
違いってなんだろ。
頑なに練習方法を守り近代格闘技とも戦闘方法が違い強いか弱いか
中々はっきりしない、中国武術や古流の日本武術であるが、ではなぜ
近代格闘技のような練習方法を取らないのだろう少し考えてみましょう。
おおよそ考えられることは
1、自分たちの練習法や戦闘方法に自信を持っている。
2、妙に頑固である。
3、型を練習することが好きなのである。
4、すでに完成されていると考えておりこれ以上別の練習をする必要がないと
考えている。
私が無い頭をもってしてぱっと思いつくのはこれくらいでしょうか。
私は格闘技もやったことがありますし武術もやります。
格闘技的な良い部分も武術の言い分も正直わかります。
個人的にまずはこう考えます。
古流武術と格闘技は焦点が違うのだと考えます。
長く戦って見せるのか、一瞬で戦闘を終わらせたいのかの違いと考えます。
体重や身長などに関係なく相手を殺傷したいのかなど。
これにより大きく変わります。
長く戦って人に見せたい。これは格闘技や武道的な考え方で
わざと急所を外してお互いどれだけ耐えられるのか精神的に
どのくらい我慢できるのかまたはうまく許された急所をうまく打てるのか
競います。
一瞬で戦闘を終わらせたい。
体重や身長など関係なく相手を殺傷したい。
この二つは古流武術や中国武術に当てはまると考えます。
長く相手と戦っていると新たな敵の増援や相手が回復してしまったり
自分に不利益な状況があるので早く戦闘状態を終わらせたいと思って
戦います。
さらに武器により瞬間的に相手を鎮圧していきます。
武器を持つことで限りなく体格差をなくしうまくいけば
女の人や子供でも大人の男性を圧倒します。
このように格闘技と武術は焦点が違うと考えられます。
やりようによっては確かにお互いが相対する事もできますが
事情ややり方はお互い違います。これでもしやり合うのでしたら
喧嘩しかありませんね。喧嘩もルール云々とおっしゃる方がおられたら
これはもう相対せませんね。
もちろん上記のこれにより練習方法が変わってくることは
言うまでもありません。人間である以上最強なんてことは
ないのですが私が見てきて言えることは器用貧乏は損をしやすい。
沢山できるけど決め手がない人は格闘技でも古流でも
上達しにくいかもしれませんね。
ただ、私的には型練習が楽しくてやっていますし、それだけで、それ以上でもそれ以下でもないと考えるようになりました。強くなりたいという気持ちもなくて、ま、上手くはなりたいと思っています。
関心のあるテーマだったので、少し自分の考えを書かせていただきました。
コメントありがとうございます。
めったにコメントないので見過ごしておりました。
いろいろ練習する悪い部分といろいろやって世界が広がる良い部分うまく使っていきたいです、上を目指すと言う事と強くなると言う事が最近は昔のものとは私も変化してまいりました。私は皆さんの期待をできるだけ裏切らない太極拳や中国武術使いでありたいと思ってはおります。
またご意見きかせてくださいね。
私は、
武術は、
相手が最初に攻撃してくることを前提に大体の技法が作られている。
格闘技は
攻撃は攻撃として独立している。
相手や自分が自由に近づいたり離れたり止まらない約束組手形式の練習をする。
ではないかと最近思ってます。
それを踏まえると、空手って両方の特徴を備えているなぁと。
はじめまして。
武術である以上 太極拳であれ八卦掌であれもちろん両方入っております。ただ、近年の中国武術道場ではあまりこちらから攻撃するパターンは語られていなかったり中国武術独特の駆け引きを教われないのが現実ですね。悲しいことです。
多くに広まりますとうすくなって