学校のない社会 大学のない世界

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悲劇の味わい方

2005年05月20日 17時39分39秒 | 不登校
 不登校に「理解」や「共感」をもって接近してくる人たちがいる。
 たいていの場合は同情にすぎない。その人たちは気休め、自己満足他者不満足型のアドヴァイスや援助を申し出る。うまくいかないと、「あなたのせいだ」と目の前の本人を責める。あるいは、自分好みの信仰や信念をイデオロギ-注入することもある。
 本人が本気で抑圧に立ち向かおうとする。冗談ではなく本気で個性的に生きようとする。そうすると真っ先に怒りを示し、やみくもに反対してつぶそうとするのもこの種の人々だ。
 
 この人たちは悲劇に弱い。おそらく恵まれて育ったのだろう。目の前の悲惨に魅入られたてしまう。そして激しく感動する。
 大いなる悲劇の主人公の魅力に長期間とりつかれる。ゆえに問題が起こる。
 相手が悲劇の主人公ではなく勝利する英雄になったら、あるいはなりそうな予感を覚えると、手のひらを返したように相手に非協力的になり、敵対する。陰湿な方法も含めて足を引っ張り、侮辱し、なまぬるく暑苦しい同情によって相手をスポイルする。そのためにウソをついたり、だましたりすることも日常茶飯事だ。
 さらに、そういったことをやらないことを「社会的知能がない」、または「コミュニケ-ション能力がない」といったマイナスのレッテルを貼って排除することもやってのける。
 相手が成功すること、自立すること、幸福になることは、すべて気に入らない。ただひたすら悲劇の美学に酔って、悲劇を再生産する。

 こういうタイプが社会運動家になると、問題解決をするフリをしているがぜんぜん解決にならないか、むしろもっとひどくなるような政策や方法論を実行してしまう。
 実務家になると、職場で弱い立場の人を「立場が弱くて大変でしょう」と「共感」「理解」を装って接近する。そうして相手が気を許したところで、一見そう見えない形でセクハラとかパワハラとかの犠牲にしていたりする。

 経験的に言って、幼いころから多少なりとも貧しかったり苦労があったりする環境で育つと、かえってこうならない。悲劇に過剰な幻想や感動を求めないから、あるいは小さな悲劇を大きな悲劇ととりちがえないので、悲劇に吸い取られるようにのめりこまない。周りをまきぞえにもしない。
 ところが、恵まれすぎたよい環境で育つと、ある日突然現れた悲劇の情景はひときわ印象的に映るようだ。この世でもっとも美しいものを見た、という錯覚で、何か啓示を受けたような悟りを開いたような気分になるらしい。
 そうしてはじめるボランティアや弱者救済運動は、そもそも自己中心で相手を見下しており、視野狭窄と感傷に満ちている。その安っぽさ、いかがわしさは、一定以上の苦労や悲劇目撃体験があれば、たいていの場合見破れる。
 たとえば、「サバルタンは語ったとたんにサバルタンではない」などという論理をもてあそぶ文系大学院生などが典型だ。何だ、死者に敬意もなく、生き残ったほうが価値が高いなんていったい何様のつもりよ? 語れないって何?? などと思ってはいけない。そんな話の好きな人たちは、とにかく悲劇が見たいのだ。純粋な、永遠の悲劇を感激しつづけたい、ということだ。
 歌舞伎やオペラでは物足りない。かといって現実は複雑だから、貧乏な人のほうが表面的には明るく振舞っていることもある。ふみにじられてもけなげにしたたかに生きる力強さなど見たくもないと彼(女)は思う。ならば、純粋な理論のなかでそういった存在を作ってしまえ! というわけだ(苦笑。)

 最近東大のセンセイが流布し、弟子が受け継いでいるあの「当事者学」が、悲劇マニアの手によらぬことをことを願いたい。

 

 
 
 

奥地圭子さんからの返事

2005年05月20日 16時32分50秒 | 不登校
 奥地圭子さんからお返事が来た。

 あたたかみと誠意のある手紙に嬉しくなってしまった。わたしのような「落ちこぼれ」にもちゃんと十数枚の便箋に書いた手紙をくださるとは、すばらしい行為だと思う。これだけでも、シュ-レがエリ-ト主義だとの指摘は事実誤認だと分かる。そう、草の根民主主義、それも大人と子どもとの民主主義のあるところなのだ。(人のやることだけに決して完璧ではないとしても。シュ-レの人たちは神じゃない。)

 ただし、気になったところもある。以前シュ-レのミ-ティングにゲスト参加したときに、何人かの子どもたちが「奥地さんも元・教師だから、そういうことを言ってもわからない」といったようなことを語っていたのを思い出してしまった。
 
 何というのか。世代の違いなのだろうか、ホンネで話をできない部分があるのだ。
 言いにくいのだが、親の会や東京シュ-レもそれなりに歴史・伝統のある組織になってしまった。なので、個々人が複雑微妙な考えや感情が出しにくい場所になってしまったようで、悲しいことだ。
 
 まだ小さな雑居ビルの一室で、玄関には子どもたちの靴があふれ出るような手作りの溜まり場感覚でやっていたころのシュ-レとは違って、今では独立した立派な建物がいくつもできた。NPO新聞社や成人教育の部署も作った。
 中小零細企業みたいだった時期のように、奥地さん一人の影響力や信用だけでやっていくのは難しくなっているのかもしれない。もう少しシステマチックに合理的にやったほうがいいのだろう。そうすると、いっしょに作り上げる気風は失なわれる。官僚的になると、観念的に冷たく退屈になりがちで、そうすると小さな子どもや若い世代にとってはなじみにくくなると思う。
 それでも奥地さんは優れたコ-ディネイタ-でファシリテ-タ-だと思う。ただ単に子どもが登校拒否または不登校だというだけで他に何の共通点もない親の全国ネットワ-クを長年にわたってまとめる、それだけでも大したものだ。そのうえ、文部科学省と世間からうろんな目で見られるフリ-スク-ルを30年も運営しつづけてきたのだから。これは、並大抵の能力や志でこなせることではない。コネだけでも、派閥政治だけでもやっていけない。

 一部には奥地さんを「独裁者」扱いする声もある。それは誤解だ。奥地さんがあまりにも熱心で優秀で力強いから、周りは抵抗できない。それだけのことだ。「徳のある人は孤立しない」と論語にある。まさに奥地さんはそういった意味で得の人だ。この「徳」というのは、道徳だけではなく、学問・技芸なども含む。こうした彼女の徳が、人々をひきつけ、多数の理解者・協力者を生んできたのだろう。

 ブログ・掲示板を見渡すと、「シュ-レ VS 貴戸」といった図式もある。これは当たらない。奥地さんは貴戸さんと対立する気などさらさらないのだ。ただ、独自のメッセ-ジの送り方をしたのだ。これは名人芸の域に達している。初心者がまねても何をしているか分からなくなってしまう。能に「身七分、心十分」という言葉がある。7の動作をもって10の内面を表現するという意味だ。奥地さんは見事にそれをやってのけた。あの二百数十箇所にわたる削除・修正欲求リストは、実は交渉のための作戦だったようだ。

 それでもなお、釈然としないものが残る。こんなやり口では、傍から見ればいじめ・イビリではないのか? 少なくとも半分程度はそういう風に見える。別に集団による抗議だから依存だとか、政治的だとかは言わない。人には結社・団結する権利があるからだ。
 だからといって、もしも自分たち自身を相対化しないで、一方的に貴戸さんだけを責めたのだとしたら、単なる感情的な復讐の域を出なかったのではないか? もう少し、貴戸さんの意見の妥当性を部分的にせよ認めてあげてもよかったのではないか? そのうえでの批判であれば、もっとよい関係が築けたのではないだろうか?

 貴戸理恵さんは、わたしにとっては突如名乗りをあげた異母姉妹のようで、最初は戸惑った。しかし、彼女なりの登校と不登校の話を読むにつれ、こういった人の声もまた無視してはならないと考えるようになった。(今の彼女のお師匠さんがいわくつきであることはまた別の話になる。)
 もちろん、わたしはわたしなりに彼女への異論も疑問も批判もある。
 それにしてもシュ-レにはもう少し別のやり方で批判してほしかった。
 たとえば、貴戸さんとシュ-レの双方がパネリストとして出演するシンポジウムをやる、というのはどうだろう。共著で主張を並べて載せたり、座談会を掲載するのもいい。あるいは貴戸本に異論・反論のある人たちのアンソロジ-を上梓する。
 もっと登校と不登校の多様性を尊重しあい、そのことによって「学校に行くも地獄、行かぬも地獄」の学校化社会を--子ども時代の総動員を--浮き彫りにする作業ができなかったことは悔やまれる。

 今の自分は、東京シュ-レと奥地圭子も、貴戸理恵も双方を支持したい。両方ともを自分の兄弟姉妹のように感じている。ふたつの声を大切に見守ってゆきたい。