学校のない社会 大学のない世界

学校のない社会、大学のない世界に興味・関心のある方、ともに集いましょう。大学教員によるトラックバック等はご遠慮ください。

子ども・若者排斥運動

2005年04月30日 20時50分26秒 | アンファニズム
 現在、2つの都市で子ども・若者排斥運動が行われつつある。
 1つは大阪府の不登校「半減」政策であり、これにはもう予算も人員もついてしまっている。もう1つは、横浜と神奈川の青少年の夜間外出を規制する条例である。こちらはまだ検討中だ。

 大阪府の政策は、子どもを学校に閉じ込めておきたいのだ。これは、街中に子どもが自由に行き来することを許さないという意思表示だ。経済効率優先と、大人の子どもに対する優位者としてのプライドのために、昼間の時間帯における子どもの外面(行動)と内面(思想・信条)の自由をつぶすものだ。
 もう一つ、横浜の、市と県のふたつで検討中の条例は、夜の時間帯における青少年排斥運動だ。
 
 
 大正末期から昭和初期にかけて活躍したアクティヴィストの高橋貞樹は、こう書いている。

「米国の太平洋沿岸カリフォルニアその他の諸州には、もはやこれ以上の日本人は要しないという移民制限排斥の意味で「日本人無用(ルビで「ノ-モーア・ジャパニ-ズ」)の立て札を市街・村落の入口にたててあるが少なからぬと言う。けれどもわれらは、至るところにわれらを差別する「無用(ルビで「ノ-モーア・エッタ」)」の無形の立て札を見る。」と語っている。
(高橋貞樹「被差別一千年史」岩波文庫1992,1993:197)
 ひるがえって、今の日本のひとつの都市ではどうだろうか? “No more children during daytime”の見えない立看板が立てられたも同然ではないか。もう一つの都市では、もうじき“no more children and youth during night time ”の立看板がかかげられそうな気配である。
それが年齢や日時を問わずに拡大すれば、移民排斥運動の前に、自国内での青少年排斥運動が盛り上がるだろう。すでにニ-ト・ひきこもり・フリ-タ-などが、教育・医療・福祉の対象として閉じ込められようとしている。子どもの昼間の学校への囲い込みは、大人への弾圧の前兆かもしれない。

 それにしても、子どもとともに住めない大人中心主義社会もここまで来たのか、とあきれざるをえない。右肩下がりの経済のなかで、将来の下層階級・階層予備軍、あるいは現在の下級身分を見るのが何よりも嫌でかなわない人々が、苦痛で気が遠のいた状態で作ったとしか思えない政策によって現在を壊され、その延長線上に存在するであろう健全な未来を奪われるのは、子どもと若い世代である。
 立場を超えて、この2つの愚行を、ゆるしてはならない。
 
 
 



 
 

大阪府の不登校対策

2005年04月15日 19時07分57秒 | 不登校
メ-ルマガジンの第2号が届きました。以下、転載。

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 大阪府の不登校対策を考える市民連絡会 Mail Magagine
 URL: http://www.geocities.jp/futoko_osaka/
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2005.04.15 Vol.002 ※不定期発行※

※このメールは賛同者の方など、これまで連絡会にご連絡をいただいた方に配信して
います。配信を拒否される場合は、このメールにご返信ください。
………………………………………………………………………………
 2月半ばに立ち上げた大阪府の不登校対策を考える市民連絡会ですが、いつのまに
か2カ月も経ち、大阪では桜も散ってしまいました。新年度に入り、府の不登校政策
は具体的に動き出しています……。メールマガジン第2号をお届けします。
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【INDEX】
●府教委との話し合い第2回 4/14
●府知事の動き
●マスコミ報道など
●今後の活動予定
●カンパのお願い
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●府教委との話し合い第2回 4/14
 4月14日、府教委と第2回の話し合いをしてきました。連絡会からは大人9名、子ど
も4名、府教委からは4名(小中学校課、児童生徒支援課)が参加、約2時間にわたっ
て話し合いました。府教委側は4月に機構改変、人事異動があり、今回の参加者のう
ち2名は、新任の方でした。

・半減目標について
 半減目標が当事者に大きな不安を与えたことについては、府教委側は、再度、謝罪
の意を明確にし、「誤解」を解くために府教委の見解を明示するとの話がありまし
た。具体的には、府教委のHP上に見解を掲載する予定とのお話でした。連絡会側か
ら、当事者に見解を届けるためには、記者会見など見解が広く行き渡るような方策を
検討してほしいと要望し、府教委側は「検討する」との回答でした。
 連絡会側からは、半減目標が与えている影響が非常に大きいこと、本当に撤回する
ことはできないのか考えてほしいと、くりかえし伝えました。

・支援協力員制度について
 前回、連絡会は以下9項目にわたる具体的要望を出しました。
(1)協力員の派遣については子どもに決定権があるようにすること。
(2)協力員の言動について、苦情や異議申し立てのできる窓口を設置すること。
(3)制度の目的を学校復帰のみとしないこと。
(4)支援のひとつとして、民間機関の情報を提供すること。
(5)以上の点を盛り込んだ利用手引きを作成し、あらかじめ当該者に渡すこと。
(6)以上の点について市町村、学校、協力員に周知徹底させること
(7)協力員への研修内容や選考基準などを開示すること。
(8)研修プログラムのなかに「当事者の声を聞く」ことを入れること。
(9)当事者からみて信頼できるスーパーバイザーを置くこと。

 このうち、(1)(3)については、前回の話し合いでも「当然のこと」と明言さ
れ、今回も「あくまで子ども・保護者の希望が最優先であることを市町村教委の担当
課には周知徹底している」との回答がありました。また、「人選については慎重を期
し、市町村が責任をもって人選するように指導した」との話がありました。しかし、
その他の点については「検討中」とのことで、現時点で明確な回答はありませんでし
た。連絡会側は、とくに当事者に決定権があることを明示するためには、利用の手引
きや異議申し立ての窓口が必要と、あらためて具体化を求めました。

・個人情報保護の問題について
 府の不登校対策事業では、校内に設置されるケース会議で、不登校児童生徒につい
ての「個人カルテ」が作成されるため、連絡会では個人情報保護の問題を指摘してい
ました。この点について府教委は「保護者・子どもの同意なしに、支援協力員がケー
ス会議に参加することはなく、個人情報を閲覧することもない」との見解を示しまし
た。
 連絡会側からは、そもそも「カルテ」という名称で不登校の子どもについての情報
が書かれること自体に懸念の声もあること、それだけに、その扱いについて不安があ
り、なんらかの明確な規定を設けることを求めました。

・当事者の声は
 府教委からは、前回、子どもたちや親の生の声を聞いて、想像以上に当事者にとっ
て深刻な現実があることを痛感したこと、2週間で112本届いた当事者の声について
は、市町村担当課に話す際にも口頭で引用して伝えたことなど、話がありました。

 府教委側の見解は、前回と大きく変わるものではなく、とくに具体的な要望につい
ては、ほとんど動きはありませんでした。連絡会とは、今後も話し合いを継続してい
きたいとの見解は示しました。
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●府知事の動き
 連絡会では、「不登校半減」を公約に掲げた府知事への面会を要望しております
が、現時点では「教育問題については教育委員会と話し合うべきもの」とのことで、
まったく取り合ってもらえていません。今回の府教委との話し合いでも、なんとか知
事に当事者の生の声を聞いていただきたいと要望しましたが、現在のところ、見通し
は立っていません。今後も、要望は続けていきます。
 また、知事のHPでは、不登校政策について当事者から、たくさんの切実な意見が
あったことを報告していますが、「一人一人異なる事情やご意見を十分に尊重しなが
ら」「さまざまな不登校の原因を取り除き、不登校者数を減らしたいと考えていま
す」との見解を示しています(下記)。
http://www.pref.osaka.jp/j_message/teigen/file/0502.html
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●マスコミ報道など
・4/1発行の『週刊金曜日』「こんなことやってます」のコーナーに掲載されまし
た。
 http://www.kinyobi.co.jp/KTools/konna_pt?d=2005-04-01

・『はらっぱ』(発行:子ども情報研究センター)5月号に掲載されます。
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●今後の活動予定
・知事への面会要求
・府教委との話し合いの継続
・ひきこもり政策について、4月27日に精神保健福祉課と話し合い。
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●カンパのお願い
・カンパをいただいた方、ほんとうにありがとうございます!
 連絡会の活動は収入源がいっさいないなか、印刷費、通信費、交通費などがかかっ
ています。現在、カンパ総額は1万2500円。支出額は3万5000円ほどとなっています。
ぜひカンパをお願いします。

・郵便振替口座 00940-6-297003
・加入者名 不登校市民連絡会

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大阪府の不登校対策を考える市民連絡会
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二つのうちの一つ--コミュニティのために

2005年04月15日 01時55分44秒 | 不登校
 近頃時々メ-ルをくださる方がいる。彼は、明治聖上天皇陛下の名のつく組織に勤めながら、なかなかの個人主義者だ。
 彼とのメ-ルのやりとりは、かなり難しい。というのは、その人は旧帝大の出で、わたしは通常の学校や大学を通っていない人だから。

 たとえば、個人主義と共同体主義についての話でのことだ。みっつの例をあげよう。
 その人は、友達とかいったものが大嫌いらしい。それは具体的には学校と大学の友達を指しているとニュアンス・背景から推測できた。
 かたや、わたしにはそうした記憶は薄い。たしか小学校にまだ通っていたころ、そう考える時期もあった。ところが12歳のころにまったく学校に行かなくなってからは無縁の悩みとなったのだった。学校の友達はなぜつきあうのか分からず、誰かの好み・美意識にあわせる行為が骨が折れる。だが、いったん学校の外に出ると、学校の数十分の一程度の協調性・社交性で事は済む。なので、友達がいやでかなわない悩みは、ずいぶんと軽くなっている。(強いてそれに相当するものを挙げるとすれば、家族・親族であり、会社の同僚であろうか。)
 もうひとつ例をあげよう。
 彼は、個人の実存としても、社会政策の観点からも同時に共同体を憎む。けれど、わたしは集団や共同が不必要だとは考えない。個人的にも社会政策面においても、それは必要だとみなしている。もちろん、それが嫌だとか重荷だとか思うこともある。しかし、そこからメリットがひきだしうるのも確かなのだ。
 一例をあげよう。わたしがかつて通っていたフリ-スク-ルは、つぶれる寸前にOB・OGその他の関係者から寄付を集めたり、政府や財団から予算をとったりしようとしなかった。いつ行っても行かなくてもよい、しかし他の学校や塾や親が嫌がるために、ほとんどの子が来たいときに来れない。遠隔地の子はしょっちゅう実家に帰る。あるいは、他のフリ-スク-ルを渡る。そのため、OB・OGどうしの横のつながりはないのだ。それに、主宰者は、リバタニアリズムの影響も取り入れたコミュニタリアンだった。なので、自分の作ったコミュニティ・スク-ルを、つぶすのならすべて彼自身の責任。他の関係者に助けを求めるのは自立をしておらず、論外だ。そういった発想で、周囲に助けを求めず、結局自分のフリ-スク-ルをその人はつぶしてしまったのだった。
 また、わたしはそこでたった一週間とか10日間だけの短期滞在を数度親に許されただけだった。そのときのごくわずかな滞在で得た教えだけで、家でひとりでホ-ムスク-リングをやらなければならなかった。
 とにかく自立、人に頼ってはダメ。だけれども、それは大人中心の発想だ。子どもには変形が必要だ。なのに不器用に、親から一銭ももらわずに動物学の博士号をとろうと決めた。もちろん、政府等に頼ることになるため、奨学金もダメだ。
 あまりに不自由な、まるで社会主義国のような官僚的な教育熱心な家庭から自由になるためにはまずそうしたプロセスは不可欠だった。何しろ、そのころの家族は「教養のない女はこの家から出てゆけ」と毎日のように叫んでいたのだから。よい学校を出た両親、よい学校に在籍中で幼稚園入試のころから成績のよい兄弟。そのなかで、よい幼稚園にも学校にも入っていないわたしは、異文化というよりも異端であった。女性差別の抑圧も加わり、ストレスと絶望しか見出せない家庭。他のフリ-スク-ルの子らがアメリカのフリ-スク-ルを50箇所まわるツア-に参加し、日本のフリ-スペ-ルを30箇所まわっているときに、わたしはそうしたいのにできなかった。家の中に閉じ込められ、看守のような家族に囲まれて、悪魔のような扱いを受けた。まったくの自我破壊工作であった。
 情報はあっても直接の体験や見聞がないのは不自然で耐え難い。それを十代の半ばからかかえていた。だが、その訴えは、オルタナテイブな教育や文化はうちの家族の許認可の範囲ではなかった。
 どれほど訴えても、侮辱され、情報操作され、自分が壊れてゆくのを促進されるばかりだった。望まない孤立と孤独のなか、自分が縮小再生産されてゆくのが分かった。
 その後、しょせん「学校もどき」でしかない塾や予備校から、何とかかんとか抜け出して、アルバイトをいした。しかし半失業では自立などできない。それゆえに、わたしはまだ一箇所もフリ-スク-ルにもコミュニティにも行っていない。
 それゆえに、自分は自分を知らない。だからこそ知らねば、自己を好ましい方向に向けて形成しなおさねば、と考える。
 だが、その人にとってはそれはとんでもないことらしい。彼は、通常の学校や大学を通った人らしく、自分についてちゃんと語れない。いつも他人がテ-マだ。おそらく、あの世にゆくときも「自分の人生は何だったのだろう?」とは問わず、「他人の人生とは何だったのだろう?」と問うてあの世にゆくのだろう。しかし、自分を知らないものがどうして他人を理解できるだろうか? 「汝自身を知れ」という最重要課題から大きく反れるのが、日本の学校と大学における正統な知識・文化だとでもいうのだろうか?
 それなのに、その人は、アメリカ流の極端な個人主義を批判するのも、許容しがたいらしい。わたしは、個人の実存問題として、彼は社会政策や社会分析として語っているというテ-マの違いはある。それでも、彼にはわたしの語ることの背景やニュアンスはかなり歪めて取り違えられる。多分、その逆もあてはまるのだろう。

 かつての帝大を出られた聖上天皇陛下の大学の人がなんと言おうと、わたしは、わたしとして、極端な個人主義には反対だ。コミュニティも必要だと考える。すべてを市場主義にゆだねるのも、
国に頼ることも不健全だからだ。
 どうやらその方の頭にあるのは、以前その方が十代の半ばをすごされた愛知県立東郷高校とその所在町がモデルとなっているようだ。片やわたしの場合は、十代の半ばをすごした地球学校というコミュニティ・スク-ルが基本となっている。そこは、おかしなボス支配もあったが、同時に心の平安の場でもあった。
 わたしはそこではじめてゆっくりと寝たり、ご飯を食べたり、夜に外出をしたりできたのだ。そこではじめて同世代の学校嫌いの子らと交流し、同じ音楽を好きな子と出会い、自分らしい言葉で他人と会話し議論できたのだ。同じように登校拒否だからといって世間からつまはじきにされる苦悩を分かちあえる友達に出会えたのもそのコミュニテイにおいてだった。主宰者はTVは見ないほうがいいと言う。その同じ部屋で彼の奥さんと子どもはTVを見ている。そんなふうな個人を尊重することを知っている、それこそが自分が第一に思い浮かべるコミュニティなのだ。
 わたしにとって、学校や家や地域などコミュニティでも何でもない。崩れコミュニチィ、コミュニティでもないくせに共同体のフリをしている市民社会でしかない。そこに貧乏人や、職人・音楽家・道化など遍歴の渡る人たちの居場所もない。
 たとえば町内会って何か? いっしょにどぶさらいもしない。近所の里山のゴミ拾いもやらない。地域の祭りはすたれており、復活しようという話もない。文化財の保護をやるわけでもない。屋根のかやぶき等による労働交換もない。冠婚葬祭は業者にやってもらう。ニュ-タウンなど、老人ホ-ムの立地への反対運動が盛んだったりする。車に道路は占拠され、近所のお年寄りが語らう場所としてのストリ-トは、近所の病院の中に移動している。これのどこかコミュニティなのか?
 コミュニテイは、個人と集団のバランスがとれていないといけない。個人を粗末にしてばかりなようではまともなコミュニティとはいえまい。ラテン語でcomは「いっしょに、ともに」、unは「ひとつの」の意である。
 聖上天皇の名のつく大学のお方が否定しても、自分にとっての真実は変わらない。その人は、とにかく共同体を廃止して、市民社会を作れと宣伝している。だが彼自身は天皇陛下ではない。それに人であって神ではない。なので従う義務はない。
 
 ところで、共同体をめぐって彼とわたしのふたつの見方を並べることができるということは、はラテン語で言うalterだ。つまり、ふたつのうちの一つを指す。なんともオルタナティブのブログにふさわしい話題だったと思う。


 



 



メ-ルマガジンの転載

2005年04月14日 22時50分43秒 | 不登校
↓のメ-ルマガジンは、転送・転載可。みなさん、じゃんじゃん宣伝・広告してくださるようお願いします。

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 大阪府の不登校対策を考える市民連絡会 Mail Magagine
 URL: http://www.geocities.jp/futoko_osaka/
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2005.03.24 Vol.001 ※不定期発行※

※このメールは賛同者の方など、これまで連絡会にご連絡をいただいた方に配信して
います。配信を拒否される場合は、このメールにご返信ください。
………………………………………………………………………………
 大阪府の不登校対策を考える市民連絡会は、2月15日に発足後、これまで、さまざ
まに活動してきました。ご支援、ご賛同いただいた方、ほんとうにありがとうござい
ます。お礼をかねて、これまでの活動を報告させていただきます。
………………………………………………………………………………

【INDEX】
●「当事者の声」2週間で112本! 3/3~3/18
●府議会議員との面会 3/8~3/18
●府議会の動き 3/11~3/15
●府教委と面会 3/23
●マスコミ報道など
●今後の活動予定
●カンパ募集
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●「当事者の声」2週間で112本! 3/3~3/18
 3月3日から募集を開始した「当事者の声」は、わずか2週間で112本も集まり、23
日、府教委に届けてきました。それぞれの言葉はほんとうに重く、また、言葉になっ
たものの背後には、言葉になり得ぬ思いが深くあることを、ひしひしと感じました。
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●府議会議員との面会 3/8~3/18
 これまで、以下の4名の府議会議員の方に面会しました。
・吉村善美議員(富田林市民クラブ)
・小沢福子議員(社民)
・森山浩行議員(主権おおさか)
・森みどり議員(民主)

 それぞれ、共感していただいたり、具体的な活動についてアドバイスをいただいた
り、ご協力いただきました。今後の活動にも協力していただけそうです。
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●府議会の動き
・上の和明議員が「半減の数値目標」について教育常任委員会で質問。教育長は
「個々に充分配慮して実施する」などと回答。 3/11
・森みどり議員が健康福祉常任委員会で、社会的ひきこもり対策推進会議について質
問。当事者の意見を聞くのかとの質問に、精神保健福祉課長が「関係者と意見交換す
る機会を設けていきたい」と回答。 3/15
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●府教委と面会 3/23
 3月23日、府教委と話し合ってきました。連絡会からは大人13名、子ども5名、府教
委からは生徒指導主事など9名が参加。1時間半にわたって意見交換しました。
 連絡会からは、「半減」政策が不登校の子どもや保護者に大きな不安を与えている
こと、会に2週間で112本もの当事者の声が寄せられたこと、不登校政策に当事者の声
の反映を求めていることなどを話しました。

・「半減」目標について
 府教委は「半減目標が当事者に心配を与えたことは申し訳なかった。府教委として
は、不登校・ひきこもり=悪、排除すべき問題などとはまったく考えていない」「子
ども一人ひとりの自己実現こそ重要で、不登校が積極的な意味をもつこともあると認
識している」「しかし、不登校が継続することは結果として子どもの教育権を奪うこ
とになるため問題がある」「見守る必要のある子どももたくさんおり、無理に学校に
戻すつもりはないが、遊び・非行型やネグレクトによる事例は積極的に働きかける必
要がある」「数は結果であると認識している」などと話しました。
 こうした府教委の見解について、連絡会側から「それは半減目標とは矛盾するので
はないか」と指摘しましたが、その点については明快な見解は示しませんでした。し
かし、半減目標の与えた影響については「深く受けとめる」とし、早急になんらかの
発信をする必要があると話しました。

・子どもたちが発言
 また、子どもたちも発言し、教師が家庭訪問で自分の部屋まで入ってこようとした
とき自殺未遂をはかったこと、病院をたらいまわしにされたこと、電話で「明日は来
られますか」と聞かれるたびに「行けない」とは言えず罪悪感に悩んだこと、朝、パ
ジャマ姿で食事中に先生に入ってこられてとてもイヤな思いをしたことなど、さまざ
まな経験が話されました。

・深刻に受けとめる
 親の立場からも、不登校への偏見が根強いなか、家庭訪問がややもすれば最後の居
場所を奪いかねないこと、実際にそういう経験をしている人が大勢いること、そのた
めに引っ越しまで余儀なくされた経験があることなどが話されました。
 府教委は「学校の指導が子どもを追いつめていたり、家庭に土足で踏み込むような
事例があることは深刻に受けとめたい」「当事者の声を聞く必要、とくに学齢期の子
どもの声を聞く場が必要と感じた」などと話し、問題が起きたときには、市町村を指
導するだけではなく現場に入り込んでも指導するとの見解を示しました。

・要望書を提出
 また、連絡会側は、具体策としての「不登校支援協力員」制度について、子どもに
決定権があるようにすること、協力員の言動について苦情や異議申し立てのできる窓
口を設置することなど9項目の要望を申し入れました(HPに要望書をアップしまし
た)。
 これついて府教委は「もちろん決定権は子どもや保護者にある。要請なしに支援員
が派遣されることはない」「学校復帰のみが目的でないことは当然。学校復帰ありき
とは考えていない。民間のフリースクールなどで子どもたちが救われた例は事実たく
さんあり、それを学校が認識していないことは大きな問題。今後は公教育の一貫とし
て民間とも連携したい」などど話し、異議申し立ての窓口などについても「今後の課
題」として検討すると話しました。
 また、今後も、連絡会と話し合いを続けていくことを約束していただきました。
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●マスコミ報道など
・読売新聞3月21日朝刊(関西版)に掲載の記事中に、連絡会の動きも出ています。
 http://osaka.yomiuri.co.jp/kyouiku/kyouiku/kyo050321.htm
・週刊金曜日「こんなことやってます」のコーナーに掲載されます。→4/1発売号
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●今後の活動予定
・知事への面会要求
・府教委との話し合いの継続
・精神保健福祉課(健康福祉部)との話し合い
・子ども青少年課(生活文化部)との話し合い
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●カンパ募集
・連絡会の活動は収入源がいっさいないなか、印刷費、通信費、交通費などがかかっ
ています。下記口座を開設しましたので、ぜひカンパをお願いします。

・郵便振替口座 00940-6-297003
・加入者名 不登校市民連絡会

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大阪府の不登校対策を考える市民連絡会
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TEL06-6973-5892/FAX06-6978-6626
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郷愁病

2005年04月10日 05時34分45秒 | 不登校
近日、大変強い郷愁を味わった。それは、半分は苦行、半分はなつかしさの塊だった。

 とあるメ-ルの差出人は、十台半ばのわたしがやろうとしてやれなかったことをしていた。それも、フリ-スク-ルとかコミュニティではなく、通常の学校や大学を通ってそれを果たしていた。あるいはこれより果たそうとしていた。
 もちろん、「ああ、やっぱりこの人は学校系だなあ」と思わされるところもある。強引に分類をすると、彼は反学校、わたしは脱学校といったところか。
 ただし、私の場合は学校よりも家と地域の封じ込めによる絶望が大きかった。彼は違っているようだった。
 なぜかその人は、天皇陛下の名前のつく組織の勤め人だった。かたやわたしの側は、失業者だった。
 彼の学校を基盤とした言葉遣いには、ついてゆけなかった。言葉のニュアンスや背景がすれ違い、対話が困難かつ不可能であることを認識することもたびたびだった。これはたぶん、同じ日本語を用いていると考えてはならないのだ。

 以上の明らかな断絶があるにもかかわらず、彼からのメ-ルは、たまらなく懐かしくて、わたしの脳と神経と胃腸をゆさぶるようだった。これまでの人生での、生き残るためにやむをえずやってきた妥協や打算や諦念が、すべて間違っているようにも感じる。とりわけ、3歳のころと、十台半ばのころの素朴な願望と圧倒的な苦痛を彼のメ-ルは示していた。
 まるで近所の公立図書館に閉じ込められるようにして本を読むほかなかったころの記憶を刺激する人名が、彼のメ-ルの中には散らばっていた。ふだんはタテマエの裏に隠したホンネを見透かされているようで驚きだった。そのホンネは、自分自身忘れかけていた記憶だった。全身が痙攣を起こすような振動感覚に見舞われ、いつもの落ち着きは失われた。

 メ-ルを読んだあと、不意に涙が流れ落ちる。家では泣いてないて、泣きつかれて眠り込んでしまう。昔がなつかしくてどうしようもない。戻りたいけれど、あのころには戻れない。そう知っているからなお辛さが増す。ロクに食事も睡眠も取らず、昔行った博物館に出かけ、昔読んだ本を図書館で古本屋で捜し求める。今の生活がすべて取るに足らなく思えてくる。すべてを捨て去って、もう一度人生をやりなおしてみようか。そう、家も故郷も友人も恋人もみんな整理して、2、3歳か14、5、6歳のころに戻ってすべてをやり直さねばならないような、それがひょっとしたら可能なような感触に満たされてしまう。
 しかし、実際には不可能だ。それがたまらなく嫌で、一日中体がフリ-ズしたまま動けなかったりする。痛みはない。ただ凍っているのだ。動くことはおっくうなだけではなく、自分自身への裏切りのように感じられる。
 そう、もう一度、たった一週間とか10日程度で帰されてしまったフリ-スク-ルかコミュニティに行ったような、いや、帰ってきたような錯覚に満たされているのだった。まるで十年来の親友が、いつの間にか自分のために建てた家に招かれたようなうれしさ。甘美で陶酔させられる懐かしい感情。そして、次の瞬間、時間と空間によってかき消されるみずみずしい感覚と残酷な今の現実。ふたつの世界を短時間で行き来している。これでは、神経がおかしくなってしまう。

 そういえば以前、中井久雄が「治療文化論」で、中世では恋愛病と郷愁病とは精神病とされていた、しかし近代では病気ではないと述べていたっけ。かなり古い話だけに中世・近代という時代区分を真に受けないほうがよい。ということは、現代、わたしは郷愁病にかかったのだ。
 その人からのメ-ルの用件も忘れて、わたしは郷愁しすぎて理性を忘れていた。過去をなつかしがりすぎて、幾人もの友人と絶交した。ただ、過去が大事だったから。彼氏も捨てることにした。それよりも過去へのノスタルジアが勝っていたから。
 ノスタルジ-がすべてを支配する。自分の帰るべき故郷は、多分ここにある。今かかえている別種のボランティアも集中して打ち込めなくなった。十代半ばころにやりたくてもやれなかった種種の課題を一挙にこなしたくなる。現実には無理な相談なのに。たとえ飢え死にしてでもやらねばならない気がする。

 そんな状態のときに、恐怖によってある事故を起こした。
 かつて一度は興味とあこがれを抱きながら、結局は断念したある事柄を彼はやろうとしていた。
 わたしにはそれは手に入らないものであり、まぶしすぎた。その概念の実行へのマイナス情報をわたしは思い浮かべた。今の目の前の現実と強烈な懐かしさ。郷愁とふだんの時間・感情とのあいだに引き裂かれたわたしは壊れる寸前だった。
 まともに説明にもならないいいわけをメ-ルに書いておくり、すっかり悪印象を持たれたのだろう、それっきりメ-ルはやってこない。メ-ルが舞い込まなくなってはじめて、郷愁が薄らぎ、少し落ち着いた。
 それでもまだ、帰りたい、あの原初の楽園のような時と場所に戻りたいという強い郷愁が、感情をゆさぶり、ゆっくりとしたスピ-ドで自らを破壊しているのが分かる。

 おそらく、この病気は治さないほうが自分のためなのだろう。自分が途中でいいかげんにしてきた、あるいは泣く泣く捨ててきたテ-マがそこにあるからだ。郷愁に耐えられない今現在の自己ならなくなってもよいのだと思う。いや、なくなることこそふさざしい。
 郷愁は、私の中の毒を抜いてゆく。郷愁は、わたしの正義の感覚を呼び起こす。郷愁は、わたしが汝自身を知ることを助けてくれる。
 そう、この最も大事なテ-マ、自分自身を知るということをいとわしい学校文化は厳しくとがめる。内申書が典型だが、ずっと他人にどう思われるかという他人への従属をあおってばかりだ。自分を知ろうとすれば、世間知らず、自己中心すぎる、自意識過剰とレッテルを貼り、非難を浴びせる。えんえんと他人や社会について語ることを求める。もちろん世界や自然や宇宙を語ることも「キチガイ」めいた行為としてとがめられる。
 それらの環境の中でバランスを失い、損なわれた自分自身の、あのときに選べたかもしれないもうひとつの古里を、無意識の欲求を、そのメ-ルは思い出させるのだった。このまましばらく自分の中で、おぞましい郷愁に暴れていてもらいたい。
 そうすれば、さらに困るウイルスだか細菌だか寄生虫がわたしを宿主にすることはないはずだ。そして、わたしが自由の精神をすっかり忘れないようにわたしを刺激し、助けてくれるはずだから。
 だから、しばらくの間、この郷愁病と共存することにしよう。この病気がわたしを他の災いから守ってくれるかぎり、相利共生が成り立つ。はじめは驚いたけれど、もう拒絶はしない。郷愁よ、ようこそ。
 いや、わたしのなかで眠っていた郷愁が活性化するタイミングとその人からのメ-ルのタイミングがたまたま重なっただけだったのだろうか? それは原因でもなければきっかけでもなかったのではないだろうか?

 とにかく、この郷愁病によって、自分自身が取り戻せる可能性に賭けるしかない。
 
 
 
 

子どもの人権関連集会の案内

2005年04月09日 21時08分55秒 | アンファニズム
以下、医療・福祉の戦争協力に反対する連絡協議会掲示板
http://bbs.infoseek.co.jp/Board01?user=mwhansen
より転載。



75 お詫び 睡蓮 - 2005/03/18 22:03 -
下記のイベント場所がぬけていました。文京シビックセンター3階障害者会館C会議室です。すまんですじゃ(^^ゞ



74 お し ら せ 睡蓮 - 2005/03/18 16:08 -
4月13日(水)
19:00~21:00
「子どもは大人のパートナー」~子どもの人権を考える~

講師 坪井節子さん
〈経歴〉弁護士、東京弁護士子どもの人権救済センター相談員、東京弁護士会子どもの人権と少年法に関する委員会委員、日弁連子どもの権利委員会幹事、NPOカリヨン(子供のシェルター)理事長
〈著書〉
子供は大人のパートナー (明石書店)
弁護士お母さんの子育て新発見(草土文化)
少年法・少年犯罪どうみたらよいのか
(明石書店)
子ども人権双書
性と子供の人権
乳幼児期の子供たち
(明石書店)

連絡先 前田くにひろ
03‐3818‐3191
e‐mail honobono@be.to