Earth Spiral

Survival&Creative life. 
大地と魂の声を聴き、自分の道を歩め

「対話をする」ということ

2013-03-15 | 日記的な
2011年3月11日、東日本大震災とそれに続く原発事故。
自分が目指した自然と共生する暮らしが
土台から破壊された瞬間だった。

何とか、絶望を希望に変えられないかと、
みんなで話しをする場をつくった。
しかし、放射能という壁にぶつかり、
先に進むことが出来なかった。

どうしていいか分からない。

真っ暗闇の中、手探りでつかんだものを頼りに、
先に進んでいくような感覚で、
「自分も良くわからないから、みんなが思っていることを聞きたい」
そう思って、対話の場づくりを続けた。

その時に必要だった対話の場は、
先に進むための希望を見つける対話ではなく、
「今、何がここで起きているのか?」を
知るための対話だった。

その対話は、3.11から2年経っても、
まだ、続いている。

一体、私たちは何を体験しているのか。

対話を重ねれば重ねるほど、
暗闇に小さな光がともるように、
自分達の周囲を囲むものが、
少しづつ明らかになってくる。

自分ひとりだけが認識できる範囲は限られている。

多くの、違う意見や立場の人と話すことで、
自分が見ることが出来ていない部分が、
徐々に明らかになってくる。

2年間、ちょこちょこ対話の場づくりをやっていて思うのは、
「私たちは、いかに、自分が見たいようにしか現実を見ていないか」
ということ。

そりゃー、ものごとスムーズに流れずに、
ぶつかったり葛藤が起きてあたりまえだよね。

よーく感じて、よーく観察して、
その、ぐじゃぐじゃしたものを解きほぐすことが出来たら、
現実も自然に動き出したり、
ダメだと思っていても道が見えてきたりする。

建設的な話し合いじゃないけど、
結論を求めて話しているわけじゃないけど、
分断されたものを丁寧に繋ぎ合わせていくことを
対話という形でやっているんだと思う。

自分との対話、自分以外との対話、
人間との対話、自然界や動物との対話、
いろんな対話。

でも、対話、対話、っていろんなところで使われすぎなので、
多少、嫌にはなっている(笑)
なんか、別な呼び名はないものだろうかねー。
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2 コメント

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「対話」 (MARI)
2013-03-16 07:09:12
「対話」…抽象的な言葉になればなるほど、多用されると、その意味の本質がぼやけてきますね。

「対話」という言葉…確かに、わたしが初めてこの言葉に出会った25年前には、これほどまでに使われてはいなかったと思っています。

きのう、映画「遺体~十日間から明日へ」を見ました。
主演の西田敏行さんの、さまざまな面での葛藤(~重いテーマを扱っているため)を垣間見ることができました。
彼の中で多くの「対話」があってできた形だと感じました。
Unknown (安珠)
2013-03-20 23:02:33
MARIさん
コメントありがとうございます!
ダイアログとか、〇〇カフェとか、対話の手法がいろいろありますよね。
コミュニティづくり関係で、対話や葛藤解決のこと関心を持ちましたが、震災後は、いろんな形の対話が福島でも開催されるようになり、どんなやり方のものも対話、とかダイアログって言われている感じがします。
25年前だったら、とりたてて「対話」をしよう、という雰囲気でもなかったでしょうね。

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