Earth Spiral

Survival&Creative life. 
大地と魂の声を聴き、自分の道を歩め

2011年3月11日14時46分

2020-03-11 | 3.11
2011年3月11日14時46分
時は流れて記憶は少しづつ薄らいでいるかというと、
そうではない。
一つ一つの出来事、気持ちを鮮明に覚えている。

ぶっちゃけ、あれから毎日が3.11だ。
その瞬間を超えて、どこに進むのか、
注意深く聞こえてくる音を聞き、小さな光に目を凝らし、
一歩づつ、前に進んできた。

その瞬間からの様々な出会いと、様々な思いと
それぞれが見ていた風景を分かち合いながら
今この場所まで来た。

何かが終わり、何かがはじまった瞬間。
毎年確認する、あの瞬間。
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地球に生きる大人として知るべきこと

2020-01-18 | 3.11
10年前に裏磐梯に移住するときに、「すごいね、私はとてもじゃないけどできない」というようなことを数人の方から言われた。パーマカルチャー的暮らしがどれだけ自然とのつながりが取り戻せて内的にも外的にも心地が良いかを話すと、直接的にではないけれど、なんとなく反発されたり、自分はできないという言い訳をされたこともあった。別にできない人を責めているわけでもないけれど、おそらくそう感じたのかもしれないし、私が無自覚にそういうシグナルを出していたのかもしれない。

3.11の後、本当に人の思いはそれぞれだし、正義を振りかざすことが分断を招くんだということを、実感した。そのあとは、「田舎に住むのが解決策じゃない」「ライフスタイルは人それぞれだから」と、あまり自分の主張をしないようにした。それ以前に放射能の問題で、自分がここで何をやっていいのかわからなくなっていたし。

そうこうしているうちに、地球の状況は悪化の一途をたどっていた。その間に自分の暮らしは持続可能にしたものの、本来やろうと思っていた「人に伝えていく」「暮らしのシフトをサポートしていく」ということをあまりやれていないことを少し悔やむ。しかし、3.11を超えてその後の世界をどうしたらよいか考え続けたことは自分にとっては必要なプロセスだったのだろうと思う。また、これから3月11日がやってくるけれど、その間にきっと、それを反芻することになるでしょう。

そのプロセスを経て今思うことは、何はともあれ、地球の生態系を知り、人間が物質界で生きられているのは誰のおかげなのかを今を生きる人類の常識として知る必要がある、ということは声を大にして言いたいと思う。そうじゃないと話にならないと思うこともよくある。算数、読み書きの基本のようなものだ。

どんな膨大な知識を持とうが、それを知らなかったら、おそらく地球上でのまっとうな解決策を見出すことはできないと思う。地球に対する畏敬の念、地球に対する礼儀作法、それは今まで自然とともに暮らしていた人たちは生きる中で体で体感し、身に着けてきたことだろう。しかし、それが出来なくなっている現代に生きる私たちは、わざわざでもよいので、それを学び、知り、体感することをすべきだ。それは、恐れや不安から自由になる知恵であるだけではなく、生きるために必須だ。

もう空気は読まずに大事なことは言わせてもらおうと思う。すでに言いたいことは言ってるだろうと思われるかもしれないけれど、そうでもないのよ(笑)



参考


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9回目の3.11

2019-03-11 | 3.11
私たちは海に流した放射性物質を凌ぐほどの愛を世界に流せるのだろうか。



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冬の使者が帰る季節

2019-03-10 | 3.11
この時期の磐梯山の朝陽のあたり具合が一番かっこいい。
朝、カーテンを開けて、写真を撮らなくちゃと思う。



光の具合はまだ大丈夫だから、
ラジオ体操を終えてから、カメラを持って外に出る。





雪は思いのほかサラサラ、パウダースノー。
動物の足跡をたどりながら、猫かな?狸かな?と考える。
キツネはこんなにフラフラ歩かないからキツネではないと思う。



大好きな菩提樹が右手に見えてくる。
葉っぱを落とし、樹幹が広がる樹形が美しい。
太陽を背にして撮ると、神々しさが際立つ



朝陽は雪の上にさし、
雪の上にキラキラと星が現れる。
自分が動けば星もまたたく。そして七色に輝く。

3.11の翌日も、こんな良いお天気だった。
磐梯山はかっこよく、美しく輝いていたことを思いだす。




そして、その春、はじめて白鳥が裏磐梯上空を通り、
北へ渡ることを知った。
福島市から裏磐梯に避難していた母も、
一緒に白鳥の渡りを見た。
それ以来、春が近づくと、
「白鳥はまだ渡らないか?」
と聞くようになった。



そして、今日の夕方は、大群が何度も北へ向かってわたっていった。
冬の使者が帰る季節だね。





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【Earth Spiralについて】
磐梯朝日国立公園に位置する裏磐梯で、
パーマカルチャーにもとづいて場のデザインをしつつ暮らしています。
持続可能な暮らしや、ホリスティックな世界観にもとづく
個人セッション、ワークショップ、講座などをやっています。

2019年の講座ワークショップ案内をアップしました。
*詳細も随時アップいたします。
個人セッション・冬のリトリートは受付中。

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これからの10年

2018-12-21 | 3.11
今日は冬至を前に、こびっと会議を開きました。
今までの自分たちの活動をふりかえりながら、
これから10年、何をミッションに進んでいくかを話しました。

私は昨日、この歌を聞きながら、
2011年に自分が何を覚悟したかを思い出すことをしていました。

満月の夕 by NØ NUKES JAZZ ORCHESTRA ( Vo.アン・サリー )


暗闇の中、見えた光にとりあえずしたがって生きてきた7年間。
それを振り返り、より自覚的に進んで行こうと話会いました。
仲間も増やしていきたい。

(歌詞)
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風が吹く 港の方から 焼け跡を包むように おどす風
悲しくて すべてをわらう 乾く冬の夕

夕暮れが悲しみ まちをつつむ 見渡す眺めに言葉もなく
ゆくあてのない 光だけが 胸を熱くする
声のない叫びは 煙となり 風に吹かれ空へと 舞い上がる
言葉に一体何の 意味が有る 乾く冬の夕


ヤサホーヤ 唄が聞こえる 眠らずに朝まで踊る
ヤサホーヤ 焚き火を囲む 吐く息の白さが踊る
解き放て いのちで笑え 満月の夕


絶え間なく 突き動かされて 誰もが時代に走らされた
すべてを無くした人はどこへ ゆけばいいのだろう
それでも人はまた 汗を流し 何度も出会いと別れ繰り返し
過ぎた日々の痛みを胸に いつか見た夢を目指すだろう


ヤサホーヤ 唄が聞こえる 眠らずに朝まで踊る
ヤサホーヤ 焚き火を囲む 吐く息の白さが踊る
ヤサホーヤ 唄が聞こえる 眠らずに朝まで踊る
ヤサホーヤ 焚き火を囲む 吐く息の白さが踊る
解き放て いのちで笑え 満月の夕
解き放て いのちで笑え 満月の夕

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2018年のワークショップは終了しました。
2019年のワークショップ・講座は12月~1月に情報をアップいたします。
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大地と魂の声を聴き、自分の道を歩め

2018-03-11 | 3.11
【大地と魂の声を聴き、自分の道を歩め】

3月11日も、もう少しで終わらんとしている。
この日が来るたびに、自分には何ができたのか?
できるのか?すべきなのか?を考える方も多いと思う。

分からなかったら、
ただ一つだけ言えることは、
自分は自分の道を歩め、だ。

静かに自分の心の声を聴いた時に
聞こえてくるものにしたがって生きること。

ひとりひとりが、自分サイズで、
自分で感じ、考えたことを、日常で生きること。

日常はあたりまえじゃないことを分かること。

被災地に思いを寄せていただくことは、
嬉しいことではありますが、重要なのは、
しっかりと、自分の道を歩め、なのだ。

それが、私の中の統一理論だ。
量子力学と相対性理論が矛盾していて、
統一理論ができようが、できまいが、
私の中の統一理論はこれなのだ。

震災直後に自分の中から湧きだした言葉は、
「大地と魂の声を聴き、自分の道を歩め」
だった。

この言葉は、7年たっても、変わらず、
自分が迷った時に戻る場所となっている。

ひとりひとりが魂の声を聴けますように。
すぐには聴こえてこなくても、
聴こうとする心で、生きられますように。
大地がそれを助けてくれますように。

2018.3.11
Earth Spiral 安珠



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外壁完成&ぼちぼち冬です

2013-11-07 | 3.11
昨日、やっと、こびっとハウスの外壁がひとまず完成。
来年からモザイクを貼りつける作業をすけど、
冬を越せる体制にはなったので、今年はもう終了。



*こびっとハウスの詳しくはこちら

昨日の夕方、もう壁塗り作業が終わらんとしていたころに、
突然電話がかかってきて、着信をみらた、
震災の年に裏磐梯に一時避難していた浪江町のおばちゃま。
染色を教えてもらったりして仲良しになりました。
「今近くまできてるのよ~!」
というので、今日、会いに行く約束をしました。
ついでにボディワークもしてほしいとのこと。

ちょうど、冬は個人セッションをまじめにやろうと考えていたので、
やっぱりまじめにやらないといけないのかなと思ったりして。
準備をしなければ…。







おとといは、こんなに美しい霜も降りました。
今日は立冬。まさにそんな感じ。

完成して、ほっとするのもつかの間、
間髪入れずに、畑の撤収作業や雪囲いなど、
冬支度の数々が待っている。
薪ストーブ前で、まったりできる日が来るのは、
もっと先になります。

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「人間が嫌い」という件について

2012-09-20 | 3.11
去る9月8日~9日に、「こびっと合宿」というのをやりました。
そもそもは、去年に引き続き対話合宿をやりたいなと思ったのが始まりでしたが、
なんとなくの流れで、こびっとハウスの作業しながら何かやろう、という合宿になりました。

*こびっと合宿の報告はこちらを見てね→こびっと合宿2012

とうことで、合宿についてというよりは、そこでやった対話で自分が感じたことを書きます。

1日目の夜と2日目の朝に、2時間ぐらいづつ対話の時間を設けました。
ファシリテーターには、去年から対話合宿などをやっていただいている
タケさんに担当していただきました。

2回とも、最初に、紙にテーマに沿った絵を書いて、
次にそれを隣の人とシェアして、
それから、全体でテーマを設けずに、
流れに沿って話をしていきました。

話の流れは、放射能により福島から避難していく人、福島に残る人についてや、
参加者の方が関わっている郡山疎開裁判のことについて、
福島県外の人たちの心無い声により、県内の人たちが傷ついていることについて、
被災のグラデーションについて、当事者と支援者について、
自然と調和する暮らしを実践することと、社会の問題に関わっていくことについて、
たくさん、答えのない葛藤が話題に上って来ました。

対話の場で、自分に何か起きる時っていうのは、
前後のことあまり覚えてなかったりします。
ただ、そのとき感じたことだけがとても強く印象に残っているのですが、
それは何かというと、話の流れから、福島に支援に来る人や福島を思う人たちが、
「自分は当事者じゃないことに負い目がある」
というような話をした時に、私の中では、
「福島に来てくれて一緒に考えたり悩んでくれるだけで充分だと思うし、それにとても深く感謝している」
という感覚が沸いてきたのですが、それを言葉にしようとした時に、
急に涙が出てきて、話せない状態になりました。

震災後、その時に感じた感覚は、「絆」とか「つながり」「助け合い」という言葉は良く使われますが、
そんな言葉では言い表せない何かなのだろうと思います。
その時に沸いてきた感覚を思い出すと、いつも涙が出てくるし、
あえてその感覚を言語化するとしたら「慈悲」とか「慈愛」という言葉かな。

その日の冒頭に、自分が書いた絵は「自分のなかで心に残る風景」というお題だったのですが、
震災前に見た夢の印象がずっと残っていたので、それを描きました。
新宿の高層ビル群みたいなところから、空を見上げると地球が暗闇に浮かぶ図でした。



その風景になってみたり、そこに自分自身を置いてみたり、
いろんなことをやって、その風景から気づいたことは、
「自分は地球に来ることを自分で選んできたのだ」ということ。
そして、「次も地球に来たいと思っていること」でした。
それは、「何かを体験したいからだ」ということも。

そもそも、子供の時から「人間嫌い」で、早く宇宙に帰りたいなと思っていて、
小学校の図書館から、いつも「宇宙」関係の本ばかり借りてきていました。
大人になって、自然界の素晴らしさなどを実感して、
自然と調和した暮らしをしたいなと思ってきたけれど、
必ず、コミュニティの問題や、人間が自然を破壊していくという問題にぶつかるので、
結局、人間と関わらずには生きていけないということ、
めんどくさいし、残念だけれど、それは避けられないということ。
そこまでたどり着いたところで、去年の震災が起きました。

今回の対話では、人と人とのつながりが持つ強いパワー、
それは、自然とのつながりの中で感じるものとは、
また、違った力強さを持っているということを感じされられ、
「人間嫌いなはずなのに、おかしいなぁ・・・」という感じ(笑)

それにつながる感覚としては、
その対話が始まる日の朝、起きた瞬間に、
「あ~、昨日は楽しかったな」という言葉が沸いてきたので、
自分は何が楽しいと思っているのだろう、ということを振り返りました。

合宿中は、自分はいろんな準備とか、何かをしながら、
一つのことを楽しむというよりも、パタパタ動き回っていたのですが、
そんな状態の中、今日、出会ったばかりの人同士が、
ご飯の準備をしながらだったり、こびっとハウスの作業をしながらだったり、
共同作業をしながら、いろんなことをおしゃべりしている様子が、
いいな~、と思っている自分がいたことに気づきました。

地球を選んで来ている理由は、人とのつながりのパワーや、
慈悲・慈愛の感覚を味わうために来ているのかもしれないと思いました。

でも、あの感覚は忘れていないけれど、
思い出すと泣きそうになるので、いつでも思い出せるわけじゃないです。

***

じゃあ、人間って何なのだろうと考えてみると、
人間っていうのは、本当は何にでもなれるんじゃないかなと思うんだよね。
猫になってみたり、木になってみたり、相手の気持ちになってみたり。
本来は、とても自由な存在なのではないかなと。

タケさんがよく「人間でいなくてはいけないと思い込まされている」
と言っていたのを思い出します。

子どもの頃から、窮屈な感じが嫌いで、決まった時間に学校に行くとか、大嫌いでした。
漠然と自由になりたいなというのが、自分の中にずっとあった。
それは時間やお金など、自分を支配する一切のものから自由になりたいという感覚がありました。
唯一、許せるのが自然界の法則であり、地球の重力。
それに縛られることは、地球上で人間の姿として生きる限りは、
受容せざるを得ないし、その中で生きて、その中で死んでいくのは本望です。

それ以外の、自分を支配するものは、自分を不自由にするものだし、
たぶん、私だけではなく、多くの人間といわれる存在を不自由にしているもののような気がします。

多くの人が、自分が自由でいていいのだ、ということに気づき、
自由で平和な地球になったらいいのだろうな。



私にとっての自由の象徴はにゃんこである。






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変化の波に乗る準備

2012-02-09 | 3.11
以前、「変化こそ不変なり」という記事をブログに書きました。

あそこで紹介したタロットカード「ペンタクルの2」には、
浜辺でダンスしているような女性が描かれています。



ある時、「フクイチの4号機がやばくなったらどうするかな・・・」と
ぼんやり考えていた時に、私は頭の中でシュミレーションしてました。
車に、必要なものと猫を積んで、風向きを見つつ、西に逃げる。
まずは、友達がいるところに行って、そこでしばらく様子を見て、
最終的な目的地は、だんなさんの実家のある北海道。

どうやって、サバイバルしていくかを考えていたら、意外と楽しい気分になり、
きちんと必要なものや行動を、家族で話し合ってみようと思いました。
そして、家族会議をして、いろいろなことを決めました。

ある程度、サバイバルの方法を考えられるのも、
自分達で食べるものをつくったり、エネルギーのことを工夫したり、
必要最低限のもので暮らしていくことなどを、今まで、そこそこやってきたし、
いざとなったら、知恵を出すことで何とかなる感覚が多少なりとも
身についていたからだろうな、と思います。

そんなことを考えて楽しんでる反面、
もちろん、そんな事態にはなってほしくないと思っています。

住んでいるところだって、賃貸ではないし、
手を入れてだんだん快適になってきているし、
近所の人たちの繋がりだって、徐々に出来ているし、
ここの場所が好きだし、猫達だってここを気に入っている。

しかし、愛着が執着や固執や所有欲にならないように、
気をつけなければいけないと思っています。
それは、変化に適応できなくなる要因でもあります。

かといって、いつも、何か起きるのではないか、
という不安感や恐怖感の中で暮らしていくというのは、
生きた心地のしないものですし、多大なるストレスを被ります。

「大地とつながりつつ、ここでの暮らしを楽しみ、
変化の波が来たときに、それに乗る準備をしておく」

そういうあり方を考えると、とても軽やかな気分になります。
タロットに描かれている女性のように、
安定と変化のペンタクルと無限にダンスするように生きられたらと思います。






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のびるかんじ、ちぢむかんじ

2012-01-14 | 3.11
先週末、南会津にいる火起こしの師匠・野人こと大西さんのところに行って来た。




みんなで温泉に行き、火鉢で鍋をつつき、話をして、
次の日は、近くの山の神様のところまで、お参りに。

裏磐梯の戻ってきてから、行ってよかったなという
言語化できない感覚がじんわりと残ってた。

大西さんは、山の神のお手入れを自主的にやっているそう。
そういえば、うちの敷地にあるサンクチュアリは雪に埋もれたままだな、
ということを思い出し、杉の木のところまで、毎日あるいて挨拶にいけるように、
雪かきをしようと思った。

これからの福島のこと、自分がやるべきことが、もやもやしたままでいる。
南会津でも、集まったみんなは、同じような感覚だった。
自分がやりたいことではなく、
自分の役割を自覚してやるべきことがあるんじゃないか、
みんな、それが来るのを準備して待っているようだった。

すっきりしないと気持ち悪いものだし、
あせって、いろんなことを性急に決めすぎてしまうこともある。
でも、今はそういう時期ではない、
そんな感覚がみんなの中にあった。

裏磐梯に戻ってから、ふと思ったのは、
何をするかではなくて、自分がここにいる、
ということが何か大事なことなんだという感覚。

でも、すっきりさせたいので、
紙と鉛筆を取り出して、思いついたことを書いていく。
あれをやったらいい、これをやりたい、
そんなことが、次々と出てきて、つなげてみたり、
いい考え!と思ったり。

しかし、ふとわれに返ったときに、
頭が痛くて、自分の背骨が縮んでいる感じを
はっきりと感じた。

それから、一度、考えることをやめて、
旦那さんと、少し話しをした。

自然界と繋がって生きること、
そして、その言葉を伝えること、
裏磐梯が持っている、人を癒す力と、
協力しながら自分も人が元気になることをやること。

自然界と協力しながら何かをやること。

この場所に住んでいるうちに、
それをやろうと思っていたこと。

そして、放射能の影響から、
自然と共同作業をすることをやめなければならないと
諦めようとしていたこと。
外からの「福島は危ない」という声に、
自分も傷ついていたこと、

そういう感じをだんだん自覚し始めた。

そういうことに気づいていくと、
縮んでいる自分が、
だんだん広がっていく感覚をはっきりと感じた。

人は大地と切り離されては、
根無し草になってしまい、
エネルギーをどんどん消耗して、
生きていくことが難しくなるということを
体感したような気がした。

たぶん、これは私だけではないのではと思う。

根っこをちゃんと持っている人は強い。
そう思った。

311以前から変わらないことだけれど、
そういう感覚を取り戻したり、
経験したことがない人に経験してもらえるような、
そうしたサポートが出来たらいいと思った。

そして、今、放射能に汚染され、
人々が去ってしまった福島の大地は何を感じているのだろうと
ふと、思った。

自分が住む場所にだけではなくて、
そうしたいろんな場所の自然に、
耳をかたむけてみようと思った。



大西さんのブログ 野人魂






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