやらないことを「社会的知能がない」、または「コミュニケ-ション能力がない」といったマイナスのレッテルを貼って排除することもやってのける。
 相手が成功すること、自立すること、幸福になることは、すべて気に入らない。ただひたすら悲劇の美学に酔って、悲劇を再生産する。

 こういうタイプが社会運動家になると、問題解決をするフリをしているがぜんぜん解決にならないか、むしろもっとひどくなるような政策や方法論を実行してしまう。
 実務家になると、職場で弱い立場の人を「立場が弱くて大変でしょう」と「共感」「理解」を装って接近する。そうして相手が気を許したところで、一見そう見えない形でセクハラとかパワハラとかの犠牲にしていたりする。

 経験的に言って、幼いころから多少なりとも貧しかったり苦労があったりする環境で育つと、かえってこうならない。悲劇に過剰な幻想や感動を求めないから、あるいは小さな悲劇を大きな悲劇ととりちがえないので、悲劇に吸い取られるようにのめりこまない。周りをまきぞえにもしない。
 ところが、恵まれすぎたよい環境で育つと、ある日突然現れた悲劇の情景はひときわ印象的に映るようだ。この世でもっとも美しいものを見た、という錯覚で、何か啓示を受けたような悟りを開いたような気分になるらしい。
 そうしてはじめるボランティアや弱者救済運動は、そもそも自己中心で相手を見下しており、視野狭窄と感傷に満ちている。その安っぽさ、いかがわしさは、一定以上の苦労や悲劇目撃体験があれば、たいていの場合見破れる。
 たとえば、「サバルタンは語ったとたんにサバルタンではない」などという論理をもてあそぶ文系大学院生などが典型だ。何だ、死者に敬意もなく、生き残ったほうが価値が高いなんていったい何様のつもりよ? 語れないって何?? などと思ってはいけない。そんな話の好きな人たちは、とにかく悲劇が見たいのだ。純粋な、永遠の悲劇を感激しつづけたい、ということだ。
 歌舞伎やオペラでは物足りない。かといって現実は複雑だから、貧乏な人のほうが表面的には明るく振舞っていることもある。ふみにじられてもけなげにしたたかに生きる力強さなど見たくもないと彼(女)は思う。ならば、純粋な理論のなかでそういった存在を作ってしまえ! というわけだ(苦笑。)

 最近東大のセンセイが流布し、弟子が受け継いでいるあの「当事者学」が、悲劇マニアの手によらぬことをことを願いたい。

 

 
 
 

奥地圭子さんからの返事

2005年05月20日 16時32分50秒 | 不登校
 奥地圭子さんからお返事が来た。

 あたたかみと誠意のある手紙に嬉しくなってしまった。わたしのような「落ちこぼれ」にもちゃんと十数枚の便箋に書いた手紙をくださるとは、すばらしい行為だと思う。これだけでも、シュ-レがエリ-ト主義だとの指摘は事実誤認だと分かる。そう、草の根民主主義、それも大人と子どもとの民主主義のあるところなのだ。(人のやることだけに決して完璧ではないとしても。シュ-レの人たちは神じゃない。)

 ただし、気になったところもある。以前シュ-レのミ-ティングにゲスト参加したときに、何人かの子どもたちが「奥地さんも元・教師だから、そういうことを言ってもわからない」といったようなことを語っていたのを思い出してしまった。
 
 何というのか。世代の違いなのだろうか、ホンネで話をできない部分があるのだ。
 言いにくいのだが、親の会や東京シュ-レもそれなりに歴史・伝統のある組織になってしまった。なので、個々人が複雑微妙な考えや感情が出しにくい場所になってしまったようで、悲しいことだ。
 
 まだ小さな雑居ビルの一室で、玄関には子どもたちの靴があふれ出るような手作りの溜まり場感覚でやっていたころのシュ-レとは違って、今では独立した立派な建物がいくつもできた。NPO新聞社や成人教育の部署も作った。
 中小零細企業みたいだった時期のように、奥地さん一人の影響力や信用だけでやっていくのは難しくなっているのかもしれない。もう少しシステマチックに合理的にやったほうがいいのだろう。そうすると、いっしょに作り上げる気風は失なわれる。官僚的になると、観念的に冷たく退屈になりがちで、そうすると小さな子どもや若い世代にとってはなじみにくくなると思う。
 それでも奥地さんは優れたコ-ディネイタ-でファシリテ-タ-だと思う。ただ単に子どもが登校拒否または不登校だというだけで他に何の共通点もない親の全国ネットワ-クを長年にわたってまとめる、それだけでも大したものだ。そのうえ、文部科学省と世間からうろんな目で見られるフリ-スク-ルを30年も運営しつづけてきたのだから。これは、並大抵の能力や志でこなせることではない。コネだけでも、派閥政治だけでもやっていけない。

 一部には奥地さんを「独裁者」扱いする声もある。それは誤解だ。奥地さんがあまりにも熱心で優秀で力強いから、周りは抵抗できない。それだけのことだ。「徳のある人は孤立しない」と論語にある。まさに奥地さんはそういった意味で得の人だ。この「徳」というのは、道徳だけではなく、学問・技芸なども含む。こうした彼女の徳が、人々をひきつけ、多数の理解者・協力者を生んできたのだろう。

 ブログ・掲示板を見渡すと、「シュ-レ VS 貴戸」といった図式もある。これは当たらない。奥地さんは貴戸さんと対立する気などさらさらないのだ。ただ、独自のメッセ-ジの送り方をしたのだ。これは名人芸の域に達している。初心者がまねても何をしているか分からなくなってしまう。能に「身七分、心十分」という言葉がある。7の動作をもって10の内面を表現するという意味だ。奥地さんは見事にそれをやってのけた。あの二百数十箇所にわたる削除・修正欲求リストは、実は交渉のための作戦だったようだ。

 それでもなお、釈然としないものが残る。こんなやり口では、傍から見ればいじめ・イビリではないのか? 少なくとも半分程度はそういう風に見える。別に集団による抗議だから依存だとか、政治的だとかは言わない。人には結社・団結する権利があるからだ。
 だからといって、もしも自分たち自身を相対化しないで、一方的に貴戸さんだけを責めたのだとしたら、単なる感情的な復讐の域を出なかったのではないか? もう少し、貴戸さんの意見の妥当性を部分的にせよ認めてあげてもよかったのではないか? そのうえでの批判であれば、もっとよい関係が築けたのではないだろうか?

 貴戸理恵さんは、わたしにとっては突如名乗りをあげた異母姉妹のようで、最初は戸惑った。しかし、彼女なりの登校と不登校の話を読むにつれ、こういった人の声もまた無視してはならないと考えるようになった。(今の彼女のお師匠さんがいわくつきであることはまた別の話になる。)
 もちろん、わたしはわたしなりに彼女への異論も疑問も批判もある。
 それにしてもシュ-レにはもう少し別のやり方で批判してほしかった。
 たとえば、貴戸さんとシュ-レの双方がパネリストとして出演するシンポジウムをやる、というのはどうだろう。共著で主張を並べて載せたり、座談会を掲載するのもいい。あるいは貴戸本に異論・反論のある人たちのアンソロジ-を上梓する。
 もっと登校と不登校の多様性を尊重しあい、そのことによって「学校に行くも地獄、行かぬも地獄」の学校化社会を--子ども時代の総動員を--浮き彫りにする作業ができなかったことは悔やまれる。

 今の自分は、東京シュ-レと奥地圭子も、貴戸理恵も双方を支持したい。両方ともを自分の兄弟姉妹のように感じている。ふたつの声を大切に見守ってゆきたい。
 
 
 
 
 

コメント

2005年05月14日 22時16分33秒 | 不登校
このエントリはイナカぐらしも7ねんめ@weblyloghttp://fuyafuya.at.webry.info/200505/article_6.htmlのコメント欄へのカキコです。書いているうちに長くなったので、リンクでお知らせすることにします。


 はじめまして。TBありがとうございます。ふやふやさん、いなばさん。

 今回シュ-レが団体名で抗議をしたのは、東京シュ-レや不登校新聞など関連団体の名前が実名で使われたからだと思います。
 差別というのは根深いもので、ちょっと周りの圧力が弱くなったかなー、と思ったとたんバックラッシュの嵐がやってきたりするものです。
かつて国の予算をつけて部落改善事業が行われ、多少なりとも貧しさや弊害から抜け出たは「模範村()」とされました。それでも通婚拒否はなくならなかったそうです。(高橋貞樹「被差別一千年史」岩波文庫)
 不登校・フリ-スク-ルについても、同種の差別が新たに復活しないとも限りません。集団的な抗議は集団的な差別をなくするために必要だということです。なぜならば、貴戸さんのあの書き方では、取材をされる側の方の所属団体名のうち、シュ-レと関連団体のみが実名で晒された状態になっています。また、本人のみならず親の仕事や活動についても詳細に書かれたところもあります。これが新たな差別・偏見となり、登校(受容)中心社会の就職拒否・結婚拒否を生まない保障はないのです。もし行われば、孫が10年以上も祖父母に会えない悲劇も生じるリスクもあります。また、こういったことはおいそれとHPに載せられません。差別したくてうずうずしている相手を刺激しかねないし、本人を不安と絶望においやりますから。また本は論文とちがって向こう10年15年と利用される情報ですから、より強い抗議になっても当然でしょう。
 
また、やはり東大の院に在籍の人による調査だということで、国を個人が相手にするたいへんさがあります。(本のうしろのほうで調査費が降りるようになったとの記述がありますが、これは多分国の予算から出ているのでしょう。)ここは、国民に結社の自由があり、労働者に団結する権利があるのと同じように、無視されたり軽んじられたりするリスクを減らすために集団で抗議したほうがよい、という実務的な判断が働いたものとわたしは推測しています。たこれを個人的なトラブルに終わらせずに社会的な問題として考えたい意向もあったりして、集団で抗議を行ったのではないでしょうか? これは妥当な判断だと思いますよ。セクハラやパシリではないけれど、身分が上だったり強力な後ろ盾のある者が相手だと、なかなか「嫌です」「やめてください」とはいえないものです。必死になってガマンして、いいほうに解釈をしようとして、それでもどうしてもできなかった、というのが真相ではないでしょうか? 多分被害者たちは、HPの文書に出ている以上の苦痛があったはずです。

それから、「不登校は終わらない」のサブタイトルが選択否定論だったことも反発を招く理由だったのではないかと。かつてサッチャ-が「他に選択の余地はない」という政策をかかげて、世界のフリ-スク-ルの草分け・サマ-ヒルをつぶそうとしました。
 。それに対して、イギリスのほかアメリカ・オ-ストラリア・日本など世界各地のホ-ムスク-ラ-やフリ-スク-ラ-たちが手紙やメ-ルを送り「つぶさないで!」と訴えたのです。結果、なんとかサマ-ヒルはおとりつぶしをまぬがれました。奥地さんが貴戸さんの情報にピリピリするのも無理からぬ気がします。シュ-レもまた、「公教育否定」として文科省とは対立関係が続いているので。もしもお上に弱い日本でNPO認証を取り消されたら、これまでの努力が水の泡になってしまいます。

奥地さんは、いまFONTE(元不登校新聞)に連載中の「不登校の歴史」に詳しいのですが、稲村系医療の旧内務省的な発想によるすさまじい乱脈医療、医原病に登校拒否者が苦しめられた歴史があります。それに対して専門家や科学を絶対視しないことによって死すれすれまで行くこともあった強制入院・不必要入院・不適切な薬の過剰投与などから「選択」の打ち出しによって身を守ってきた経緯があるわけです。
また、シュ-レは長持ちしているフリ-スク-ルです。せっかく独特の理念をかかげながら、そもそも少数派の不利さも手伝い、時に地元の反対運動に苦しめられ、いったいいくつのフリ-スク-ルやスペ-スが消えていったでしょう。わたしの知り合いのスタッフは月4万円で、別の知り合いは月7-8万円の給与と保障・手当てナシでフリ-スク-ルのスタッフをしています。かつてわたしが生徒としてまたはスタッフとして関わったところも2-3年でつぶれたところが3箇所あります。国や自治体の予算もなかなかつかないため、経営は難しい。おおかたのフリ-スク-ルやスペ-スは、オフィスビルの一室だったり、公民館を週に数度使う形だったり、主宰者が自宅の一室を開放したりしています。シュ-レのように独立した立派な建物を複数もっているのはむしろ珍しいほうだと思います。主宰者とスタッフは子どもたちの相手や親の相談のほか、生活のためにコンビニやファミレスでアルバイトをしている人たちもおり、経営基盤は不安定なのです。
 奥地さんはリベラルで柔軟で寛容な人です。それを怒らせたのは、貴戸さんの記述のしかたに不誠実な点や事実誤認または歪曲と思える箇所があったから。それに、「中立・客観」でなくとも「共感」をよそおった差別性がはらまれていたからだとわたしは見ています。

 次に調査の有毒性について。これは調査に関する領域では昔から論じられてきたことだ、と関西のある私大で社会学を教えている友人から聞きました。
 十代のころから登校拒否親の会、フリ-スク-ル、フリ-スペ-ス、それに引きこもりの当事者グル-プなどいろいろなところでジャ-ナリストや学者の調査に出くわしました。一部の例外は除いて、たいていの場合、「報道の自由」「研究の自由」に名を借りた象徴暴力でした。
 そもそも作ってあった仮説・スト-リ-どおりに書く。多くの読者に受け入れられるためと称して批判精神のかけらもない記事しかない、といったのはまだカワイイ。中には、「プライバシ-は守るから」と約束をしたにも関わらず、顔にモザイクはかからず、声は変声してもらえず、名前や「○○町△丁目」といった細かい住所まで報道された例もあるのです。個人的に抗議をしてもそもそも恥ずかしいことであったり、立場が弱いので団体として代表の方が抗議をしています。で、そうすると事情を知らない人から見ると、「リ-ダ-が独裁者みたいになっている」「閉鎖的な団体で、被害妄想でもありそう」ということになるのです。だけど違うんです。
 取材側に「多くの人に自分たちの気持ち・立場を知ってもらいたい」という気持ちを尊重してくれと言う話、取材される側として賛成できます。ただし実際には、取材側も仕事ですから非情になると思いますよ。以前テレホンアポインタ-と外回りの営業を経験しましたが。そこでの勧誘スキルは、とても友人や家族に使えるものではありません。貴戸さんも、東大社会学のギルド(?)に伝わる人にNOと言わせない技や、自分なりの工夫をしているはずです。なかなか素人に見破ったり断ったりできるものではないのかもしれません。
 実は、うちの姉妹ブログにも社会学系の調査の人がやってきたことがあります。その人の勧誘はスゴかったですよ。そのへんのナンパよりは巧みでした。自分のことを悲劇の英雄にしたてて紹介してみたり、「わたしは調査のために他人を犠牲にする気はありません」なんていい人ぶったメ-ルっをよこしたりします。要するに主観的には犠牲を出す気はなくても、客観的な結果は知らないよ-って言っているわけですね。日本社会をよくするための調査にぜひ協力してしてください、なんて日本語の見本みたいな正しそうな文書を送ってくるところを見て、何かとてつもなく重要でよいことをしているようなム-ドをあおって、人の友人・知人を紹介してくれとせがむのです。とても悪い予感がしながら、何とか協力しようとしたのですが、さすがは関西。調査=悪という図式が行き渡っておりまして、大変な事態になりました。「調査」と聞いただけで失語症状態になる人、大声でいきり立って怒る人、体ごと逃げ出す人が続出。調査依頼のメ-ルへの返事には「差別主義者」「同性愛者差別主義者」と書かれている。
その方は国の大学院を出た先生だったので、国への忠誠と友愛とに引き裂かれてなんだかもうメチャクチャになってしまいました。ナンパと似ているけれど、調査の人がはじめは面白いいい人していたのに、段々と荒れてゆくのも分かりました。
自分にとってはブログ友もリアル友も両方とも大事にしたいのに、どうしたらいいのか分からない状態のまま、食後に戻したりしていました。夜も寝つけないなど、調査の害毒が体じゅうにまわった状態でした。もう死にたい、とさえ思いました。 
 その後、なんとか調査と縁が切れたとき、幾人かの友人とも復縁でき、やっと生きた心地がしました。今度から絶対に調査に協力したらアカン、と考えざるをえませんでした。
 その後差別や生物的な調査に関する資料を読み、調査を原因とする病もあるのではないかとイリイチの医原病にならって調原病のエントリ-を書いた次第です。