何となく、関東地方は梅雨明けしたような天気です。ネタは心機一転罐ネタに。。。
撮影データなどが不明でもっと詳しく調べてと思っていたのですが、今日はEF62ネタ。
地味だけどお気に入りの機関車の1つ。信越線で黙々と本務機仕業をこなす山男。
その山男の平地での姿を2題アップいたします。
その一つは、大学入学後東北、上越、信越スジの夜行を撮影しにお手軽そうな撮影地を
赤羽駅の下り側に定めて行った際の1コマ。
今では地上3階ほどの高さにかさ上げされてしまいましたが、その昔埼京線はまだ無く、
赤羽線だった時代です。
一番荒川寄りの踏切だったと思いますがその辺から撮影した記憶です。
写真は上りの夜行列車撮影中にやって来た信越線の下り各駅停車ではないかと・・・。
通常、この信越線方面の列車は高崎までEF58が牽いて、信越線内をEF62にバトンタッチ
と思っていましたが、当列車は上野からEF62牽引でした。
長い旧客の編成が優等列車のようで貫禄が有ります。
撮影はおそらく1981年だと思います。 東北本線 赤羽~浦和
もう一つは、東海道本線系統の荷物列車の話題で、
老朽化したEF58の荷物列車仕業の後罐に充当され、根府川の鉄橋を渡るEF62です。
このEF58置き換え案にはEF70の直流化という案もあったそうです。
撮影は1984年の導入後間もないころだと思います。
東海道を荷物列車を牽いて走る姿は、EF58と同じCo-Co軸配置でしたが、
どことなく寂しげに見えたのは私だけでしょうか?
本当は昨日のアップで餘部ネタは最後にしようと思っていたのですが・・・、
やはり、私の鐡道人生の中で究極の撮影地でしたので最後の夜もこのネタにします。
最後の夜ということで、彼の鉄橋を渡っていたブルートレインである出雲といなばの2列車。
どちらも、大先輩の餘部鉄橋を置いて一足先に廃止になってしまいました。
出雲号は昔は下りが5時前の通過で夏至の頃にデジイチで撮影できるかもしれませんが、
当然、当時そんなものがあるわけもなく、定宿から21時前に上っていく出雲の光跡を
バルブで1度だけ撮影しました。画面左上の方が薄っすら山影が見える光は、
山の向こうにある灯台の明かりによるものです。
ネガカラーでの撮影で、今のように鉄橋のライトアップもないのでほんの雰囲気だけです。
餘部Y.H.から撮影した2002レの光跡 1977年3月
寝台特急いなば(1978年10月から出雲2・3号になる)は下りが撮影可能な時間で
数回ほど餘部で撮影しました。
できればHM復活後一度だけでも撮影に訪れたかったのですが、
何となく防風フェンスもできて、超有名撮影地餘部に食指が動かずそのままに。
私にとっての餘部鉄橋は1980年代で時計が止まったままになってしまいました。
餘部鉄橋を渡る2003レ 1978年1月 寝台特急いなばとしての最後の冬だった。
撮影機材;OLYMPUS OM-1 ZUIKO50㎜/Nikon F2 PhotomicSB Nikkor50㎜
コダカラーⅡ
いよいよ梅雨明け間近となりましたが皆さんいかがお過ごしですか?
そして、またひとつお別れです。
ちょっと前にも書きましたが、いよいよ今週金曜日をもって山陰本線の餘部鉄橋が、
明治の昔から続けてきた歩みに終止符を打ちます。
まさしく私の50年の人生にあと一年の新しい門出の日に・・・。
本当に、本当に長い間ご苦労様でした。
これ以上、掛ける言葉が見当たらないので最後の餞に
82系特急あさしおが駆ける餘部鉄橋という私の中のベストマッチの写真をアップいたします。
撮影;1980年3月(?) NikonF2 PhotomicSB Nikkor50㎜ f2 コダカラーⅡ
今日は岐阜に出張してました。
新幹線で名古屋まで出てそこから在来線で西岐阜まで。
行きは317Aで、何といまどき300系ののぞみです。
300系と言えば、つい先だって引退した500系に続きのぞみ運用どころか、
形式自体が引退間近とか。N700系の増備が進み全てののぞみの置き換えが済むと、
700系がひかりとこだまに充当され300系は100系同様に廃車という運命のようです。
そういえば100系の撤退の際の早さはのぞみ並みの早さだったような!?!
100系の現役時代の写真は1枚もありません。
今度J西管内のショート100系が原色に戻る話があるようですが
やはり新幹線は16両編成でなんぼと思っている電関人ですので・・・。
あれれ、そういえば7/13に317Aとはなんだか数字的な因果を感じます。
ちょっと分かりづらいですがのぞみ317号のサボ表示と案内表示。
317A先頭車。できれば赤フィルターを外して欲しかったのですが・・・。
撮影;2010年7月13日 東京駅19番線にて のぞみ317号 Canon IXY
皆様いつもお越しいただきありがとうございます。
幼少の頃より、鐡道が大好きでそのまま大人になってしまったような電関人ですが、
鐡道人生約40年。引き続きいろいろな鐡道のテーマに思うまま触れていきたいと思います。
また、新たな鐡道シーンを切り抜きに時間がある限り出かけたいと思います。
お付き合いのほど今後もよろしくお願いいたします。
50000PV記念としてあまり関連性はありませんが1990年の大宮工場公開日の1コマです。
今は亡きEF651059号機とDD131号機の並びをアップいたします。
狂電関人 拝 2010年7月