私の青空☆彡

写真を通して、小さな事でも『感動』する素晴らしさを、貴方に送りたい

大和から学ぶべきこと

2015-09-25 | 風景


戦艦長門の旭章旗
戦艦長門は第二次世界大戦終結時には唯一稼動し、アメリカ軍に接収され、ビキニ環礁での核実験によって1946年に沈没しました。
石坂浩二さんが「開運!なんでも鑑定団」に出品された長門の軍艦旗を買い取って、寄贈されたものです。
石坂浩二さんはモデラーとしても広く知られて、私の実家にインタビューワとして2回ほど来られましたが
とても気さくな方であると両親は話していました。

零式艦上戦闘機62型
1978年に琵琶湖から引き揚げられたもの

特殊潜航艇「海龍」、人間魚雷「回天」、零式艦上戦闘機
特攻を目的とした非人道的な兵器

他にも操船シミュレーターや船の仕組みなど船についての色々な体験ができる場所もあります。
またレストランでは、「水兵さんのカレー」と「士官カレー」の海軍カレーを食べることができます。


大和の最期
大鑑巨砲が終わりを告げている時代に登場したこの巨大戦艦は思った様な活躍もできず、最期を迎えることとなります。
1945年4月7日、14時22分、坊の岬沖において米艦載機の攻撃を受け沈没,
乗員3,332名のうち3,056名が大和と運命を共にしました。

弾薬庫が誘爆を起こし、真っ二つに裂かれ、このような形で沈んでいます。
大和の最期、ボランテア解説員の方から悲しい事実を聴きましたが、
10代の若い戦闘員の死、本来の夢も希望も捨て、祖国のために特攻した思い、
どれも涙なしでは聞けないような話です。


未来へのメッセージ
大和などの艦船を造ってきた呉が戦後、空襲などにより荒廃し、培われてきた技術で、
世界最大のタンカーを数多く建造する工業都市として発展し、今日に至る歴史も見ることができました。
造船技術は明治維新では考えられなかった程に成長し、日本人のモノづくりの高さの象徴といえます。


戦没者の方々が生きたかった未来を生きている私達
戦後70年はこの人たちの礎のうえに成り立っており、大和を通して、
改めて日々、感謝を込めて精一杯生きるという本当の意義を学ぶことができました。

某大企業の部長は過去や大儀から学ぶべきものは無いと言っていた言葉を思い出し、
それは間違っており、歴史は繰り返し、先人から多くを学ぶ事が出来ると再確認できました。

反省しないと進歩はしないと、このブログでも何度か書かせていただきましたが、
「戦艦大和の最期」にある乗員の言葉には 
進歩のない者は決して勝たない。負けて目覚めることが最上の道だ。
 日本は進歩ということを軽んじすぎた。私的な潔癖や徳義にこだわって、
 真の進歩を忘れていた。敗れて目覚める。それ以外に、どうして日本は救われるか。
 今、目覚めずしていつ救われるか。俺たちは、その先導になるのだ。
 日本の新生に先駆けて散る。まさに本望じゃないか。

当時のトップは、真の進歩を軽んじ、先の見通しが甘く、総合力が低かったかに気づかなかったことを伝えています。

安全保障関連法の成立 自国を守ること、国際貢献としての役割は必要ですが、第9条が担ってきた意味と
法案成立で決められていないことが多く、国民への説明も曖昧で将来へのリスクを孕んでいることは
間違いありません。このようなリスクを回避することがリーダの役目なのに....。

大和ミュージアムでは5時間ゆっくり見学させて頂きました。

本日もご覧頂きありがとうございます。
ごきげんよう さようなら

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