2015年10月24日
韓国は、「反日」一辺倒の外交路線の破綻と、経済不振のダブルパンチで、日本にすり寄らざるを得ない状況に追い込まれている。そこで彼らは一方的な「日韓国交正常化50周年記念行事」などによって、日韓の「友好・協力」関係のムードを盛り上げようと躍起になっている。しかし日本国民は今や韓国の‘とんでもなく’性悪の本性を見抜き、「嫌韓」が蔓延し、完全に白けきっている。来月にも行われるだろう日韓首脳会談についても、全く期待感がない。これは当然のことだし、これでよいはずだし、今後ともこうあるべきなのだ。というのも、他方では韓国は、「慰安婦」、「戦時徴用」、「靖国」、歴史認識問題などにおいて執拗かつ悪意に満ちた「反日」で、日本を貶め、国益を損する行為を繰り返しているし、今後もそうすること必定だからである。この反日行為が止まぬ限り真の「友好・協力」関係などあり得るはずがない。
そこでこの「反日」であるが、これは一部の欺瞞的な親韓派の人達が唱えているような「過去の日本の誤りに対する怒り」、つまり普通の意味での人間的感情ではない。ここに本当のかつ深刻な問題がある。特定の事柄に対する怒りは、謝罪や時間の経過とともにやがて消失するものであるが、韓国の「反日」はそのような生易しいものではない。これは少なくともここ数十年は絶対になくならないし、あと百年は続く可能性が高い。もしかすると朴大統領の言うように「千年経っても変わらない」ものであるかもしれないのだ。客観的に見てみると、韓国にはそうならざるを得ない理由がある。本項では、ネット上の諸賢の記事、意見も参考にさせてもらいながら、以下、この問題を6つの要因から考えてみたい。
《1_ 朝鮮文化が「恨」である以上、「反日」はなくならない》
朝鮮の文化として「恨(はん)」がよく取り上げられる。これは普通の恨みではないので、さまざまな切り口で説明されている。その一つに、「朝鮮の伝統規範からみて責任を他者に押し付けられない状況の下で下位に置かれた不満とその解消願望」というものがある。この辺りは、程度の差はあるものの朝鮮人以外でもあり得るものだろう。だが、朝鮮の「恨」はどんどん自分勝手に暴走していく。「恨」は「自分が憧れる姿に、今の自分がいないことに対する無念の気持ち」とも説明される。これは夢が実現しないことを恨むということだから、もう相当におかしくなっている。そこから、「恨」は、「事態(現実)を受け入れるのではなく飽くまで抵抗する。神や自然に対してまで抵抗し続け恨みをバネに生きていくのが人間である」という考えにまで飛躍する。そこで、「恨」を「恨みつらみや不満を生きる力に転換した状態」と説明している人もいる。つまり、彼らは歴史的に恨まざるを得ないような環境で生きてきたので、夢、自然、神すらも恨むようになり、それが昂じて、恨みがないと生きられないという精神状態になってしまっているということだ。これは、現実のストレス解消のため麻薬(夢想)に手を出し、一時的には現実を忘れ快感に溺れることができても、やがて現実との矛盾が激化し、更に麻薬(夢想、虚偽)に頼らざるを得なくなる状態に似たものではないかと思う。「生きるためのバネとしての恨」などというのは、現実逃避の取り繕いでしかないだろう。実際、韓国人は、世界は自分たちを中心に回っている、回るべきだと考えている(妄想している)から、ちょっとでも思い通りにならないことがあると、すぐに怒りを爆発させるといわれる。最近も、怒りをうまくコントロールできない人が増えていると韓国メディアは伝えている。怒りの抑圧は、朝鮮特有の「火病(ファビョン)」という精神性の病気になるし、かといって抑圧が効かなくなると、こんどは見境のない怒りの爆発になる。しかし「恨」はさらに暴走し、凶暴になる。韓国人は自分の回りで何か問題が起こった時、それを自分ではなく他の誰かのせいにしようとする「被害妄想型の恨」であるという説明もある。これは、言葉の通り「被害妄想」であって、被害回避の行動、責任転嫁は、現実に無関係に自分勝手な妄想で決められ行われる。彼らの怒り、恨みは往々にして、本来のものとは全く関係がない無辜の第三者、それも弱者に向かうのである。朝鮮には「姑への腹立ち紛れに犬の腹を蹴る」という諺があるらしい。腹が立った時、無関係なもの、しかも弱いものに八つ当たりするというのは、時々聞く話ではあるが人間としてまともな行動ではない。こんなことをすべきでないというのは子供でも知っていることだ。この諺は、こうしろという主旨のものなのか、それともこうしてはいけないという主旨のものか、あるいはまた川柳的な意味のものかはっきりしない。しかしいずれであっても、こんなことをわざわざ取り上げる社会はかなり常識を欠いた、異様な、病んだそれと言わざるを得ない。
いわゆる恨みは、その原因を作った当事者に向けられるのが筋であるが、「恨」は必ずしもそうではない。原因となるものが強者である場合は、「恨」はそれらしい第三者、それも弱者だけに向けられるのである。朝鮮の「恨」の最大の原因は、朝鮮を千年以上にわたって支配し、抑圧し続けた中国、そして李王朝にあることは明白だが、朝鮮人は昔も今も、中国や権力に対する恨みを直接に口にすることはしないし、その恨みを晴らそうともしない。それは、彼らの身に沁みついている中国そして権力に対する恐れ、そして強いものに刃向っても損をするだけだという姑息な人生知によるものだろう。そこで、彼らが次善の策として怒り、恨みの対象としているのが、日本であり、その表れが「反日」ということになる。なぜなら、日韓併合の時代からの観察で、日本人は本当に「お人好し」であることを理解しているし、しかも日本は敗戦国という弱い立場に落ち込んだのだから、いくらやりたい放題をしても日本からの反撃に遭うことはないはずとタカを括っているからである。日韓併合などというものは、欧米列強が行った非人道的植民地支配とは違って、公正で民主的な手続きで行われたものであるから、本来的には彼らの怒りや恨みの対象にはなり得ないものである。たとえそういうことがあったにせよ、それは一部の限定されたものであるはずだ。しかしこんなことは彼らにとってはどうでもよいことである。「恨」とは弱者を捕まえて、彼らの身勝手な鬱憤を晴らすことに他ならないから、因縁をつけるネタさえあればそれでよいのである。
更に厄介なのは、なにしろ「恨」は朝鮮人が生きるための力の源泉でもあるのだから、これがなくなってしまえば彼らは生きられない。「恨」は続かねばならず、拡大再生産されねばならないのである。だから朝鮮では、「恨みは千年も忘れない」と言われたりもする。結局、韓国人の「反日」は、「恨」を拡大再生産し続けるための手段であり、消失することのないもの、消失させてはならないものなのだ。
《2_ 千年以上にわたる中国への屈辱的従属が育んだ民族のDNA = 事大主義、小中華思想、選民思想、自己中、妄想と虚偽、法と正義の不在、非人道…》
朝鮮は地政学的に、中国、北の異民族、日本、そして近代ではロシアという強国に囲まれていて、古来これらの国々、特に中国によってしばしば侵略されてきた。とはいえ、これはちゃんとした朝鮮統一独立国家があって、その独立に対して、外国、中国が軍事的に侵入し征服したというイメージとはかなり違うものだ。実際は、各地に分立する朝鮮人の政権が、彼ら同士で争い、相手を倒すために外国の力を利用した、あるいは統一国家内部の権力闘争の中で、一部の勢力が敵対勢力を倒すために外国、特に中国の力を利用したという側面が強い。朝鮮は、中国と抗争、戦争をしつつも、全体としては少なくとも1000年以上前から、中国への従属状態にあったといえる。
そして、このことが最も徹底した形で実現されたのが朝鮮最後の王朝国家であった李氏朝鮮である。これは、それまでの統一王朝・高麗の重臣であった李成桂が、敵国である中国・明と裏で手を結び、1392年、反乱軍となって高麗王を殺し政権を簒奪して打ち立てたものである。李氏朝鮮は敵国であった明に臣従し、その属国に成り下がり、以降 1897年までの505年間中国への従属が続いた。この王朝は、李一族の栄耀栄華のために、既存の統一王朝を裏切り、国民と国土を中国に差し出すという売国的行為によって作られた国家だったから、国民の幸福とか、国の発展などには全く関心を示さなかった。明の腐敗した儒教・朱子学を統治理念とし、衆愚政策を行い、国民を分断し、搾取と虐政の中においた。ここでは政治とは党派を組んで敵対勢力を蹴落とすことでしかなかった。いつ、どのように力関係が変わって、どんな憂き目に会うか分からないため、人々は自分だけが栄えればよいと思うようになった。法が軽んじられ、勝つことが正義となった。法や規範、倫理などが顧慮されず、人々は不正蓄財や、賄賂のやり取りに長けるようになった。公共精神など育ちようもなかった。これらはすべて民族のDNAとなって、「恨」を育てた。
他方、李朝は、属国として徹底的に中国に服従した。強い国、ものには従属するという考え(事大主義)は、朝鮮に染みついたDNAとなった。朝鮮には国家主権が一切認められておらず、李王は、中国の地方長官程度のものでしかなかった。中国皇帝からの使節が来ると、朝鮮国王は高官を引き連れて迎恩門(使者を迎える門)まで歓迎に出向き、ひれ伏して額を地面に九回打ちつけ使節に敬意を表し(「三跪九叩頭の礼」)、接待し、たくさんの貢物を上納しなければならなかった。貢物の中には、若く美しい女人や若い男奴隷なども含まれていた。女人の数には諸説あり、総数で500人というものから、誇張されたものでは毎年3千人というものまである。いずれにしても、こんな情けない有様では、いくらなんでも国民に示しがつかないので、李朝は「小中華思想」なる巧妙な屁理屈で国民を欺き、自分たちを正当化した。これは、中国は偉大な文明国家だということを強調し、その文明の第一の継承者が李斯朝鮮だという考えである。そしてこれをもっともらしく見せるために、朱子学を国教とし、その内容を都合のよいものに作り変えて、それがあたかも世界で最高の倫理規範、哲学であるように繕った。そして、朝鮮以外の国、すなわち、日本や、北方の国、東南アジアの国は、中国文明を継承できない国、文明を持たない野蛮で哀れな国とした。つまり、朝鮮民族を優秀な民族、選ばれた民族(選民思想)と説明して、人々のプライドを満足させたのである。こういうことが500年も続けられたから、朝鮮人は、根拠もない妄想に憑りつかれて、ファンタジーに酔い、上から目線でやたらと見栄を張る性向になってしまった。
しかし現実には、安土・桃山、そして江戸時代の日本の方が中国よりも進んだ状態にあったし、まして、李王朝下の朝鮮とは比べるべくもなかった。このことは、朝鮮通信使が江戸時代の日本を見て、その豊かさと洗練具合に驚き、中国でもこんなに進んではいないと書き残していることでもわかる。特に、明治維新後の日本の発展は著しいものだったから、朝鮮人の根拠のない優越感、蔑視意識は現実によって打ち砕かれ、深刻な矛盾と葛藤の中におかれた。彼らの日本に対する優越感や蔑視意識は捻じれて歪んで、コンプレックス(劣等感)、ジェラシー(嫉妬)、ルサンチマン(的外れな復讐心)に変質せざるを得なかった。そしてこれらは最後は反日となって現れることになった。反日は千年以上にわたって育まれた「恨」という民族のDNAから生じ、それが更に拡大再生産されたものということができるだろう。それゆえこれが消失するのは容易なことではないのである。
李朝の中国に対する従属は、日本が日清戦争に勝利して、1897年、清の挑戦に対する支配を停止させるまで続いた。悪辣極まりない李朝の統治下で500年を経て百姓、人々は生屍に等しい状態になっていた。それを再生させたのが、日本であり、日韓併合であったことは歴史が証明している。日本は悲惨な状態にあった朝鮮をなんとかしなければならないと考え、その民主化、近代化に尽力し成果を挙げた。社会的な経済や文化水準の引き上げ、そして日本流の経営、技術を伝えたことは、その後の漢江の奇跡と呼ばれる韓国の高度経済成長の潜在的な土台となったことは疑いがない。
《3_ 「抗日闘争勝利」なる虚偽が建国の土台とされた以上、韓国が完全に日本を凌駕するまで「反日」は続く》
日韓併合が終了したのは、日米戦争に日本が敗れたからである。彼らの言う日本からの「解放=光復」はタナボタ式に得られたものであり、朝鮮民族が日本との独立闘争を行って自力で勝ち取ったものではない。独立闘争どころか、まともな抗日運動すらしていない。彼らは自らの意志で日本人となり、連合国軍と戦ったのである。金日成や李承晩などが、抗日闘争を行っていたとされるが、これはほんの一握りの人間の話であり、ほとんど実態もないもので、朝鮮の解放、独立には何の影響も及ぼさなかった。だから、日本の敗戦を受けて新たな国を建国するにあたっては、このような歴史的事実を素直に認めて、そこから出発するのが大道であるはずなのに、見栄っ張りで妄想癖を持つ朝鮮人はそうはしなかった。彼らは、見栄と欲を満たし、そして日本への上述のような劣等感、嫉妬心、ルサンチマンを都合よく解消するため、理不尽にも独立が、「抗日独立闘争」の結果であるとの虚偽、歴史捏造による国造りを始めたのである。解放後、米ソ対立の下、北はソ連、南は米国の占領下におかれたから、これが更に「抗日闘争」の虚偽を加速することになった。北と南は、それぞれが朝鮮の正統な継承者であるとして争ったため、いずれが「抗日闘争」で重要な役割を果たしたかが問われることになった。そもそも抗日闘争を建国の理念とすれば、スターリンが指導していた抗日パルチザン (共産ゲリラ) で名を馳せた金日成を英雄視するしかない。一方の韓国初代大統領である李承晩はアメリカで独立運動と称してカンパを集めて遊んでいただけで、なんらの抗日闘争もできていなかった。彼らが中国に作ったとされる大韓民国臨時政府とか、抗日闘争のための光復軍などは何の実態も無かった。これは北との対抗上非常にまずい事態である。そこで、南鮮=韓国は、理不尽にも大がかりな「抗日独立闘争」を捏造することにしたのである。もっとも、金日成も、李承晩らに比べればというだけの話で、彼の運動も開放や独立に何の影響も与えていない点は似たようなものである。
「抗日闘争」を建国の土台に据えたことによって、歴史が矛盾だらけになり、それを虚偽と捏造で乗り切らざるを得なくなった。あらゆるところで「反日」が必要となった。日韓併合時代の韓国・朝鮮が、それまでのどの時代よりもはるかに発展した豊かな時代だったという歴史的事実は抹消しなければならないものになった。日韓併合の時代が苛烈な植民地支配状態に置かれ、朝鮮人民は日本帝国主義の搾取に苦しめられ弾圧されていたという舞台設定が必要になった。そこで、竹島問題、慰安婦問題、徴用工の共生労働問題、朝鮮文化の略奪・抹殺問題(=文化財返還要求、韓国起源説)、在日問題、日本海呼称問題などを捏造し、これらによって日本を貶め、韓国の立場を強めようとしてきた。これらは事実がどうかというより、「反日」の手段にしか過ぎないから、彼らは本当に解決しようという気はない。解決しそうになると要求を引き上げてくる(いわゆるムービング ゴールポスト)。もし、これらの一部が解決するようなことがあっても、彼らは新たな反日のネタを作り出すだろう。対馬、自衛隊の運用、朝鮮の南北分断についての日本の責任、韓国起源説の個別展開…、いくらでも捏造するだろう。「恨」は韓国人が生きるバネだから、解消しては困るのである。「反日」は、「抗日闘争勝利」のことであるので、それは日本を完膚なきまで打ちのめすことでなければならず、普通の意味での謝罪で済まされるようなことではないのである。だから「反日」は、日本の過去の責任追及というよりもむしろ、日本を弱体化させることに主眼があるのだ。日本の国連常任理事国入りへの反対、東日本大震災を喜ぶこと、東京五輪招致の妨害運動、安倍首相の米議会合同部会演説の阻止工作…、彼らは日本の足を引っ張ることばかりして来たし、これからも事あるごとに間違いなくそうするだろう。23日の朝鮮日報のコラムで執筆者の東京特派員は次のように書いている_「(慰安婦問題などの)歴史問題に対する唯一の根本的な解決策は、強くなることだ。日本は絶対に韓国の望み通りの反省はしない。その日本を相手に、忘れもせず、許しもしないが、実利はしっかりと手にし、あきらめずに毎日少しずつでも彼らより強くなることだけが、ある日の朝、慰安婦問題を含む歴史問題で韓国が望む場所に到達する道なのだ。」と。だから「反日」は、韓国が日本よりも強国となり、日本を打ち負かすまで続くことになる。そこで韓国は、更に大きな妄想の実現を狙っている。それは、韓国を「抗日闘争」をした国(もちろんこれ自身が大変な虚偽だが)から、「連合国側で日本と戦った国」、そして「戦勝国」へと飛躍させることである。最近の朴政権が国内、中国、米国で行っていること(抗日ゆかりの建造物・資料の保存・再現など)は、このことの実現を狙ってのことなのである。もしこうなれば(絶対にそんなことはないが)、韓国の国際的地位は格段に上昇するから、彼らの劣等感、嫉妬、ルサンチマンも満足的に解消する可能性が出るのである。韓国では、国の政治・外交が個人の情念・「恨」とチャンポンになって、完全にファンタジー化してしまっているのだ! もちろん、日本も旧連合国側も、こんな馬鹿げた虚偽を認めるわけにはいかない。しかし彼らは自然や神すらも恨む民族であり、この妄想路線を捨てることはない。ともかく「反日」は建国の理念のようなものだから、現在の政体が続く限りこれが放棄されることはないのである。
《4_ 中北露などの潜在的反日勢力によって、常に反日共闘の誘いがかけ続けられること》
上述のことは中国や北鮮にも似たようなことが言える。彼らもまた「抗日戦争に勝利して、過酷な日本帝国主義の支配から、民衆を解放した」ということを建国の出発としているから、「反日」が体制維持のための必要不可欠なツールになっている。ロシアにとっても事情は似たようなものだ。ロシア=旧ソ連は、第二次大戦でドイツ、日本という「悪」に勝利して、国際社会に平和と自由をもたらしたということをほとんど唯一の国の誇りとしている。日ソ中立条約を一方的に破って、全面降伏した日本に不法な戦争を仕掛けて、満州や北方領土に侵攻して、姑息な手段で北方領土を日本から奪ったという歴史的事実は抹殺する必要がある。これらの国にとっては、日本は過去も現在も「戦争犯罪国家」であり続けなければならず、この点で韓国とも利害を一にするのである。これらの国にとって、韓国がこの戦列から離れることは、自分たちの体制の崩壊が近づくことだから、それは許されないことであり、韓国にそうならぬように圧力を掛け続けている。韓国は千年以上にもわたって中国の属国であり、中国の力には恐怖心と共にノスタルジーを感じている。先ごろ日本の「言論NPO」と米中韓の調査研究機関が4か国で実施した共同世論調査の結果で、「「世界的な課題に責任ある行動をとる国」として、中国に対して期待感を示したのは、日本で14.9%、米国で34%にとどまったが、韓国では70.6%に上り、韓国の中国傾斜が改めて裏付けられた。」(21日 読売)。中国が遅れた国、非民主的な国であるにも関わらず、千年以上の中国従属による事大主義と小中華思想は韓国人の身体にしみついているのである。韓国は、民主主義を理解し、実現している日本とは根本的に価値観が異なるのである。しかも経済の多くを中国に握られている韓国が、中国との縁を切ることはできないし、中国はそれを力で封じる手も持っている。
《5_ 時の韓国政権が、政権の求心力を高める手段として、また日本との競争に勝つ手段として反日を活用すること》
韓国・朝鮮人は、人を信じない人々、疑い、常に人を欺き自分の利益を確保しようとする人たちである。彼らは常に人の足を引っ張り続け、反目、抗争を繰り返している。これは国の指導者と国民の間でも同様であり、国民はちょっとでも自分達の気に入らないことがあると激しく政権を非難する。上述のようにあるいは北鮮を見ればわかるように、朝鮮人は基本的に事大主義であって、強いものには刃向わない。だからこれは韓国の政権が弱いもので鬱憤晴らしの対象としか見られていないことを意味している。また、政敵、敵対的な党との構想でも同じようなことが言えるから、一旦非難されて、支持率が下がると、そのままレイムダック化することになってしまう。気紛れな国民から支持を得る方法は大衆迎合の政策を進めることであるが、そんな金はないし、そんなことばかりやっているわけにもいかない。そこで韓国の大統領が、使う常套手段は、愛国を鼓舞し、「反日」を強めて日本を叩き、国民の怒りと「恨」を晴らすことである。実際、韓国の歴代の大統領は、任期前半はともかくも、後半に入って支持率が落ちると必ず「反日」を煽って支持率を回復するという挙に出た。
また、「反日」は、外交政策、経済政策としても、政権に利益をもたらす。つまり、「用日」、「2トラック戦略」である。これは、一方では日本から経済や技術支援を獲得し、他方では、日本の国際的地位を貶めようというものだから、とんでもなく身勝手な考えである。しかし従来のお人好しの日本人は、前者には「誠心誠意」で、後者には「土下座」で応えてきたものだから、韓国の妄想がそれなりの効果を出したことになり、韓国人を益々妄想に走らせる結果になった。日本人は、日本の名誉を貶める後者のものは名誉どまりと考えている節があるが、実は、これは日本のブランドイメージを悪化させ、日本の代替者としての韓国のイメージを上げることだから、経済活動でも甚大な損害が出ているはずである。日本としては、もうこんなおめでたい対応は即刻止めねばならないのである。ともあれ、このような理由で「反日」は歴代政権によって、常に拡大再生産されるもの以外の何物でもないのである。
《6_ 日本国内の反日勢力が常に韓国の反日に火を着け、それを煽ること》
更にもう一つ問題があり、それは韓国の「反日」のネタを日本で作り韓国に渡し、韓国の反位置を煽る輩が日本国内に存在するという問題である。それは、一部の親韓政治家、そして民主党や社民党などの左派政党、朝日などの左派メディア、左派知識人、左派市民団体などである。これらの人々がなぜこのような真似をするのか(して来たのか)については、いくつかの理由があるはずだが、その中でも主要かつ悪質なものは、自分勝手な欲求を満たそうとする動機である。それは、自分を「良心的で勇気ある」政治家、知識人として社会にも認めさせたいという欲求から、「強者である日本を懲らしめ、弱者である韓国を助ける」という構図を立て、これを実行して自己陶酔に浸りたいというものである。もう一つは日本社会に対する不満、恨みから、社会を破壊して鬱憤晴らしをしようというものだが、そのためには名分がいるから、「日本の戦争犯罪を裁く」などのもっともらしい理屈をつけて行動するのである。これらの人達には、日本の国益、国民がどうなるかなどは感心の範囲外であり、自分の欲求充足のために日本は利用されるだけの存在なのである。これらの人達は、慰安婦、戦時徴用工、靖国、日本の侵略行為、残虐行為などをでっち上げて、これを韓国に伝え、かの地で反日運動が起きて日本に再輸入され、日本が混乱し、その時自分たちがヒーローとしてもてはやされることを期待している。これはいわばマッチポンプであって、彼らにとって、騒ぎは大きければ大きいほど都合がよいのである。これは欺瞞であるばかりか、その本質は国と国民を外国である韓国に売る行為以外の何物でもない。
もう一つ付け加えれば、日本には在日韓国朝鮮人が居住しており、彼らは民団や総連の指導の下で、さまざまな「反日」運動、日本社会の分断工作を行っているから、上述の国内の「親韓・反日」運動との相乗効果で、日本は混乱し、国力を弱めることになる。これは、韓国が‘競争相手’と考えている日本が没落することだから、彼らの「反日」運動の成功であり、「恨」も満たされるのである。しかし、被害を受ける日本はたまったものではない。こういう連中が日本でのさばっている限り、「反日の火」は常に日本から供給され続けることになる。
このように、韓国の「反日」は非常に根深く複雑な原因によって生じているものであり、現在そして将来の反日もこれらの階層的な要因の複合、総合として生じるものだから、部分的に多少の改善がなされたとしても、他の要因によって元の状態に引き戻されてしまうだろう。だから、「反日」が止んで、真の意味での「友好・協力」関係ができることはここ数十年、あるいは百年はまずあり得ないことだろう。朴大統領が言う「被害者と加害者の関係は千年経っても変わらない」というのは比喩ではあるが、客観的な状況を述べたものであると共に、韓民族としての「恨」の拡大再生産の決意表明でもあるのだから、先行きは暗い。
そこで日本はどうすべきかであるが、表面的、建前、儀礼的な「友好・協力」関係は拒否する理由がないし、また、そこまでやっては国益を損するから、これは進めざるを得ない。しかし、これは「恨」と「反日」を抱えたままでのそれであるから、本当の意味での「友好、協力」でないことを心に刻んでおかねばならないということだ。韓国そして韓国人は我々日本人と上辺で似たところはあるにせよ、本質では根本的に違うということがしっかり肝に銘じられる必要がある。間違っても、親切心や義侠心で、無節操な協力を行ってはならない。草の根運動などで、心が通じるとの甘い考えを抱くべきでない。裏切られるだけだ。まして支援などもっての外である。これは日本にダメージを与え、彼らの理不尽さを益々勢いづかせるだけの話だ。不当な反日攻勢には断固反撃し、必要に応じ適宜 報復しなければならない。これ以外に方法はないし、これが現実的意味で最善だということである。これは日韓併合を含めたここ100年にもわたる、日本の韓国との友好・親善・協力関係を目指す苦難に満ちた模索の中で、得られたほとんど唯一の、しかしそれだけに極めて重要な教訓、認識なのである。
韓国は、「反日」一辺倒の外交路線の破綻と、経済不振のダブルパンチで、日本にすり寄らざるを得ない状況に追い込まれている。そこで彼らは一方的な「日韓国交正常化50周年記念行事」などによって、日韓の「友好・協力」関係のムードを盛り上げようと躍起になっている。しかし日本国民は今や韓国の‘とんでもなく’性悪の本性を見抜き、「嫌韓」が蔓延し、完全に白けきっている。来月にも行われるだろう日韓首脳会談についても、全く期待感がない。これは当然のことだし、これでよいはずだし、今後ともこうあるべきなのだ。というのも、他方では韓国は、「慰安婦」、「戦時徴用」、「靖国」、歴史認識問題などにおいて執拗かつ悪意に満ちた「反日」で、日本を貶め、国益を損する行為を繰り返しているし、今後もそうすること必定だからである。この反日行為が止まぬ限り真の「友好・協力」関係などあり得るはずがない。
そこでこの「反日」であるが、これは一部の欺瞞的な親韓派の人達が唱えているような「過去の日本の誤りに対する怒り」、つまり普通の意味での人間的感情ではない。ここに本当のかつ深刻な問題がある。特定の事柄に対する怒りは、謝罪や時間の経過とともにやがて消失するものであるが、韓国の「反日」はそのような生易しいものではない。これは少なくともここ数十年は絶対になくならないし、あと百年は続く可能性が高い。もしかすると朴大統領の言うように「千年経っても変わらない」ものであるかもしれないのだ。客観的に見てみると、韓国にはそうならざるを得ない理由がある。本項では、ネット上の諸賢の記事、意見も参考にさせてもらいながら、以下、この問題を6つの要因から考えてみたい。
《1_ 朝鮮文化が「恨」である以上、「反日」はなくならない》
朝鮮の文化として「恨(はん)」がよく取り上げられる。これは普通の恨みではないので、さまざまな切り口で説明されている。その一つに、「朝鮮の伝統規範からみて責任を他者に押し付けられない状況の下で下位に置かれた不満とその解消願望」というものがある。この辺りは、程度の差はあるものの朝鮮人以外でもあり得るものだろう。だが、朝鮮の「恨」はどんどん自分勝手に暴走していく。「恨」は「自分が憧れる姿に、今の自分がいないことに対する無念の気持ち」とも説明される。これは夢が実現しないことを恨むということだから、もう相当におかしくなっている。そこから、「恨」は、「事態(現実)を受け入れるのではなく飽くまで抵抗する。神や自然に対してまで抵抗し続け恨みをバネに生きていくのが人間である」という考えにまで飛躍する。そこで、「恨」を「恨みつらみや不満を生きる力に転換した状態」と説明している人もいる。つまり、彼らは歴史的に恨まざるを得ないような環境で生きてきたので、夢、自然、神すらも恨むようになり、それが昂じて、恨みがないと生きられないという精神状態になってしまっているということだ。これは、現実のストレス解消のため麻薬(夢想)に手を出し、一時的には現実を忘れ快感に溺れることができても、やがて現実との矛盾が激化し、更に麻薬(夢想、虚偽)に頼らざるを得なくなる状態に似たものではないかと思う。「生きるためのバネとしての恨」などというのは、現実逃避の取り繕いでしかないだろう。実際、韓国人は、世界は自分たちを中心に回っている、回るべきだと考えている(妄想している)から、ちょっとでも思い通りにならないことがあると、すぐに怒りを爆発させるといわれる。最近も、怒りをうまくコントロールできない人が増えていると韓国メディアは伝えている。怒りの抑圧は、朝鮮特有の「火病(ファビョン)」という精神性の病気になるし、かといって抑圧が効かなくなると、こんどは見境のない怒りの爆発になる。しかし「恨」はさらに暴走し、凶暴になる。韓国人は自分の回りで何か問題が起こった時、それを自分ではなく他の誰かのせいにしようとする「被害妄想型の恨」であるという説明もある。これは、言葉の通り「被害妄想」であって、被害回避の行動、責任転嫁は、現実に無関係に自分勝手な妄想で決められ行われる。彼らの怒り、恨みは往々にして、本来のものとは全く関係がない無辜の第三者、それも弱者に向かうのである。朝鮮には「姑への腹立ち紛れに犬の腹を蹴る」という諺があるらしい。腹が立った時、無関係なもの、しかも弱いものに八つ当たりするというのは、時々聞く話ではあるが人間としてまともな行動ではない。こんなことをすべきでないというのは子供でも知っていることだ。この諺は、こうしろという主旨のものなのか、それともこうしてはいけないという主旨のものか、あるいはまた川柳的な意味のものかはっきりしない。しかしいずれであっても、こんなことをわざわざ取り上げる社会はかなり常識を欠いた、異様な、病んだそれと言わざるを得ない。
いわゆる恨みは、その原因を作った当事者に向けられるのが筋であるが、「恨」は必ずしもそうではない。原因となるものが強者である場合は、「恨」はそれらしい第三者、それも弱者だけに向けられるのである。朝鮮の「恨」の最大の原因は、朝鮮を千年以上にわたって支配し、抑圧し続けた中国、そして李王朝にあることは明白だが、朝鮮人は昔も今も、中国や権力に対する恨みを直接に口にすることはしないし、その恨みを晴らそうともしない。それは、彼らの身に沁みついている中国そして権力に対する恐れ、そして強いものに刃向っても損をするだけだという姑息な人生知によるものだろう。そこで、彼らが次善の策として怒り、恨みの対象としているのが、日本であり、その表れが「反日」ということになる。なぜなら、日韓併合の時代からの観察で、日本人は本当に「お人好し」であることを理解しているし、しかも日本は敗戦国という弱い立場に落ち込んだのだから、いくらやりたい放題をしても日本からの反撃に遭うことはないはずとタカを括っているからである。日韓併合などというものは、欧米列強が行った非人道的植民地支配とは違って、公正で民主的な手続きで行われたものであるから、本来的には彼らの怒りや恨みの対象にはなり得ないものである。たとえそういうことがあったにせよ、それは一部の限定されたものであるはずだ。しかしこんなことは彼らにとってはどうでもよいことである。「恨」とは弱者を捕まえて、彼らの身勝手な鬱憤を晴らすことに他ならないから、因縁をつけるネタさえあればそれでよいのである。
更に厄介なのは、なにしろ「恨」は朝鮮人が生きるための力の源泉でもあるのだから、これがなくなってしまえば彼らは生きられない。「恨」は続かねばならず、拡大再生産されねばならないのである。だから朝鮮では、「恨みは千年も忘れない」と言われたりもする。結局、韓国人の「反日」は、「恨」を拡大再生産し続けるための手段であり、消失することのないもの、消失させてはならないものなのだ。
《2_ 千年以上にわたる中国への屈辱的従属が育んだ民族のDNA = 事大主義、小中華思想、選民思想、自己中、妄想と虚偽、法と正義の不在、非人道…》
朝鮮は地政学的に、中国、北の異民族、日本、そして近代ではロシアという強国に囲まれていて、古来これらの国々、特に中国によってしばしば侵略されてきた。とはいえ、これはちゃんとした朝鮮統一独立国家があって、その独立に対して、外国、中国が軍事的に侵入し征服したというイメージとはかなり違うものだ。実際は、各地に分立する朝鮮人の政権が、彼ら同士で争い、相手を倒すために外国の力を利用した、あるいは統一国家内部の権力闘争の中で、一部の勢力が敵対勢力を倒すために外国、特に中国の力を利用したという側面が強い。朝鮮は、中国と抗争、戦争をしつつも、全体としては少なくとも1000年以上前から、中国への従属状態にあったといえる。
そして、このことが最も徹底した形で実現されたのが朝鮮最後の王朝国家であった李氏朝鮮である。これは、それまでの統一王朝・高麗の重臣であった李成桂が、敵国である中国・明と裏で手を結び、1392年、反乱軍となって高麗王を殺し政権を簒奪して打ち立てたものである。李氏朝鮮は敵国であった明に臣従し、その属国に成り下がり、以降 1897年までの505年間中国への従属が続いた。この王朝は、李一族の栄耀栄華のために、既存の統一王朝を裏切り、国民と国土を中国に差し出すという売国的行為によって作られた国家だったから、国民の幸福とか、国の発展などには全く関心を示さなかった。明の腐敗した儒教・朱子学を統治理念とし、衆愚政策を行い、国民を分断し、搾取と虐政の中においた。ここでは政治とは党派を組んで敵対勢力を蹴落とすことでしかなかった。いつ、どのように力関係が変わって、どんな憂き目に会うか分からないため、人々は自分だけが栄えればよいと思うようになった。法が軽んじられ、勝つことが正義となった。法や規範、倫理などが顧慮されず、人々は不正蓄財や、賄賂のやり取りに長けるようになった。公共精神など育ちようもなかった。これらはすべて民族のDNAとなって、「恨」を育てた。
他方、李朝は、属国として徹底的に中国に服従した。強い国、ものには従属するという考え(事大主義)は、朝鮮に染みついたDNAとなった。朝鮮には国家主権が一切認められておらず、李王は、中国の地方長官程度のものでしかなかった。中国皇帝からの使節が来ると、朝鮮国王は高官を引き連れて迎恩門(使者を迎える門)まで歓迎に出向き、ひれ伏して額を地面に九回打ちつけ使節に敬意を表し(「三跪九叩頭の礼」)、接待し、たくさんの貢物を上納しなければならなかった。貢物の中には、若く美しい女人や若い男奴隷なども含まれていた。女人の数には諸説あり、総数で500人というものから、誇張されたものでは毎年3千人というものまである。いずれにしても、こんな情けない有様では、いくらなんでも国民に示しがつかないので、李朝は「小中華思想」なる巧妙な屁理屈で国民を欺き、自分たちを正当化した。これは、中国は偉大な文明国家だということを強調し、その文明の第一の継承者が李斯朝鮮だという考えである。そしてこれをもっともらしく見せるために、朱子学を国教とし、その内容を都合のよいものに作り変えて、それがあたかも世界で最高の倫理規範、哲学であるように繕った。そして、朝鮮以外の国、すなわち、日本や、北方の国、東南アジアの国は、中国文明を継承できない国、文明を持たない野蛮で哀れな国とした。つまり、朝鮮民族を優秀な民族、選ばれた民族(選民思想)と説明して、人々のプライドを満足させたのである。こういうことが500年も続けられたから、朝鮮人は、根拠もない妄想に憑りつかれて、ファンタジーに酔い、上から目線でやたらと見栄を張る性向になってしまった。
しかし現実には、安土・桃山、そして江戸時代の日本の方が中国よりも進んだ状態にあったし、まして、李王朝下の朝鮮とは比べるべくもなかった。このことは、朝鮮通信使が江戸時代の日本を見て、その豊かさと洗練具合に驚き、中国でもこんなに進んではいないと書き残していることでもわかる。特に、明治維新後の日本の発展は著しいものだったから、朝鮮人の根拠のない優越感、蔑視意識は現実によって打ち砕かれ、深刻な矛盾と葛藤の中におかれた。彼らの日本に対する優越感や蔑視意識は捻じれて歪んで、コンプレックス(劣等感)、ジェラシー(嫉妬)、ルサンチマン(的外れな復讐心)に変質せざるを得なかった。そしてこれらは最後は反日となって現れることになった。反日は千年以上にわたって育まれた「恨」という民族のDNAから生じ、それが更に拡大再生産されたものということができるだろう。それゆえこれが消失するのは容易なことではないのである。
李朝の中国に対する従属は、日本が日清戦争に勝利して、1897年、清の挑戦に対する支配を停止させるまで続いた。悪辣極まりない李朝の統治下で500年を経て百姓、人々は生屍に等しい状態になっていた。それを再生させたのが、日本であり、日韓併合であったことは歴史が証明している。日本は悲惨な状態にあった朝鮮をなんとかしなければならないと考え、その民主化、近代化に尽力し成果を挙げた。社会的な経済や文化水準の引き上げ、そして日本流の経営、技術を伝えたことは、その後の漢江の奇跡と呼ばれる韓国の高度経済成長の潜在的な土台となったことは疑いがない。
《3_ 「抗日闘争勝利」なる虚偽が建国の土台とされた以上、韓国が完全に日本を凌駕するまで「反日」は続く》
日韓併合が終了したのは、日米戦争に日本が敗れたからである。彼らの言う日本からの「解放=光復」はタナボタ式に得られたものであり、朝鮮民族が日本との独立闘争を行って自力で勝ち取ったものではない。独立闘争どころか、まともな抗日運動すらしていない。彼らは自らの意志で日本人となり、連合国軍と戦ったのである。金日成や李承晩などが、抗日闘争を行っていたとされるが、これはほんの一握りの人間の話であり、ほとんど実態もないもので、朝鮮の解放、独立には何の影響も及ぼさなかった。だから、日本の敗戦を受けて新たな国を建国するにあたっては、このような歴史的事実を素直に認めて、そこから出発するのが大道であるはずなのに、見栄っ張りで妄想癖を持つ朝鮮人はそうはしなかった。彼らは、見栄と欲を満たし、そして日本への上述のような劣等感、嫉妬心、ルサンチマンを都合よく解消するため、理不尽にも独立が、「抗日独立闘争」の結果であるとの虚偽、歴史捏造による国造りを始めたのである。解放後、米ソ対立の下、北はソ連、南は米国の占領下におかれたから、これが更に「抗日闘争」の虚偽を加速することになった。北と南は、それぞれが朝鮮の正統な継承者であるとして争ったため、いずれが「抗日闘争」で重要な役割を果たしたかが問われることになった。そもそも抗日闘争を建国の理念とすれば、スターリンが指導していた抗日パルチザン (共産ゲリラ) で名を馳せた金日成を英雄視するしかない。一方の韓国初代大統領である李承晩はアメリカで独立運動と称してカンパを集めて遊んでいただけで、なんらの抗日闘争もできていなかった。彼らが中国に作ったとされる大韓民国臨時政府とか、抗日闘争のための光復軍などは何の実態も無かった。これは北との対抗上非常にまずい事態である。そこで、南鮮=韓国は、理不尽にも大がかりな「抗日独立闘争」を捏造することにしたのである。もっとも、金日成も、李承晩らに比べればというだけの話で、彼の運動も開放や独立に何の影響も与えていない点は似たようなものである。
「抗日闘争」を建国の土台に据えたことによって、歴史が矛盾だらけになり、それを虚偽と捏造で乗り切らざるを得なくなった。あらゆるところで「反日」が必要となった。日韓併合時代の韓国・朝鮮が、それまでのどの時代よりもはるかに発展した豊かな時代だったという歴史的事実は抹消しなければならないものになった。日韓併合の時代が苛烈な植民地支配状態に置かれ、朝鮮人民は日本帝国主義の搾取に苦しめられ弾圧されていたという舞台設定が必要になった。そこで、竹島問題、慰安婦問題、徴用工の共生労働問題、朝鮮文化の略奪・抹殺問題(=文化財返還要求、韓国起源説)、在日問題、日本海呼称問題などを捏造し、これらによって日本を貶め、韓国の立場を強めようとしてきた。これらは事実がどうかというより、「反日」の手段にしか過ぎないから、彼らは本当に解決しようという気はない。解決しそうになると要求を引き上げてくる(いわゆるムービング ゴールポスト)。もし、これらの一部が解決するようなことがあっても、彼らは新たな反日のネタを作り出すだろう。対馬、自衛隊の運用、朝鮮の南北分断についての日本の責任、韓国起源説の個別展開…、いくらでも捏造するだろう。「恨」は韓国人が生きるバネだから、解消しては困るのである。「反日」は、「抗日闘争勝利」のことであるので、それは日本を完膚なきまで打ちのめすことでなければならず、普通の意味での謝罪で済まされるようなことではないのである。だから「反日」は、日本の過去の責任追及というよりもむしろ、日本を弱体化させることに主眼があるのだ。日本の国連常任理事国入りへの反対、東日本大震災を喜ぶこと、東京五輪招致の妨害運動、安倍首相の米議会合同部会演説の阻止工作…、彼らは日本の足を引っ張ることばかりして来たし、これからも事あるごとに間違いなくそうするだろう。23日の朝鮮日報のコラムで執筆者の東京特派員は次のように書いている_「(慰安婦問題などの)歴史問題に対する唯一の根本的な解決策は、強くなることだ。日本は絶対に韓国の望み通りの反省はしない。その日本を相手に、忘れもせず、許しもしないが、実利はしっかりと手にし、あきらめずに毎日少しずつでも彼らより強くなることだけが、ある日の朝、慰安婦問題を含む歴史問題で韓国が望む場所に到達する道なのだ。」と。だから「反日」は、韓国が日本よりも強国となり、日本を打ち負かすまで続くことになる。そこで韓国は、更に大きな妄想の実現を狙っている。それは、韓国を「抗日闘争」をした国(もちろんこれ自身が大変な虚偽だが)から、「連合国側で日本と戦った国」、そして「戦勝国」へと飛躍させることである。最近の朴政権が国内、中国、米国で行っていること(抗日ゆかりの建造物・資料の保存・再現など)は、このことの実現を狙ってのことなのである。もしこうなれば(絶対にそんなことはないが)、韓国の国際的地位は格段に上昇するから、彼らの劣等感、嫉妬、ルサンチマンも満足的に解消する可能性が出るのである。韓国では、国の政治・外交が個人の情念・「恨」とチャンポンになって、完全にファンタジー化してしまっているのだ! もちろん、日本も旧連合国側も、こんな馬鹿げた虚偽を認めるわけにはいかない。しかし彼らは自然や神すらも恨む民族であり、この妄想路線を捨てることはない。ともかく「反日」は建国の理念のようなものだから、現在の政体が続く限りこれが放棄されることはないのである。
《4_ 中北露などの潜在的反日勢力によって、常に反日共闘の誘いがかけ続けられること》
上述のことは中国や北鮮にも似たようなことが言える。彼らもまた「抗日戦争に勝利して、過酷な日本帝国主義の支配から、民衆を解放した」ということを建国の出発としているから、「反日」が体制維持のための必要不可欠なツールになっている。ロシアにとっても事情は似たようなものだ。ロシア=旧ソ連は、第二次大戦でドイツ、日本という「悪」に勝利して、国際社会に平和と自由をもたらしたということをほとんど唯一の国の誇りとしている。日ソ中立条約を一方的に破って、全面降伏した日本に不法な戦争を仕掛けて、満州や北方領土に侵攻して、姑息な手段で北方領土を日本から奪ったという歴史的事実は抹殺する必要がある。これらの国にとっては、日本は過去も現在も「戦争犯罪国家」であり続けなければならず、この点で韓国とも利害を一にするのである。これらの国にとって、韓国がこの戦列から離れることは、自分たちの体制の崩壊が近づくことだから、それは許されないことであり、韓国にそうならぬように圧力を掛け続けている。韓国は千年以上にもわたって中国の属国であり、中国の力には恐怖心と共にノスタルジーを感じている。先ごろ日本の「言論NPO」と米中韓の調査研究機関が4か国で実施した共同世論調査の結果で、「「世界的な課題に責任ある行動をとる国」として、中国に対して期待感を示したのは、日本で14.9%、米国で34%にとどまったが、韓国では70.6%に上り、韓国の中国傾斜が改めて裏付けられた。」(21日 読売)。中国が遅れた国、非民主的な国であるにも関わらず、千年以上の中国従属による事大主義と小中華思想は韓国人の身体にしみついているのである。韓国は、民主主義を理解し、実現している日本とは根本的に価値観が異なるのである。しかも経済の多くを中国に握られている韓国が、中国との縁を切ることはできないし、中国はそれを力で封じる手も持っている。
《5_ 時の韓国政権が、政権の求心力を高める手段として、また日本との競争に勝つ手段として反日を活用すること》
韓国・朝鮮人は、人を信じない人々、疑い、常に人を欺き自分の利益を確保しようとする人たちである。彼らは常に人の足を引っ張り続け、反目、抗争を繰り返している。これは国の指導者と国民の間でも同様であり、国民はちょっとでも自分達の気に入らないことがあると激しく政権を非難する。上述のようにあるいは北鮮を見ればわかるように、朝鮮人は基本的に事大主義であって、強いものには刃向わない。だからこれは韓国の政権が弱いもので鬱憤晴らしの対象としか見られていないことを意味している。また、政敵、敵対的な党との構想でも同じようなことが言えるから、一旦非難されて、支持率が下がると、そのままレイムダック化することになってしまう。気紛れな国民から支持を得る方法は大衆迎合の政策を進めることであるが、そんな金はないし、そんなことばかりやっているわけにもいかない。そこで韓国の大統領が、使う常套手段は、愛国を鼓舞し、「反日」を強めて日本を叩き、国民の怒りと「恨」を晴らすことである。実際、韓国の歴代の大統領は、任期前半はともかくも、後半に入って支持率が落ちると必ず「反日」を煽って支持率を回復するという挙に出た。
また、「反日」は、外交政策、経済政策としても、政権に利益をもたらす。つまり、「用日」、「2トラック戦略」である。これは、一方では日本から経済や技術支援を獲得し、他方では、日本の国際的地位を貶めようというものだから、とんでもなく身勝手な考えである。しかし従来のお人好しの日本人は、前者には「誠心誠意」で、後者には「土下座」で応えてきたものだから、韓国の妄想がそれなりの効果を出したことになり、韓国人を益々妄想に走らせる結果になった。日本人は、日本の名誉を貶める後者のものは名誉どまりと考えている節があるが、実は、これは日本のブランドイメージを悪化させ、日本の代替者としての韓国のイメージを上げることだから、経済活動でも甚大な損害が出ているはずである。日本としては、もうこんなおめでたい対応は即刻止めねばならないのである。ともあれ、このような理由で「反日」は歴代政権によって、常に拡大再生産されるもの以外の何物でもないのである。
《6_ 日本国内の反日勢力が常に韓国の反日に火を着け、それを煽ること》
更にもう一つ問題があり、それは韓国の「反日」のネタを日本で作り韓国に渡し、韓国の反位置を煽る輩が日本国内に存在するという問題である。それは、一部の親韓政治家、そして民主党や社民党などの左派政党、朝日などの左派メディア、左派知識人、左派市民団体などである。これらの人々がなぜこのような真似をするのか(して来たのか)については、いくつかの理由があるはずだが、その中でも主要かつ悪質なものは、自分勝手な欲求を満たそうとする動機である。それは、自分を「良心的で勇気ある」政治家、知識人として社会にも認めさせたいという欲求から、「強者である日本を懲らしめ、弱者である韓国を助ける」という構図を立て、これを実行して自己陶酔に浸りたいというものである。もう一つは日本社会に対する不満、恨みから、社会を破壊して鬱憤晴らしをしようというものだが、そのためには名分がいるから、「日本の戦争犯罪を裁く」などのもっともらしい理屈をつけて行動するのである。これらの人達には、日本の国益、国民がどうなるかなどは感心の範囲外であり、自分の欲求充足のために日本は利用されるだけの存在なのである。これらの人達は、慰安婦、戦時徴用工、靖国、日本の侵略行為、残虐行為などをでっち上げて、これを韓国に伝え、かの地で反日運動が起きて日本に再輸入され、日本が混乱し、その時自分たちがヒーローとしてもてはやされることを期待している。これはいわばマッチポンプであって、彼らにとって、騒ぎは大きければ大きいほど都合がよいのである。これは欺瞞であるばかりか、その本質は国と国民を外国である韓国に売る行為以外の何物でもない。
もう一つ付け加えれば、日本には在日韓国朝鮮人が居住しており、彼らは民団や総連の指導の下で、さまざまな「反日」運動、日本社会の分断工作を行っているから、上述の国内の「親韓・反日」運動との相乗効果で、日本は混乱し、国力を弱めることになる。これは、韓国が‘競争相手’と考えている日本が没落することだから、彼らの「反日」運動の成功であり、「恨」も満たされるのである。しかし、被害を受ける日本はたまったものではない。こういう連中が日本でのさばっている限り、「反日の火」は常に日本から供給され続けることになる。
このように、韓国の「反日」は非常に根深く複雑な原因によって生じているものであり、現在そして将来の反日もこれらの階層的な要因の複合、総合として生じるものだから、部分的に多少の改善がなされたとしても、他の要因によって元の状態に引き戻されてしまうだろう。だから、「反日」が止んで、真の意味での「友好・協力」関係ができることはここ数十年、あるいは百年はまずあり得ないことだろう。朴大統領が言う「被害者と加害者の関係は千年経っても変わらない」というのは比喩ではあるが、客観的な状況を述べたものであると共に、韓民族としての「恨」の拡大再生産の決意表明でもあるのだから、先行きは暗い。
そこで日本はどうすべきかであるが、表面的、建前、儀礼的な「友好・協力」関係は拒否する理由がないし、また、そこまでやっては国益を損するから、これは進めざるを得ない。しかし、これは「恨」と「反日」を抱えたままでのそれであるから、本当の意味での「友好、協力」でないことを心に刻んでおかねばならないということだ。韓国そして韓国人は我々日本人と上辺で似たところはあるにせよ、本質では根本的に違うということがしっかり肝に銘じられる必要がある。間違っても、親切心や義侠心で、無節操な協力を行ってはならない。草の根運動などで、心が通じるとの甘い考えを抱くべきでない。裏切られるだけだ。まして支援などもっての外である。これは日本にダメージを与え、彼らの理不尽さを益々勢いづかせるだけの話だ。不当な反日攻勢には断固反撃し、必要に応じ適宜 報復しなければならない。これ以外に方法はないし、これが現実的意味で最善だということである。これは日韓併合を含めたここ100年にもわたる、日本の韓国との友好・親善・協力関係を目指す苦難に満ちた模索の中で、得られたほとんど唯一の、しかしそれだけに極めて重要な教訓、認識なのである。