(2015.3.14 facebook noteより)
今日は、ローゼンメソッドというボディワーク
(といったらいいのか)のワークショップがありました。
心と体を1つとして、身体に働きかける身体心理療法といったらいいのでしょうか。
何かの体験があったときに、そのときの心理的な緊張を筋肉が記憶する、
というのはずいぶん前から言われていることです。身体に触れていくことで、
必要なときが来たらその緊張が感情と共にリリースされていくことを促進する
ワークを行います。
これは、他のボディワークでも言われることですが、
プラクティショナーのあり方(プレゼンス)が問われるので、
トレーニングの過程においては、自分の内面に向き合うことが伴うものです。
なので、今日一日では何がわかるって事でもないのですが、
実感として感じられた大事なことがあります。
それは、
「深いところからたち現れる痛みは人のものであり、自分のものでもある」
ということ。
でも、そういう感覚は一瞬よぎるのですが、
また、私たちは別々のものであるという、
分離感が戻ってしまいます。
4つのデモンストレーションを見たのだけれど、
見ること自体がトレーニングなのだそう。
それは技術的なやり方を見るわけではないんですよね。
見ていて、私は自分の中で体が緊張したり緩んだりを
繰り返していることを感じました。
狭い意味での治療の場合、
「緊張や病は悪いものなので取り除かれなければならぬもの」なわけですが、
よい悪いという価値判断を持ち込んだ時点で、クライアントの深い無意識レベルで、
「緊張もしくはトラウマ」を持った自分はダメだ、
という反応が起きると思うのです。そうすると安心して緊張をリリースし、
それに伴う感情をうまく表現するスペースはつくれない。
緊張や痛みは、クライアントのものであって、
同時に自分(プラクティショナー)のものでもある。
そいう意識に本当の意味でなれたときに、
クライアントは安心して緊張や感情を
リリースできるのではないかと思いました。
今日は、ローゼンメソッドというボディワーク
(といったらいいのか)のワークショップがありました。
心と体を1つとして、身体に働きかける身体心理療法といったらいいのでしょうか。
何かの体験があったときに、そのときの心理的な緊張を筋肉が記憶する、
というのはずいぶん前から言われていることです。身体に触れていくことで、
必要なときが来たらその緊張が感情と共にリリースされていくことを促進する
ワークを行います。
これは、他のボディワークでも言われることですが、
プラクティショナーのあり方(プレゼンス)が問われるので、
トレーニングの過程においては、自分の内面に向き合うことが伴うものです。
なので、今日一日では何がわかるって事でもないのですが、
実感として感じられた大事なことがあります。
それは、
「深いところからたち現れる痛みは人のものであり、自分のものでもある」
ということ。
でも、そういう感覚は一瞬よぎるのですが、
また、私たちは別々のものであるという、
分離感が戻ってしまいます。
4つのデモンストレーションを見たのだけれど、
見ること自体がトレーニングなのだそう。
それは技術的なやり方を見るわけではないんですよね。
見ていて、私は自分の中で体が緊張したり緩んだりを
繰り返していることを感じました。
狭い意味での治療の場合、
「緊張や病は悪いものなので取り除かれなければならぬもの」なわけですが、
よい悪いという価値判断を持ち込んだ時点で、クライアントの深い無意識レベルで、
「緊張もしくはトラウマ」を持った自分はダメだ、
という反応が起きると思うのです。そうすると安心して緊張をリリースし、
それに伴う感情をうまく表現するスペースはつくれない。
緊張や痛みは、クライアントのものであって、
同時に自分(プラクティショナー)のものでもある。
そいう意識に本当の意味でなれたときに、
クライアントは安心して緊張や感情を
リリースできるのではないかと思いました。