Earth Spiral

Survival&Creative life. 
大地と魂の声を聴き、自分の道を歩め

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最近はnoteに記事を書いていますので、Earth Spiralのnoteもご覧ください。
note Earth Spiral
星々のことば/猫の言い分/Plant Medicine/白魔術研究所ほか

芸術は爆発だ

2022-08-30 | 日記的な
昨日、機会をいただき、中学生たちの土偶づくりに参加させてもらった。縄文人が何を考えて土偶をつくったかというお話も伺って、まずは本番前の練習。
縄文については、関心はあれど、縄文の熱狂的なファンをみてひいてたぐらいなのだけれど、この機会に改めて研究しようかと思う。研究好きなので。
縄文と言えば、私は岡本太郎が縄文の火焔土器に衝撃を受けたと言ってることに、とても関心がある。岡本太郎といえば、1970年の大阪万博の時に太陽の塔をつくった人で、CMとかにも出ていた変なおじさんで、「芸術は爆発だ」と言った人、という幼少期からのイメージがあるぐらいだった。
岡本太郎に俄然近づいたのは、2013年、裏磐梯の諸橋近代美術館にて開催していた『岡本太郎展』を見に行った時からだ。諸橋には展示替えがあるたびに行くと決めていたので、それで行っただけなのだけれど、ひとつひとつの作品、そしてそこに添えられていたひとつひとつの言葉を読んだときに、自分の中の魂が喜んでいることを強く感じた。
ちょうど、3.11後、どう生きていったらよいのかを模索しているときであり、こびっとハウスをつくっている途中で、ものをつくること、それが人間が生きる力と直結すること、芸術的なものの重要性を身をもって感じていた時だったから、余計に響いた。
その後、2018年に公開された映画『太陽の塔』を見た時には、それに込められた岡本太郎の意図に、鳥肌が立つ想いだった。そして、何年か前に感慨深く、万博公園のそびえたつ、太陽の塔の実物を見た。
芸術は爆発、生きる力、縄文、人類の進歩と調和、そして、私たちはこれからどちらに行こうとしているのか?縄文というものに接していく時、そこにはこれから生きるために必要なたくさんの知恵が得られるのではないかと予感する。
でも、それは昔に戻ることでもなく、縄文人を理想化することではない。太郎が火焔土器から汲みとり、太陽の塔に注いだエッセンスが何であり、そこに流れている普遍的なものを感じ取ることが大事な気がしている。
ありていに言えば、それは生命なのだと思うが、その意味、それは何なのかは、言語では説明しつくせず、体験するしかないものだろう。
そして、もう一つ、これは私の妄想なのだけれど、変なおじさんの岡本太郎が体現したもの、そして最大の作品と言われている太陽の塔は、もしかすると、日本の魂の象徴なのではないかという気がしている。太陽の表の顔と裏の顔、二つがぶつかり合い、最後に調和を見出せるのか否か。
2025年に控えている大阪万博のもろもろからは、何も感じられないが、一体どうなるのでしょうな。
『「いのち」と向き合う2025年万博…「太陽の塔」超えるレガシーを』
https://www.yomiuri.co.jp/.../wideangle/20220530-OYT8T50012/
こんな恐れ多いタイトルの記事を見つけたけれど、「太陽の塔」という怪物に正面からぶつかり、粉々になる覚悟がなければ、レガシーなどお笑い種でしかない。リアルタイムで岡本太郎を知らない世代は騙せるかもしれないけどな。

悟りとかイニシエーションとか

2022-08-02 | 日記的な
目覚めとか悟りとかイニシエーションとかアセンションという言葉が出てくると、テンション上がる人と、ドン引きする人といると思う。
言葉は正しく理解したいと思う。
人間の成長というのは、「視点」を増やしていくこと、であったりする。オレ様視点だけの場合はジャイアンみたいな感じ。オレ様視点+相手(たとえばスネ夫君とかのび太君とか)の視点の2つ持てたら認識の仕方が変わる。それが3つ4つ・・・と増えていき、人間の視点をはみ出して、猫の視点とか、カボチャの視点まで持てたらかなり意識が拡大する。そして、それは無限に増え続けていく。
視点が広がった時に、だいたい衝撃を受ける。「なぜ今まで気づかなかったのだろうか。自分ってバカ!」。そうなることに抵抗して新しい視点を持つことを拒絶する場合もある。衝撃を受ける死、分裂するかもしれないので。そこを統合していくプロセスもとても大切だ。
目覚めも悟りもイニシエーションもアセンションも、要はそういうことだ。なんら不思議な事でもすごいことでもない。誰でもできることだ。お金はかからない。ただ、それには時間がかかる。お金はかからなくても時間はかかる。お金だけで、それは得られない。

ルグナサッド

2022-08-02 | 日記的な
古代ケルト文化では、太陽の動きからできる二至二分(夏至、冬至、春分、秋分)のその間の日が、異界と出会う時と考えられていました。もちろん、二至二分もそうですが、間の間が、より異界に近づくのです。
8月1日はルグナサッド。太陽神ベレノスの支配から、ルーグの支配へと移るお祭り。支配神が変わる隙間なので、それで魔の時なのかもしれません。良い意味でも悪い意味でも。
死者の祭りサマインまで、じょじょに実りと収穫の季節に向かっていきます。

アリス・ベイリーの言うチベット人とは誰?

2022-08-02 | 日記的な
スピリチュアルな分野においては、謎の宇宙的存在や、高次存在からのメッセージを受けて書き残された本があったりする。それに対しては、わりと「うえ~」って思う現実的な私です。
その割には、チベットのマスターからのテレパシーによって書かれた秘教本があり、シュタイナーの著作と並んで、結構好きなのでよく読んでいます。
そして、そのマスターは誰なんだというのがこの記事。興味ぶかいので翻訳機で読んでみましたが、今、世の中的に起きている問題に関連して、大事だなと思ったところがあるのでシェアします。
重要なのは、メッセンジャーが誰か?ではなく、メッセージそのものだということ。そこに対する識別力を育てること、自分で考えること、お手軽に教えてくれる誰かを探さないことが重要だと思う。
今、話題となっているカルト問題にも通じるところがあります。
カルトの勧誘は、最初から宗教だということをにおわせず、人間関係、信頼関係を構築してから入信させるというもの。人は誰でも信頼関係を持った人の言うことであれば、ある程度聞き入れるようになる。
でも、家族であっても仲良しの人であっても、偉い人であっても、いってることおかしくないか?と思う感性は持っていなければならない。それが持てなくなる理由につながるかなということも、分析されているので、Deeplの訳だけれど興味のある人はどうぞ。
「重要なのはメッセージであって、メッセンジャーではないのです。
それでも、私たちは皆、好奇心が強いのです。そこで、私たちがメッセージよりもメッセンジャーに執着する動機は何なのか、少し考えてみましょう。
メッセージよりもメッセンジャーを気にする理由
私たちがメッセージやメッセージに書かれていることよりも、メッセンジャーを気にかけるかもしれない心理的、精神的な理由をいくつか挙げてみましょう。
私たちは、混乱した、孤独な、怖い生活の中で、自分自身の人生と世界を正しくする方法を私たちよりも知っている私たちを見守ってそこに誰かがあることを知って慰めを感じたい。
私たちはロールモデルを求め、道を示してくれる人を求めます。しかし、メッセンジャーを重視するあまり、私たちは識別力を欠くことになりがちです。そうすると、私たちが指針を求めている人(グル、ラマ、牧師、ラビなど)が、本当に自分の話を実践しているか、メッセージや生きた手本を通して本当に役立つアドバイスをしてくれているか、私たち自身の人生や世界をより良い場所にするために、見極めることができなくなります。このようなことは、私たちがフォローしている人が、実は自分のメッセージの通りに歩いていないことを盲目的に無視しない限り、実は問題ではありません。もし、このことに注意を払わないのであれば、私たちは実際に魅力にどっぷり浸かっていることになります。さらに悪いことに、私たちはメッセンジャーの許されてはならない行動、特にそれが偽善的であったり、矛盾していたり、時には虐待的であったりする場合でさえも、それを許してしまうかもしれません。(注:これは小さき弟子が特に陥りやすい問題で、ベイリーが教えている状態です)。
私たちは、自分自身の人生が混乱しているにもかかわらず、特別な存在であると感じたいのです。自分がのけ者にされたように感じたり、自分のことを認めてもらう代わりに馬鹿にされたりした人生から立ち直る最良の方法のひとつは、本当に特別な人たちと接触していると主張する特別なグループを見つけてその一員になることです。そうすることで、私たちはより一層、特別な存在であると感じることができるのです。瞬時に私たちは、メッセージや、本当にスピリチュアルになるために通過することを求めているすべての訓練、または特別なことを忘れることができます上昇した。今、私たちは自動的に特別な地位に躍り出ることができ、そこに到達するための鍛錬を忘れることができるのです。特別な存在であると主張することで、私たちは非常に特別な人たちと肩を並べたり、連絡を取っていると主張することもできます。
私たちは、他人の目から見て重要な存在になりたいと願っています。そして、私たちが高い精神的地位の人々に関連付けられていることを他の人に信じてもらうことよりも重要なものになるために良い方法は何ですか?実際、本当に特別な人々と接触していると主張することの副次的な利点は、それによって他人の目に私たちがより重要になり、その結果、その人は私たちに重要なグッズ(お金、喜び、権力など)を与えて、私たち自身をさらに良く感じさせ、人生をより楽にしてくれるかもしれないということなのです」

Who is Alice Bailey's Tibetan?

カルトによってイメージ悪くなって困るもの

2022-07-27 | 日記的な
アウェアネスとかスピリチュアリティとかは、人間にとって大事なものです。それが、カルトによってイメージが悪くなっている。
オウム真理教の時には瞑想やヨガが怪しまれたことは覚えている方もいると思います。
ヨガや瞑想がまた流行りだしたのは、空白の30年のおかげなのでしょうか。すっかりカルト問題がマスメディアにあがってこなくなっていたので。
大事なものも、商業的に利用されて軽薄なものになったり、カルトに利用されて怪しいものになったりと、なかなか人間って大変なもんです。
問題になっているカルト団体の勧誘の手口など、複数の専門家によって明かされているのを見ると巧妙すぎて恐ろしいぐらいです。
カルト宗教と健全な宗教の違いは「人権侵害をしているか否かだ」と、鈴木エイトさんや同じくカルト新聞の藤倉さんは言っていて、シンプルでよい定義と思いました。だからカルトとは宗教とは限らず、商業カルト、自己啓発カルトなどもあるらしい。
たとえば1億円献金したとして、それが自分の自由意志か否かということになりますが、洗脳されていたら本人は自分の自由意志と主張するでしょうし、客観的に観るといや違うよ、となるので、難しいところです。
統一教会の手口としては、聞いたところ、すぐに勧誘せずに、だんだん仲良しになっていき信頼関係をつくっていくらしい。うちの母もコンサートに誘われていったら帰りに美味しいクッキーをもらって、その次も誘われたから言ったら、美味しいもの食べておしゃべりするだけだったけど、なんか変だと感じ統一教会だと思ったらしく、それから行かなくなったそう。最近聞いた話です。
誘われるがままに、楽しいからといって行ってると、セミナーがあったり合宿があったり、合宿の日数が長くなり、しまいには「あなたは、ここに導かれるべくして来たのです」とか言われて、感動して号泣して入信に至るらしいです。
「感動」とか「感情を動かされる」って、ちょっと曲者だと思うんですよ。ネットメディアでも〇〇で感動!とか感動を消費するようなもの、あるので自覚的になっておかないとヤバいと思います。なにしろ、受け身なのがヤバいです。
本人の気づきを促して、自分で気づくことを大事にしていく、というのは健全な教育の中でも重要な方法です。自分で気づいて、自分で考える力を養うということ。
しかし、それさえも、洗脳してしまえば「本人は自分で気づいて自分で考えて決めた」と思う状態にコントロールできるのが恐ろしい。
洗脳手法はそれまでその人が持っていた価値観をぶっ壊すこと。つまり拠り所としていたものを無くすということ。「それは変だ」「あなたは騙されている」「それじゃダメだ」と言われて、徹底的に破壊される。陰謀論にはまるのも、それに近いものがあります。今まで信じてたマスメディアや政府はウソついてたんだ、みたいな。
そこに、新しい物語を注入していく、というのが最近の洗脳手法のトレンドらしいです。何かに似てますな。
その新しい物語が文鮮明がつくった、インチキ教義だったり、〇アノンとかが示すストーリーであったり、プーチンの妄想歴史観だったりする。そしてその物語を語って聞かせた後に、「信じる必要はありません。あなたが決めることです」という(プーは言わないかも)。恐ろしや。
まあでも、人権侵害がそこにあるか否かは判断の対象と考えて間違いないでしょう。そのワールドに入っていない人を非難したり、サタンと言ったり、処刑されたと喜んだりするのは、実力行使はしていないにせよ、分断のエナジーを垂れ流していることになるので、そこの識別力、人権意識を高めること大事。
日本人ってそこが弱いと思うので、そこを鍛えることで、これからの日本もましになっていくかもしれない。そこが弱いからこそヘイトやジェンダー意識の偏りが続いているのだろうから。

パラダイム

2022-07-25 | 日記的な
パラダイムとは物の見え方や捉え方の根底にある世界観のこと。ホリスティック医学という考え方に出逢った時に、この「パラダイム」という言葉も知りました。
それ以降、ホリスティックパラダイムはどういうことかというのを、考えて来て、
ホリスティックとは「ボディ、マインド、スピリットだ」とか、「そこに、自然環境と社会環境という軸を加える必要がある」とか、「あの世も入れないとホリスティックにならない」とか、最近「空白の30年」という言葉がはやっているが、空白の30年はそんなことを考えていました。
自分がどういう世界観を持っているかはメタ認知になるのかと思いますが、解っているのは大事。現在は、人間の脳味噌で、絶対的なホリスティックパラダイムを捉えるのは不可と思っているので、その枠は常にアップデートしながら広げていくもので、育つ余裕が必要だと思っている。
さっき、食料問題のことを書いたけれど、問題に対して解決を求めていく時に、パラダイムのことは、なんか大事な気がしたので、メモ。

どんくさくてかわいいアナグマ

2021-05-07 | 日記的な
アナグマ1


外出から戻るとアナグマがいた。
慌てて側溝に隠れるも、私たちにビビって出てこれなくなったので、そのままにして畑仕事へ。
畑仕事が終わって、夕方ふと見ると、側溝から出てきて、てくてくと道を歩いている。
3時間ぐらい経ったけど、昼寝でもしてたのかな?どんくさくてかわいい。

アナグマ2


野生動物って、すぐ逃げるので、写真でも動画でも撮るの難しいんだけどね。

うちの猫もビックリ(笑)

朝のつぶやき 2021年1月22日

2021-01-22 | 日記的な
2月3日の立春に向けた土用の期間に入っています。私が住む場所では昨日はマイナス20度が長時間続き、今までにない寒さでしたが、今日は雪ではなく雨が降っています。いきなり暖かいということですね。
地球上での天気の変化も激しいですが、天体の動きも、牡牛座に入った月が火星や天王星と合になっています。太陽と90度にあるなか、少し注意深くすごしたいものです。外側に左右されず、自分の中の太陽を強めていくことが、ハートの中心を意識して、そこにある温かさや光を感じることが、免疫システムの活性化にもつながります。
自分の中に光を灯し、今日も良い一日をお過ごしください。

すべてがある

2020-12-29 | 日記的な
この前、得も言われぬ満たされた感覚になった。すべてつながっていて、何の心配もない感じ。とても静かな感覚。何かに似ていると思ったら、自然の中にいて美しい景色をボーっとみている時の感覚に似ていた。
もう、みているだけしかできない、自分がその一部になっていて、なんてことないんだけれど、すべてがそこにある感じ。

SNSなどの安直なシェアについて思うこと

2019-09-03 | 日記的な
安直なシェアについて思うこと

これは、特定の誰かについて言っている事ではなく、フェイスブックをみていて良く起きることで、わたしも気を付けていながらやることがあるので、あらためて、考えて言語化してみたいと思い書いています。

フェイスブックはシェアの機能がとても便利であるため、自分が共感した記事など簡単にシェアができます。それは役立つ面もあり害となる面もある。

もっと深く考察すべきことはたくさんあると思うのですが、よく起こりがちなことについて述べます。

最近では、アマゾンの森林火災のこと、ちょっと前なら3.11後の原発事故のこと。

●これは誰がどういう意図で書いているのか?

原発事故直後、わたしともりぞうは、毎日パソコンに向かって、次々と出てくる記事を見ていました。そこで最初に気づいたことは、記事の内容の背後にある「これはどんな立場の人が書いているか?」を調べるべきだということ。

あの時に、御用学者という言葉をはじめて知った。今では御用か非御用かすら判断不能な場合もあるけれど。

しかし、そんなこといちいちやる暇人いない。そしてやってもよくわからない時もある。

●このメディアはどういうものなのか?

最近は広告収入を稼ぐためのメディアがたくさんある。そしてそこには意外と魅力的な記事が多い。それは稼ぐためだから、ひきの強い話題を描くのは当たり前で、それがうまい人ほど稼げるということ。

それは権力よりかどうか、というよりは、お金目的かどうかということ。N国の立花なんかもそうですよね。あんなのが国会議員になるというのは、日本人の頭がいかにバイラルメディアに毒されているかということかもしれません。

●書かれた日付をチェックせよ

あと、原発・放射能関連の記事は、何年も前の記事が「また回ってきたわ」と思うものがたびたび見受けられます。これは日付チェックで簡単にわかること。

まあ、そう何年もまえと状況は変わっていないこともあるからシェアしたくなる気持ちはわかるけど。

それから、陰謀論関連のサイトには、日付がなく、攪乱目的だなと思うことがあります。これでは、どこから記事を引っ張ってきたのが裏がとれなくなる。

陰謀論がそれらしく見えるのは、個別の要素は事実の場合があるからです。部分的には事実なのです。でも、その事実の繋げ方が、その人の見たいように繋げている。

●「意図」が大事

善良な市民は、その記事がどんな意図で書かれていたかはどうであれ、「これをみんなに知らせなければいけない」「世の中良くしたい」という善き意図を持ってシェアする人が多いと思います。

しかし、元の描かれた記事が、人の心理を操りお金を儲けるためのものだとしたら(お金を儲けるのが害悪とは思いませんが)、善意によって害悪がばらまかれていることになり、いたたまれません。

特に、気候変動の問題などは、全人類的問題であるにもかかわらず、一部の金儲け主義、物質主義の人たちにより、情報が攪乱されていて心が痛みます。

だから、もりぞうに、正しい情報がすぐわかるようなものをつくって欲しいと言ったら、そんなものは既に在るけれど、間違えたセンセーショナルな情報は広まるけど、正しい情報はなかなか広まらないとのこと。

というわけで、情報の取り扱い、SNSの付き合い方は、もうちょっと真剣に考える必要があるなと思う今日この頃です。